第453話:異質 その3
それまでレモナの町の住民を無力化していたはずのクリスとティナが突如として現れたことに、レウルスは黒い球体から放たれる触手を斬り飛ばしながら眉を寄せる。
加勢に来たわけでもなく、突然『時間を稼げ』と言われても困惑するしかないだろう。そもそも住民の無力化はどうなったのか、と疑問に思う気持ちもあった。
それに加えて、クリスとティナの姿にこれまでなかった変化が表れている。狐を模した面を取ったことで素顔を晒しているのだが、素顔だけでなく“他の部分”にも変化があるのだ。
頭には狐のものと思しき三角の耳が生え、更には尻尾らしき物体も顔を覗かせている。加えて、身に纏う魔力も量を増しているように感じられた。
『変化』か何かで化けていたのか、それとも今の姿に化けたのか、あるいは二人の姿を真似た別人か。
レウルスに隙を晒させるために、スラウスが何か仕掛けてきたのかとすら思考したレウルスだったが、二人を見知っている翼竜が何も反応を示さないことからクリスとティナ本人だろうと推察された。
「空のアレを塞ぐ!」
「だからそれまで守って!」
切羽詰まった様子でクリスとティナが叫んだ言葉に、レウルスは僅かに逡巡する。
黒い球体が落下してきたため意識がそちらへと向かっていたが、レモナの町の上空には相変わらず“ひび割れ”が残っているのだ。
大きさは精々数メートルで、レウルスの目測でも五メートルに届くかどうか。ひび割れた卵のように青空が拉げ、ところどころ夜空のような黒い“何か”が映っている。
ひび割れは広がる様子も狭まる様子もない――が、このままという保証もない。
レウルスとしては『ない』と思いたいことだが、新たに黒い球体が落下してくる可能性もあった。もちろん落ちてくるか、落ちてこないか、そもそもひび割れがどうなるかレウルスにはわからない。
それならば何かしらを知っており、なおかつ空のひび割れを塞ぐと叫ぶクリスとティナを信じるのも一つの手だろう。
黒い球体とスラウスを相手にして時間を稼ぐことの難しさを除けば、だが。
(時間を稼げって言っても……くそっ、姐さんは……)
レウルスが知る限り『詠唱』にはある程度の規則性があるとはいえ、その長さまで同じということはない。使う者や状況によっていくらでも変化し得るのだ。
『其は万物を撃ち払い、薙ぎ払う暴風。何物にも止められ得ぬ嵐の一矢』
そして、ナタリアが行っている『詠唱』を聞いたレウルスはまだまだ時間がかかると判断した。『詠唱』の文言はともかく、ナタリアが纏う魔力が膨れ続けているからだ。
ナタリアほどの腕になれば、『詠唱』を行いながらある程度の戦闘行動を取ることもできるだろう。だが、レウルスが絶対に守り切ると信じているからか完全に足を止め、目を閉じて意識の全てを集中させていた。
レウルスもまた、守り切りさえすればナタリアが仕留めきるだろうと信頼している。だからこそ『熱量解放』を更に超えた状態で、必死に自我を保ちながら剣を振るっているのだ。
「空を塞いでどうなる!?」
ナタリアを狙い続ける触手を斬りながら、レウルスは叫ぶ。
空のひび割れを塞いだ結果、黒い球体が消え去るというのなら死ぬ気で凌いでみせる。黒い球体が消えたのならば、ナタリアが『詠唱』して全力で行使する風魔法をスラウスに叩き込み、レウルスがとどめを刺せば勝てるだろう。
しかし、そこまで上手く事が運ぶかどうか。そんな疑問をぶつけるレウルスに対してティナが行った返答は、レウルスとしても判断に迷うものだった。
「塞がないとアレを殺せない!」
「っ!?」
何故そんなことを知っているのか、という疑問を飲み込む。それよりも先に黒い球体へと意識を向けたレウルスは、スラウスを見た時と同様に“魔力の流れ”を確認した。
だが、先ほど確認した時と同じように黒い球体に魔力が流れ込んでいるようには感じられない。どういうことかと迷うレウルスだったが、ティナの必死な表情を見る限り嘘を吐いているようにも思えなかった。
「ぐ……ああくそっ! 必要な時間は!?」
「……三分!」
(中々に無茶を言う!)
