第415話:月夜の戦い その5
心底から驚いたようなスラウスの言葉に、真っ先に反応したのはエリザだった。
「カト……リーヌ……」
エリザは『カトリーヌ』という名前を噛み砕くように呟くと、その目付きを鋭いものに変える。“その名前”は、エリザにとって聞き逃せないものだった。
「おばあ様を知っておるのか!?」
思わず、といった様子でエリザが叫ぶ。その声には困惑の色が多く含まれており、エリザは睨むようにしてスラウスを見た。
エリザにとって『おばあ様』――カトリーヌ=ヴァルジェーベは、家族として今もなお心の中で大きな比重を占めている。
そんなエリザの叫び声を聞いたスラウスは、僅かに目を細めてエリザの顔立ちをまじまじと確認した。
「おばあ様、か……なるほど、あやつの孫娘というわけだ。カトリーヌの面影がある……」
どこか懐かしむように呟くスラウス。しかし、そんなスラウスの声色にエリザが何かを言うよりも早く、スラウスの表情が一変した。
「――が、なんだ“その有様”は?」
続いてスラウスの口から零れたのは、怒りと疑問を混ぜ合わせたような声である。
「その奇妙な魔力……人間……では、ないな。精霊に似ているが異なる……」
エリザの瞳を見つめながら呟くスラウスだが、その声色は徐々に困惑の色が強くなっていく。得体の知れない生き物を見たように視線を強めていたが、やがて何かに思い至ったように口の端を吊り上げる。
「ク……ハハハッ! なるほど、そういうことか! 道理でよくよく観察してみなければわからぬはずだ! そこの『魔物喰らい』とやらの――」
そう言ってレウルスへと視線を移すスラウスだったが、その声が不自然に途切れた。“それまで”レウルスがいた場所に視線を向けてみたものの、そこにレウルスの姿がなかったからである。
スラウスがエリザへと意識を向けた瞬間、レウルスは自然と動いていた。それは明らかな隙で、見逃すことなどできなかったからだ。
可能な限り魔力と殺気を抑え、生い茂る木々の葉を死角として利用し、スラウスがレウルスから注意を外した数秒の間にその間合いを詰めていた。
「ぬぅっ!?」
スラウスが気付くが、もう遅い。
レウルスは既に木を駆け上がって跳躍しており、スラウスの背後を取っていた。そしてスラウスが振り返るよりも先に『龍斬』を一閃する。
殺し合いの最中に“数秒も”注意が逸れていたのだ。スラウスは咄嗟に氷の盾を生み出して斬撃を止めようとするが、体勢も状況も悪い。
「ガアアアアアアアアアアアアアァァツ!」
それまで抑えていた魔力と殺気を開放するように叫びつつ振るわれたレウルスの斬撃は、スラウスが生み出した氷の盾を両断するに留まらず、微塵も勢いを削がれることなくスラウスの胴体を薙ぐ。
右から左へ、胴体を両断する軌道で刃が奔り、スラウスの体が上下で“ズレ”た。
それでもレウルスは止まらず、落下し始めるも先に振り切った『龍斬』を今度は縦に繰り出す。上から下へと、肩口から股下へ切り裂く軌道で刃を奔らせ、スラウスを十字に割断する。
空中で振るったため普段と比べれば鋭さが足りない斬撃だったが、『龍斬』の切れ味があれば話は別だった。
レウルスは『龍斬』を振り下ろした勢いに引かれて空中で二回転ほどすると、足から地面へと着地する。そして剣を振るって刀身に付着した血を払うと、『龍斬』を肩に担いだ。
(いきなり隙だらけになったから仕掛けちまったけど……もう少し情報を引き出すべきだったか?)
