第42話:いざ水浴びへ その1
ラヴァル廃棄街は俯瞰的に見るならば城塞都市ラヴァルの南東に位置している。
ラヴァルという町をぐるりと囲んだ高い石壁に、防衛能力を高めるために存在する空堀。有事の際は水を入れて水堀にするのだろうが、空堀を境としてラヴァルの南東一帯にラヴァル廃棄街が形成されていた。
そんなラヴァル廃棄街から空堀に沿って北に向かえば大規模な畑が存在し、西や南に向かえば森に行き当たる。東に向かっても林が点在しており、平野と呼べる場所はそれほど多くない。
それでも人が歩けば道ができるのだ。ラヴァル廃棄街から東へと足を向けたレウルスは、人の行き来によって自然と造られた道を歩きながら感心したように周囲を見回していた。
装備は革鎧等の一式にドミニクの大剣、それに加えて腰裏に固定した短剣と冒険者組合で借りた片刃の剣だ。エリザやシャロンは昨日と装備が変わらないが、エリザは革製のリュックを背負い、シャロンは何故か布袋を背負っている。
「ここまで来たことはなかったけど、ちゃんと見れば道があるんだな」
ところどころに草が生えているものの、他者に言われれば納得できるぐらいには“道”として機能している。未舗装の田舎道のようだが、林や森の中を進むよりは足元も安定していた。
「もう少し北に行けばきちんと整備されたラヴァルの街道がある……でも、そっちは使えない」
「ん? なんでだよ先輩」
引率兼指導係兼エリザの見張り役として同行するシャロンの言葉に、レウルスは不思議そうな顔をする。さすがにアスファルトなどで舗装されてはいないだろうが、きちんと整備された道があるのならばそちらを利用した方が安全だろう。
「……ラヴァルだけでなく、他の町の兵士も街道警備で巡回するから。ボク達だけだと夜盗の類だと判断されて捕まる可能性がある」
「いっ!? 冒険者の身分証は!?」
「それで止まってくれればいいけど……」
止まらずに“排除”される可能性もある。そう締め括るシャロンにレウルスは眉を寄せた。
「もしかして、冒険者の身分証ってあまり役に立たないのか?」
「場所と相手による、としか……ラヴァルの兵士なら止まってくれる……はず」
そう言って首を横に振るが、シャロンとしても明確な答えは持っていないようだ。
「商人や旅人も大きな街道を通るから、武装した冒険者が街道を利用するのは好ましくない」
「兵士は良くても冒険者は駄目ってことか……ハッ、酷い話だねぇ」
吐き捨てるように言いつつ、レウルスは納得してもいた。冒険者という身分があろうと、兵士や商人、旅人からすれば武装した集団としか映らないはずである。冒険者かどうかを確認するよりも、最初から野盗や盗賊と判断して対処した方が“間違い”もないということだろう。
そして、仮にその間違いで冒険者側が命を落としても大きな問題にはならないのだ。その場所にいた方が悪いと判断されるに違いない。
そんな会話を行いながらも、レウルスとシャロンは油断なく周囲を警戒している。この場で油断している者がいるとすれば、それはレウルスとシャロンに前後を挟まれて歩くエリザだけだった。
先頭にレウルスが立ち、殿にはシャロンがつく。一番経験が浅い――戦闘能力がないエリザが安全な真ん中だ。もっとも、安全だからといって油断していいわけでもない。
昨日に引き続き自身の魔力を感じ取るよう言い渡されており、それと同時に周囲を警戒するよう言われているのだ。自身の魔力の感知と周囲の索敵を周囲に行うのは難しいのか、エリザはすぐに集中が途切れてしまう。
「のう、レウルス」
「なんだ? 水浴びできるって喜んだのは良いけど、着替えを持っていなかったエリザ」
「それは仕方ないじゃろ!?」
どこか安穏とした表情で歩くエリザにレウルスがからかいの言葉を投げかけると、エリザは顔を赤くしながら叫んだ。近くに魔物がいれば寄ってきそうな声量だったが、レウルスの勘に引っかかるものはない。
「着替えなんじゃが……“コレ”は本当に使っても良いのかのう?」
そう言って困ったように背負っている荷物を示すエリザ。革製のリュックを背負っているのだが、その中にはコロナから借りた服とタオル代わりの布が入っているのだ。
