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第3話:ラヴァル廃棄街

 日が山間に沈み始め、斜陽がオレンジ色に大地を照らしていく。


 レウルスは迫りくる暗闇に怯えつつも、ロクに動かない体を必死に動かして歩を進めていた。若い兵士に聞いた東門の方向に何があるのかわからないが、せめて今夜を安全に過ごせるだけの“何か”があれば、と思う。


 兵士の話で知った、ラヴァルと呼ばれる城塞都市。そこからは風に乗って笑い声や夕飯と思わしき匂いが届き、レウルスの精神をガリガリと削っていく。届く笑い声や良い匂いはまるで壁を隔てて別世界が存在するかのようだ。


(別の世界に生きてた身としちゃ、否定できないのが怖いな)


 例えとして考えたレウルスだったが、前世で生きていたのは平成の日本――すなわち別世界である。魔法や魔物が存在する以上、城門を潜れば別世界につながっている可能性は否定できない。

 城門を通るための金もなく、身元を保証するものもないため、どう足掻いても確認はできないが。


(城壁を越えて……無理だな。見張りの兵士もいるし……)


 十メートル近い石造りの城壁の上には、弓を持った兵士の姿がある。日が暮れ始めたことで篝火の用意もされており、城壁の上から周囲を監視する姿勢には微塵も油断がない。今のレウルスではどんなに運が良くても城壁を超えて侵入することは不可能だろう。


 仮に侵入できたとしても、金がないため食事もできずに死んでしまうことに変わりはない。魔物に殺されることはなくとも、飢え死にする可能性はなくならないのだ。


(というか、町が大きすぎる……東門ってところまでどれだけかかるんだ……)


 日暮れに焦って小走りで移動しているが、円形に近い形で城壁が築かれていると思わしきラヴァルの町は非常に大きい。シェナ村も内部に畑を作っていた関係上それなりの広さがあったが、ラヴァルの町はその何倍の広さがあるか見当もつかないほどだ。


 太陽の沈む方向から考えると、レウルスが先程までいたのは南門だったのだろう。必死に急いで移動するレウルスだったが、最早残された時間は少ない。

 それでも完全に日が落ち切る前に東門が見える場所までたどり着き――思わず目を見開いた。


「……は? 町……か?」


 呆然とした呟きを漏らすレウルスの視線の先。そこにあったのは、城壁の外に広がる町と呼ぶべき規模の建造物の群れ。極限の疲労と空腹が見せる幻覚かと思ったが、たしかな存在感を持ってその場に在る。


「なに……この、なに? なんだアレ……」


 言い様のない違和感を覚えつつも、町と思わしき場所へと近づいていく。城壁の外にも町が作られていたのだろうか。だが、それにしては若い兵士から聞いた『運が良ければ死なずに済む』という言葉が気にかかる。


 立ち並ぶ建造物と、その周囲を囲うようにして組まれた木の柵。ところどころ土壁で補強されているが堀の類はなく、シェナ村と比べても貧相な防衛設備だ。広さ自体はラヴァルの町よりも遥かに狭いが、そこに人の営みがあることは遠目からも窺える。


 狐か狸に騙されているような気分になるレウルスだったが、人がいるのならば食べ物もあるだろう。そう自分に言い聞かせて町に近づくと、先ほど会話した兵士達と比べて貧相な装備を身に纏った男達が駆け寄ってくる。


「なんだテメェ……ここに何の用だ?」


 動物の革で作られたと思わしき鎧に、両刃の剣を提げた男達。その中でも短い金髪の男性が声をかけてくるが、先ほどの兵士とは雰囲気が違う。

 レウルスの持つ知識で例えるなら、警察官とヤクザ並に雰囲気が違った。野卑な凶暴性を秘めた眼差しを向けられたレウルスは若干尻込みをするが、ここ以外に行く場所もないと自分を鼓舞する。


