第435話:祖父か敵か その2
「レウルスを……支配下に置く?」
スラウスの言葉を繰り返すように、エリザが尋ねる。その顔に浮かんでいたのは強い困惑の色と、何を言い出すのかと呆れるような色だった。
「うむ……厄介な手合いだが、“これから”を思えば必要な存在でもある。お前があの男を従えるというのなら、我が殺すことは控えようではないか」
何を考えているのか、僅かに声色を和らげて話すスラウス。“紅く光る”瞳でエリザを見つめながら、言葉を続けていく。
「『契約』を交わすほどの相手なのだろう? 憎からず思っているのだろう? 我としても、だ……こうして言葉を交わせた孫娘の想い人を殺めるのは心苦しいものがあるのだよ」
スラウスは表情も和らげ、柔和な笑みを浮かべてエリザに言葉をぶつける。
エリザからすれば、レウルスのもとから引き離した元凶に対して何をと思う気持ちがある――が、スラウスの声色と態度は妙に心が安らぐと思った。
祖父という、血のつながりがある相手だからか。それとも吸血種として初めて会った同類だからか。それとも“別の何か”が関係しているのか。
紅い瞳を向けられたエリザは、スラウスに抱く自身の心情に対して戸惑うように言葉を濁す。
「で、でもワシに……わたしにそんなこと――」
「できるとも。純粋な吸血種ではないとはいえ、吸血種であることに変わりはないのだ。断言しよう。お前にならできる」
戸惑うエリザに対し、スラウスは笑みを深めながら言葉を重ねる。外見からいえば相応しくないが、その笑みは好々爺が孫娘に向けるものに見えた。
壁を背にしながら戸惑うエリザに、スラウスは一歩距離を詰めながら言う。
「他者を操る術を我が教えよう。吸血種としての力の蓄え方、使い方も我が教えよう。アレを従えるのは骨が折れるだろうが、お前があの男だけを救いたいと、傍に置きたいと願うのなら十分に叶うだろう」
スラウスの言葉にエリザは小さく息を呑む。
吸血種としての力の使い方など、そう簡単に学べるものではない。
祖母であるカトリーヌからは様々な知識や礼節等を教わりはしたが、魔法に関してはほとんど教わることがなかった。
もちろん、カトリーヌにも何か考えがあったのだろう。元から教えるつもりがなかっただけかもしれないが、もしかすると“何事もなければ”時機を見て教える気があった可能性もある。
今となっては確かめることもできないが、エリザとしても自分がもっと強ければと思うことは多々あった。
いくらカトリーヌがグレイゴ教の司祭だったとはいえ、吸血種としての力の使い方を教えるのは不可能に近いはずだ。しかし、自身よりも遥かに強力な吸血種であるスラウスならば、指導役としてこれ以上の適任はいない。
「強くなろうと願うのなら、我が強くしてやろう。先日の戦いを見たであろう? さすがにすぐにとは言えんが、お前が強くなりたいと願うのならグレイゴ教の司教だろうと退けられるだけの力が得られるはずだ」
グレイゴ教の司教さえ退けられる力――それほどの強さがあれば、レウルスの隣に立つに相応しいのではないか。
エリザの思考の隅に、そんな考えが浮かぶ。
初めて会った時、レウルスは今ほど強くはなかった。もちろんエリザからすれば十分に強く思えたものだが、今と比べればその強さは大きな差があるだろう。
エリザにとって、最初にレウルスの隣に立ったのは自分だという思いがある。コロナやナタリア、あるいはシャロンといった存在と比べれば出会いも遅かったが、冒険者として、家族として隣に立ち、共に時間を過ごしてきた。
その長さと密度は、他の誰にも劣るものではない。
しかし、今となってはレウルスの隣に立つのはエリザだけではない。
サラが、ミーアが、ネディがいる。そして、その三人と出会う過程でもレウルスはどんどん強くなっていった。
火龍であるヴァーニルと戦い、『城崩し』を仕留め、『国喰らい』とあだ名されるスライムを仕留めた。それ以降もレベッカや『首狩り』と戦い、挙句の果てに模擬戦とはいえマタロイにおいて最強とも噂されるベルナルドとも戦った。
そうして徐々に強くなっていくレウルスだが、隣に並んで戦うだけの力が自分にあるのかとエリザは自問し、否と自答する。
だが、スラウスの言葉を信じるならば、司教を退けられるだけの力を得られるらしい。吸血種として先にいるであろうスラウスに師事すれば、もっと強くなれるだろう。
エリザはレウルスの隣に立ち、共に助け合う自身の姿を想像し――慌てたように頭を振った。
(わたしが強くなればレウルスもわたしを……っ! 違う! レウルスは“そんなこと”で態度を変えたりしないっ!)
