第442話:『風塵』 その1
前書きをお借りいたします。
本日(5/7)、拙作のコミカライズ版の8話後半が掲載予定です。
よろしければそちらもお読みいただければ幸いに思います。
レモナの町、その上空で向き合うナタリアとスラウス。
重力に逆らうようにして空に浮かび上がった二人だったが、“その状況”に困惑しているのはスラウスだけだ。
「話に聞いてはいたけれど、首を落とされたのならきちんと死になさいな。生き物として常識でしょう?」
呆れたような口調で言葉を発しつつ、ナタリアは煙管を口に咥える。そして悠々と煙を吹かしてみせるが、そんなナタリアの態度にスラウスは警戒を強める一方だった。
スラウスを殺すと宣言した割には悠長なナタリアの態度だったが、五メートルほど距離を取って対峙するスラウスからすれば大きく印象が異なる。悠然と構えているように見えてナタリアの目付きは鋭く、スラウスの一挙一動を観察しているのが嫌でも理解できた。
眼下ではジルバ達によるレモナの町の住民の無力化が進められているが、そちらに意識を割く余裕はない。
地上ではなく空――並の魔法使いどころか一流の魔法使いでも到底立つことのできない領域に平然と立つナタリアに、スラウスも自然と警戒態勢を取っていた。
そんなスラウスを視界に収めつつ、ナタリアが紫煙を吐き出す。煙が風に乗り、形を変えて押し流されていく。
その、ほんの数瞬後の出来事だった。
「ぬっ!?」
真横からの衝撃にスラウスは苦悶の声を漏らす。いきなり巨大な鈍器で殴りつけられたような衝撃が左半身を襲い、肉体から軋むような音が響く。
“それ”がナタリアからの攻撃だと判断した瞬間、スラウスは衝撃から逃れるように咄嗟に真後ろへと飛んだ。そして僅かに錐揉みしながらも体勢を立て直すと、反撃と言わんばかりに氷の矢を放つ。
「ふぅ……」
ナタリアが再度紫煙を吐き出し、煙が風に乗って形を変える。すると次の瞬間には氷の矢が逸れ、ナタリアから大きく外れて彼方へと消え去っていった。
それを目視したスラウスは僅かに目を細め、感嘆したように呟く。
「その煙管は魔法具……では、ないな。なるほど、煙で風の動きを見ているのか」
そして、先ほどからナタリアが見せている“手品”のタネを見破った。
ナタリアも伊達や酔狂で敵を前にして煙を吹かしているわけではない。周囲の風の動きを目視し、風魔法の行使を容易にしているのだ。
魔力で一から風を生み出すよりも、既に存在している風を利用した方が魔力の消耗も抑えられる。風の流れを目視し、魔力で“後押し”しているのだろう。
そう判断したスラウスだったが、感嘆した理由はそれだけではない。ナタリアは風魔法を行使して空を飛んでいるのだろうが、ひと一人を浮かせるには並大抵の“出力”では足りないはずだ。
それこそ暴風と呼べる勢いの風が必要だというのに、ナタリアの周囲は煙を吹かしても大きな変化がない。ナタリアの周囲に暴風が吹き荒れていてもおかしくないというのに、自然に吹いている風が遮られない程度に影響を抑え込んでいる。
どれほど精緻な魔力操作を行えば実現できるのか、スラウスにも理解が及ばないほどだった。
「精霊並の風使い、か。大した天稟よな……まさかこのような手練れが近場にいたとは、“運が良い”のか悪いのか」
故に、スラウスは素直にナタリアを称賛した。厄介な相手だとは思ったが、その予想を遥かに上回る使い手だと認識する。
スラウスの目から見ても、ナタリアの強さは上級の魔物に匹敵する。相性次第だが、それこそ上級下位どころか上級中位の魔物にすら匹敵するかもしれない、と。
「……力任せに魔法を使うのは嫌いなのよ」
スラウスの賞賛に対し、ナタリアは素っ気なく答えた。そしてタネが見破られれば必要ない、と言わんばかりに煙管を腰帯に吊り下げたポーチへと放り込む。
スラウスはそんなナタリアの行動を視界に収めつつ、距離を取ったままでその意識を少しだけ眼下へと向けた。
ナタリアは油断できない相手だが、他の面々についても無視できるほど弱者というわけではない。レウルスにジルバ、グレイゴ教の司教という警戒すべき相手だ。
だが、レウルス達は住民の無力化を優先しているのか、ナタリアとスラウスの戦いに横槍を入れてくる様子はなかった。それぞれが一対多数という状況を欠片も気にせず、片っ端から住民を無力化してはドワーフ達に運搬を委ねている。
それぞれが分散して住民の無力化に努める姿を見れば、ナタリア達が何を考えてそのような行動に出たのかは一目瞭然だった。
スラウスとしてはいくら“操作”が曖昧といえど、人数で比べれば百倍以上の差がある相手に単独で攻撃を仕掛けられるほどの手練れが複数存在し、なおかつ無力化した住民を素早く運搬できる人手が数十人もの規模で存在するなど悪い冗談としか思えない。
その上、単独で自身を止められるだけの技量を持つ魔法使いまで出てきたのだ。“以前”と比べるとあまりにも状況が違い過ぎて。
「――悲しいわね」
僅かとはいえ意識を割いたスラウスを放置するほど、ナタリアも甘くはない。
ナタリアの風魔法を警戒して距離を取っていたスラウスの胴体が、突如として横にズレる。隙とも言えない意識の間隙を突いたナタリアが、問答無用でスラウスの胴体を風の刃で切断したのだ。