「シェナ村から来たんだ……その、南門? の兵士の人に、ここに来ればいいと聞いたんだけど……」


 それ以外に言い様がなく、取り繕う余裕もない。そのためレウルスは正直に答えると、男達はレウルスを頭から爪先まで眺め、手に持っていた剣を鞘に納めた。


「ハッ、シェナ村だぁ? 大方食い詰めて逃げてきたんだろ?」


 レウルスが頷くと、男達は鼻を鳴らして背を向ける。


「ま、細かいことは聞かねえよ。入るなら好きにしな」

「あ、ちょっ、ここって一体……」


 もっと何か聞かれると思ったが、あっさりと引き下がった男達にレウルスは尋ねた。ここまでたどり着いたは良いが、どんな場所かもわからないのである。

 焦った様子で尋ねるレウルスに対し、声をかけてきた男は再び鼻を鳴らして答えた。


「――ラヴァル廃棄街。オメェみたいな食い詰め者が集まる、クソみてぇな場所だ」








 武装した男達に通されて木で造られた門を潜り、ラヴァル廃棄街に足を踏み入れたレウルスだったが、ここがどういう場所なのか理解できずに首を捻った。


(廃棄街ってことは、前世でいうところのスラムみたいなもんか? でも、この規模の町で廃棄街って……)


 立ち並ぶ建造物の数、行き交う人々の数から推察する限り、シェナ村よりも多くの人が住んでいるようだ。正確な数はさすがにわからないが、少なくとも数千人規模だろう。

 区画整理などされておらず、廃棄街のど真ん中に十メートルほどの幅を持つ道があるだけで、あとは乱立する家々によって小道が形成されているようだった。廃棄街の奥までは見通すことができないが、その雑然とした様子はシェナ村よりも無秩序である。


 そうやって物珍しげに周囲を見回すレウルスだったが、腹部から伝わる強烈な空腹感で現実に引き戻される。色々と気になることはあるが、まずは空腹をどうにかしなければならない。


(でも、金はないんだよな……)


 働いて返すから何か食べさせてくれと言ったとして、それを相手が承諾するだろうか。周囲を見回してみるが食事処らしき建物は見当たらず、レウルスはフラフラとした足取りで廃棄街を進んでいく。

 すれ違う人の中には帯剣している者もいるが、“そんなもの”を恐れている暇はない。今のレウルスにとっては、腹を突き破りそうなほど強烈な空腹感以上に怖いものはないのだ。


(その辺の家で声をかけて何か恵んでもらう……乞食みたいに路上で恵んでもらうのを待つ……)


 見知らぬ男が突然家を訪れ、何か食べさせてほしいと言ってきたら食事を与えるだろうか――答えは否である。


 路上で乞食のように相手の“善意”を期待したとして、食糧なり金なりを恵んでもらえるだろうか――答えは否である。


 この世界に生まれ、シェナ村という狭い環境で過ごしてきたレウルスだが、縁もゆかりもない相手に無償で何かを施すと期待するのは無理があった。

 善でも偽善でもどちらでも良いが、そんな余裕を持っている人間が存在するのか疑ってしまうほど周囲は余裕がない。行き交う人々の表情を窺うが、視線を向けるレウルスに対して胡散臭そうに表情を歪めるばかりである。


(せめて水を……)


 空腹感は既に危険な状態に突入しており、疲労と睡眠不足から視界が霞んでいる気さえした。


 それでも、水を飲んで物理的に腹を膨らませればまだどうにかなる。この場所ならば魔物が侵入してくる可能性も低いだろう。一晩眠って過ごし、朝から近くの森に行って食べられそうな物を探すしかない。


 そう自分に言い聞かせ、レウルスは水場を探し始める。人間が生活している以上、水は必要不可欠だ。近くに川などが存在しない以上、井戸でも掘ってあるのだろう。


 そうやって水場を探すこと数分。レウルスは井戸らしきものを発見した。木で造られた井桁(いげた)と簡易ながらも雨避け用に造られた屋根、さらには水を汲み上げるためのロープと桶も用意されている。

 滑車の類は見当たらず、ロープをつないだ桶を井戸に放り込み、自分の手で引き上げる必要があるようだ。シェナ村で強制的に農業に勤しんでいたレウルスからすれば、現在の最悪のコンディションでも水桶の一つぐらいは容易く引き上げることができる。


