第383話:定期報告 その1
行き道は荷物や作業者の存在もあって五日かかった道程だが、ラヴァル廃棄街へ向かったレウルス達はその道程を二日で走破した。最低限の食料や旅具を持ち、レウルスが“土産”を背負っての帰還だ。
およそ二ヶ月ぶりになるラヴァル廃棄街である。これまでも同等以上の期間離れたことがあったが、見慣れたその町並みを確認したレウルスは自然と『帰ってきた』と心中で呟いていた。
自分達の手で造っている途中の町も徐々に愛着が湧きつつあるが、やはりラヴァル廃棄街には及ばない。それでもいずれは逆転する日が来るのだろうか、などと思いながらレウルスはラヴァル廃棄街へと足を踏み入れる。
「ん? おお、レウルスじゃねえか!」
「エリザの嬢ちゃん達も帰ってきたのか! 久しぶりだなぁオイ!」
門番のトニーに挨拶をして足を踏み入れると、行き交う町の仲間達もレウルスの姿に気付いて駆け寄ってくる。
冒険者のみならず、老若男女問わず気軽に声をかけてくるのだ。レウルス達はそれに笑顔で答えつつ、まずは“仕事”を済ませるべく冒険者組合へと足を向けた。
ドミニクの料理店に顔を出して料理を味わいたいところだが、まずはコルラードから託された手紙をナタリアに渡す方が先決なのだ。
そうして町の住民達と言葉を交わしつつ進むことしばし。冒険者組合に到着したレウルス達は扉を開けて中に入る。
時刻は正午前で、冒険者組合の中には冒険者の姿はほとんどなかった。それは“普段通り”のことであり、レウルス達がいなくとも依頼を受け負って仕事に励んでいるのだろう。
だが、冒険者組合に足を踏み入れたレウルスは予期せぬものを目にすることとなる。
「…………」
その人物は、冒険者組合に入ってきたレウルス達を無言で見つめていた。
肩に届かないショートカットの赤髪に、可愛いというよりは美人寄りの顔立ち。歳の頃はレウルスと大して変わらないだろうが、その目付きは若干鋭い。
身長は百五十センチを僅かに超えるかどうかという小柄さで、侍女服で身を包んでいる。その服装だけを見れば侍女なのだろうが、ここは冒険者組合である。
貴族の邸宅ならばまだしも、冒険者組合に侍女がいるのはおかしなことだ。
(いや待て俺……姐さんは男爵になったんだし、場所はともかく侍女がいてもおかしくはない……んだが……)
レウルスは無言で見つめてくる侍女を、同じように無言で見つめ返した。その顔立ちは見覚えがあるものだったが、服装が“普段”と違い過ぎて脳が認識を拒んでいるのだ。
すると、その侍女らしき女性は僅かに頬を赤くしながら目を逸らす。
「……そんなに見つめられると、さすがに恥ずかしいな」
「あ、ああ……悪い、シャロン先輩」
侍女服に身を包んだ女性――シャロンに対し、レウルスは戸惑いを含んだ声を返した。すると、そんなレウルスとシャロンの言葉を聞いたエリザ達が目を見開く。
「しゃ、シャロン先輩!? え、な、なんじゃ!? なんじゃその格好!? いつもの装備はどうしたんじゃ!?」
「へー……うん、似合うじゃない! 普段の格好よりもそっちの方が良いわね!」
エリザは目を見開いて驚愕を露にするが、サラは驚いた様子もなく、むしろ服装を称賛していた。
「え……ええ? シャロンさん? どうしたの?」
「……?」
ミーアは驚愕とまではいかないが困惑したような声を漏らし、ネディはこれまでと全く異なる服装で身を包んだシャロンを不思議そうに見つめている。
エリザ達に共通して言えるのは、シャロンが侍女服を着ていることに関して特にツッコミが入らないということだ。どうやらエリザ達もシャロンが女性だと察していたらしい。
「というか服装もそうじゃがなんじゃソレは!? その……その……ぐ、っ、うぅ……」
レウルスを除くとシャロンとの付き合いが一番長いエリザは、シャロンを震える指でさしながらこれまた震えた呻き声を零した。
