第445話:動かす者、動く者 その1
不意を突くようにしてレモナの町の上空から突っ込んでくる巨大な翼竜。その姿を視認したスラウスが抱いた感情は半分が納得で、半分が疑問だった。
スラウスは翼竜が“伏せ札”だと考えていた。上級に匹敵するであろう翼竜ならば、自身に勝てはしないもののある程度の脅威にはなる。
加えて、強さは属性龍に劣るものの自由に空を飛べるという点が大きい。ナタリアが、そしてスラウス自身がそうしたように、空を飛べるというのは戦いにおいて大きな利点である。
魔法も使わずに空を飛べるという面だけを見れば、翼竜はナタリアやスラウスを上回っているとすら言えた。そんな翼竜を投入するのならば、それに見合った局面になるだろう。敵ではあるものの、司教であるレベッカが操っている以上その手の局面を見誤るとは考え難かった。
そう考えたスラウスの思考とは裏腹に、翼竜は姿を見せた。ナタリアとの魔法の撃ち合いを隙と捉えたのか、声こそ上げないものの一直線に突っ込んでくる。
それにスラウスが気付き、そして翼竜もまたスラウスに“気付かれたこと”を悟る。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアァァッ!』
それならば隠す必要もない、と言わんばかりに翼竜が咆哮した。それはレモナの町全体に響き渡るような声量で、ナタリアとスラウスの戦いによって被害を受けていた家屋を揺らし、辛うじて形を保っていたものを倒壊させるだけの衝撃があった。
そして咆哮を放つと同時、翼竜の口中に紅蓮の炎が生み出される。スラウスに向かって突撃しながら生み出された炎は数秒と経たずに熱量を増し、スラウス目掛けて一直線に放たれた。
真っ向から撃ち合っているナタリアの風魔法に加え、頭上から迫り来る炎の濁流。直撃すれば無傷では済まない魔力を感じ取ったスラウスは舌打ちを一つ叩き、左手を空へと掲げる。
ナタリアと魔法を撃ち合っている最中のため、回避はできない。それ故にスラウスは迎撃を選択し、風と氷の合体魔法を維持した上で火炎魔法を発現した。
合体魔法に加えて、翼竜が繰り出した巨大な炎を真っ向から迎撃する。それを成し得る技量と魔力量は瞠目に値するだろうが、さすがに限度があった。
「ぐっ……」
直撃こそ避け得たものの、それまで押し込んでいたナタリアの風魔法、そして翼竜の火炎魔法が正面と直上から炸裂してスラウスを飲み込む。竜巻はスラウスの体を切り裂き、爆炎は切り裂いた肉体を焼き、焦がしていく。
『ガアアアアアァッ!』
「――っ!?」
爆炎を両断するような勢いで繰り出される、翼竜の追撃。炎を放ちながらも急降下を続けていた翼竜が勢いもそのままにスラウスへと体当たりを敢行し、鈍い轟音を響かせながら地表へと激突する。
巨体の翼竜が落下速度を加えて繰り出した体当たりはそれ自体が並の魔法を上回る一撃となる。スラウスは全力で『強化』を使って防御したが、地面が大きく陥没するほどの衝撃は逃がしようがない。
さすがの吸血種といえど肺から全ての息を強制的に吐き出さされ、全身から骨の圧し折れる音が響くほどの衝撃だった。
その衝撃は即座の行動を許さず、翼竜は地面にめり込んだスラウスの胴体に喰らい付く。続いて長大な首を捻ってスラウスを振り回すと、至近に建っていた家屋に向かって“投擲”した。
スラウスの体が木製の家屋の壁を突き破り、そのまま幾枚もの壁を突き抜けていく。そして三軒ほど家屋を倒壊させながらも転がり出た先で、待ち構えるようにして再び翼竜が落下してきた。