思考が強さへの渇望によって染まりきる前に、エリザは我に返った。
レウルスが強さだけで仲間を選ぶような性格ならば、とっくの昔に袂を分かっている。そんな性格ではない、そんな男ではないと、エリザの理性が大声で思考を止めた。
そして、思考に沈んでいたエリザを“じっと見ていた”スラウスは、エリザの反応を確認しながら口を開く。
「弱いというのはそれだけで罪だ。お前を攫った我が言うのもおかしな話だろうが、もしもお前がもっと強ければ今の状況はなかっただろう」
「それは……そう、だけど……」
「我が見たところ、あの男が連れている精霊……おそらくは火の精霊と氷の精霊だろうが、明らかにお前よりも強い。もう一人魔物が……あれはドワーフか? あのドワーフの娘もお前より強いだろう」
「っ……」
エリザは小さく息を呑む。当てずっぽうにしては確信が込められたスラウスの言葉に、何も言えなくなる。見ただけですぐにわかるほど差があるのかと拳を握り締める。
精霊であるサラやネディと比べれば、どうしても魔法の腕は劣る。ミーアは属性魔法が使えないがエリザにはない安定性があり、近接戦闘も行える。
レウルス一行の中で最も弱いと言われれば、エリザには否定できなかった。
「……でも……それでも……」
だが、劣等感はあれどエリザはスラウスの言葉に頷かない。普段は口に出すこともないが、サラ達も大事な仲間だからだ。大事な仲間で、友達だからだ。
エリザの様子に何か思うところがあったのか、スラウスは更に一歩距離を詰める。その紅い瞳が、よりいっそう輝きを増す。
「強さを求めず、あの男をだけを求めるのならそれも良いだろう。お前があの男を従えるのなら、この町で共に過ごせるよう取り計らおうではないか」
その言葉は、エリザの心に染み込むような響きがあった。思わずエリザが顔を上げると、スラウスの紅い瞳が視界に映る。
「さあ、想像してみるといい。あの男がお前だけを見て、お前のためだけを想い、お前のために尽くす……そんな姿を」
――それは、エリザにとって魅力的な話だった。
レウルスが自分だけを見て、自分のためだけを思い、自分のためだけに尽くしてくれる。その様が、何故かありありと脳裏に思い浮かぶ。
「お前の隣にあの男がいて、あの男の隣にお前以外はいない。お前だけがあの男を独占することができるのだ」
――それは、エリザの心を揺らすような話だった。
エリザにとって、レウルスという男は心が揺らされるぐらい特別だからだ。
自身を家族と、身内と、仲間と呼び、父のように兄のように、あるいは友のように接してくれる大切な人間。
“本当の家族”を失い、絶望を抱いて放浪していたエリザを救い上げてくれた恩人。家族の温かさを思い出させてくれた、今となっては最愛と呼べる相手。
エリザがレウルスに向ける感情は複雑である。
家族愛があり、信頼があり、慕情がある。レウルスが他の女性と親しくしていれば焦り、嫉妬し、そんな自分に落ち込むこともある。
それでもレウルスの傍を離れられないのは、きっとそれだけ大きな好意を抱いているからで。
「お前が望むのならば、それを成すだけの力を我が与えてやる。さあエリザよ、我が孫娘よ、我の手を取るといい」
柔和に微笑んで右手を差し出してくるスラウス。その手を取ればたしかに叶うのだろうと根拠もなく信じられるほど、温かな笑みだった。
レウルスが自分だけを見てくれるなど望外の幸せに違いなく――“だからこそ”エリザの答えは決まっていた。
「――嫌だ」
返答は簡潔に、エリザは拒絶の意思を示す。伸ばされた手を横へと払い除ける。
そんなエリザの反応が予想外だったのかスラウスは一瞬動きを止めるが、すぐに口を開いた。
「ふむ……お前の想い人がお前のことだけを想い、お前のためだけに生きる。それが不満だと?」
確認するような、怪訝そうな声。同時にスラウスの瞳が紅く、強く輝くが、エリザは腹に力を込めながら真っすぐに見返した。
レウルスが自分だけを想い、愛し、尽くしてくれる。他の誰にも目を向けず、ただただ盲目的に愛してくれる。
嗚呼、それはきっと素敵なことなのだろう――などと考えるほど、レウルスとの付き合いは浅くない。
故に、エリザは確信を込めて、笑って言う。己の言葉と考えを以て、断言する。
