第432話:奔走 その3
男爵という立場にあるナタリアだったが、動くと決めればその行動は迅速だった。
ラヴァル廃棄街の管理を冒険者組合の組合長であるバルトロに一時的に託すと、すぐさま自宅へと移動して“準備”を始めたのである。
レウルスも何度か訪れたことがある、ナタリアの自宅。それは準男爵だった頃でも地位に不釣り合いな、質素な建物だ。家の中も相変わらず閑散としており、必要最低限の家具しか置かれていない。
ナタリアは迷いのない足取りでレウルスが入ったことがない、倉庫と思しき部屋へと向かい、扉を開けたままで何やら物音を立て始めた。
少しでも情報の擦り合わせを行うべく同行することになったレウルスは、倉庫の方から聞こえてくる衣擦れの音や硬質な物音を聞きながら椅子に腰をかける。
「姐さん、はしたないし不用心だぞ」
いくら会話がしにくいとはいえ、扉を開けたままで準備を進めるナタリアにレウルスは苦言を呈した。無意識のものなのか、内心を表すようにレウルスは机を指でトントンと何度も叩く。
「エリザのお嬢ちゃんのことがあるから仕方ないとはいえ、珍しく荒れているわね……気になるのならこちらに来る?」
「……いつもなら、少しばかり迷うお誘いだな」
今はそんな余裕がない、と言外に告げるレウルス。
いくらナタリアが助力してくれるとはいえ、今この時もエリザがスラウスに囚われているという現実は変わらない。レウルスは何度か深呼吸をして荒れ狂う心中を静めようとするが、どうにも上手くいかなかった。
「少しばかり、という辺りが気になるところね。それはそうと、少しは落ち着きなさいな。なんならその辺りにある食材は食べてしまって構わないわよ?」
「今この場所で焦っても仕方ないってのは理解しているんだがね……どうにも落ち着かないんだよ」
交戦しているというわけでもないのだから、少しぐらいは平静を保つよう努めるべきだろう。そうは思うものの、レウルスとしては地に足がつかないような感覚がするのだ。
それでもレウルスは再度深呼吸を行い、ナタリアと話しておくべきことを脳内で探す。
戦力に関してはナタリアが加わったことで好転しているが、実際に戦ってみなければどうなるかわからない。そのためまずは“今後”に関することを確認することにした。
「ところで姐さん、一つ確認しておきたいことがあるんだけど……」
「何かしら?」
開いた扉越しに話を振るレウルスだったが、僅かに逡巡してしまう。それでも聞いておく必要があると判断し、言葉を続けた。
「グレイゴ教の連中と共闘する件に関してだよ。その、なんだ……“大丈夫”なのか?」
言葉に迷ったレウルスは曖昧ながら含みを持たせた質問を行う。すると僅かにからかうような色が込められた声が返ってきた
「あら、親切な旅人が協力してくれているだけなのでしょう?」
「……それで本当に大丈夫か? その話を持ち出したコルラードさんが後でまずいことにならないか?」
コルラードが言い出したことだからと責任を追及でもされれば、限界を超えて倒れてしまうかもしれない。
ただでさえ色々と迷惑をかけているのだ。いくら強力な吸血種が現れるという異常事態に見舞われたのだとしても、レウルスとしてはコルラードが倒れるような事態に発展してほしくなかった。
もちろん、この問題が爆発するとすれば、それはスラウスを倒し終わった後のことである。
現状で確認する必要があるかは微妙なところだが、レウルスとしては必ずエリザを取り戻し、スラウスを仕留めるつもりだった。そのため今のうちに確認しておこうと思ったのである。
「ふふ……冗談よ。そうね、たしかにこの国ではグレイゴ教徒の扱いに関して排他的だわ。ヴェルグ伯爵家が代替わりする原因になったぐらいですもの」
パサッ、と布地が床に落ちる音を響かせながらナタリアが言葉を続ける。
「ただ、あの時はグレイゴ教徒を領内に招き入れて、領内の問題を解決しようとしてしまった……加えて、それを知った精霊教徒達が反発したというのも大きいわ」
「でも、あれは先代のヴェルグ伯爵がレベッカに操られていたから起きたことだろ? ルイスさんに家督を譲った後に言うのもなんだけど、少し罰が重い気がするんだが……」
結果的に抗うことができたが、一度レベッカの『魅了』の効果を体験したレウルスとしては厳しい沙汰のように思えてしまう。
しかし、ナタリアはそんなレウルスの言葉に苦笑が混じった声を返した。
「レベッカとやらが他者を操る『加護』を持っていたとしても、“それ”によって操られていたという証拠はないわ。当事者が操られていたからだと叫んでも、周囲がそれを信じる保証はない……むしろ声高に糾弾するでしょうね」
「……証拠がない以上、周囲もそれを利用するってことか」
周囲が騒ぎ過ぎればそれはそれで問題が起こる気がしたレウルスだったが、その辺りは加減を見極めているのだろう。
