第391話:夜に その1
レモナの町で商人のサニエルと出会い、資材の運搬に関して話を聞いたレウルスは、街道ではなく森の中を真っすぐ突っ切ってスペランツァの町へと帰還した。
街道を通ると一日半近くかかるが、文字通り“真っすぐ”に、最短距離で進めば一日とかからない。
レモナの町を午後三時頃に出発し、森の中で一夜を明かし、日の出と共に移動を再開すると翌日の昼頃にはスペランツァの町に到着したため、実質的な移動時間は半日もないだろう。
再度レモナの町を訪れる機会があれば、早朝にスペランツァの町を出発すれば遅くとも夕方には到着すると思われた。
もちろん、これは森の中の移動に慣れているレウルス達だからこその移動方法である。
熱源を探知できて索敵範囲が広いサラと魔力の感知に長けたレウルス、森の中でも方向を見失わないミーア、そして下級の魔物が寄ってこないエリザがいてこそ可能となるのだ。
全員が『強化』を使って移動できるため、足場の悪さを気にせずに進めるというのも大きい。障害物が多いため移動速度は落ちるが、それでもスペランツァの町とレモナの町を通常の半分程度の時間で行き来できた。
(町に余裕ができたら新しい道を造ってみるのもいいかもな……姐さんやコルラードさんにも話をしてみるか)
“お隣”のレモナの町と一直線につながった道があれば、人の往来も増えそうである。少なくとも商人などは利用するだろう。ただし、森を切り拓いて道を造るとなると相当な時間と手間がかかりそうだが。
そんなことを考えながらスペランツァの町に帰還したレウルスだったが、その視線を背後へと向ける。そこにはレモナの町に行ってからというもの、明らかに様子がおかしいエリザの姿があった。
(風邪でもひいたのか? でも、単純に体調が悪いってわけでもなさそうだしな……)
頬を朱色に染めてしきりに汗を拭うエリザだが、森の中を移動する際はふらつくこともなかった。食欲がないわけでもなく、昨晩の夕食も今日の朝食もしっかりと食べていたのである。
ただし、妙に熱っぽい息を吐き、時折荒い息を吐いているのが気にかかった。
(うーん……空腹や疲労で苦労したことはあっても、病気で苦労したことはないからな……)
前世ならばともかく、今世ではロクに病気にもかかったことがない。そのためレウルスとしてはエリザの状態がどうなっているのか、いまいち判断できなかった。
「町についたけど……エリザ、本当に大丈夫か?」
「っ……ぅ、ん……だ、大丈夫……じゃぞ?」
何度目かになる心配の言葉をかけると、エリザは途切れ途切れに言葉を返す。そんなエリザを心配そうに見るのはレウルスだけでなく、ミーアも同様だ。
「エリザちゃん、無理はしちゃ駄目だよ? 町に戻ってきたんだし、今日は休んだ方がいいんじゃない?」
「む、ぅ……しかし、じゃな……」
スペランツァの町と外部を隔てる門を潜り、町の中へと進みながら声をかけるレウルス達。しかしエリザはどこか不満げだった。
「ミーアの言う通りだぞ? 町造りも軌道に乗ったし、一日や二日休んだところでコルラードさんも怒りはしないって」
そう言ってレウルスはエリザに近づき、膝を折って目線を合わせようとする。そして説得ついでに熱を測ろうと右手を持ち上げた瞬間、何故かエリザは慌てたようにレウルスから距離を取った。
「……? どうした?」
普段ならば見ないようなエリザの行動に、レウルスは首を傾げる。驚かせるつもりはなく、ただ手の平で額の熱を測ろうとしただけなのだが――。
「あー……うー……えっと、その、なんじゃ……あ、汗を掻いてるし、近づくのは……ちょっと……」
エリザはもじもじと、膝を擦り合わせながらそう言った。その視線は右へ左へと泳いでおり、顔もますます上気して赤みを増している。
(汗の匂いを気にする、か……そうか、エリザも女の子だもんな……)
これは自分のデリカシーが足りなかったな、とレウルスは苦笑した。いくら家族として一緒に過ごしているとはいえ、外見的にはほんの二、三歳程度しか変わらないレウルス相手では色々と気になることもあるだろう。
レウルスはそう思い、ミーアに視線を向けた。
「それじゃあ俺はコルラードさんに報告してくるから、ミーア達はエリザを連れて先に家に帰ってくれ。サラ、ネディはエリザを風呂に入れてやってくれるか?」
汗が気になるなら風呂に入れば良いだろう、と単純に考えたレウルスはそんなことを頼む。ただし、エリザが自分の存在を気にしているのならば、コルラードへの報告という名目で一度離れてみようと思った。
「えー……わたしはレウルスと一緒に……」
サラは不満そうな顔をしたものの、エリザの顔色を確認すると小さく肩を竦める。
「って、言いたいところだけど、エリザが辛そうだから一緒に帰ってるわね! ほらほら、せっかくお風呂場も作ってもらったんだから、ぱぱっとお湯を張って入るわよ!」
「……ん」
珍しいことにサラも気を遣ったのか、普段は仲が悪いネディの手を引いて自宅に向かって走り出す。ネディもエリザを見て眉を寄せ、サラに手を引かれるまま走り出した。
「それじゃあレウルス君、ボクはエリザちゃんを連れて家に戻ってるね? コルラードさんへの報告は全部任せちゃうけど……」
「おう、そっちは任せてくれ。俺も早めに帰るから、エリザの看病を頼むよ」
「うん。それじゃあエリザちゃん、行こう? 一人で歩ける?」
ミーアの言葉に小さく頷き、エリザが歩き出す。レウルスはそんなエリザ達を見送ると、頭を掻いてコルラードを探すのだった。