内心でそう呟きつつ、レウルスは地面に落下したスラウスの肉片に視線を向ける。
いくら吸血種といえど、さすがに上下左右に割断すれば死ぬだろう。それでも気を抜かず、いつでも『龍斬』を振るえるようにしながら近くにいたクリスとティナへ声をかけた。
「コイツに関して詳しいみたいだが、これできちんと殺せたか?」
「……そのはず」
「……いくら吸血種でも死んでる」
視線を外さず行われたレウルスからの問いかけに、クリスとティナは小さく頷く。いくら上級に相当するであろう吸血種でも、確実に致命傷だと判断したのだ。
エリザと『契約』を交わしているレウルスは、吸血種ならば多少の傷は勝手に治ることを知っている。しかしそれにも限度があり、さすがに十字に割断されれば死ぬはずだ。
クリスとティナもそう判断したのだろう。レウルスはスラウスの肉片が動かないことを確認すると、呆気に取られたように目を見開いているエリザへと視線を向ける。
「悪い、隙があったから斬っちまった」
「何故おばあ様の名前を知っていたかを……いや……むぅ……」
レウルスの言葉を聞き、エリザは困ったように眉を寄せた。
自身の祖母とどんな関わりがあったのか気にはなるが、危険な相手だということはエリザもわかっている。また、レウルスが“敵”に容赦しないということも重々理解していた。
それでも言い様のない感情があったが、エリザはため息を一つ吐いてから飲み込む。自分がスラウスの気を引いてレウルスがすかさず仕留めたのだと思うことにした。
「ずいぶんと呆気ない幕引きですこと……もう少し手強いと思ったのですけどね。“以前”と比べて力が弱っていたのか、王子様の行動が予想外だったのか……どちらかしら?」
不思議そうにそう話すのはレベッカである。ただしその視線はスラウスの肉片ではなくレウルスへと向けられており、その視線に気付いたレウルスは『龍斬』を握る手に力を込めながら体ごと向き直った。
スラウスが死んだのなら共闘する理由も残っていない。そう言わんばかりに嬉々とした笑みを浮かべているレベッカに、レウルスも真っ向から視線を返す。
元々再会すれば殺し合うと思っていた相手だ。『熱量解放』を使いはしたが、魔力も大半が残っている。防具は身に着けていないが『龍斬』が手元にある以上、全力で戦うのに差し支えもない。
そのためレウルスはレベッカが仕掛けてくるなら即座に対応できるよう、僅かに前傾姿勢を取った。しかし、そんなレウルスに背中を向けてクリスとティナがレベッカに相対する。
「レベッカ、執着している相手だというのはわかったけど自重して」
「レベッカ、今回は“仕事”を優先する約束のはず」
そう言ってレベッカを止めようとする二人に、レウルスは少しだけ気勢が削がれるのを感じた。そしてそれはレベッカも同じだったのか、それとも最初から戦うつもりがなかったのか、笑みを苦笑へと変える。
「残念ですわ……ええ、本当に残念。愛しの王子様に会える日を指折り数えていたというのに、こんなことになるだなんて。ところで……」
レベッカは心底残念そうに呟いたかと思うと、その視線をエリザへと向けた。レウルスに向けるものと比べれば感情の薄い、観察するような目付きでエリザを見る。
「吸血種のスラウスと関わりがあり、なおかつカトリーヌという名前……あなた、もしかして家名はヴァルジェーベ?」
「っ!?」
思わぬレベッカの問いかけに、エリザは驚いたように目を見開く。
レベッカ相手に家名を名乗った覚えはなく、また、そんな問いかけを投げてくるとは思わなかったからだ。
エリザの反応を確認したレベッカはどこか納得した様子で頷く。
「なるほど……あの吸血種が隙を晒すのも理解でき」
「――そうだろう?」
その声は、不意を突くようにして周囲に響いた。
レウルスは反射的に視線を動かし、スラウスの肉片が散らばっている場所を見る。だが、そこには何もない。
(消えて――チィッ!)
内心で舌打ちを零しつつ、レウルスは迫りくる殺気に合わせて『龍斬』を横薙ぎに振るう。すると硬質な破砕音と共に氷の欠片が宙を舞った。
「声を先にかけたとはいえ、本当に良い勘をしている……いやはや、大したものだ」
そんな声をかけてきたのは、レウルスが先ほど十字に割断したはずのスラウスだった。
血は流れておらず、服も破れた様子すらない。レウルスが斬る前そのままの姿でスラウスが宙に浮かんでいた。
「おいおい……実は体内に『核』でもあったのか?」
レウルスは軽口を叩くようにして言いながら『龍斬』を構える――が、その額には冷や汗が浮かんでいた。
間違いなく、確実にスラウスを斬ったはずだ。いくら吸血種といえど、致命傷などと形容する以前に即死していなければおかしいほどの有様だった。
スライムのように『核』を破壊しなければ死なない、というのならレウルスとしても納得はできるが、それを否定するようにスラウスが鼻を鳴らす。
「ふん……スライムなどと一緒にしてくれるな」
不快そうに言い放つスラウスだが、それならば何故生きているのか。そんなレウルスの疑問は他の者も同様だったらしく、クリスとティナが呆然としたように呟く。
「何故……」
「おかしい……」
どうやらクリスやティナとしても予想外の事態らしい。
レウルス達は即座に戦闘態勢を取るが、困惑の気配が消えることはなかった。
「……もう一度斬って、今度は燃やすなりすればいけるか?」
レウルスは自分に言い聞かせるようにしながらレベッカ達に尋ねる。かつて吸血種を倒したグレイゴ教徒の一員として、倒す方法を教えてほしかった。
「さすがにもう一度斬られるのはお断りさせていただこう……そうだな」
レウルスの声が聞こえたのか、スラウスは右手を掲げながら言葉を紡ぐ。
「こちらも本気を出すとしようか――『起きろ』」
そう言ってスラウスが指を鳴らすと、それまで倒れ伏していたはずのヘクターや兵士達が一斉に立ち上がるのだった。




