第380話:乱戦 その1
木に登ったレルウスが遠目に確認できたのは、岩山の周囲に広がる森の上空を飛び回るグリフォンの姿である。
それも、縄張りを見て回るために飛び回っているのではなく、何かと戦っているらしい。時折森に向かって急降下する個体やその場で翼を羽ばたかせ、眼下の森に向かって何か――おそらくは風魔法を撃ち込む個体など、攻撃方法に差異はあれど戦闘状態に入っていることが窺えた。
そうして観察していると遠くから咆哮が聞こえ、空に向かっていくつもの火球が放たれる。それは空を飛んでいるグリフォンを狙ったものだろうが、狙われたグリフォンは悠々と回避し、お返しと言わんばかりに地上目掛けて風魔法を撃ち込んでいる。
(あれは……他の魔物と争ってるのか? 火炎魔法ってことはあの熊が相手みたいだけど……)
木々が邪魔しているため相手の姿は見えず、なおかつグリフォンが放つ風魔法も目視はできないが、地上から空へ、空から地上へと魔法を撃ち合っているようだ。
それ以外にも時折森の中から魔物の悲鳴と思しき声が聞こえるが、おそらくはグリフォンに狙われた魔物が上げたものだろう。
町の周囲から逃げ出した魔物の一部がグリフォンの縄張りに足を踏み入れ、それに気付いたグリフォンが排除しようと暴れているのではないか。
化け熊のように属性魔法を扱うことができ、なおかつ中級に属するような魔物ならば抗戦も可能だろうが、下級の魔物では一方的に狩られるだけで終わりそうだ。
レウルスが冒険者になって二年近く経つが、魔物同士で争っているところはあまり見たことがない。コリボーと呼ばれる巨大ミミズに襲われたドワーフ達が応戦しているところは見たことがあるが、こうして複数種類の魔物が争っているのは初めて見た。
レウルスがラヴァル廃棄街に来た当初、キマイラの出現に怯えた下級の魔物が大量に移動してきたように、強い魔物がいれば逃げ出すなり縄張りを変えるなりするのが自然だろう。
グリフォンと争っている魔物達からすれば、現在建設中の町の周囲よりもグリフォンの縄張りの方が“安全”だと思ったのか、あるいはそんなことを考える暇もなくグリフォンの縄張りまで逃げてきてしまったのか。
もっとも、疑問には思っても斟酌するつもりはないが。
(んー……前みたいに岩山の周囲にグリフォンは……いない、か?)
レウルスは目を凝らして岩山を見るが、以前のようにグリフォンが群れを成しているようには見えない。むしろ一匹も姿が見えず、“出払っている”ように見えた。
縄張りの中に何十匹もの魔物が踏み込んできたのならば、迎撃するのも当然だろう。しかし、レウルスがキマイラと戦って一日経っているにも関わらず戦いが終わっていないということは、グリフォン達も苦戦しているのかもしれない。
(というか、グリフォンの数が減ってるような……半分……いや、もっと少ないか?)
そして、その理由はすぐに理解できた。レウルスの目についた範囲ではあるが、初めてグリフォンの群れを見つけた時と比べてその数が大きく減っているのである。
他の魔物と戦ったことで数を減らしたのか、あるいは逃げ出したのか。正確な理由まではわからないが、二十匹前後いたはずのグリフォンが半数以上姿を消しているのである。
森の上を飛び回り、中には森に急降下している個体もいるため詳細な数は不明だが、多くても十匹を下回っているように見えた。
(これはチャンス……か? 一度町に戻ってドワーフの皆を連れてくるか、それともこのまま攻め込むか……っ!?)
グリフォンが数を減らしているのならば、余裕を持って対処できるかもしれない。
そう考えたレウルスだったが、遠くに見えていたグリフォンと目が合った――そんな気がした。
彼我の距離は数百メートルといったところで、レウルスは足場にしている木の葉っぱがその身を隠し、目視し辛くなっているはずだ。
しかしグリフォンが向きを変え、自身目掛けて翼を羽ばたかせたのを見たレウルスはすぐさま木の枝から飛び降りた。
そうして地面に向かって落下するレウルスの頭上に、魔力が迫る。そしてレウルスがそれまで立っていた木の枝が不可視の刃によって斬り砕かれ、轟音と共に周囲の葉ごと吹き飛んだ。
「な、なんじゃ!?」
「すまん、グリフォンに見つかった! どうやら向こうは視力も良いみたいだ!」
少なくとも自身を発見したグリフォンは仕留めなければならないだろう。相手は空を飛んでいるため、この場から撤退しても容易く追いつかれてしまうのだ。
『クゥェエエエエエエエエエエェェッ!』
突然飛び降りてきたことで驚いたエリザに対してレウルスが説明するものの、それを遮るように甲高い鳴き声が頭上から響く。
その鳴き声に反応して見上げてみると、三メートル近い体長を持つグリフォンが隼のような速度で森の上を通過していった。
近くで見ると、やはり中々に大きい。キマイラに似た下半身は獅子のようにがっしりとしており、それでいて猛禽類のような上半身は頑丈そうな羽根で覆われている。二本の前肢は翼竜のようにごつごつと筋肉で発達しており、なおかつ鱗で覆われていた。
