第371話:■■■■■■■■■■
ディエゴ達が運んできた物は、他の隊商などが運んできた物と同様に資材と食料が大半を占めていた。
アメンドーラ男爵領の近くに位置する領地で購入したのか、それともヴェルグ伯爵家の領地から運んできたのかは不明だが、様々な資材が積まれた大型の荷車を十台も使用した大規模な輸送だった。
当然随行する人員も多く、荷車を曳く馬も多くなったのだが、それを成せるのはヴェルグ伯爵家が豊かな証拠だろう。あるいは、そこまでするだけの“価値”をアメンドーラ男爵領に見出しているのか。
荷車に積まれている資材はその多くが木材で、次に多いのが食料、その他には少量ながら鉄材や煉瓦などが見て取れた。中には封がされた壺なども存在するが、おそらくは塩や香辛料などだろう。
「こちらが今回運んできた資材の目録になります」
「感謝いたします」
相手が知り合いとはいえ準男爵と騎士という公的な立場があるからか、コルラードもディエゴも他人行儀なやり取りを行う。しかし目録の受け渡しが済むと、両者とも雰囲気を和らげた。
「しかし本当に驚きました。作業に着手したのが一ヶ月ほど前だと聞いていましたが、まさかここまで形になっているとは……これもコルラード殿の手腕によるものでしょうか?」
「ハハハ……吾輩がしたことなど大したことはないのである。いやもう、本当に……」
首を傾げながら尋ねるディエゴに対し、コルラードは乾いた笑いを漏らす。それでもディエゴ達が運んできてくれた資材をそのままにはできないからと、カルヴァン達に頼んで荷車から下ろし始めた。
カルヴァンを筆頭に、運ばれてきた木材を嬉々として移動させ始める。ドワーフの作業速度を考えると、下手すれば三日と経たない内に全ての木材が建材として消えるかもしれない。
そのためコルラードの笑い声にも自棄になったような響きが滲んでしまうのだが、ディエゴはそれを別の意味に受け取った。
「建設に必要になると思い、資材は木材を多めに持ってきたのですが……他の物を選べば良かったですね。やはり現地の状況がわからないと判断が難しいものです」
そう言いながらディエゴが向けた視線の先。そこには周囲の森で伐採した木が山と積まれていた。
なるべく真っすぐに伸びていた建材として使用できそうな木を選別し、枝を落とし、樹皮を剥ぎ、町の中に運んで乾燥させている最中である。
カルヴァン曰く、建材に使えそうな木の中でも乾燥が早そうなものだけを選別したらしいが、ドワーフ達の手によって既に百本近い丸太が用意されていた。
随時木材として加工しつつ乾燥させていくらしいが、建材として使用するにはもうしばらく時間がかかるらしい。
なお、周囲の森には切り倒したままの木も大量に転がっている。これは自然に乾燥させるためらしいが、レウルスも詳しいことは聞いていなかった。
他にも建材には使用できずとも薪や家具の材料に使えそうな木を伐採し、乾燥させている。これらの木々が建材として使えるようになれば、建てられる家の数も一気に増えるだろう。
町と森が近いと魔物の襲撃が頻発する可能性もあるため、町の周囲に存在する木々は可能な限り伐採を進めている。その量は非常に多いが、町を造るとなると心許ないためいずれは伐採の範囲を広げることとなるだろう。
だが、それは未来の話であって今の話ではない。少しだけ落ち込んだ様子のディエゴに気付き、レウルスは資材の目録を見ながら口を開く。
「ところで、支払いはどうします? 姐さん……じゃない、アメンドーラ男爵から預かっている金もあるんですが、この土地で獲れた魔物の素材も色々とありますよ?」
「吾輩としては魔物の素材で済むのならそちらの方がありがたいのである。なにせ元手がかかっておらぬ故な!」
冗談なのか本気なのか、レウルスの言葉を聞いたコルラードはすぐさまそれに乗る。ナタリアから預かっている金銭は豊富だが、使わずに済むのならそれに越したことはないのだ。
ひとまずディエゴを砦の内部――その中でも魔物の素材を置いている一角へと案内する。
簡易ながら木材で骨組みを作り、雨で濡れないよう側面にも布を張ったテントのような場所である。そこにはところ狭しと魔物の素材が置かれており、それを見たディエゴは僅かに頬を引きつらせる。
「……たしかに魔物が多い土地だとは聞いていましたが、やけに素材が多くありませんか?」
角兎の毛皮や角、巨大カマキリの鎌、怪鳥の羽根、魔犬の毛皮や牙、化け熊の毛皮や手、薬になるという肝、黒蛇の革など、数々の素材がそこにはあった。