「は? そんなものは知らない? 何の冗談なのだそれは」
「冗談なら良かったんですけどね……」
そうしてコルラードを見つけたレウルスは、レモナの町で得た情報を余さずコルラードへと伝える。するとコルラードは理解しがたいと言わんばかりに目を見開いた。
「隊長と……アメンドーラ男爵と話がついているのだぞ? その上で反故にする? バルベリー男爵は一体何を考えているのだ?」
レモナの町の領主――バルベリー男爵の行動を心底不思議がるコルラード。準男爵の立場からすると不敬かもしれないが、スペランツァの町を開拓するための責任者としては一言いわずにはいられないのだ。
「俺からは何とも……コルラードさんから聞いた通り町に商人がいましたけど、向こうも困惑していましたからね」
「むぅ……これはさすがに吾輩だけで判断するわけにはいかぬか……いや待て、隊長殿に報告すればそれはそれで……」
さすがのコルラードでも対応に困ってしまうような事態らしい。
「……そのサニエルという商人は遅くとも一週間後には資材を運んでくると言っていたのだな?」
「ええ。もう一度領主に掛け合って、それでも駄目なら町の若い衆を雇ってでも資材を運ぶって言ってましたよ」
「ふぅむ……できればそれを証明するために一筆欲しかったところだが、商人ならば口約束とはいえ“約束事”は破るまい。原因がバルベリー男爵にあるとはいえ、ただでさえ一度破っているのだ……これ以上の不義理は向こうとしても避けたいところであろうな」
コルラードは顎を撫でながらそう話す。その目は細められており、様々な思考を巡らせているのが窺えた。
「姐さんへの報告はどうします? 必要ならひとっ走りしてラヴァル廃棄街に行ってきますけど」
「報告は資材が届いてから……相手側の出方を見てからの方が良いのである。不手際を突いて色々と引き出すことも可能であろうが、これからは“ご近所”なのだ。有事の際に協力し合うことを思えば、軋轢は少ない方が良いのである」
「そんなもんですか……それならひとまず様子見ですね」
“原因”がわかったため、改めて出方を見るということらしい。その結果によって行動を変えるのだろうが、アメンドーラ男爵領は支援を受けている側である。抗議するとしても丁度良い按配にしなければならないのだろう。
「どう転ぶかわからんがな。ところで、エリザ嬢達はどうしたのだ?」
「エリザが体調を崩したみたいでして……他の皆はその看病ですね」
レウルスがそう言うと、コルラードは眉を寄せた。
「む、それはいかんな。怪我ならば魔法薬があるし、吾輩も簡単な治療はできるが……あとは症状に応じて薬を飲ませるぐらいであるな。胃薬なら何種類か持ち合わせているが……」
「……熱が出ただけかもしれないんで、ひとまず今夜は様子を見てみようと思います。胃薬はコルラードさんが持っていてください」
コルラードの申し出をありがたく思いつつも、レウルスはそっと目を逸らしたのだった。
そしてその日の晩。
レウルスは自室で寝台に寝転がって天井を見上げていた。前世のように電灯があるわけでもなく、蝋燭などの明かりに頼る今世では眠りにつく時間も早い。
スペランツァの町では資材が不足しているため、夜更かしをする余裕はないのだ。明かりを生む魔法具も存在するが、スペランツァの町では今のところ入手困難である。
部屋の木窓も閉めているため月明かりが入ってくることもない。満月まではまだ数日あるが、月の光の明るさというのも馬鹿にはできないのだ。
それでも暗闇に目が慣れてきたレウルスは、ぼんやりと天井を眺めていた。
コルラードに報告をしてから帰宅してみると、風呂に入ったエリザは部屋に引っ込んでおり、眠りについていたのだ。
疲れていたのか何かの病気なのか、医学の心得がないレウルスではいまいち判断がつかない。それでも病気でなければ眠れば大抵のことはどうにかなるか、と考えながらレウルスは目を閉じる。
(明日エリザの様子を確認して、体調が悪化してたらコルラードさんから胃薬……じゃない、魔法薬をもらうか。もしくは全力でラヴァル廃棄街に戻って、ジルバさんかエステルさんに来てもらうとか……)
治癒魔法の使い手であり、様々な知識を持つジルバやエステルの手を借りるべきかもしれない。そんなことを考えながらレウルスはゆっくりと眠りに落ちていき。
――ギシリ、と木の軋む音が耳に届いた。
(……ん?)
寝台が軋む音かと思ったレウルスだったが、“その音”は一定間隔で響く。音の出処は二階で、誰かが歩いているようだ。
新築とはいえ木造のため、人が歩くと木材が軋む音がしてもおかしくはない。しかし既にサラ達も自室に戻って眠りについている時間帯で、レウルスは閉じていた目を僅かに開けた。
日中は建設で騒がしいスペランツァの町だが、夜になると静かなものである。魔物が襲ってくることもなくなり、不寝番以外の作業者は全員眠りについているのだからそれも当然だろう。
そんな静寂の中、ギシ、ギシ、という足音はよく響く。その足音は移動したかと思うと、今度は階段を下りる音が聞こえ始めた。
(トイレか?)
自宅の中にトイレを設置してもらったため、外に出る必要がなくて楽である。そんなことを考えながら徐々に眠気を覚えるレウルスだったが、階段を下りた足音はトイレではなく、レウルスの自室へと近づいてくる。
(……なんだ?)
自室の前で足音が止まった。
そして、僅かな間を置いてから、キィ、と音を立てながら扉が開かれる。
――そこには、瞳を赤く輝かせたエリザが立っていた。




