第373話:それは異常か正常か その2
飛び掛かってきたエリザを抱き留め、そのまま横抱きへと移行したレウルスは、エリザが再び顔を赤くして沈黙したのを確認してから床へ下ろす。
そして手早く防具を身に着け、『龍斬』を背負い、『首狩り』の剣を腰に差し、短剣を腰裏に固定してから家を出た。エリザも着替える必要があるため、一足先に出ることにしたのである。
(夜が明けてる……昨日は晩飯を食ってる最中に眠っちまったから、十二時間近く寝てたのか?)
レウルスは山際から顔を覗かせている太陽に気付いて目を細めると、周囲を見回した。
寝ている間に魔物が襲ってきた形跡もなく、どこか安穏とした空気が漂っている。作業者達の多くも眠りについているのか、警戒のために不寝番を務めている者以外姿が見えなかった。
そして、周囲を警戒していた者の中でも真っ先にレウルスに気付いた者がいた。
「っ! レウルスー!」
それはサラで、レウルスの姿に気付くと一直線に駆け寄り、飛びつくようにして抱き着く。
「やーっと起きたのね! おはよっ!」
「ああ、おはようサラ」
防具を着込んでいるため、そのまま抱き着かれるとサラが怪我をする可能性がある。そのためレウルスはサラを優しく抱き留めると、その頭を優しく撫でた。
外見はエリザに似ているものの、色が異なるサラの髪。赤い真っすぐな長髪はサラサラで、精霊だからなのか傷んだ様子もなく非常に手触りが良かった。
(サラもエリザと同じぐらい身長が伸びてるんだが……うん、サラはサラだな)
元気いっぱいと言わんばかりの様子で飛び込んできたサラ。エリザに対しては色々と違和感を覚えたが、レウルスがサラに対して覚えたのは妙な安心感である。
それでも優しくサラの頭を撫でていると、サラは鎧越しに抱き着いたまま不思議そうな顔でレウルスを見上げた。
「あれー……レウルスってば、何か変わった?」
「ん? なんでだ?」
「頭の撫で方がいつもより優しい……ような?」
そう言って首を傾げるサラだが、レウルスとしては違いがよくわからない。
そうやってサラと話していると、サラを追いかけるようにしてミーアとネディも駆け寄ってきた。
「おはよう、レウルス君。昨日はいきなり眠っちゃったから驚いたよ……あ、レウルス君が眠ってる間はボク達が見張りをしておいたから安心してね?」
「悪いなミーア。どうにも睡魔に勝てなくて……ん?」
レウルスが眠ってしまったため、不寝番を代わりに務めていたのだろう。愛用の鎚を背負うミーアの姿に、レウルスは僅かな違和感を覚えた。
エリザやサラのように身長が伸びていることに気付いたわけではない。ミーアは元々小柄なドワーフという種族の中では背が高いが、さすがにこれ以上の“伸びしろ”はないのかレウルスからすれば小さいままだ。
「魔物も寄ってこなかったし、全然大丈夫だったよ。あれ? ところでエリザちゃんは? レウルス君が起きた時に誰もいないと困ると思って、一緒にいたと思うんだけど……って、な、なに?」
思わずミーアをじっと見つめるレウルスと、そんなレウルスの視線にたじろぐミーア。
こげ茶色でくせっ毛の髪は、初めて会った時と比べて伸びている。髪型は肩に届かない長さのショートカットでくせっ毛の影響もあってかなり短く見えていたはずが、今では肩に触れるほどの長さになっていた。
ミーアとは出会って一年程度の付き合いだが、顔立ちもやや大人びたように思える。以前は可愛らしさとボーイッシュさが同居していたような印象だったが、今では健康的な美人へと変わりつつあった。
(可愛らしくなったもんだ……ってだから何かおかしいな)
レウルスは自分の頭を拳で数回殴ってみるが、ミーアへの印象は変わらない。しかしミーアからすれば突如として自分の頭を殴り始めたレウルスに、心配と驚きの感情が湧いた。
