第397話:異常 その1
レモナの町を目指すレウルス達は、荷馬車が鳴らすガタゴトという音を聞きながら街道を進んでいく。
馬に極力負担をかけないよう注意しながらの旅路は普段と比べると非常にゆっくりとしたもので、森を突っ切って進めば一日足らず、レウルス達だけで街道を駆け抜ければ二日程度の道程を五日ほどで進んでいく。
行き道は荷物がないため馬もまだ楽だろうが、帰り道では荷物を積んで帰る予定のため、スペランツァの町に到着するのは一週間近くかかるだろう。荷車は馬二頭で曳いているが、さすがに荷物が載ると重さで移動速度も遅くなってしまうのだ。
食料に関してはスペランツァの町から積んできた分もあるが、道中サラが熱源を探知することで発見した魔物を強襲して仕留めているため、特に問題もなかった。
水はネディが生み出せるためこれも問題がなく、夜間は不寝番を交代しながら馬車の中で休めるため普段の旅よりも楽なぐらいである。
途中で二回ほど隊商とすれ違ったものの、その両方がスペランツァの町へと向かう途中だった。だが、レモナの町からスペランツァの町へと向かう隊商と出会うことはない。
(うーん……魔物はともかく野盗とは出会わないし、途中で事故に遭ったって線もなくなったか……)
ミーアにも常に確認してもらっているが、不自然な痕――街道から逸れた轍や争った痕跡も見つからず、レウルスは内心で首を傾げた。
サニエルはレモナの町を出発すらしていないのだろうか。そんな疑問も、レモナの町が近づくにつれて確信へと変わっていく。
レモナの町の周囲に広がる畑で農作業をする者と、そんな農作業者を守るために巡回する兵士達。それ以外特に変わった様子もなく、レモナの町に辿り着くまでにサニエルと出会うことは結局なかったのだ。
早朝を過ぎて太陽が中天に向かって昇っていく刻限。スペランツァの町を出発して六日目の朝にレモナの町へと到着したレウルス達は、城門へと向かって町に入る手続きを行おうとする。
「……っと、お久しぶりです。先日以来ですね」
門前にいた兵士の顔に見覚えがあったレウルスは、笑顔を浮かべてそんな言葉を投げかけた。
それは初めてレモナの町を訪れた際に世話を焼いてくれた兵士で、レウルスは相手の顔を覚えていたのである。
「…………?」
だが、その兵士は不思議そうな顔をして首を傾げた。どこかぼんやりとした眼差しでレウルスを見つめたかと思うと、数秒してから口を開く。
「……ああ……久しぶりだな……また、来たのか?」
「ええ。目的も前回と似たようなものなんですけど……」
そう言ってレウルスは背後の荷馬車を指で示す。
「結局資材が届かなかったんで、今回はこっちから受け取りにきてみました」
「……そうか……“そういうこと”か……」
兵士の男性はゆっくりとした動作で二度、三度と頷く。そして他の兵士と目配せをすると、城門を開き始めた。
「……さあ、通るといい」
「え? あ、はい……ありがとうございます」
荷馬車の荷物のチェックもなく門を通る許可が出たことに僅かな疑問を覚えたレウルスだが、兵士からは特に敵意の類も感じ取れず、これもスペランツァの町を支援する一環だろうか、などと思うに留める。
(それなら予定通り資材を送ってくれた方が助かるんだけどな……)
そんなことを思いながら城門を潜るレウルスだが、視界に隣を歩くエリザの姿を捉えてそちらへと意識を向けた。
以前レモナの町を訪れた際は体調に異変が起きたエリザだが、特に変わった様子もない。精々、レウルスの視線に気付いて首を傾げるぐらいだ。
「ん? なんじゃ? ワシの顔に何かついておるかのう?」
「体調はどうかと思ってな……辛かったりはしないか? ほら、以前この町を訪れた直後に……」
「っ……」
レウルスがそう言うと、エリザの顔色が急速に赤みを増す。それを見たレウルスは眉を寄せながらエリザの肩を掴んだ。
「顔が赤くなったな……また体調が変化したのか?」
「ち、ちがっ……今度は本当に違うのじゃ! レウルスがいきなり変なことを言うからじゃ!」
「……本当に?」
「本当じゃ!」
どうやら“色々と”思い出して恥ずかしくなってしまったようだ。それでも念を押して尋ねるレウルスに対し、エリザは相変わらず顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
(……嘘じゃなさそうだな)
顔を真っ赤にしたものの、不自然に汗を掻くこともなく息を荒げるでもないエリザの様子に、レウルスは納得したように頷いた。
レモナの町に足を踏み入れて数分歩いているとエリザも落ち着きを取り戻したのか、赤かった顔が平静の色を取り戻す。
それを確認したレウルスはエリザに聞こえないよう小さく、ほっと安堵の息を吐いた。
「しかし、なんじゃな……前回来た時は気付かなかったんじゃが、ずいぶんと活気がない町じゃのう」
エリザは周囲を見回しながらそう呟く。そんなエリザの言葉にレウルスは眉を寄せたが、同時に納得もした。
(そういえば前回来た時はエリザは黙り込んでたっけ……あの時は周囲を観察する余裕がなかったのか?)