その一撃に殺気はなく、そよ風が吹いたかと思えば切断されていたという不気味な自然さにスラウスは瞬時に意識を集中させた。
「とても長いとは言いきれない年月しか生きていないけれど、“余計なこと”に意識を向けられる程度の相手だと思われるのは初めての経験だわ」
言葉の上では悲しんでいるような口ぶりだったが、スラウスを見据えるナタリアの視線は鋭い。スラウスが意識を向けたことを認識するなり、左手に握っていた杖を軽く一振りする。
「っ! チィッ!」
杖の動きに合わせるようにして、スラウスの四方八方から風の刃が飛来した。スラウスは切断された胴体を左手で押さえつつ、右手を大きく振るってナタリアの魔法に対抗するように暴風を生み出す。
風魔法という分野においてナタリアは間違いなく格上だが、技量差を補えるだけの魔力がスラウスにはある。スラウスはナタリアと比べれば強引に、力任せに風を叩きつけることで風の刃を逸らしていく。
ナタリアが放った風の刃の切れ味は、それこそ研鑽を積んだ剣士の斬撃にも匹敵するだろう。しかし当然ながら当たらなければ意味はなく――ナタリアは一度振るった杖を再度振るった。
「ぐっ!?」
スラウスが纏った暴風の“流れ”に沿うようにして風の刃が潜り込み、スラウスの右腕を斬り飛ばす。逸らしたはずの風の刃が軌道を変えて再びスラウスを襲い、両足を斬り飛ばす。
瞬きの間にスラウスの右腕と両足を斬り飛ばしたナタリアは冷徹な眼差しでスラウスを見据え、油断なく再度杖を振るった。それに合わせて杖の先端にある緑色の宝石――風の『宝玉』が僅かに光を放つ。
すると次の瞬間、スラウスが纏っていた風の一部が動きを変えた。そして今しがた斬り飛ばした右腕と両足を風が巻き込み、瞬く間に微塵へと変える。
「チィッ……一部とはいえ、我が生み出した風すらも操るか」
スラウスは自身の右腕と両足を失ったにも関わらず、舌打ち一つ、文句の一つを吐くだけに留めた。ナタリアとの技量差を埋められるだけの魔力がスラウスにはあるが、ナタリアはそれに構わずスラウスが生み出した風を“もぎ取る”ようにして操ってみせた。
常人ならば致命傷を負い、なおかつ自信も砕かれるような惨状である。しかしスラウスに焦った様子はない。切断された右腕と両足の先に赤い光が集まったかと思うと、数秒とかけずに失われたはずの右腕と両足が姿を現す。
「見事……実に見事よな」
声色に賛意を込めながらも、斬られた右腕と両足が元に戻ったことを示すように軽く動かしてみせるスラウス。
大した技量だが“それだけ”だと言わんばかりのスラウスに対し、ナタリアは眉一つ動かさない。事前に話を聞き、実際に自分の目で確認しただけのことだ。動揺する理由はないと平静そのものの様子で口を開く。
「空を飛べる、人間から魔力を集めることができる、様々な属性魔法を扱うことができる、多少の攻撃ならすぐに元通りになる……なるほど、グレイゴ教の司教が複数集まって仕留めようと思うのも納得だわ」
賞賛するスラウスに対し、ナタリアは少しばかり呆れたような口調で呟いた。
レウルスやジルバからも話を聞いていたが、首を刎ねても、心臓を破壊しても、腕や足を斬り飛ばしても死なず、すぐさま再生するその姿。それはグレイゴ教の面々が躍起になって殺しにかかるのも当然だとナタリアは思った。
同時に、疑問も抱く。
「でも、おかしいわね? 以前あなたが討伐された際、そこまでの再生力はなかったと聞いたのだけれど……一体どこでそんな力を得たのかしら?」
スラウスを観察しながらナタリアはそんな疑問を口にする。
体を斬り飛ばしても死なない魔物といえばスライムなどが有名だが、『核』という弱点があることも知られている。全身くまなく粉砕してみれば死ぬのかもしれないが、“それ”が可能なナタリアの技量を知ったスラウスが逃げていないことから、可能性は非常に少ない。
魔法人形の類かともナタリアは思ったが、これほど厄介な性能を持つものはレベッカでさえ到底作れないだろう。どこかにスラウスという人形を操る繰り手が潜んでいる可能性も考慮したが、それらしい魔力は感じ取れない。
それならばスラウスが保有する再生能力なのだろうが、同種であるはずのエリザはここまで規格外な能力を持っていない。
――ただし、エリザと『契約』しているレウルスが似たようなことをやった、とは聞いているが。
(まあ、能力の有無はともかく、再生するのに魔力を消耗するのなら手の打ちようはある、か……)
脅威的な再生能力だが、代償もなくそのような真似ができるはずもない。レモナの町の住民から得た魔力を使っているのだろうが、それにも限度がある。
ナタリア達のような魔法使いならばともかく、住民はそのほとんどが魔力を持たないのだ。魔力の代わりに生命力を奪っているのだとしても、住民の救出が並行して行われている以上限界が存在する。
問題があるとすれば、何度殺せば限界を迎えるか不明だという点だが――。
(今のままなら十回は殺せるかしら? それ以上となると厳しいでしょうけど、“本命”は別に在る……頼んだわよ、レウルス)
“眼下のレウルス”に意識を向けることはせず、ナタリアはスラウスを一回でも多く殺せるよう意識を研ぎ澄ませるのだった。