「え、えっと……大丈夫? もしかしてまだ疲れてたり……」
「いや、大丈夫だ。ぐっすり眠ったし、ミーアの可愛い顔を見たら元気が出てきたよ」
「そうなんだ……えっ?」
「…………」
レウルスは無言でもう一度だけ自分の頭を殴った。そして頭を数回振ると、視線を逸らす。
「まだ寝惚けてるのかもしれねえ……目が覚めてからどうにも口が軽くて敵わん」
「そ、そうなんだ……」
どうにも感覚の整合性が取れていない気がしてならない。レウルスは気を引き締めると、今度はネディに視線を向けた。
「ネディも俺が眠っている間に頑張ってくれたんだな。ごめん……いや、ありがとう」
ネディにも迷惑をかけてしまったため、レウルスは謝罪と共に感謝の言葉を伝える。するとネディは気にするなと言わんばかりに頷き――その首が傾げられた。
「…………?」
「ネディ?」
一体何の意味があるのか、レウルスを中心にしてぐるぐると歩き回るネディ。不思議そうに首を傾げているが、レウルスからすればその行いにこそ首を傾げてしまう。
「いきなり眠ったと聞いて驚いたのである……体調は大丈夫であるか?」
そうしてネディの行動を不思議に思っていたレウルスだったが、今度はコルラードが近づいてきたためそちらへと視線を向けた。
コルラードも不寝番をしていたのか、その顔には疲労の色がある。それでもレウルスの体調を気遣う言葉に、レウルスは頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。体調は大丈夫……というか、むしろ絶好調ですよ」
レウルスは頭を下げながらそう言うが、コルラードから返ってきたのは疑わしげな視線だった。
「……本当であるか?」
「え? ええ……ぐっすりと眠って体の調子が良いのは本当ですけど……何か?」
体調が良いというのは本当である。『熱量解放』を使った時ほどではないが、体中に力が満ち溢れているようだ。今ならば例えグリフォンの群れが襲ってこようとも、どうにかできそうな気さえした。
「いや、それならば何故そこまで魔力を剥き出しにしているのか疑問に思ってだな……レウルスよ、貴様そこまで巨大な魔力を持っていたのであるか?」
心配というよりも、訝しげな様子で眉を寄せるコルラード。そんなコルラードの言葉を聞いたレウルスは思わず目を丸くしてしまった。
「特に何かしているわけでもないんですが……魔力が剥き出しになっているんですか?」
「うむ……貴様が『強化』らしき魔法を使う時と比べれば弱いが、それでも大した魔力量である。吾輩としては近付いて良いものか悩むほどだが……」
そう言われ、レウルスは自身の体を見下ろす。『熱量解放』を使っているわけでもなく、自然体のつもりだったが、コルラードからすると疑問に思うほど魔力を感じるらしい。
「魔力は……かなり多い気がしますね。細かいところまではわかりませんけど、“全力”もかなりの時間動けそうです」
「ふーむ……『魔計石』があればある程度は測れるのだが……」
「あ、俺持ってますよ。ちょっと取ってきますね」
そう断り、レウルスは先ほどまで眠っていた家屋へと駆け戻る。準備を整えたエリザが驚いたような視線を向けてきたが、それに手を振ってからレウルスは部屋の隅に視線を向けた。
そして迷うことなく旅の荷物の中から『魔計石』を取り出す。以前ナタリアから贈られたもので、大まかにだが魔力を測ることができるため重宝しているのだ。
「……あれ?」
徐々に色を変えていく『魔計石』だが、最後に染まった色を見てレウルスは首を傾げた。
魔力の量に応じて紫、藍、青、緑、黄、橙、赤と変化し、色が変わるには倍の魔力が必要と言われているのが『魔計石』である。もちろんこの七色だけでなく、色の濃淡である程度魔力量を推察することができるのだが――。
(これは……橙色?)