どうやらレウルスを仕留めたか確認するために飛んできたらしい。しかもその場でホバリングせず、レウルスが陣取っていた木の上空を通過しながら横目で確認するような慎重さも併せ持っているようだ。
(一匹ならどうとでも“料理できる”だろうけど、どうしたもんか……)
相手は空を飛んでいるが、レウルスの傍にはエリザやサラ、ネディといった属性魔法による遠距離攻撃が可能な仲間が複数いる。周囲や頭上の木々が邪魔だが、レウルスも魔力の刃を放って遠距離から攻撃を仕掛けることが可能だ。
また、グリフォンが突っ込んできた時に備えて前衛要員であるミーアも一緒に行動している。上空を通過するほんの僅かな時間だが、グリフォンから感じ取れた魔力の大きさも警戒に値するものではない。
真っ向からぶつかれば仕留めるのも容易だろうが――。
(飛んでるってのが厄介だな……ヴァーニルみたいに何百、何千メートルって離れたところから魔法を纏って突っ込んでくるような規格外じゃないみたいけど……)
やはり、相手が空を飛んでいるというのは非常に戦い難い。ヴァーニルとの戦闘経験があるため困惑も驚きもしないが、自由自在に空を飛べるというのはそれだけで大きな強みだろう。
だが、悩んでいる暇もない。グリフォンに捕捉された以上、戦うしかない。
「グリフォンと他の魔物が争ってるみたいでな……グリフォンの数も減ってるみたいだし、好機だ。各個撃破していくぞ」
町に戻って応援を呼ぶよりも、このまま戦った方が早い。そう考えたレウルスは己の知覚範囲にグリフォンの魔力が入ってきた瞬間、覚えたての『強化』を使って地面を蹴った。
一度の跳躍で五メートル近く跳び上がり、木の幹を蹴りつけて更に跳躍。グリフォンの魔力の動きに合わせて最後にもう一度だけ木の幹を蹴りつけて方向を修正し、視界を遮る枝葉を突き破ってグリフォンの眼前へと躍り出た。
その手には、『首狩り』の剣が握られている。
『ッ!?』
そんなレウルスの行動に驚いたのか、グリフォンは嘴の奥から引きつったような声を漏らした。それでもレウルスが『首狩り』の剣を握っていることを目視し、即座に回避行動を取る。
翼の動きを変化させ、ぐるり、とグリフォンが回転する。レウルスの真横をすり抜けるように旋転する空中機動だ。
さすがに手が届くような距離でいきなり風魔法を発現させるのは不可能だったのだろう。それでも瞬時に判断して回避行動を取ったグリフォンの動きは、中級の魔物に相応しいものだった。
「――悪いな」
それでも、かつてヴァーニルに似たようなことをされたレウルスには通用しない。
衝突を回避したグリフォンを追うようにしてレウルスは剣を振るった。刃が直接届くことはないが、『首狩り』の剣から放った魔力の刃がグリフォンの翼を両断する。
翼を切り離されたグリフォンは飛んでいた勢いもそのままに落下していく。突然翼を失えばそれも仕方がないことだろう。
『ケエエエエエエエエエエエエエエエエェェェッ!』
しかし、グリフォンは落下している最中にも関わらず周囲一帯に響き渡るような鳴き声を上げた。
翼を切断された痛みによるものかとレウルスは思ったが、重力に引かれて落下しながらも視界の端で森からグリフォンが飛び立つのが見えた。
すぐに周囲の枝葉によって見えなくなるが、今しがた翼を斬ったグリフォンが助けを求めたのかもしれない。あるいは、逃げるように促したのか。
魔力の刃を放った際に解けてしまった『強化』を再び使いながら、レウルスは地面に着地する。非常に重苦しい音と共に地面が陥没して足が脛近くまで埋まったが、レウルスは気にすることなく地面から足を引き抜いた。
(やっぱり複雑な動きをすると『強化』が解けるな……この辺りは課題か)
『強化』を“使う”こと自体はできるが、実戦に耐え得るほど自在に操れるわけではない。そのためレウルスは要練習だな、と思いながらも落下したグリフォンへと視線を向けた。
翼を斬ったからか、落下した衝撃が大きかったからか、木々を圧し折りながら地面に叩き付けられたグリフォンは体を起こすこともできずにいた。
それでも風魔法を使うことはできるだろう、と判断したレウルスは武器を『龍斬』に持ち替えて一直線に飛び込んでいく。
「オオオオオオオォッ!」
踏み込み、大剣を振り下ろす。その一撃はさながらギロチンの如くグリフォンの首を刎ね飛ばした。
(……あれ?)
もっと激しい抵抗に遭うと思っていたレウルスは、拍子抜けするように内心だけで呟く。同じ中級の魔物でも、相手がキマイラならばここからが本番で油断ができないと考えていたのだ。
(そこまで打たれ強くなかったのか? 風魔法は使えるけど耐久力が低い、みたいな感じか……)
一匹仕留めただけでは断定できないが、思ったよりも楽に片付くかもしれない。そう思ったレウルスは『龍斬』を振るって付着した血を飛ばしていると、不意にサラが声を上げた。
「……あれ? えっと……レウルス? なんかね、周囲の熱源がこっちに向かってきてるっぽいんだけど……」
「…………」
思わぬサラの発言に、レウルスは背中に仕舞いかけた『龍斬』を再び構え直すのだった。