「っ……羽の生えた蜥蜴風情が!」
スラウスを投擲するなり跳躍し、家屋を飛び越えてきたのだろう。追撃するべく迫る翼竜に対し、スラウスは全身から血を流しながらも即座に反撃へと移った。
さすがに即座に完治できるような軽傷ではない。それでも右腕だけは急速に“治し”、翼竜を押し返すようにして殴りつける。
『グッ……ギ、ガアアアアアァッ!』
態勢が不十分にも関わらず翼竜の体が一瞬浮き上がるほどの一撃。翼竜の頑強な鱗を打ち抜いて拳が半ばまでめり込んで鮮血が噴き出すが、翼竜も瞬時に体勢を変えて鉤爪を降り下ろし、スラウスを地面へ叩きつける。
互いに上級に分類される魔物同士の至近距離での殴り合い。体躯の大きさの違いもあってスラウスの方が手数が多いが、翼竜もそれに負けじと鉤爪を振り下ろし続ける。
それまでの魔法戦と異なり、血生臭い殴り合いへと移り変わった戦場。スラウスは圧し折れた骨とボロボロの体を治しながらも抗戦し――不意に殺気を感じ取った。
「オオオオオオオオオオオオオオォォッ!」
翼竜に勝るとも劣らぬ咆哮と同時に、人の塊が吹き飛ぶ。いつの間に接近していたのか、数十メートルと離れていない場所にレウルスの姿があった。
(っ、これが狙いか!)
それまでレモナの町の住民を相手にしていたレウルスだが、スラウスの中では現状、ナタリアに次ぐほどに警戒度が高い。そんなレウルスの傍に強引に“放り出された”スラウスだったが、レウルスはそれを見越したように一気に距離を詰めてくる。
レウルスの近くにはまだ幾十もの住民がいる――が、レウルスは群がるようにして向かってくる住民達を力任せに跳ね除け、『龍斬』の鞘で殴り飛ばし、一直線に突撃してくる。
その様は実に荒々しく、斬ってこそいないが『龍斬』で殴られた住民の中には体の一部が不自然に折れ曲がっている者が多々いるほどだった。
ナタリアに翼竜、そして突撃してくるレウルス。それらをまとめて相手取るには負傷が重く、スラウスは体の治癒に回す魔力を一気に増やす。それと同時に翼竜を殴りつけ、体勢を整えるための隙を強引に作り出そうとした。
だが、翼竜も引かない。スラウスに殴られようとも怯まずに殴り返し、レウルスが接近するまでの数秒を稼ぎ出す。
「シイ――ネエエエエエエェッ!」
全力で踏み込んだレウルスは、スラウスを地面へと押さえ付ける翼竜に構わず大剣を振り下ろす。それは翼竜の首ごと斬り落とす軌道の、ギロチンのような一閃だった。
『――――』
だが、翼竜は“レウルスを見ていなかった”というのに刃が首へ到達する直前で真横へと転がり、必死の一撃を避けた。その結果、同士討ちしかねないレウルスの斬撃に僅かとはいえ困惑していたスラウスにのみ、大剣の刃が振り下ろされる。
「舐めるなっ!」
回避するには遅く、スラウスは防御を選択した。首を守るように両腕を交差させ、瞬時に氷の盾を生み出す。それと同時に『強化』を使って自身と氷の盾の強度を上げ、真っ向からレウルスの斬撃を受け止めた。
斬撃を受け止めた衝撃により、スラウスの体ごと地面が陥没する。だが、技術の欠片も感じ取れないような力任せの荒々しい斬撃はスラウスが生み出した氷の盾を砕き、その両腕の半ばまで刃を食い込ませるが、切断するには至らない。
地面に体がめり込み、大剣を振り下ろしたレウルスと力比べをしているという現状。スラウスにとって体勢が悪ければ“相手”も悪い。
吸血種として、そして魔法使いとして人間とは比べ物にならない腕力を持つスラウスだが、殺気を剥き出しにして大剣を振り切ろうとしているレウルスも並外れた腕力を発揮している。
