第420話:撤退と相談 その2
コルラードへの報告を終えたレウルスは、見張りとしてレベッカ達を監視しているエリザ達やジルバと合流しようとしていた。
現状、スペランツァの町の開拓責任者ということでコルラードもレウルスに同行していたが、その顔色は良くない。
「まったく……次から次へと問題が押し寄せてくるのである……何故吾輩がこのような目に遭うのだ……」
背後から聞こえてくるコルラードの呟きに、レウルスは苦笑すれば良いのか沈痛な面持ちになれば良いのか悩んでしまった。
「これもまた一つの経験ということで……ほら、将来的に村や町の領主になるのなら、こういった厄介事もあるのでは?」
「こんな経験はいらないし、厄介事にも限度があるのである!」
慰めるようにレウルスが言葉をかけると、コルラードは右手で胃の辺りを押さえながら叫んだ。
「前向きに考えましょうよ。今回の厄介事を基準にすれば、今後遭遇するであろう厄介事なんて軽く思えるようになる……そんな感じでどうです?」
「これから先、吾輩は今回よりも更に厄介な出来事に遭遇しないと、そう断言するのだな? 信じるぞ? 良いのだな?」
「…………」
切羽詰まったようなコルラードの問いかけに、レウルスはそっと視線を逸らす。
“今回の一件”に関して、アメンドーラ男爵領のすぐ傍にスラウスという吸血種が現れたのは偶然と言えるだろう。しかし、似たようなことが今後も起こり得ないとは断言できないのだ。
加えて言えば、マタロイにおいて非常に扱いが悪いグレイゴ教――それも司教が三人も関わっているのである。
レウルスでさえ頭が痛くなりそうだが、レウルスよりも色々と“物が見える”コルラードからすると、頭だけでなく胃も痛くなる案件なのだ。
視線を逸らしたまま沈黙するレウルスに対し、コルラードは深々と、肺の中の空気全てを吐き出すような長いため息を吐く。
「……まあ、今回に関してはまだ良い。グレイゴ教の司教に関しても、どうとでも言い繕える」
「え、言い繕えるんですか?」
割と苦しいというよりは、ツッコミどころが満載ではないかとレウルスでさえ思ってしまう。だが、コルラードは眉を寄せながらも口の端を小さく吊り上げた。
「こちらには“あの”ジルバ殿がいるのだぞ? グレイゴ教徒……それも司教と手を組むなどあり得ん話である。仮にこちらの腹を探られたとしても、ジルバ殿の名前を出せば相手も納得するであろうよ……まあ、探られずとも吾輩の胃は痛いのだがな」
「つまり、ジルバさんがいるからグレイゴ教徒と協力するはずがない……そう判断されるってことですか」
コルラードの切実な声色には触れず、レウルスは納得したように頷いた。
たしかに、ジルバがグレイゴ教徒と協力するなど普通ならあり得ないことだろう。実際にはそれがあり得てしまったわけだが、ジルバを知る者ならば話を聞いても鼻で笑い飛ばすに違いない。
(変な方向で信頼度が高いなジルバさん……いやまあ、普段の様子を見てると一時的にとはいえ共闘すること自体奇跡みたいなもんだろうけど……)
他の精霊教徒ならばいざ知らず、ジルバがグレイゴ教徒と出会って殺し合わないなどあり得ないことだ。レウルスでさえそう納得しそうになるほどである。
「しかし、だ……バルベリー男爵を連れて帰っているのだろう? さすがに貴族に証言されると少し困ったことになるかもしれぬ。バルベリー男爵も吸血種に領地を荒らされているという“弱味”があるから、どうにかなるとは思うが……」
そう言って考え込むコルラードを連れて、レウルスはスペランツァの町の西門へと到着した。すると、町の外で待機しているはずのレベッカ達の姿を確認するなり、レウルスは思わず眉を寄せてしまった。
「…………」
「…………」
無言で刺々しい気配を放つジルバと、そんなジルバの気配を感じ取りながらも無言で微笑むレベッカの姿があったからだ。
(……エリザに頼んでコルラードさんに報告してもらえば良かったか)
ここまでついてきていたコルラードが即座に回れ右をする気配を背後に感じつつ、レウルスは頬を引きつらせる。
本気で戦うつもりはないのか殺気が飛び交っているわけではないが、クリスとティナが疲れたようにため息を吐いているのが印象的だった。エリザ達は心情的にジルバ寄りなのか、ジルバを止める様子もない。
(今思うと、一時的にとはいえよくこの面子で共闘ができたもんだ……)
戦っている最中にスラウスを放置して殺し合っていてもおかしくはない間柄だった。それでもきちんと自制していたあたり、ジルバの目から見てもスラウスは危険な存在なのだろう。
スラウスと再度戦うであろうことを思えば、レベッカ達といがみ合うのは得策とは言えない。しかし、レウルスとしてはジルバの気持ちも理解できるためどう言葉をかけたものか迷ってしまう。
クリスとティナに関しては話が通じそうだが、レベッカに関しては話どころか常識も通じそうにないのだ。