とりあえず自分の予備の服でも貸すか、などと考えながらドミニクの料理店に戻ったレウルスだったが、話を聞いたコロナが予知でもしていたように着替えが詰まったリュックを渡してきたのである。
『レウルスさんならエリザちゃんを放っておかず、綺麗にしてあげると思っていましたから』
柔和に微笑みながらリュックを渡されたレウルスとしては、前世を含めれば遥かに年下のはずの少女に自分の行動や思考を読まれているようで気恥ずかしかった。それでも有り難く借り受け、エリザに背負わせたのである。
「コロナちゃんが良いって言うんだから良いんだよ。お前さんの“事情”は聞いたけど、他人の厚意は素直に受け取れ」
「う、うむ……そうか……そうじゃな……」
ラヴァル廃棄街で服を手に入れようと思えば、古着屋で中古の服を買うか新たに作るしかない。自分で服を作れれば良いが、そうでない場合はオーダーメイドで作る必要があるのだ。
古着屋で買うとしてもシャツ一枚が平均すれば大銅貨五枚で買えるかどうか、という相場である。服の大きさや使用状況、ついている飾りによって値段が変動するため断言はできないが、小柄なエリザの服を一着買うだけでも大銅貨が3枚は必要だろう。
服といってもシャツ一枚の値段である。ズボンなどを含めて買おうとすればさらに金額が嵩み、銀貨が必要になるのだ。
「まとまった金が手に入ったら服を買ってやるから、それまでは借りとけ。コロナちゃんには顔を合わせる度にちゃんとお礼を言うんだぞ? 俺の方からもお礼をしとくから」
「うむ……わかったのじゃ」
レウルスの言葉に対し、エリザは素直に頷いた。そんな二人のやり取りを聞いてシャロンが僅かに表情を変化させていたが、縦に並んで先を歩くレウルスとエリザが気付くことはない。
シャロンの目から見ても、レウルスとエリザの距離感が近くなっているのだ。昨日一日観察した限りではエリザの警戒心は非常に強く、レウルスにも心を許していなかったように見えたのである。
それが僅か一晩の間で何があったのか。エリザもシャロンに対してはまだまだ警戒心が強いが、昨日と比べれば雲泥の差だった。
「それにしても魔物がいないな……シャロン先輩、二日連続で魔物に遭遇しないこともあるのか?」
「もちろん。でも、町から離れれば遭遇する可能性も上がる。キマイラを恐れて遠くに移動したのかもしれないけど……」
肩越しに振り返って尋ねるレウルスに対し、シャロンは表情を元に戻して答える。
「ナタリアさんに聞いた話によれば、昨日はラヴァル周辺でほとんど魔物に遭わなかったらしい。冒険者が周囲に散って警戒をするから、最低でも一日に五匹は遭遇する。でもそれがなかった」
「ふーん……キマイラの影響で生態系が崩れたのかね? 町の皆が安全なのは嬉しい話だけど、冒険者としては獲物にあり付けなくて残念だ」
レウルスがラヴァル廃棄街で冒険者として活動を始めて以来、毎日のように魔物を見てきた。レウルスが直接戦うこともあれば、他の冒険者が戦っているところに遭遇したこともある。それが急になくなったと聞き、レウルスも腑に落ちないものを感じていた。
現在歩いている道も、乱立する林の傍を通ることがある。これまでならば魔物の一匹ぐらいは遭遇しているはずだというのに、今日は影も形もないのだ。
(俺の勘が鈍った? でもシャロン先輩とエリザの魔力は感じるしな……)
何の前触れもなく自分の“勘”が利かなくなったのかと思ったレウルスだが、背後を歩くエリザとシャロンの魔力は感じ取れる。そうなると自分が索敵可能な範囲に魔物がいないだけなのだろう、とレウルスは思った。
レウルスが魔物の気配を感じ取れる距離は、おおよそ五十メートルといったところである。ただし相手の魔力量で左右されるのか、魔力がない角兎などはかなり近くまで接近していないと気付くことができない。
反対にキマイラなどは百メートル以上離れていても魔力を感じたのだ。それは背筋に氷を突き刺したような全身を震わせる恐怖感という形だったが、魔物を探るセンサーとしてきちんと反応していた証でもある。
林の傍を通っても魔力を感知できず、時折空を見上げてみても空を飛ぶ魔物の姿もない。東にあるという川の位置を確認し、エリザに水浴びをさせるという目的もあるが、冒険者としては魔物退治の報酬が得られないのは死活問題だ。