到着早々サラが町の雰囲気に関して酷評し、それをミーアが窘めたのはレウルスの記憶にも残っていた。エリザだけでなくネディも静かだったが、ネディの性格を考えれば特に不自然なことでもないだろう。
「んー……んん? 以前来た時よりも暗くない?」
「そうかなぁ……ああでも、言われてみたらそうかも……」
サラは不思議そうに首を傾げ、ミーアはそんなサラの言葉に納得を示す。
「ネディはどう思う?」
レウルスが試しにネディに話を振ってみると、ネディは周囲を見回してからサラと同じように首を傾げた。
「……この前来た時よりも静か?」
「静か……たしかにそうだな……」
ネディの言葉に納得して周囲を観察するレウルスだが、これから仕事が本格的に始まるであろう時間帯の割に静かである。往来を歩く人の数も少なく、いたとしても妙に疲れたような顔で俯きがちに歩いていた。
物音一つ、言葉一つ発しないというわけではないが、レモナの町の大きさに反して聞こえてくる音は非常に少ない。
(他の町だとここまで静かなことはないんだけどな……)
“不自然”なほどの静けさに違和感を覚えるものの、それがどんな理由によるものかまではわからない。もしかするとレウルスが知らないだけで、活気が少ない町だとこのような状態もあり得るのかもしれないのだ。
(……とりあえず、仕事が先だな)
レウルス達がこの町を訪れたのは、サニエルに会って取引を行うためである。それ以外にやるべきことはなく、レウルスとしても無駄に首を突っ込むつもりはない。
そうしてレモナの町を歩き、サニエルの店へと到着したレウルスだったが、店先にサニエルの姿を見つけてレウルスは眉を寄せた。
相変わらず店の前には三台ほど荷車が停まっているが、サニエルは何故か空を見上げながら身動き一つしていないのだ。
「あー……サニエルさん?」
それでも話しかけなければ商談もできず、レウルスは遠慮がちに名前を呼んだ。しかしサニエルは何の反応も見せず、不思議に思ったレウルスは更に一歩踏み込む。
するとそこでようやくレウルス達の存在に気付いたのか、サニエルが視線を向けた。そしてゆっくりを表情を変化させ、笑顔を浮かべる。
「……いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか?」
「…………」
そんなサニエルの反応に、レウルスは思わず頬を引きつらせながら沈黙してしまう。
いくらなんでもこの反応はおかしい。まるで初対面のように対応するサニエルに対し、話を聞いていたサラが口を開こうとする。
『ストップ……いや、待ってくれサラ。サニエルさんの様子がおかしい』
だが、レウルスは即座に『思念通話』でサラを止めた。続いて『思念通話』をエリザにもつなぐ。
『エリザ、前回のことをどこまで覚えているかわからないけど、何か言うのは少し待っててくれるか?』
『うむ……』
レウルスはミーアとネディにもアイコンタクトを送ると、サニエルに合わせるように笑みを浮かべた。
「何言ってるんですかサニエルさん。今日は注文していた商品を受け取る日じゃないですか」
「……ああ……そうでした……ええ、そうでした。今日が約束の日でしたか……」
「そうですよ。それで? そっちの荷車が商品ですか?」
「……少々、お待ちを……」
レウルスが荷車に視線を向けてそう言うと、サニエルは足を引きずるようにして店の中へと姿を消す。そして数分と経たない内に姿を見せたかと思うと、台帳らしき冊子を持ち出した。
「……失礼。以前お会いした時は、どのように名乗られていましたか?」
「レウルスです。あの時は『魔物喰らい』って名前も伝えたと思うんですが……」
「魔物……喰らい……」
レウルスの名前ではなく、『魔物喰らい』という単語を呟くサニエル。
名前を尋ねてきた辺り、レウルスのことを覚えていないのは確実だろう。そもそも、以前訪れた際も準備してあった荷車がそのままになっており、サニエルがその辺りに関して触れないというのも不自然過ぎた。
(いきなり記憶喪失になったわけでもないだろうし……これは……ちょっとまずいか?)
レウルスは笑顔を浮かべたままで周囲に意識を向ける。相変わらず敵意の類は感じないが、いくつかの視線を感じた。
通行人が見ているのか、あるいは監視でもされているのか。そこまでは判別ができないが、レウルスとしてはどうにも首の裏に冷やりとしたものを感じざるを得ない。
「……ああ……そうでした、そうでした……あちらが商品になります」
そう言ってサニエルは店の前に並べてある荷車へ視線を向ける。
「料金は金貨五枚でしたよね?」
「……そう、ですね……ええ、そうです」
レウルスは確認を込めて問いかけると、サニエルも同意するように頷く。
実際のところは“普通に”買えば金貨五枚どころか大金貨が三枚ほど必要になる額である。町を造るからとある程度融通を利かせたとしても大金貨二枚はかかるだろう。
それを試しに四分の一まで値切って提示してみると、サニエルはあっさりと頷いてしまった。
「それではたしかに……荷物はこちらの荷車に移させてもらいますね?」
レウルスはそう言って承諾を得ると、『強化』を使って短時間で目ぼしい資材を移し替える。曳いてきた荷車の大きさ的に全てを運ぶことはできないのだ。それでも太陽が中天に昇る頃になると、準備を整えた。
サニエルからは危険は感じない――が、この町に長居をするべきではない。
そう囁く己の直感に従い、レウルスはエリザ達を連れて即座にレモナの町を後にするのだった。