 何はともあれ水だ。空腹もそうだが、一日中走りっ放しで喉がカラカラである。

 レウルスは井戸に駆け寄り、桶を手に取る――よりも早く、その腕を誰かが掴んだ。


「待ちな」


 いつの間に近寄ったのか、見知らぬ男がレウルスの腕を掴んで動きを封じている。廃棄街に入る時と同様、この男も革鎧と剣を身に付けていた。


「見ねえ顔だな……余所者か?」

「あ、ああ……今さっき着いたばかりだ」


 一体何の用なのか。下手に出過ぎてもまずいと判断して怪訝そうな顔で尋ねるレウルスだったが、男はレウルスの視線など微塵も気にせず空いていた左手を差し出した。


「……その手は?」


 握手でもしたいのだろうか。レウルスは反射的に手を握りかけるが、男は馬鹿にするような目付きへと変わった。


「金だよ、金」

「……は?」

「井戸を使うなら水税を払いな。桶一杯で1ユラだ」


 水税、1ユラ。これまで聞いたことがない言葉だったが、それが意味するところは理解できた。そのためレウルスは呆然とする。


「水……税……?」

「そうだよ。ほら、さっさと払え」


 水を飲むのに税金を取ると言うのか。レウルスはその場で固まるが、男はレウルスの反応から金を持っていないことを察したのだろう。乱暴に突き飛ばし、唾を吐き捨てる。


「金がないならさっさと消えろ。他の奴の邪魔になる」


 前世を平成の日本で過ごし、今世でもシェナ村では近くを小川が流れていたため飲み水には困らなかった。たしかに現代でも外国に行けば水が有料の場所もあると聞いたことがあったが、まさかここで同じような壁にぶつかるとは思ってもみなかったのである。


「す、少しぐらい……ほんの一口でも……」


 ユラというのは金銭の単位だろうが、今のレウルスは文字通り一文無しだ。今世に合わせて言うならば、1ユラ無しである。そのため何とか一口だけでもと頼み込むが、男はまったく取り合おうとしなかった。

 この様子ならば、他の場所にある井戸も同じだろう。ラヴァル廃棄街においては、水を飲むだけでも金が必要なようだった。


(今から町の外に出て水源を探す? 既に日が暮れたこの状況で?)


 今この町から外に出れば、昨晩と同じように魔物に怯えて夜を過ごす羽目になるだろう。そもそも近場に水源がある保証はなく、あったとしても真っ暗闇の中で探し出せるとは到底思えない。

 かといって目の前の男を力尽くで押し退けて水を奪うというのも論外だ。男はレウルスの態度から既に臨戦態勢に入っており、鞘から抜いてこそいないが剣の柄に手をかけている。暴力に慣れた雰囲気を漂わせている辺り、井戸を守る番人とでも評すべきだろう。


「どこか……近くに川はあるか?」

「……東の方に向かって一時間も歩けばある。自殺したいなら止めねえよ」


 夜に出歩くことの危険さは、目の前の男も重々承知しているようだ。レウルスは肩を落とすと、ゆっくりと立ち上がる。


「税金の代わりに働くから……水を飲ませてくれないか?」

「お前に何ができる? 魔物を倒したことは? 剣を学んだことは? 魔法は使えるか?」


 男性の疑問に対し、レウルスは押し黙った。その全てが未経験であり、今のレウルスができることといったら一つしかない。


「の、農作業なら……」


 暗算で良ければ四則演算程度は容易いが、この世界の文字も数字も知らないのである。文字も知らずに計算ができると言っても信用されることはないだろう。そう考えて農作業ならばと答えるが、反応は冷たかった。


「間に合ってるよ。ほら、さっさと消えろ。それとも叩き出されたいか?」


 剣の柄から手を離し、その代わりに拳を固める男。それを見たレウルスは頭を下げて背を向けると、その場から立ち去っていく。


(この分だと、食料を分けてもらうなんて期待できないか……金、かね、カネ、か……どこの世界でも世知辛いなくそったれめ)


 シェナ村で過ごした十五年間で学んだつもりだったが、村から外に出ても厳しさは変わらないようだ。最低限とはいえ食事ができていたことから、シェナ村の方がまだマシかもしれない。


 レウルスは今にも止まりそうな足を動かし、何とか前に進んでいく。だが、どこに行けば良いのかわからない。日が落ちたことで人気がなくなり始めており、家々から僅かに漏れる蝋燭らしき明かりが道を照らしているが、行く宛てなどなかった。

 それでも、立ち止まっていては何も得られない。僅かな時間の滞在だが、ラヴァル廃棄街では他人の善意に期待しても意味はないだろう。しかしながら今から廃棄街の外に出るわけにもいかず、せめて今晩の寝床になりそうな場所を探し始める。