王都で貴族という生き物の“怖さ”と面倒さを知ったレウルスとしては、その手のやり取りはナタリアやコルラードに丸投げしたいところである。
「だからこそ先代のヴェルグ伯爵は謹慎して、息子に家督を譲った。そうして責任を取ったと外部に示したわけね」
「それがグレイゴ教徒を招き入れた罰……か。貴族ってのも大変だな」
そう言いつつも、そこまでしなければならないものなのか、とレウルスは首を傾げる。すると、そんなレウルスの反応に気付いたのか、含みを持たせたナタリアの声が飛んできた。
「大変、ねぇ……レウルス、あなたは本当にそれが罰になると思う?」
「……? 当時は子爵だったけど、当主から降りる羽目になったんだろ? 十分な罰だと思うんだが……」
必要だったとはいえ、納得できるかと問われれば答えは否だろう。当時のヴェルグ子爵が自らの意思でグレイゴ教徒を招き入れたのならばまだしも、レベッカに操られた結果として当主を交代する羽目になったのだ。
仮にヴェルグ伯爵家と敵対している貴族家があれば、そんなことは知ったことかと糾弾するに違いない。だが、レウルスとしては“運が悪かった”としか思えなかった。
あるいはレベッカ達グレイゴ教徒が一枚も二枚も上手だった――そう結論付けるしかない。
そんなレウルスの反応に対し、ナタリアは時折金属が擦れるような音を立てながら言葉を返す。
「先代のヴェルグ伯爵は既に四十歳を超えていて、ルイス殿は二十歳を超えていたわ。家督を譲ってもおかしくない年齢なのよ?」
「……つまり、何か? 実際にはヴェルグ伯爵家にはダメージ……いや、不都合はなかったと?」
「なかった、とまでは言わないけどね……“色々”と手を回していたみたいだけど、一年と経たない内に子爵から伯爵になれるぐらいには影響が少なかったと言えるわね」
「…………」
ナタリアの言葉を聞いたレウルスは、思わず沈黙してしまった。座っていた椅子の背もたれに体を預けると、意味もなく天井を見上げる。
(代替わりをして責任を取りました、でも実際のところは痛くも痒くもないです……いや、ちょっと痛いけど許容範囲です……そんな感じだったのか。伯爵家になってるんだし、レベッカの一件はそこまで痛手でもなかった……あるいは上手く利用した?)
被害を受けたものの、その“被害”すら利用して手を打った。その可能性に思い至ったレウルスは、視線を天井から落とす。
(……やっぱり貴族関係は姐さんやコルラードさんに任せよう)
レウルスがそう結論付けていると、僅かに床が軋む音が響く。その音に釣られたレウルスが視線を向けると、そこには装備を整えたナタリアの姿があった。
「さて……少しは落ち着いたかしら?」
「別のことに思考を割いてたら少しはな」
どうやらレウルスを落ち着かせるために話を振ってきたようだ。それを理解したレウルスだったが、ナタリアの姿を見て眉を寄せる。
ナタリアが身に着けていたのはドレスに似た普段着ではなく、以前王都へ行く際に着ていた旅装でもない、“戦うこと”を考慮した装備である。
動きやすさを重視したのか長ズボンに長袖のシャツ、それに外套とかつての旅装に近いが、レウルスの素人目から見ても明らかにわかるほど質が違う。
レウルスが身に着けている鎧のように、魔物の素材を使っているのだろう。シャツとズボンは落ち着いた色合いながらも頑丈さが見て取れ、その上から羽織っている外套からは僅かに魔力が感じ取れた。
更にレウルスの目を引いたのは、ナタリアが右手に提げていた物である。普段ならば煙管を握っているところだろうが、ナタリアが握っていたのは拳サイズの緑色の宝石が嵌められた杖だった。
杖自体は木製のようだが、ナタリアの身長よりも僅かに短いその杖は全体に『魔法文字』が彫られている。
外套もそうだが明らかに魔法具――それも逸品だと断言できる代物だとレウルスは思った。
「……その杖は?」
「国軍にいた頃に使っていた愛用の杖よ。今回は出し惜しみするような余裕もないでしょうしね」
そう言って口の端を釣り上げるナタリアだったが、どうやら相手が相手だけに本気で戦うつもりらしい。
ナタリアは動きやすいよう髪型をポニーテールにまとめてあるが、一度見ているため大きな驚きはない。ナタリアが完全に“戦う姿”に着替えていることに関する驚きの方が大きいとも言えるが。
驚きに目を丸くするレウルスだったが、ナタリアはそれを気にした様子もなく腰元を漁って煙管を取り出す。
それに釣られたレウルスが視線を向けてみると、ナタリアは大きめの腰帯で服を締めており、なおかつ小物を入れるためのポーチがぶら下がっている。そのポーチも魔法具らしく、『魔法文字』が刻まれているのが見えた。
「さて……それじゃあ行きましょうか」
準備を整えたナタリアに対し、レウルスは無言で頷きを返すのだった。