今まで見たことがない色である。これまでは魔力が溜まっていても緑から黄色の間ぐらいだったが、黄色を飛び越えてしまっている。
(えっと……色が変わると魔力が倍々に増えていくから……橙色で三十二だよな。多少誤差があるとしても……)
誤差を考慮したとしても、三十前後といったところだろうか。しかもこの数字は“普通の魔法使い”三十人分のため、莫大な魔力量ともいえる。
レウルスは『魔計石』を握ったままでコルラードのもとへ戻ると、『魔計石』を突き出して見せた。
「とりあえずこんな感じなんですが……」
「…………」
無言のまま、コルラードの左手が胃の辺りに添えられた。それでも右手を突き出し、レウルスから『魔計石』を奪い取る。
「壊れては……いない、のであるな……」
そして薄い藍色に染まった『魔計石』を見て、絞り出すように声を漏らした。
(紫色と藍色の中間ってところか……コルラードさんの魔力量は“普通”を十としたら十五ぐらいか? 魔力が特別多いってわけじゃないのに、コルラードさんはあんなに強いのか……技術ってすごいな)
『魔計石』の色を確認しながらそんなことを考えるレウルスだが、コルラードは信じ難い生き物でも見るようにレウルスを見た。
「なる、ほど……これはたしかに、隊長も重用するわけである……な……」
そう言って『魔計石』をレウルスに返したかと思うと、コルラードはフラフラとした足取りで歩き出す。
「ちょ、コルラードさん?」
「吾輩、疲れたのである……昼まで寝るから、適当に起こしてほしいのである……」
不寝番をしていたというのもあるだろうが、コルラードは心底から疲れたように言う。その様子に何も言えないレウルスは、黙ってその背中を見送るのだった。
コルラードの背中を見送ったレウルスは、当初の目的だった朝食を取る。
餓えるほどではないがグーグーと鳴く腹の虫を静めるべく、サラに頼んで魔物の肉を焼いてもらったのだ。
(うん、ちゃんと食えるし美味い……美味いんだが……)
好みの加減に焼かれた魔物の肉を齧るレウルスだったが、骨付き肉を五本ほど食べ終えると徐々にそのペースが落ちていく。
満腹感が邪魔をして、それまでのペースを維持して食べることができないのだ。食べること自体はできるが、無理矢理押し込んで無理矢理消化しているような感覚があった。
(ぐうぅ……いくらでも食べられる気もするけど、純粋に辛い……食べ物があるのに……)
胃袋はいっぱいだというのに、詰め込めば詰め込んだ分だけ入っていきそうだ。“満腹なのに食べられる”という未知の感覚に、レウルスは激しく戸惑う。
(これって食べ続けて本当に大丈夫か? 食べ過ぎで内側から破裂したりしないよな……)
腹が減ったから、料理が美味しいから――そんな理由ではなく、最早惰性で魔物の肉を飲み込んでいくレウルス。
満腹感を覚えるまでに食べた骨付き肉五本でさえ、エリザやミーアからすれば一本あれば腹がいっぱいになる量である。しかし、“以前”のレウルスならばぺろりと平らげられる量だった。
そうして骨付き肉を十本ほど食べたところで、とうとうレウルスの手が止まる。普段と比べれば半分にも満たない食事量に、せっせと肉を焼いていたサラが衝撃を受けたように声を震わせた。
「れ、レウルス? どうしちゃったの? まだいつもの半分ぐらいよ? も、もしかして……わたしの焼いたお肉に飽きちゃったの?」
「……いや、腹がいっぱいになってな。サラの焼いた肉は相変わらず最高だから気にしないでくれ」
食べることが辛い――そう思ったことなど、今の体に生まれて初めてのことだった。
ただし、辛くても食べようと思えばいくらでも食べられそうな気もするため、慣れの問題かもしれないが。
(眠くは……ならないか。昨晩は疲れが出たのかな……ん?)
自身の体調を確認するレウルスだった、特に眠いということもない。だが、これまではあまり感じることがなかった“とある感覚”に眉を寄せた。
(俺の魔力が抜けて……いや、流れてる? この感覚は……)
意識を集中せずとも感じ取れる魔力の流れ。
それに気付いたレウルスの視線の先には、エリザとサラの二人がいたのだった。