エリザの視線の先にあったのは、シャロンの一部――直截に言えば胸である。
以前見た時はなだらかとも言えない起伏しかなかったものの、侍女服に身を包んだ今では見事な起伏を描いていた。ネディには負けるものの、身長の低さに反して中々に大きい。おそらくはサラシなどで胸の起伏を隠していたのだろう。
エリザの指摘を受けたシャロンは、恥ずかしそうに胸部を腕で隠しながら体を捩る。羞恥で頬を赤らめるその姿は、どこをどう見ても年頃の女性にしか見えなかった。
「戻ってくるなり騒がしい子達ね」
シャロンを見ながら騒ぐエリザ達の姿に、受付に座って書類仕事をしていたナタリアが苦笑を浮かべながら声をかける。それを聞いたレウルスは懐からコルラードの手紙を取り出しつつ、苦笑を返した。
「そりゃ驚きもするさ……と、久しぶりだな姐さん。これ、コルラードさんからの手紙」
「はい、たしかに……その割にあなたは驚いていないようだけど?」
レウルスが差し出した手紙を受け取ったナタリアは、小さく笑いながらからかうように指摘する。レウルスは肩を竦めると、苦笑を深めながら答えた。
「十分驚いてるって……でもまぁ、シャロン先輩が女の子だってのは最初からわかってたしな」
「……えっ?」
レウルスの言葉に反応したのは、当の本人であるシャロンである。レウルスに対して信じ難いものを見たような目を向けた。
「最初……から?」
「最初から」
「最初って……いつ?」
「本当に最初だって……具体的に言うと、初めて見た時に気付いてたよ。あ、この子、女の子だって」
レウルスが素直に答えるとシャロンは目を見開き、ナタリアは何故か密かに噴き出した。
「ボクがお風呂を借りに行った時じゃなく? その時に兄さんから聞いたんじゃ……」
「そういやそんなこともあったな……ニコラ先輩にも言ったけど、なんで気付かれないと思ったんだ? いくらなんでも中性的っていうには美人過ぎるし、無理があるだろ」
シャロンには悪いと思ったものの、レウルスは正直に答える。すると、シャロンは頬の赤みを少しだけ増しながらも凹んだように目を伏せた。
「……もしかして、ボクのこの格好を見た冒険者の皆がやけに生暖かい目で見たのって……」
(あ、やっぱり他のみんなも気付いていて触れなかったのか……)
レウルスが以前推測した通り、他の冒険者達も気付いていながら触れなかったらしい。中には本当に気付いていなかった者もいるだろうが、その割合は少ないのではないか。
「というか先輩、その格好はどうしたんだ? 冒険者から転職して姐さんの秘書でも始めたのか?」
シャロンが女性だったことに関しては今更だったため、レウルスは服装に関して問う。すると、シャロンではなくナタリアが答えた。
「将来に向けて教育中なのよ。ほら、戦力に関してはあなた達もいるしコルラードもいるけど、執事や侍女がゼロというのもね……」
「シャロン先輩なら魔法使いだし、戦力として数えた方が良さそうだけど……“それで良い”のか?」
グリマール侯爵家との兼ね合いは問題ないのかとレウルスは首を傾げるものの、ナタリアは何故か苦笑いをした。
「戦力としてもアテにしているけど、多少とはいえ“下地”があるから侍女として働いてくれると助かるのよ。こういった補助はコルラードもできるけど、まさかコルラードに侍女服を着せて傍に置くわけにもいかないしね」
「そこは侍女服じゃなくて執事服で良いんじゃねえかなぁ……」
新たに男爵となったナタリアだが、その家中の人材は武力に偏っていると言わざるを得ない。
ナタリアやコルラードは戦いと政治のどちらも“いける”が、それ以外となると非常に偏っている。
レウルスもサラもミーアもネディも、町の冒険者達も、現在新たに町を建設しているドワーフ達も、戦いにしか向いていない。