それに加えて、両腕に食い込んでいる大剣は極上の業物だ。スラウスも以前の戦闘で直接確認しているが、力では拮抗できてもそのまま両腕を斬り落とせるほどの切れ味がある。
スラウスとしても脅威と言わざるを得ないほどの武器であり、レウルスの腕力が加われば拮抗状態に持ち込めているだけ僥倖と言えたかもしれないが。
「…………?」
僅かな違和感にスラウスは小さく眉を寄せる。
その違和感は、交差して受け止めた両腕ごとスラウスの首を落とそうとしているレウルスに関してであり、そして、両腕に食い込む大剣に関してである。
怒り狂った魔物のように殺気を剥き出しにし、今もなお力を込めてスラウスの首を刎ねようとしているレウルス。その殺気自体は特におかしなものだとスラウスは思わなかったが、それにしては大剣に込められている力が弱く感じられたのだ。
常人とは比べものにならないほど強く、気を抜けば両腕ごと首を断たれそうな力だということに変わりはない。それでも、体勢が悪い上にナタリアと翼竜の攻撃で負傷したスラウスを押し切れない程度の力でしかなかった。
無論、この状況でレウルスが手を抜く理由などない。
レウルスがスラウスへと放つ殺気は本物で――“だからこそ”『龍斬』への違和感も大きく膨らむ。
一体如何なる理由があるのか、『龍斬』はその刀身を晒していないのだ。鞘に納まったままで振り下ろされ、スラウスの両腕に食い込み、ギシギシと軋むような音を立てている。
仮にこれまで交戦していたレモナの町の住民を必要以上に傷つけないためだとしても、スラウスに斬りかかる数秒の間に抜き放つことができたはずだ。『龍斬』は鞘も大剣として振るえるようになっているが、鞘を抜いた時とでは切れ味が桁違いに異なる。
鞘から抜く暇がなかったのか、鞘から抜かずともスラウスを斬れると思ったのか、それとも“別の理由”があるのか。
逡巡は一瞬。違和感も迷いも振り切ったスラウスは魔力を練り上げて雷を生み出し、『龍斬』越しにレウルスへ雷撃を叩き込む。
レウルスの体が雷撃で痙攣した瞬間、スラウスは両腕ごと体を捩じって大剣を強引に外す。そして地面を転がるようにしてレウルスから距離を取ると、レウルスの隙を埋めるようにして飛び掛かってきた翼竜にも雷撃を放って牽制する。
「ふぅ……」
体勢を整えたスラウスは大きく息を吐き、乱雑に扱ったことで大量に血が流れ出ていた両腕を治す。その間に視線を動かして状況を確認すると、先ほどまで魔法を撃ち合っていたナタリアは空から降りて家屋の屋根に着地し、レウルスと翼竜を援護できるよう位置取りしているのが見えた。
ジルバや司教達は継続して住民の無力化に努めており、援護に駆け付ける様子はない。サラとネディはレウルスを追うようにして接近してきているが、まだ距離がある。住民を差し向ければ到着までの時間を遅らせることができるだろう。
雷撃の影響から脱したのか大剣を一振りするレウルスに、唸り声を上げながら今にも飛び掛かろうと姿勢を低くする翼竜、そして杖こそ向けているが魔法を放つ様子がないナタリア。
ナタリアだけでも互角で、そこにレウルスと翼竜が加わった現状は不利と言えるだろう。それでも押し切られるほどの戦力差は存在せず、スラウスは誰から仕留めるべきかと思考を巡らせた。
「オオオオオオオオオオオオォォッ!」
その思考を読み取ったようにレウルスが動く。咆哮と共に地を蹴り、真っすぐにスラウスへと突撃する。
