第407話:侵入 その4
時を僅かに遡る。
レモナの町に侵入するレウルスとジルバを見送ったエリザ達は、町に近づき過ぎないよう注意しながら付近の森で待機していた。
月明かりがあるとはいえ木々が生い茂る森の中である。火を焚いているわけでもないため、仮に巡回の兵士が森の近くを通ったとしても目視して発見するのは非常に困難だろう。
もっとも、魔力に関してはエリザ達全員が隠しきれていないため、魔法の扱いにそれなりに長けている者ならば即座に気付くことができたに違いない。
それでも夜間かつ森の中ということもあり、エリザ達の存在に気付く者はいなかった。
――そもそも巡回の兵士はおろか、町の周囲を見張る兵士すらいなかったが。
「二人は大丈夫かのう……」
周囲に人影はおろか魔物の気配すらないため、特に声を潜めることもなくエリザが呟く。
日中の様子から十分おかしいと思ってはいたが、夜になったというのに見張りすら立てないレモナの町の様子に、違和感と不安を覚えたのだ。
「ジルバも一緒だし大丈夫じゃない?」
「そうだよね……でも、レウルス君は大剣と防具を置いていってるし、ボクも少し心配かな……」
『龍斬』を抱きかかえた状態で楽観的に答えるサラと、レウルスが使う防具一式を背負いながら心配そうに答えるミーア。防具一式は野営用の大きな布で包んであるため、持ち運びも容易である。
「…………」
そうやって話すエリザ達だが、ネディだけは会話に参加せずにレモナの町の方向を見つめている。普段から会話に参加しないこともあるため返事がなくてもエリザ達は気にしなかったが、ネディも少しだけ心配そうに眉を寄せていた。
「レウルスの武器は……まあ、あの『首狩り』の素材で作った剣があるから大丈夫じゃろう。使っているところを何度か見たが、あれはあれで業物じゃろうし」
「レウルス君が全力で使えるみたいだし、並の武器なら打ち合う前に斬れそうだもんね」
レウルスとジルバが戻ってくるまでしばらく時間がかかるため、エリザ達は時間を潰すためにも言葉を交わす。
エリザ達の役割は退路の確保だが、仮にレモナの町で戦闘が発生したならば駆けつける必要もあるだろう。そのため言葉を交わしても油断はせず、常に周囲を警戒する。
それでも退屈であることに違いはなく、サラは抱きかかえている『龍斬』に視線を向けた。
「ねえねえミーア。この『龍斬』ってばレウルス以外が柄を握ると燃えるって聞いてるけど、どれぐらい燃えるの?」
「え? うーん……父ちゃんに聞いた話だとかなり危険らしいけど……」
サラの質問を受けたミーアは、サラと同じように『龍斬』を見ながら首を傾げる。
「『無効化』を使いながら握れば整備もできるし、作る時にサラちゃんが調節した火で鍛えたんだよね。だからサラちゃんなら握っても大丈夫だと思うし、レウルス君と『契約』しているエリザちゃんも大丈夫……かも?」
「あ、そうなんだー……えい」
ミーアの説明を聞いたサラは、迷う素振りもなく『龍斬』の柄を握った。それを見たエリザやミーアが目を見開くが、『龍斬』が“何か”をする様子はない。
「ふふん……レウルスの真似――っておもぉいっ! なにこれすっごい重い!」
『龍斬』の柄を握り、レウルスのように肩に担ごうとしたサラだったが、バランスを崩して後ろに倒れかけた。そのため慌てて『強化』を使って体勢を立て直す。
炎で焼かれないとしても、『龍斬』は十キロ近い重さを誇る金属の塊である。普段無手で剣を扱わないサラでは『強化』を使わなければまともに振るえない重さがあった。
「……これでサラが燃えていたらレウルスから何と言われたんじゃろうな」
暇潰しだとしても不用心すぎるサラに対し、エリザが呆れたような声をかける。炎で焼かれる火の精霊など笑い話にもならないが、あまりにも躊躇がなさすぎるサラにどう突っ込めば良いかわからなかったのだ。
「とりあえずわたしは問題ないけど……エリザも試す?」
「恐ろしくて試せんわっ!」
「だいじょぶだいじょぶ。仮に火が出てもわたしが操るから火傷もしない……はず?」
「それで燃えたらどうするんじゃ! 服が燃えたら替えはないんじゃぞ!?」
小声ながらもそう叫んでサラに飛び掛かろうとしたエリザだったが、サラが『龍斬』を担いでいるため自重する。それでも頬の一つでも抓ってやろうと思って歩み寄ると、不意にサラが周囲を見回した。
「……あれ? 何かいる?」
一瞬、抓られるのが嫌で話を逸らそうとしているのかと考えたエリザだったが、サラの表情は心底不思議そうなものだった。そのため即座に思考を切り替え、愛用の杖を握り締める。
「魔物かのう? 近づいてくるのなら中級以上だと思うんじゃが……」
「んー……距離があるから正確にはわからないけど、熱源が大きい……ような……一塊になって移動してる? どっちだろ……」
「方角は?」
「あっち」
サラが指をさしたのは、エリザ達が隠れている森の奥――“退路”の方向だった。
それを悟ったエリザは眉を潜めつつ、移動を促す。
「……少し移動するかのう。なるべく音を立てないよう注意するんじゃぞ?」
