第410話:侵入 その7
サラの驚愕するような声が響く中、暗がりから姿を見せた男性は悠々とした足取りでレウルス達のもとへと近づいてくる。
その背後には金属鎧で身を固めた兵士が三十人ほど付き従っており、それぞれが剣や槍といった武器をその手に携えていた。
そんな兵士達の先頭を歩く男性は警戒するレウルス達を見回すと、僅かに口の端を釣り上げる。
年の頃は二十代の半ばといったところだろう。切り揃えられた金髪をオールバックにまとめ、整っていると評して良い顔立ちの中でも赤い瞳が特に印象的な男性である。
質の良い布地を使った黒いタキシードに似た意匠の衣服に身を包み、その両手には白い手袋が嵌められている。武器の類は持ち合わせていないようだが、レウルス達を前にしても薄く笑みを浮かべられる程度には胆力もあるようだった。
「……まずいことになりました」
その男性の顔を見たジルバが、小声でレウルスに向かって呟く。その声が聞こえたレウルスは男性達から視線を外さず、意識だけをジルバに向けた。
「ヘクター=バロウ=マルド=バルベリー……当代のバルベリー男爵です」
そう小声で呟くジルバに、レウルスは表情には出さないものの内心で驚きの声を上げる。
何故この場にそのような人物がいるのか。それも武装した兵士を連れているなど、穏やかな用件とは思えない。
「どうやら名乗る必要はないようだな」
ジルバの呟きが聞こえたのか、男性――ヘクターは淡々とした口調で言う。
そしてレウルス達を再度見回し、続いて地面に倒れ伏した野盗達の姿を確認すると、わかりやすいほどに眉を寄せた。
「騒がしいと思って様子を見に来てみればこの有様……当家の領地で、当家の“領民”を大勢殺したのだ。それがどれほどの大罪か、わからぬほど愚かではあるまい?」
そう言って不快そうに顔を歪めるヘクター。しかし、その発言を聞いたジルバが一歩前に出る。
「こんな夜更けに武器を持って襲い掛かってくるような輩を領民と呼ぶのですか?」
「こんな夜更けに勝手に町に侵入し、こそこそと探り回るような輩よりは善良だろう?」
ヘクターは鼻で笑い飛ばすように言い放つと、大仰に肩を竦めた。
(この土地の領主か……面倒だな。そもそもサラが熱源を探知しているのに、それを掻い潜ってきた……言ってることは正論でも、“この状況”で前に出てくるってことは……)
たしかに何も知らない者が見れば、野盗の死体がゴロゴロと転がる現状は領主でなくとも声を上げたくなるだろう。だが、その土地において最も“立場”が上である領主が出てくるのは不自然過ぎる。
すぐさま名前が出てきたことから、ジルバはヘクターの顔を知っていたのだろう。だが、相手の反応は淡白なもので、ジルバを見ても特に何も言わない。
(この人も操られているのか? それなら殺すわけにも……)
サラの熱源探知を潜り抜けた方法は気にかかるが、サラとて万能ではない。今でこそネディが消し止めたがそれまで森の一部が燃えていたこともあり、熱源を上手く探れなかった可能性もある。
あるのだが――。
(この状況で完全に無関係ってわけもない、か……)
レウルスは『龍斬』を握る右手に力を込める。
いくらサラが熱源に気付かなかったとはいえ、金属鎧を着込んだ兵士が音を立てずに、それも三十人近い数で接近してきたのだ。
音が鳴らなかったにせよ、レウルス達が気付かなかったにせよ、どちらだろうと“異常”だ。
「無駄な抵抗はせず、大人しく――」
「死んでくださいます?」
そして、ヘクター以上に異常な存在がこの場にはいた。
相手が男爵だと名乗ったことや、音もなく現れたことなど微塵も気に留めず、瞬く速度よりも早くレベッカが踏み込んでいた。
司教であるレベッカからすれば、ヘクターの素性など関係ないのだろう。それよりもこの状況でこの場に現れたことを重視し、即座に仕留めにかかっていた。