『龍斬』は相変わらず抜かれていない。翼竜がレウルスに続いて動き出すが、単独で踏み込んできたレウルスを援護するには遅い。そしてナタリアも杖を構えたままで動かない。
レウルスが地面を陥没させる勢いで踏み込み、大剣を振り下ろす。それは愚直なほど真っすぐで、駆け引きもなく力任せな振り下ろしだった。
スラウスの脳裏に再度過ぎる違和感。それでもわざわざ攻撃を受ける意味もないと拳を振るい、大剣を横から殴打して斬撃を逸らす。
ギシリ、と大剣から軋むような音が響く。強引に逸らされた大剣は地面へとめり込み、轟音と共に砂煙を巻き上げる。
大剣を逸らされた後のレウルスの動きは、お粗末と言えた。地面にめり込んだ大剣を斬り返すべく両腕に力を込め、スラウスの胴体を薙ごうと体を捻り。
「隙だらけだな」
呟きと共に放たれたスラウスの貫手が、レウルスの胸部を貫いた。レウルスは回避も防御もできず、ごぽっ、と音を立てながら口から血を溢れさせる。
「ガ……アアアアアアアァァッ!」
それでもレウルスは自身の胸部を貫いたスラウスの右腕を左手で掴むと、片手だけで大剣を振るい、スラウスの首を断とうと斬撃を奔らせる。
胸部を、心臓を貫かれても動いたレウルスにさすがのスラウスも少しだけ驚くが、それだけである。迫り来る大剣に向かって下から左拳を放ち、刀身を跳ね上げて軌道を逸らす。
「――――?」
その瞬間、スラウスは“かつて生きていた時”を含め、初めてとも言える純粋な困惑を味わう。
叩いて逸らした大剣が、鈍い破砕音と共に根元から折れて飛んでいく。それを反射的に目で追ったスラウスが見たのは、中に空洞が存在する刀身らしき物体。視線を転じてレウルスの右手を見てみると、“接合部”が砕けて手の中に残った大剣の柄があった。
折れて飛んだのは鞘だけで、中身がない。それならば中身は、『龍斬』はどこにあるのか。
『ガアアアアアァッ!』
困惑によって思考が占められていたスラウスを、レウルスから遅れて動いていた翼竜が襲う。その巨躯に相応しい長大な尾を振り回し、スラウスの動きを止めているレウルスごと薙ぎ払う。
その衝撃に耐えかねたのかレウルスの体が大きく歪み――ぐしゃり、と崩れた。
そうして飛び散ったのは肉片ではなく、木片である。それまで“レウルスの形をしていたもの”が粉砕され、握られていた柄が地面へと落下して金属音を立てる。
レウルスの肉体が砕け散るその直前にスラウスが見たのは、人を真似たような形の人形で――それを認識した直後、翼竜の尾が直撃してスラウスの体が水平に吹き飛ばされるのだった。
“その光景”は、遠目ながらエリザも目撃していた。
レウルスの胸部をスラウスの腕が貫く様は致命傷を思わせるもので、エリザは血の気が引くのを感じながら悲鳴染みた声を上げる。
「レウルスッ!?」
これまで何度もレウルスの戦いぶりを見てきたエリザだったが、今回ばかりは傷が酷すぎる。『首狩り』に首を切られた時も致命傷と言えたが、今回は心臓を貫かれたのだ。『首狩り』の時は傷を塞いで命をつないだが、さすがに心臓を破壊されて生きていられるほどレウルスも人間を辞めてはいないはずだった。
「あ……ああ……」
足から勝手に力が抜け、エリザはその場に膝を突く。それでもその目はレウルスの“最期”を見届けようとして――轟音と共に、エリザが囚われていた部屋の扉が吹き飛んだ。
「っ!」
エリザの監視のために置かれていた兵士達が即座に動く。剣を抜いて構え、扉を破壊した相手へと向き直り。
「悪い、待たせたな」
そこには、抜き身の『龍斬』を持つレウルスが立っていた。