もちろん、“魔物がいなかった”という情報を持ち帰るだけでも報酬を得ることはできる。今回の場合はシャロンも同行しており、嘘の報告とは思われないだろう。しかしながら魔物が少なすぎるというのも異常事態の前触れのようで恐ろしかった。
そうやって歩くこと一時間と少々。直線距離で考えればラヴァル廃棄街から東に二キロほど歩くと、どこからか水音が聞こえ始めた。耳を澄ませてみるとそれは水が流れる音であり、レウルスは確認を取るようにシャロンへと視線を向ける。
「この近くに川が?」
「そう。もう少し行くと目印が……あった」
そう言ってシャロンが杖で示した先には、不自然に枝が落とされた木が生えていた。その不自然な様子の木は林の中にも生えており、道標のように続いている。
「この目印を辿ると川辺に出る」
「でも林の中を突っ切るのか……」
これまで歩いてきた道から逸れ、林の中を進む必要があるらしい。そのことにレウルスは難色を示したが、近づいてきたエリザが期待に満ち溢れた眼差しでレウルスの服を引っ張った。無言だが、『早く早く』と急かしているようである。
「……危険は?」
「ないとは言えない。でも、この辺りまでは定期的に冒険者が来る。水浴びがしたい住人を集めて集団で来ることもあるし、町の南側の森と比べれば安全」
「そりゃキマイラがいた森と比べれば安全だろうけどさ……」
急かすように服を引っ張るエリザの姿を見やり、レウルスは小さくため息を吐く。林の中に入るのも、道の方から覗かれないようにという配慮なのだろう。水の音は聞こえるものの、乱立する木々が遮って視線が通らないのだ。
「魔物の足跡を探すためにも、林に入った方が効率的。それに水辺に行けば魔物がいるかもしれない」
そんなシャロンの意見を聞き、レウルスはそれもそうかと納得した。冒険者の先輩であるシャロンがそう言うのならばそうなのだろう、と。
「……ところで先輩。その背負ってる袋には何が入ってるんで?」
そこでレウルスはシャロンが背負っている布袋に視線を向けた。気になってはいたがどうにも聞けなかったのである。
シャロンはレウルスの問いかけに視線を逸らすこともなく、真面目な表情で答えた。
「着替え」
どうやらシャロンも水浴びを楽しみにしていたようだ。
林に足を踏み入れ、周囲を警戒しながら五分も進むと川が見えてきた。地面も土ではなく丸い石や砂利で覆われた川岸に変化しており、レウルスは何度か地面を踏みつけて足場の良し悪しを確認する。
気を付けなければ石に躓くか、砂利で足を滑らせる危険性があるだろう。魔物と戦っている時に足を滑らせれば致命的である。かつて角兎に殺されかけた時も原因は石に躓いたことだった。
続いてレウルスが確認したのは傍を流れる川である。川幅は十メートル近くあり、水量もそれなりに豊富だ。目を凝らして水中を覗いてみると、魚が気持ちよさそうに泳いでいる。周辺には水を飲みに来ている魔物の姿もなかった。
「早速水浴びを済ませよう。まずは君から入ると良い」
レウルスと同じように周囲の状況を確認していたシャロンだったが、まずはエリザに水浴びをしろと勧める。
「う、うむ……良いのか?」
「ボクとレウルスで周辺に魔物がいないか確認する。君を後回しにすると安全が確保できない」
恐々と尋ねるエリザに対し、淡々と実務的に答えるシャロン。どうやら一番の足手纏いであるエリザに水浴びをさせ、その間に周囲の安全を確保したいようだ。
――自分が悠々と水浴びをするためではない、と信じたいところである。
「もしも水浴びの最中に魔物が出たら大声を上げてから水に潜ること。いくら魔物でも水の中なら動きが鈍るし、水中にいる相手を一撃で仕留めるような危険な魔物はこの辺りには生息していない」
「先輩、先輩。水中にいる相手を一撃で仕留めそうなキマイラがつい最近出たよな?」
「……声を聞いたらボクとレウルスがすぐに助けに来る。それまでは絶対に水から上がらないこと」
レウルスの指摘を受けたシャロンはそっと視線を逸らして話を続けた。キマイラは雷魔法を操るため、水中にいる人間など良いカモでしかないだろう。もっとも、この短期間で二匹目のキマイラに遭遇するとも思えず、レウルスは疑問を飲み込んだ。
「なるほど……わかったのじゃ」
