第434話:祖父か敵か その1
前書きをお借りいたします。
本日(11/11)、拙作のコミカライズ版の6話目後半が掲載されます。
よろしければそちらもお読みいただければ幸いに思います。
エリザが寝かされていた寝台の傍に立つスラウス。その姿を見たエリザは言葉を失い、思考すら停止しかけていた。
エリザにとっては“祖父であろう”吸血種――それがスラウスだが、今の状況の異質さを前にすればそれは何の慰めにもならない。
先日の戦闘で常人ならば二度は死んでいたであろう攻撃を受けたにも関わらず、外見からはその影響を微塵も感じさせなかった。
ヘクターによく似た、外見だけ見れば二十代半ばのその姿。それを日中に初めて間近で見たエリザは、自身や両親とは似ても似つかないと無意識のうちに思考する。
「っ! 貴様は!?」
それでもエリザは我に返り、寝台から飛び降りてスラウスから距離を取った。しかしいくらそれなりに広い部屋の中とはいえ限度があり、五メートル近い距離を取るだけで限界である。
(武器になるものは……ない……それなら魔法で!)
石造りの壁を背にしたエリザは周囲に視線を走らせて武器になりそうなものを探すが、剣や槍といった一見するだけで武器とわかるものは置いていなかった。椅子や花瓶などはあるが、さすがに自身よりも強力な吸血種相手に武器として振るうには心許ない。
そもそもエリザは武器を振るって戦うような戦闘方法は得手ではないのだ。そのため魔力を集中させて雷魔法の行使を試みる。
愛用の杖がないため効率が悪く、自爆して負傷してしまうが泣き言は言えない。威力は弱くとも目くらましになればそれで良いのだ。
スラウスが防ぐなり回避なりしている間に部屋の窓を破壊し、外に脱出する。あとは『強化』を使って全力で逃げる。
それぐらいしか打てる手がないとエリザは判断していた。
だが、そんなエリザの抵抗もスラウスには通じない。エリザが魔法を行使するよりも、スラウスが言葉を紡ぐほうが早かった。
「『動くな』」
「くっ……」
いざ魔法を放とうとしたエリザだったが、スラウスの言葉によって体の自由が奪われる。体が石にでもなってしまったかのように動きを止めてしまう。
魔法を使うことはできるが、これでは逃げ出すこともできないと悟ったエリザは顔から血の気が引くのを感じた。
相手はレウルスが『龍斬』で両断しても、ジルバが心臓を破壊しても、死ぬことはなかった相手である。体が動かないからと雷魔法を撃ったとしても、仕留められるとは思わなかった。
逃げ出すことはできない。かといって倒すこともできない。それらを悟ったエリザにできたことは、ただスラウスを睨みつけることだけだった。
「ふむ……」
そんなエリザをどう思ったのか、スラウスは小さく呟き声を漏らしながら距離を詰め始める。そしてエリザのすぐ傍まで歩み寄ると、僅かに膝を折ってエリザの顔をまじまじと覗き込んだ。
「こうして明るい場所で改めて見てみると……うむ、やはりカトリーヌの面影があるな」
エリザの顔をしばらく眺めていたスラウスは、得心したようにそんな言葉を口にする。その声は興味の色が強く、少なくとも現状では敵意の類は感じられない。
「ああ、逃げようなどとは思わないことだ。貴様の腕ではどう足掻いても逃げられんし、仮にこの部屋から逃げ出したとしてもこの町から抜け出すのは不可能だろう。この町は我の支配下にある……住民が押し寄せるようにして貴様を取り押さえるぞ」
「なっ……」
スラウスの言葉に絶望を深めるエリザ。スラウスはそんなエリザの様子に構わず、エリザの顔だけでなく頭から爪先まで眺めると、小さく首を傾げる。
「歳は十……もう少し上か? まさか貴様……いや、“お前のような存在”とこうして顔を合わせることになるとはな」
僅かに語調を変化させながら、どこか感慨深そうに言葉を紡ぐスラウス。それと同時に自身の拘束が解かれたことにエリザは気付くが、逃げ出せるとは思えなかったためその場で困惑の表情を浮かべる。
「一体何を言って……」
「む? 精霊ならばいざ知らず、我のような存在と人間の間に子が生まれ、更に子が……孫としてお前が生まれたのだ。これを驚かずに何に驚けと言うのだ?」
エリザの疑問に対して心底不思議そうな顔で答えるスラウスだが、エリザとしてはそんなスラウスの反応が理解できない。
「……まあ、我がこうしてこの場にいるのだ。起こり得ないことが起こっても不思議ではないか」
しばらくエリザを眺めていたスラウスだったが、一人で納得したように呟く。そしてエリザから視線を外すと、それまでエリザが寝かされていた寝台の縁に腰を掛けた。
「…………」
エリザは無言でスラウスの動きを注視するが、スラウスが視線を向けてくることはなかった。何を考えているのか天井を見上げ、エリザから意識を外してすらいる。
(何を考えて……)
そんなスラウスの行動に対し、エリザは心中だけで疑問の声を零した。