ただし肉はない。一部は作業者達の食事や保存食用の干し肉になるというのもあるが、それ以上にレウルスが片っ端から食べてしまうからだ。
毛皮や革に関してはドワーフ達が夜間の暇潰しに鞣しており、その全てが即座に売り物になるほどの質である。そのため、試しに角兎の毛皮を手に取ったディエゴは唸り声を上げた。
「しかもこれは見事な後処理で……大したものですな。しかし本当に多い……」
「これまでに資材を運んできてくれた人達との取引で減りましたし、これでも少なくなったんですよ? ここに到着するまでで五十匹以上仕留めましたし、ここで作業をするようになってからはもっと仕留めましたからね。えーっと……二百……三百匹ぐらい?」
その多くが下級の魔物だが、中には中級の魔物も含まれている。化け熊に黒蛇と二種類だけだが、両方とも素材がそれなりに高く売れるのだ。
一番弱い魔物である角兎でさえ角や毛皮がそれなりに良い値段になる。化け熊や黒蛇などはその巨体さもあり、取れる素材の量も多いため高値で売れる。
(生態系とか大丈夫かってぐらい仕留めてるけど、一ヶ月で三百匹……一日に十匹前後って考えるとそれほど多くないように感じるよな……弱い魔物はグリフォンの縄張りになっている岩山周辺には棲み付かないだろうし、こっちまで逃げてきたんだろうか……)
レウルス達が町の周辺で魔物を狩ったことにより、他の場所から新たな縄張りを求めて魔物が移動してきた可能性もある。町造りを進めるには迷惑な話だが、こうして資材の代金として取引の材料になるため一長一短といえた。
「おお、これはテンペルスの革ですか……しかも質が良い……ルイス様は資材の代金は“安値”で構わないと仰っていましたが、どうしたものか……」
どうやら取引に関しては一任されているらしく、ディエゴは悩ましげな声を漏らす。
「……コルラードさん、こちらから言っておいて失礼な話だと思いますけど、魔物の素材で支払って本当に大丈夫ですか? コルラードさんも言ってましたけど、元手はゼロですよ?」
レウルスは声を潜め、コルラードに話を振る。魔物と戦う際に危険を冒してはいるが、遠方から時間をかけて運んできた資材を無料の素材と交換するのは気が咎めたのだ。
すると、コルラードはレウルスにジト目を向ける。
「言いたいことはわかるが、それで取引が成り立つのならば構わんであろう? それに元手がかかっていないと言っても、相手は中級の魔物なのだ。滅多に遭遇しない上に、遭遇すれば非常に危険な相手だ。それに、素材は頑丈で使い道は多くある……価値は高いのである」
金銭で払わずに済むのならそれで良いだろう、と言わんばかりのコルラードだが、素材を選ぶディエゴを見ながら何故か右手を胃の辺りに添えた。
「……滅多に遭遇しないと自分で言っておきながら、目の前にはその素材がいくつも転がっている……おかしいのである……吾輩の常識が崩れそうである……」
「遠くにグリフォンの群れもいますよ?」
「思い出したくないからその話はやめるのであるっ……」
ヒソヒソと言葉を交わし合うレウルスとコルラード。その間にディエゴはいくつかの素材を見繕ったかと思うと、笑顔を浮かべる。
「それではテンペルスの革を一つに、オルゾーの毛皮と肝を三つずつでいかがでしょう?」
「……ぬ? それではさすがに少なかろう? もう少し選んでも良いのではないか?」
「いえ、私はルイス様のお言葉に従うまで……それに、今回のことはアメンドーラ男爵殿を支援する一環でもありますから」
“裏”が感じられない笑顔で言い切るディエゴ。それを聞いたレウルスは再び小声でコルラードに尋ねる。
「……ちなみに他所の町で素材を売ったらいくらぐらいになるんです?」
「テンペルスの革がかなり高いが、他の素材と合わせても合計で三万ユラといったところであろうな。今回送られてきた資材の購入費だけでも“足が出る”のである」
(三百万円ぐらいってことか……資材の購入代に輸送代、危険な輸送に携わる給料とかを考えると倍どころじゃすまないよな……)
ディエゴはルイスからの支援の一環だというが、それを素直に受け取って良いのかとレウルスは少しだけ悩んだ。コルラードの言う通り、資材の対価が安すぎるからだ。
もっとも、ラヴァル廃棄街にある自宅を建てる際の借金と同額と思えば安いとは思いたくなかったが。
「……ルイス殿がそう仰っているのなら、ご厚意に甘えるのである。事前にアメンドーラ男爵とも話がついていることであるしな……」
「是非そうなさってください。我が主君も、この地に町ができた暁には是非訪れてみたいと仰っていましたよ」