危険だと思えば声を上げてから水中に逃げ込む。それだけならばエリザでもできるだろう。エリザは納得した様子でいそいそと水辺に向かうと、リュックを地面に下ろしてから振り返る。
「のう……」
「あん? 早く入れよ。ちんたらしてるとシャロン先輩がキレるぞ……うぐっ!?」
冗談半分で言った瞬間、シャロンが持っていた杖で革鎧越しに胴を突かれた。思わず悲鳴を上げるレウルスに対し、シャロンは冷たい視線を向ける。
「そんなことで怒りはしない……」
「既に怒って……いや、なんでもないっす、はい」
ジロリと睨まれ、レウルスは即座に白旗を揚げる。革鎧越しのため痛くはなかったが、衝撃は伝わるのだ。
「それでどうしたんだ? 俺と先輩はすぐにここから離れるぞ?」
さすがにこのままエリザが服を脱ぐところを見物する気などない。シャロンもそんなつもりはないだろう。
先程の表情が嘘だったように真剣な様子で風向きを確認すると、川の下流――風下に向かって歩き始める。風は下流に向かって吹いているため、レウルス達の匂いを嗅ぎ取った魔物が近づいてくるかもしれないのだ。
「ボクはこっち側を確認する。レウルスは自分の手に負えない魔物が出たら声を上げること。すぐに駆け付ける」
「あいよ。先輩も魔力が回復しきってないんだから無理はするなよ? ……で、一体なんだよ?」
リュックを地面に置いたままで近づいてくるエリザにレウルスが疑問を投げかける。すると、エリザは泣きそうな顔で口を開いた。
「今になって気付いたんじゃが……水浴びとは服を脱ぐものじゃよな? 何もないんじゃが、ここで服を脱ぐのか?」
そう言って恥ずかしそうに自分の体を抱き締めるエリザ。話に聞いた限り、エリザは元々家名を持つような家柄の出身だ。野外で服を脱ぐのが恥ずかしいのだろう――が、あまりにも気付くのが遅すぎる。
「……お前、数年間山の中で暮らしてたんだろ? その時はどうしてたんだ?」
「水浴びの時はかあ様達が一緒だったのじゃ……一人でというのは、その……」
家族と一緒に水浴びをするのならば構わないが、一人で裸になって水に浸かるのは恥ずかしいらしい。最初に気付いておけとツッコミを入れたいレウルスだったが、これ以上時間をかけるとシャロンが氷の矢でも撃ってきそうだ。
「……まずは腰帯と服の前を留めている紐を解く。で、服を着たままで水に入れ。その次は水の中で今着ている服を脱いで洗って、最後に洗った服で体を隠しながら体を洗う。これでいこう」
現代の服と異なり、この世界の服は構造がシンプルだ。エリザが身に付けているシャツは服の前をボタンの代わりに紐で縛っており、紐を解けばすぐに脱げる。ズボンも腰帯を解けばすぐに脱げるのだ。
服が水を吸うと肌に貼り付いて脱げにくくなるが、最初から紐や腰帯を解いた状態で水に入ればそこまで苦労しなくとも服が脱げるだろう。
「お、おお……なるほどのう! それなら恥ずかしくないのじゃ!」
(コイツ変なところがズレてるなぁ……)
感心したように頷くエリザに、レウルスは心中で呆れたように呟いた。文字の読み書きや計算ができる割に、“抜けている”のだ。この世界の常識を知らないレウルスとは違ったベクトルで問題が多いのである。
エリザは嬉々として水辺へ駆けていく――と、その途中で振り返り、恥ずかしそうに言った。
「……の、覗いてはいかんぞ? 駄目じゃぞ? いかんからな? 絶対じゃぞ?」
レウルスの言ったことを実行するためか、服の前側を留めている紐をほどきながらそんなことを呟くエリザ。チラチラとレウルスを見ながら、顔を赤くしながらの発言である。
「ハッ……」
「鼻で笑いよったぞこやつ!?」
それを聞いたレウルスは鼻で笑い、林の中では振り回しにくい大剣を地面に下ろした。ついでに投擲用の石をいくつか見繕い、腰に下げた袋に詰めていく。
「しかも淡々と準備をしておる!?」
「ガキが馬鹿なこと言ってんじゃねえ。良いからさっさと水に入れ……何かあったらすぐに呼べよ?」
せめてあと十年成長してから出直せ、と言い放とうとしたレウルスだったが、エリザは十三歳でありこの世界では結婚している者もいる年齢だったりする。
そのため有事の際にはすぐに呼ぶよう言い付けると、周囲を警戒するために川の上流に向かって歩き始めるのだった。