スラウスの言葉から推察する限り、自分がいるのはレモナの町なのだろう。スペランツァの町の自宅で休んでいた自分をわざわざ攫ったにしては、スラウスの反応がおかしいとエリザは思う。
(攫った、というのもおかしな表現じゃな。操られていたとはいえ、自分の足でここまで来たんじゃから……)
ロクに抵抗もできなかった自分を、エリザは恥じる。だが、今は落ち込んでもいられない。
手の届く場所、声をかけられる場所にスラウスがいるのだ。
「わたしを……いや、ワシを攫って一体何をするつもりじゃ?」
今のところ自身を害する気配はない。スラウスの態度からそう判断したエリザは、声が震えそうになるのを堪えつつ疑問をぶつけた。
自宅の自室から抜け出す際、辛うじて“痕跡”を残すこともできた。
それならばいつか助けが――レウルスが来てくれるとエリザは信じ、今の自分にできるのこととしてスラウスから少しでも情報を引き出そうと試みる。
しかし、スラウスはそんなエリザの疑問に答えるよりも先に訝しげな顔をした。
「その喋り方はなんだ?」
「……おばあ様の真似じゃ」
「ほう、カトリーヌがそんな喋り方を……」
エリザの返答を聞いたスラウスは天井から視線を戻し、片眉を跳ね上げて意外そうな顔をするが、すぐに納得したように頷く。
「いや、そうか、そうであったな。我が討たれて何十年と時が経っていたのだったな。お前ぐらいの大きさの孫娘が生まれているのだ。カトリーヌも歳を取る……それも道理よ」
「…………」
目の前の吸血種から度々祖母の名前が出てくることに再び沈黙するエリザ。
本当にスラウスが自分の祖父なのかという疑問と、攫われこそしたが五体満足で無事に過ごせている現状に対する疑問。その二つの疑問によって眉間に皴を作りつつもエリザは口を開く。
「貴様は……一体何が目的なんじゃ?」
エリザが優先したのは、カトリーヌとスラウスの関係よりも現状に関する情報収集だった。
二人の関係も気にはなる――が、スラウスの話だけを聞いたとしてもそれが真実とは限らない。
カトリーヌの素性に関してレベッカからある程度聞いていなければ、この場で尋ねていただろう。
――カトリーヌに関して深く考えたくないという思考があったことも、エリザは否定できないが。
「目的……目的、か」
そんなエリザの葛藤に気付かなかったのか、元々気にしてなどいないのか、スラウスは呟きながら目を細める。
「“そんな質問”が出るということは、お前は何も知らないのだな」
「……っ」
質問に返ってきたのは、エリザにとって理解できない言葉だった。そして同時に、話題の選択を誤ったのではないかとエリザは冷や汗を掻く。
それまで寝台に腰を掛けていたスラウスはゆっくりと立ち上がると、エリザに向かって歩き始める。
「もしや、と思っていた。あるいは、とも思っていた。しかしお前は……」
先ほどまでエリザを観察していたというのに、再び観察するような視線を向けるスラウス。今度は外見ではなく内面を見透かすように、目を細めてじっとエリザを見る。
「お前はたしかに吸血種ではある……が、我の血を引いただけの人間でもあるということか。いや、あの男の力がそうさせているのか?」
「……あの男?」
「先日我を斬った赤毛の……『変化』を使っていないのならば、おそらくは人間であろう男だ。いや、アレを人間と呼ぶのもおかしな話か? 人間であることに間違いはなさそうなのだが、な……アレと『契約』を結んでいるのだろう?」
スラウスの問いかけにエリザは沈黙する。それによって答えているも同然だったが、スラウスがそれを指摘することはなかった。
「そこでだ。一つ取引をしようではないか」
「取引……じゃと?」
思わぬスラウスの言葉にエリザは眉を寄せる。取引も何も、操りさえすればそのような提案をする必要はないと思ったのだ。
「そうだ。あの男と剣は我としても面倒な手合いだが、ただ殺すには惜しい。他の者は殺すが、お前がこちらの条件を飲むのならあの男だけは見逃そう」
それは、レウルス達に負けることはあり得ないと言わんばかりの提案だった。しかしエリザとしてもスラウスが致命傷を負っていながらも平然と動いていたことを思い出し、瞳を揺らす。
(レウルスが負けるはずがないのじゃ……でも、負けずとも勝てないということもあり得る……か?)
エリザはレウルスを信じている――が、スラウスの得体の知れなさに警戒心を刺激される。
エリザ自身も吸血種だが、眼前のスラウスの強さは比べ物にならないほど高いのだ。
レウルスを信じる心と、まさかと思う疑念。レウルス以外は殺せると平然と言ってのけるスラウスに、エリザは不安の感情を抱いた。
そんなエリザの不安を見抜いたのか、スラウスは小さく微笑んで言葉を紡いだ。
「――あの男をお前の支配下に置け。“お前だけ”の操り人形にしろ」
そうすれば殺さないでおこう。
そう付け足して、スラウスは笑うのだった。