(まだ歩ける……明日になっても大丈夫だ……一晩寝て体を休めれば、まだ……)


 空腹感に喉の渇き、さらに疲労感。それらはレウルスの体を蝕んでいるが、歩くことができるならまだ大丈夫だ。実際のところは既に限界を超えている自覚があったが、大丈夫だと自分に言い聞かせなければこのまま倒れてしまいそうである。


(ああ……そういえば前世でも同じように無理をして死んだっけ……)


 まだ大丈夫と自分を騙し、そのまま死んでしまったのだ。馬鹿は死んでも治らないと言うが、どうやら事実だったらしい。環境に因るところが大きいとはいえ、似たようなことをしている自分にレウルスは笑いたくなった。


(…………ん?)


 体力を消耗するため実際に笑うことはなかったが、不意に良い匂いを嗅ぎ取って足を止める。前世ではともかく、今世では縁がなかった香ばしい料理の匂いだ。食欲をそそり、腹の虫を盛大に鳴かせるような魅惑の匂いだ。


 レウルスはその匂いに釣られるようにしてフラフラと歩いていく。さながら誘蛾灯に引き寄せられる蛾のようだったが、この匂いを振り切って歩き去ることなどレウルスにはできなかった。


(アレは……料理店? それとも酒場か?)


 そうしてレウルスが辿り着いたのは、外にも喧騒が聞こえるほど繁盛している料理屋らしき店である。木と石で造られた二階建ての建物であり、一階部分で料理屋を営んでいるようだ。看板らしきものが掲げられているが、レウルスには読むことができず落胆する。


(料理店……でも金はない。そうなると……)


 作る料理によるが、料理というものは多くの材料を使用する。その際少なからず切れ端や皮が出るのだが、それに思い至ったレウルスは目を輝かせた。


(残飯があるか!?)


 料理を作る際に出た生ゴミか、客が食べ残した残飯か、それはどちらでも良い。今なら生ゴミですら何の躊躇もなく食べられる。元々雑草や虫、挙句の果てには土がついたままの木の根すら食べていたのだ。客の残飯なら天上のご馳走である。


 レウルスはすぐさま店の周囲を歩き回り、ゴミ箱がないか探し始めた。さすがにポリバケツなどはないだろうが、ゴミ捨て用の木箱ぐらいはあると思ったのだ。


(こっちはない……店の裏手か? おっ、木箱がある!)


 店の裏手に回ると、裏口らしき扉の傍に木箱があった。レウルスは即座に駆け寄って蓋に手をかけると、音を立てないようゆっくり持ち上げていく。


 ――だが空だった。


「…………」


 宝箱を開けたら中身がなかったような喪失感。レウルスは二度、三度と木箱の中を確認するが、残飯どころか野菜のひとかけらも入っていない。


(時間が悪かったのか……もう少し後とか、朝方に来れば入ってるかも……)


 今はまだ日が暮れたばかりであり、声を聞く限り料理店は賑わっている真っ最中だ。残飯などが出るとしても、まだまだ後のことかもしれない。


 レウルスはそう自分に言い聞かせ、そっと蓋を閉じる。ひとまず残飯が出た時にすぐ気付けるよう、近くで待機していよう。そう判断したレウルスは踵を返し――そのまま膝を突いてしまった。


 残飯か生ゴミとはいえ、何か食べられるという期待。それが失われたことで緊張の糸が切れたのだろう。それまで何とか動いていた体は、レウルスの意思を裏切るように動かなくなる。

 膝を突くだけに留まらず、体が前へと傾いていく。徐々に迫りくる地面を見詰めたレウルスは、十五年前に前世で死ぬ間際に見た光景を思い出していた。


(残飯漁ろうとして力尽きるとか……前世より酷い死因だよなぁ)


 過労や栄養失調により、力尽きる。例え生まれ変わっても死因が変わらないなど、笑うことすらできない。


(何とか生き延びても、結局は野垂れ死にか……ハッ、何の意味もねえ、ゴミみたいな人生だった、な……)


 地面に倒れ伏したレウルスはそんなことを考えるが、その思考すらも億劫だ。横たわった地面の冷たさが今は心地良く、レウルスの意識が少しずつ闇に落ちていく。


「あー……クソ、こりゃ、だめ……だ……」


 最後にそう呟き、レウルスの意識は途絶えた。


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[一言] 転生者で無ければ読めるのかなー。
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