数秒だけ思案して叫ぶティナに、レウルスは思わず心中だけで叫んだ。
『熱量解放』がもつならば、体力ももつ。しかし『熱量解放』に回している魔力に加え、限界を超え続ける集中力、気を抜けば意識が断絶して自己すら喪失しそうな悪寒。そして何よりも、『龍斬』の刀身がもつかどうか。
ただでさえナタリアを守るだけで手いっぱいだったのだ。そこにクリスとティナを加えて守れと言われても、守り切れる保証などない。
「あまり長くは持たねえぞ!」
それでもレウルスは請け負った。クリスとティナの言葉に嘘はなく、また、自身の勘も従うべきだと訴えかけてくるのだ。
レウルスの返答を聞いたクリスとティナは、即座にレウルスの背後へと回った。そして手に持っていた狐の面を空にかざすと、全く同じタイミングで『詠唱』を開始する。
『大いなる精霊、数多の精霊、世界を守る白き龍よ。妖狐の子たる我々が希う』
(……何?)
そして、聞こえてきた『詠唱』にレウルスは疑問を覚えた。
グレイゴ教徒が『詠唱』でのこととはいえ精霊に助けを求めたこともそうだが、何よりも『詠唱』で呼びかけた相手が複数で、なおかつ精霊以外が混ざっているのだ。
それらを『詠唱』に加えて何をするのか。それを深く思考する余裕はなかった。
「ヌ、グ……ギィ……」
意識が逸れたことで、『熱量解放』に回していた集中力も逸れかける。レウルスは瞬時に意識を集中し直すと、『龍斬』を握る両手に力を込めた。
(…………よし)
“ただの『熱量解放』”に戻りかけたのを寸前で踏み止まり、レウルスは小さく息を吐く。だが、先ほどまでとは僅かに感覚が変わっているように感じられ、思わず眉を寄せた。
『契約』を交わして感じ取れるサラの魔力が、かなり近い場所まで移動している。それが影響しているのか、先ほどまでと比べれば体内に押し込んでいる魔力の“バランス”が良くなったように感じられた。
これならば先ほどよりも動きやすい、などとレウルスは思考し――眼前に、黒い球体から放たれた触手が迫っていた。
「ッ!?」
それまでは一向に見向きもされなかったというのに、突然として飛来した触手に僅かに反応が遅れる。それでもレウルスは首を横に倒して触手を回避するが、ほんの僅か、首の肉を削ぎ落とすように触手が通過する。
「グゥッ――ガアアアアアアアァッ!」
首筋から血が噴き出るが、それに構わずレウルスが『龍斬』を一閃する。そうして触手を斬り飛ばすものの、追撃としてもう一本の触手がレウルスの顔面目掛けて飛来した。
迎撃するべく『龍斬』を構えたレウルスだったが、突如として触手が止まる。レウルスは一瞬フェイントに釣られたかと焦燥の念を覚えたものの、触手は僅かに前へと動き、そのまま戸惑うように後ろへと下がっていく。
「――――?」
抉られた首が瞬く間に治っていくのを感じながら、レウルスは黒い球体に困惑の視線を向けた。
何度も触手を斬ったことから敵と判断されたのかと思ったが、それならば攻撃を止める必要はない。それまでのパターンから外れた攻撃は効果的で、致命傷は回避したとはいえ首から上を持っていかれそうになったのだ。追撃を止める理由にもならないだろう。
(一体何のつもりだ?)
何を考えているのか、あるいは考えてなどいないのか。黒い球体はレウルスに斬られた片方の触手を生やすと、再度レウルス目掛けて振るってくる。
しかしレウルスが斬り払おうとするなり動きを止め、その狙いをナタリアへと変えた。
『詠唱』を行っているクリスとティナには見向きもせず、触手も二人を避けるようにしてナタリアを狙う。クリスとティナを狙うのならば即座に斬ろうとしていたレウルスだったが、触手の動きを見て困惑し、それでもナタリアを狙うのならばと斬り捨てた。
(こっちの二人は狙わないのか?)
守ると言った手前守るつもりだったが、触手はクリスとティナを避けていた。それならば何から守るのかと思考した瞬間、黒い球体の動きが突如として変化する。
「――ッ!?」
それまで一向に動こうとしなかった黒い球体が、重力を無視したように跳ね上がる。続いてそれまで二本しかなかった触手を八本まで増やすと、半分をナタリアへ、そしてもう半分を見当違いの方向へと飛ばす。
「ウ、オオオオオオォォッ!」
増えた触手の半分とはいえ、それまでの二本と比べれば倍の四本だ。レウルスは『龍斬』に魔力を込めながら振り下ろし、硬質な手応えを感じながらも辛うじて切断することに成功する。
(残りの半分は……)
どこを狙ったのかと油断なく視線を向けるレウルスだったが、すぐさま相手の狙いが判明した。
「うわっ! 何よコイツ気持ち悪いっ!?」
「……邪魔」
触手が向かった先にいたのは、サラとネディの二人だった。