そう言って微笑むディエゴに、レウルスとコルラードは頷きを返すことしかできなかった。
「ふーん……お肉以外なら別に持って行ってもらっても構わないんじゃない?」
その日の晩、資材を下ろしてすぐさま引き返していったディエゴ達を見送ったレウルスは、サラが焼く魔物の肉を齧りながら雑談を交わしていた。
「しかし取引の対価が釣り合っていないというのは確かに不安になる話じゃな……王都でナタリアが行っていた根回しの結果とはいえ、落ち着かない話じゃ」
「うーん……ボクは気にならないかな? ナタリアさんが話を通しているのなら問題もないと思うし……」
「……おうちがいっぱい建つなら、それでいい」
それぞれが今日あったことに関して話しつつ、食事を取る。レウルスもエリザ達の会話に時折相槌を打ち、次から次へと手渡される肉を平らげていった。
ディエゴ達が立ち去った後、建築を担当しているドワーフ達によって既に新たな家屋が建っている。土壁は事前に造っていたため屋根を設置するだけだったが、それでも瞬く間に三軒の家が誕生していた。
「ネディの言う通り、建設に使える資材が増えるのなら喜ばしいことだよな……うん、これも美味い」
それもこれも、資材があればこそだ。さすがのドワーフといえど、土だけでは家は造れない。ドワーフは山や地面に穴を掘って“家”を造るが、人間が住むには適していないのだ。
「はいレウルス、次のお肉よ!」
「おう、ありがとう」
次から次へと差し出される焼き肉を平らげていくレウルス。サラはそのレウルスの食べっぷりを見て、上機嫌になりながら新たに肉を焼いていく。
いつの間にやらサラの肉焼き技術も非常に向上しており、レウルスとしても嬉しい話で――。
「…………?」
骨付き肉を平らげていたレウルスの手が、不意に止まった。普段は食事中に魔物が襲ってこようが滅多に止まることがなく、食べながら迎撃に移るような有様である。
“それだというのに”レウルスの手は勝手に止まっていた。
(あれ……え? なん、だ……)
自身の体に生じた違和感。“それ”が一体何なのか理解ができず、レウルスは困惑する。
「レウルスってばいきなりぼーっとしちゃってどうしたの? まだまだお代わりがたくさんあるわよ?」
「あ、ああ……そう、だな……」
サラの言葉に頷き、レウルスは残っていた肉を齧り取る。そして新たに差し出された骨付き肉を受け取ると、大口を開けて噛みついた。
塩や香辛料で味付けがされた肉はレウルスにとって御馳走で、サラがレウルスの好みに合わせて焼き上げたこともあって非常に食べやすい。
食べやすいのだが――。
(おかしいな……美味いんだけど……)
どうにも食が進まない。“食べること”はできるが、そのペースは明らかに落ちていた。
「レウルス? どうしたんじゃ?」
そんなレウルスの様子に真っ先に気付いたのはエリザだった。普段は呆れるほどの勢いで食事をするレウルスが、その動きを不自然なほど緩めているのである。
「……いや……なんだろうな? 美味いんだけど……おかしいな……」
そう言いながらレウルスは首を傾げる。食べるものが大量にあるというのに食が進まず、そんな自分自身にレウルスは困惑していた。
「はい次のお肉お待ちっ! あっ、レウルスが好きな骨付き肉がなくなっちゃった……って、あれ? レウルスってばどしたの?」
サラは次の骨付き肉を差し出したが、一向に受け取らないレウルスを不思議そうに見る。ミーアとネディも似たような眼差しでレウルスを見るが、レウルスに応える余裕はなかった。
(なん、だ……何か……眠くなってきた……)
困惑していたレウルスだが、急激な睡魔に襲われて意識が明滅する。
旅の最中に数日不寝番を務めても平気だったというのに、抗えないほどの眠気をレウルスは感じた。
「れ、レウルス? なんじゃ、どうしたんじゃ!?」
レウルスの異変に気付き、エリザが慌てたようにレウルスを揺さぶる。しかしそれでもレウルスの眠気は取れず、徐々に瞼が下がり始めた。
「すま、ん……なんか、妙に……眠い……」
そう呟くだけで限界を迎えたレウルスは、もたれかかるようにしてその身をエリザに預けた。
そして、意識が急速に落ちていくのを感じながら、思考の隅でふと思う。
(ああ、そうだ……思い出した……これ、満腹感……か……)
前世では数えきれないほど覚えていても、この世界に生まれて初めて覚えた満腹感。
それに驚く暇もなく、レウルスは意識を失うようにして眠りにつくのだった。