「ジルバさん、コルラードさんに報告をして一緒に来てもらいましたよ」
だからそれぐらいで、という意図を込めてレウルスが声をかけると、ジルバはレベッカからほんの少しだけ視線をずらしてコルラードを見る。
「こ、困っている旅人に手を貸す……という建前で一時的に受け入れようと思うのですが……ど、どうでしょうか?」
相変わらずジルバが苦手なのか、コルラードは引きつった笑顔を浮かべながらそう話しかける。それを聞いたジルバは小さく息を吐くと、レベッカから完全に視線を外した。
「グレイゴ教徒なら私が殺しますが、“困っている旅人”となると手を貸さないわけにもいきませんか……」
どうやらコルラードの言葉からすぐさま状況を理解したらしい。ジルバがため息を吐くようにして言うと、クリスとティナがそれに追従する。
「こちらにこの町を害する意図はない」
「あの吸血種を倒すまで“助けてもらえれば”それでいい」
クリスとティナも異論はないらしい。一番揉めそうなレベッカはといえば、ジルバから完全に意識を外してレウルスへニコニコと微笑みかけている。
「今回は色々とあってお仕事をしないといけませんし、あの吸血種は放っておけませんからね。『狂犬』が噛みついてこないというのなら、こちらとしても戦う理由はありませんわ」
「……そうか。ただし、さすがに自由に動き回ってもらうわけにはいかないぞ。俺かジルバさんが監視につくが、問題は?」
いくらスラウス相手に共闘する相手とはいえ、ようやく形になってきたスペランツァの町でグレイゴ教の司教を野放しにするわけにはいかない。作業者の半数近くがドワーフ達のため、手を出される可能性は可能な限りなくしておきたいのだ。
「わたしはありませんわ。むしろ嬉しくて……ええ、とても、とても、嬉しく思うぐらいですわ」
そう言って蕩けた笑みを浮かべるレベッカに対し、レウルスは背負った『龍斬』に手を伸ばしかけた。それでも何とか自制すると、レベッカから左右に一歩ずつ離れたクリスとティナが口を開く。
「クリスは問題はない。レベッカが暴れるようなら止めるから、休める場所が欲しいぐらい」
「ティナは問題はない。レベッカを止めるのを手伝うから、ごはんが欲しいぐらい」
「……お前、味方にまでこう言われて何も思わないのか?」
思わず、といった様子でレウルスは呟いてしまった。レベッカと同じ司教であるクリスとティナから見ても、レベッカという人間は扱いに困るのだろう。
そのため呆れを声色に滲ませて尋ねてみたが、レベッカは欠片も痛痒を覚えなかったように首を傾げるだけだ。
そんなレベッカの反応にレウルスはため息を吐くと、コルラードに視線を向ける。
「とりあえず町にいるみんなに警戒態勢を取ってもらうよう頼んで、俺達は順番に休息を取るって形で良いですか?」
特に目立つ怪我はなく、魔力もそれほど消耗していないが、暗闇の中でそれなりに長時間戦い続けたのだ。多少の疲労を感じてレウルスが尋ねると、コルラードは頷きを返す。
「そうであるな……ないと思いたいが、そのスラウスという吸血種が攻めてきた場合に備えるしかあるまい。あとはバルベリー男爵が目を覚ましたら事情を聞いて、隊長……アメンドーラ男爵へ報告の早馬を飛ばすぐらいであるな」
同時に、近隣の領主にも警戒を促さなければならないだろう。
コルラードがそう付け足したのを聞き、この場は解散する雰囲気に傾く。しかし、それに待ったをかけるように声を上げる者がいた。
「待ってほしいのじゃ……色々と……そう、色々と聞きたいことがあるんじゃが、最初にこれだけは教えてほしいのじゃ」
そんな声を上げたのは、エリザである。
その視線はレベッカへと向けられており、エリザは自身の服の裾を強く握り締めながら尋ねた。
「ワシのおばあ様……カトリーヌ=ヴァルジェーベについて、何を知っているんじゃ?」
それは、スラウスとの戦いの最中に聞いたエリザの『おばあ様』――カトリーヌに関する話だ。
吸血種であるスラウスと関わりがあって、カトリーヌという名前を持つ。その二つの情報で家名を導き出したレベッカに対し、エリザは説明を求めたかった。
「……そう、ね」
すると、レベッカは口元に手を当てながら僅かに言いよどんだ。何かに迷うように瞳を揺らすと、エリザに向ける視線を微かに和らげながら言葉を紡ぐ。
「直接の面識はないし、わたし個人としてはそこまで興味が湧く人物でもない。それでも司教のわたしが知っているぐらいには有名よ、ええ、有名だわ」
そう言って含みのある笑みを浮かべるレベッカ。その笑顔を見たレウルスは、妙に嫌な予感がした。
「……有名?」
しかしエリザは祖母の情報を聞くことにしか意識が向いていないのか、レベッカの笑顔に気付くことはない。
レベッカはそんなエリザの様子に何故か苦笑し、告げた。
「グレイゴ教の司祭、カトリーヌ=ヴァルジェーベ……雷魔法の使い手として中々の腕だったって聞いているわ。そして、吸血種スラウスとの間に子を儲けた人間でもあるの」