原因の確認に向かうべきか僅かに悩んだものの、無理をする必要はないとエリザは判断した。レウルス達と合流さえできれば、森の中だろうと突っ切ってスペランツァの町へと戻ることができるのだ。
それならば合流場所を少しずらすぐらいで良いだろうと考えた。『思念通話』もあるため、レウルスとジルバがレモナの町から出てくればすぐに連絡を取って合流できるはずである。
“安全”を取って移動する判断を下したエリザだったが、サラの表情は変わらない。森の奥を注視しつつ、眉を寄せている。
「熱源が動いてる……こっちに向かってる? あ、熱源が別れた……ん? んん?」
「なんじゃ、どうしたんじゃ?」
訝しげな声を上げるサラに対し、エリザはきちんと報告するよう促す。すると、サラの声色に僅かな焦りが滲んだ。
「大きな熱源が近づいてくると思ったら複数にわかれて、どうなってるのかと思ったら今度は違う方角から新しい熱源が近付いてきてる?」
「……つまり?」
「あっちとあっちとあっち……あとあっちとあっち? から熱源が近付いてきてる」
そう言ってサラが指したのは、レモナの町方面を除いた全ての方角だった。サラが感知できる範囲に足を踏み入れてきた“熱源”は、半円状に展開しながらエリザ達の方へと近づいてきているらしい。
「……エリザちゃん」
鎚を握り締めながらミーアが警戒の声を漏らす。それを聞いたエリザはどうするべきか思考する。
サラが感知した情報に間違いがなければ、明らかに半包囲されている。それは偶然とは思えない動きで、同時に、何故と思う気持ちもあった。
先程騒いでしまったことから気付かれたのか、それとも別の何かが原因なのか。しかし声に関しては極力抑えていたため、さすがにサラが感知できる範囲ギリギリの距離まで届いたとは思えない。
「レウルスと合流……する?」
それまで沈黙していたネディが首を傾げながら尋ねる。
「それは……じゃが、向こうも向こうで戦っている可能性が……」
それはエリザとしても真っ先に思いついたことだったが、合流するとしてもどこで、どうやって合流すれば良いのか。
(サラに頼んで合図を……いや、その前に相手の確認……どうすれば……)
普段ならばレウルスが行動を決定するが、この場にレウルスはいない。エリザ達はあくまで退路の確保という名目でこの場にいたため、“相手”から動いていた場合に関して想定が乏しかった。
普段、常に共にいるため忘れそうになるが、こういった状況だとレウルスは結果がどう転ぶにせよ即座に動く。大抵の場合で相手に斬りかかるのだが、その即断即決ぶりはエリザにはないものだった。
以前メルセナ湖でレウルスとはぐれてしまった時も、傍にジルバがいた。そのためエリザ達が指針を立てずともある程度はどうにかなっていたのだ。
これは他所の町に襲撃を仕掛けるという“大事件”を前にして、その辺りの指示を忘れていたレウルスの落ち度だろう。何かあれば合図をするように伝えてはいたが、異常事態だからと即座に合図をして良いものかエリザは迷ってしまったのである。
「っ……サラ、合図じゃ!」
それでもエリザは合図をするようサラに声をかけた。するとサラはその声に応え、右手を空へと掲げる。
「はいはーい! まっかせて――っ!?」
空に向かって火球を放ったサラだったが、レモナの町の中からでも見える高さに到達する前に火球が消えた。
一体何故、と思いながらもサラは再度火球を空に向かって放つ。しかし再度放った火球も途中で消えてしまった。
「むー……もう一発!」
「…………」
勢い込んで再度火球を放つサラと、そんなサラを見て無言で右手を上げるネディ。そしてサラが放った火球に合わせるように氷の矢を放つ。
すると次の瞬間、鈍い音と共に氷の矢が砕け散った。しかしその間にサラが放った火球が空高く舞い上がり、空中で炸裂する。
「……え? ちょ、なに今の?」
「……多分、風魔法?」
自身の火球が消えていた原因について言及するサラと、確証はないように首を傾げるネディ。それでもレウルスとジルバへ合図を送ることができたため、あとは自分達から向かうかレウルスとジルバを待つか選べば良い。
少なくともエリザはそう考えた。この場に留まって防戦に徹しつつ、レウルスとジルバを待てば良いと。
「どこから撃ってきたの!? というか、熱源がだいぶ近づいてるんですけど!?」
そう考えたエリザだったが、サラが焦ったように叫ぶのを聞いて気を引き締めた。
魔力に関しては十二分にあるため、魔力を気にせず撃つことができる。しかも味方は精霊が二人にドワーフが一人と、並の相手ならば容易に渡り合える戦力が揃っているのだ。
そうして杖を構えるエリザだったが、闇夜に慣れた視界はいくつもの人影が近づいてくるのを発見する。
その人影の多くは武装した人間――それも統一されていない革鎧等を身に着けていることから、野盗の類だと思われた。
そして、そんな敵の背後には、大きな威圧感を放つ生き物がいた。
「……何故こんなところに翼竜がいるんじゃ」
そこにいたのは、並の個体を超える“大きな体を持つ”翼竜だった。