「“そんなこと”をすれば殺されるわ」
「……ほう?」
笑顔で言い放つエリザに対し、スラウスは予想外のことを言われたといわんばかりに目を丸くした。
スラウスはレウルスのことを知らず、エリザはレウルスという男のことをよく知っている。だからこそ、断言できる。
――レウルスを操って何かをしようなど、遠回りとも言えない自殺行為だと。
そう結論付けると、エリザはそれまで思考を覆っていた靄が晴れるような気分になる。エリザの言葉を理解できないように目を瞬かせるスラウスを、鼻で笑いたくなるほどだ。
エリザは知っている。その目で見ている。
レベッカが自身の『加護』でレウルスを操り、その直後に首を刎ねられたことを、今でも鮮明に思い出すことができる。
吸血種が他者を操れるとしても、その力の強さがレベッカに勝る保証はない。仮に勝ったとしても、レウルスに通じるという保証はない。
レウルスが敵を前にした時、どのような行動に出るか。仮にエリザがレウルスを操って支配下に置けたとしても、そんなことをした時点で“どうなって”しまうか――エリザはそれをよく理解している。
レウルスは敵に容赦しない。敵対したならば、相手が強かろうが弱かろうが躊躇することがない。
もしもエリザがスラウスの言葉を受け入れてレウルスを操ろうとすれば、どうなるか。敵だと見做されればどうなるか。
だからこそ、エリザは胸を張って言う。
「わたしのためにも……そしてなによりもレウルスのためにも、絶対にお断りよ!」
レウルスに斬られてしまえば、レウルスにどんな“傷”を残すかわからない。そんなことは断じてできない。
エリザの言葉にスラウスは面食らったように目を丸くし、瞳から紅い光を消した。
「我の力に抵抗できるとは思えなかったが……それほどまでにあの男を好いていて、同時に危険ということか。いや、あるいはあの男との『契約』が影響しているのか? なんとも面倒なことだ」
納得したように、それでいて少しだけ呆れたようにスラウスが言う。そんなスラウスに対し、エリザは睨みつけるような視線を向けた。
「さっきの話……わたしがレウルスを操れるかどうかという話の前に、大きな穴があるわ」
「ふむ……興味があるな。聞かせてもらおうか?」
スラウスに囚われている現状、刺激するようなことは言うべきではないだろう。同種に手を下すかは不明だが、もしかすると殺されるかもしれない。
エリザはそう思いつつも、震えを隠すよう両足に力を込める。出来得る限り目線に力を込め、スラウスを睨みつける。
「わたしが操るかどうかなんて、些細な話よ……それよりも先に、レウルスがあなたを倒すわ。あなたはもう、レウルスと敵対しているんだからっ!」
レウルスだけは助けるとスラウスは言ったが、それは前提がおかしいのだとエリザは叫ぶ。
例えスラウスが相手だろうと、レウルスが勝つ。エリザはそう信じている。
真っすぐなエリザの視線と言葉を受け、スラウスは数度瞬きをした。しかしすぐに口元を緩めると、皮肉げに笑う。
「くくっ……そうか。“そう”であるのなら我としても……いや、これは詮無きことか」
そう言って、スラウスはエリザに払い除けられた右手を持ち上げる。そして再び瞳を紅く輝かせたかと思うと、右手をエリザに向けた。すると、エリザは自身の意識が遠退き始めるのを感じ取る。
「ぐっ……なに、を……」
眩暈を伴う眠気に、意識が揺らぐ。それでもエリザが疑問を口にすると、スラウスは何故か苦笑を浮かべた。
「我だけでなく、吸血種であるお前とあの男……それだけ揃えばもしやとは思うたが、仕方あるまい。我は“役割”に従うとしよう」
その言葉を最後に、エリザの意識は途切れるのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、お気に入り登録や評価ポイントをいただきましてありがとうございます。
本日(11/15)、拙作のコミカライズ版の1巻が発売されます。併せて活動報告も更新しておりますので、よろしければご確認いただけると嬉しく思います。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