例外を挙げるとすればエリザだろうが、レウルスと共に行動する以上、ナタリアの傍に侍るわけにもいかないのだ。
その点、シャロンならばラヴァル廃棄街の冒険者の中でも頭一つ抜けた実力者であり、優れた氷魔法の使い手であり、生まれもグリマール侯爵の血を引いている。
侍女としてどれほどの適性を持つかわからないが、ナタリアが傍に置いてみようと考えるのも理解できた。
――適性が判明するまで、“普段通り”の服装でも良いとは思うが。
「……ボクとしては、恥ずかしい」
そう言ってシャロンは恥じらいを含んだ表情を見せる。普段はあまり顔色が変わらないシャロンだが、一見しただけでわかるぐらいには顔が赤くなっていた。
「シャロン? またボクって言ってるわよ?」
「あ……申し訳ございません、ナタリア様。わたしですね、わたし……」
侍女としての口調を意識したのか、普段と違って声色も柔らかく聞こえる。視覚的な効果もあるのだろうが、レウルス達にとってシャロンの侍女服姿は大きなインパクトがあった。
(ニコラ先輩とか、どんな反応を見せたんだろうな……)
シャロンは俺の弟だ、と紹介していたものの、周囲には気付かれていた可能性が高いニコラの顔を思い浮かべる。しかし今はシャロンの“変貌”よりも、建設途中の町に関する話の方が重要だとレウルスは判断した。
コルラードやドワーフ達がいるとはいえ、強力な魔物が出る可能性を考えると不安になるのだ。
そんなレウルスの心情を見抜いたのか、ナタリアも笑みを引っ込めてレウルスが渡した手紙を開封していく。
そして素早く目を通し――己が目を疑うようにもう一度文頭から時間をかけて読み始めた。
「……レウルス」
素早く一度読み、時間をかけてもう一度読み、それでももう一度だけ文頭から読み直し、三回も手紙の内容を確認したナタリアは、絞り出すようにしてレウルスの名前を呼んだ。
「町の周囲を囲うように空堀と土壁を設置済み……これは間違いない?」
「ああ。最初に深さと幅が一メートル……じゃない、一メルトの堀を造って、その土で壁を造ってたよ。今はそれを拡大中で、大体深さ二メルトに幅が三メルト、土壁は厚さと高さが二メルトずつって感じか?」
「……家も既に四十軒近く建っている?」
「土壁に木の屋根を被せただけだけどな。あと、姐さんの家を建てる予定地が軽く砦っぽくなってるぐらいか」
建設途中の町を出発して二日経っているため、既にレウルスの記憶にある町並みから大きく変わっている可能性もある。
「領地に入ってから何百匹も魔物を倒して、先日はグリフォンを含む多くの群れを仕留めた……これも間違いない?」
「全部で五百……いや、もっとかな? あ、これ土産な」
そう言ってレウルスは背負っていた“土産”をナタリアに見せた。
「進捗が気になっていたし、報告は助かるのだけど……その背中の物体がお土産なの?」
「おう、土産のグリフォンの肉。今しがた話に出たやつな」
ネディが凍らせ、剥いだ毛皮で包んだグリフォンの肉である。現地には商店もないため、土産と呼べる物は自分で入手するしかないのだ。
「姐さんにもわかりやすいよう例えるなら、鶏肉と角兎の肉の中間みたいな感じでな……ちょいと淡白だけど、けっこう美味いんだ。あとでおやっさんのところに持ち込むけど、姐さんが食べる分は切り分けとくよ」
もう少し気の利いた土産があれば良いが、魔物の素材はその多くが資材の取引に使用しているのだ。そのためグリフォンの肉という、希少性はあっても色気もへったくれもないものが土産になったのである。
だが、レウルスの発言を聞いたナタリアは何故か目を見開いた。
「あなたが……お土産とはいえお肉を譲る? 現地で一体何があったの?」
「その反応はさすがに酷いと思うんだ……」
真剣に心配するナタリアに対し、レウルスは少しだけ傷ついた様子でツッコミを入れるのだった。