上級に匹敵するであろう翼竜を一撃で叩き伏せた拳が、空気すら打ち抜くようにしてヘクターの顔面目掛けて放たれる。
常人ならば即死し、体を鍛えている兵士でも即死し、中級の魔物だろうと即死するであろう一撃だ。
ヘクターの頭部は地面に叩き付けた柘榴のように粉砕する。
「やれやれ、だ」
――その直前に、ヘクターはレベッカの拳を手の平で受け止めていた。
レベッカが放った拳は音すら置き去りにしていたのか、ヘクターが受け止めてから刹那の間をおいて轟音を立てる。
その一事だけでレベッカがどれほどの威力を込めて拳を繰り出したのか理解できるが、ヘクターが事も無げに拳を受け止めたことはレウルスにも瞬時には理解できなかった。
「……まあ」
拳を受け止められたレベッカは、僅かに目を見開きながら感嘆の呟きを零す。避けられる、あるいは受け流されることはあっても、真正面から受け止められる機会など滅多にあるものではないからだ。
拳を掴まれたレベッカだったが、拳を捻りながら引いて拘束から脱すると、瞬時に後退する。そしてレウルス達に背中を向けたままでヘクターと対峙すると、口の端を大きく吊り上げた。
「当たりも当たり、大当たりですわね……よくもまあ、ここまで“育った”ものです」
初めて会った時の怠惰な様子が嘘のように、ギラギラとした殺気を撒き散らすレベッカ。
「レベッカ、こいつが本命?」
「レベッカ、もうちょっと考えて動いて」
そんなレベッカの隣にクリスとティナが立つと、レベッカ同様、レウルス達に背中を向ける。
「そんな誤解を招くようなことを言われると困りますわ。ええ、困りますとも。わたしの本命はただ一人……わたしの王子様に誤解されてしまいますわ」
「誤解とかどうでもいいが、なんでいきなり殴りかかってるんだ」
こんな状況でも普段と変わらないレベッカの様子に、レウルスは少しだけ毒気を抜かれた気持ちになりながらヘクターを見た。
ヘクターはレベッカの拳を受け止めた右手に視線を向けると、感触を確かめるように二度、三度と開閉する。
「貴様らがどこの国の人間かは知らぬ……が、貴族に殴りかかるなど無礼だとは思わんのかね?」
そう言ってレベッカ達に鋭い視線を向けてくるヘクターだが、レベッカ達は微塵も気にした様子を見せなかった。
「ただの貴族にわたしの拳を止められるわけがないでしょう? それに、貴族に化けるのならもっと所作を洗練させないと。そんな無様な動きでは笑われますわ」
むしろ、レベッカなどはクスクスと笑って挑発する始末である。あるいは挑発の意図などないのかもしれないが、ヘクターは不快そうに眉を寄せた。
「化ける? 一体何の話だ?」
「とぼけずとも結構ですよ。上手く魔力を隠しているようですが、拳を掴まれた際にきちんと感じ取りましたから」
「……ふむ」
レベッカが断言すると、ヘクターは僅かに間を置いてから呟いた。そして更に数秒沈黙したかと思うと、不快そうな様子で今度は口元を歪める。
「いつの世も、貴様らが立ちはだかるか……まったく、忌々しい限りだ」
そう言うなり、ヘクターの雰囲気が一変した。続いて右手を振り上げたかと思うと、ヘクターの背後に控えていた兵士達が一斉に武器を構える。
そして何故かその視線をレウルスに向けたかと思うと、不機嫌そうに目を細めた。
「せめてあと一週間遅れていればどうとでもなったものを……仲間を招いて司教が四人とは面倒なことだ」
「…………」
そんなヘクターの発言に、レウルスは思わず沈黙してしまった。
(司教が……四人? 俺を司教だと思ってるのか?)
司教などと名乗った覚えはない。それでもヘクターはレウルスのことを司教だと認識しているらしく、その瞳には僅かとはいえ警戒の色があった。
「まあいい……面倒だが殺せばそれで済む話だ」
そう言ってヘクターが右手を振り下ろす。するとその動きにつられるようにして、武器を構えた兵士達がレウルス達目掛けて走り出すのだった。




