第360話:ドワーフの集落にて その2
ヴァーニルの雰囲気に鋭いものが混じったのを感じ取ったレウルスは、地面に座る際に傍に転がしておいた『龍斬』の存在を意識する。
割と気安い関係に落ち着いているヴァーニルだが、その正体は泣く子も黙るどころか更に泣き喚くであろう火龍だ。“喧嘩”の範疇を超えない程度に本気で戦ったことがあるが、エリザとサラの助力があってもなお勝機が見えないほどの化け物である。
そのため何があっても動けるようにと警戒するレウルスだったが、ヴァーニルは手元の酒を飲みながら静かに尋ねてくる。
「土の民の“皆”ときたか……確認しておくが、何をさせるつもりだ?」
「……今度引っ越しするんでな。引っ越し先での土木作業に関して力を貸してほしいんだけど」
「ふむ……」
レウルスの言葉を吟味するように小さく唸り、ヴァーニルは酒を呷る。
「それはこの集落にいる土の民達全員が必要になるほど大規模なものか?」
「……可能な限り多くのドワーフの力を借りたいとは思ってるよ」
空気が徐々に張りつめていくのを感じながら、レウルスはそう答える。嘘を吐いても良いが、バレた後が怖いと判断したのだ。
「今度町を造るのよ! それでみんなの力を借りにきたの!」
だが、そんな空気に気付かなかったのかサラが笑顔で理由をぶちまける。すると、それを聞いたヴァーニルの眉がピクリと動いた。
「町……だと?」
「うん! わたし達だけのもがもが」
レウルスよりも遅れたものの、ヴァーニルの纏う雰囲気に気付いたエリザが慌てた様子でサラの口をふさいだ。しかし既に手遅れで、ヴァーニルは思案気に眉を寄せている。
「なるほど、町造りか……それならばたしかに土の民の力があれば便利だろうが……」
珍しいというべきか、ヴァーニルの歯切れが悪い。それも、レウルスが“警戒したこと”とは別の方向に意識が向いているようだった。
(ドワーフの力を借りたら駄目だって言いそうな雰囲気だったけど、違うのか?)
酒を飲みながら唸り声を上げるヴァーニルの姿に、レウルスも疑問を覚えて眉を寄せる。
「町造り……町造りか……ううむ……土の民ならば……いや、数が数だけに……」
「なんでそこまで悩むんだ? 何かあるのなら教えてほしいんだけど……」
放置しておくにはあまりにも意味深なヴァーニルの反応に、レウルスは思わず口を挟んでしまった。すると、ヴァーニルは酒を飲みながら視線を逸らす。
「なに、“こちらの話”だ。我から言えることがあるとすれば、あまり派手にやるな、としか言えぬ……」
「……と、言われてもな。派手かそうでないかの線引きもわからないし……」
曖昧な言葉を吐き出すヴァーニルに、レウルスは思わず苦笑してしまった。ヴァーニルは何かを危惧しているようだが、その何かの基準すらわからないのだ。
「貴様が土の民に剣や防具を作ってもらったように、“個人的な協力”ならば何も言わんのだがな……しかし、土の民が人の営みに関わってきたのも事実……まあ、おそらくは大丈夫だと思うが……」
「だから何が大丈夫で何が大丈夫じゃないかを教えてくれよ」
「仮に大丈夫じゃなかったとしても、いきなり襲われることもない、か……うむ、問題はないか」
「聞けよ赤トカゲ」
何やら物騒なことを言っているが、ヴァーニルは自身の考えに納得できたのか何度も頷いている。レウルスもついつい言葉を荒くしてしまうが、ヴァーニルはそれを微塵も気にした様子もなく、首を傾げた。
「それで? 『契約』に関して聞きたいこととはなんだ?」
「流しやがった……ああもう、正確に言うと、複数の相手と『契約』を交わした場合に問題がないかを聞きたいんだけど」
こうなってはどう足掻いても聞き出せそうにない。そう判断したレウルスはもう一つの話題に移ることにした。力尽くで吐かせることなど不可能で、ヴァーニルも話しそうにない空気を放っているのだ。
そのためレウルスは話題を移すが、そこまで期待はしていない。
ソフィアが情報を隠していないという保証もないが、大精霊コモナが活躍してから生まれた精霊教は何百年という長い歴史がある。その過程で蓄積されたであろう情報は莫大なはずで、いくらヴァーニルでも情報量では劣る可能性が高いのだ。
それでも、火龍という特殊な立場のヴァーニルに尋ねれば、何か情報が出てくるかもしれない。既にエリザとサラの二人と『契約』を交わしている以上、問題があると言われても非常に困るが、それでも問題自体を把握しておくのは決して無駄ではないだろう。
「なるほど、そういうことか……しかし、だ。世の中何かを得ようとすれば対価が必要になると思わぬか?」
「……今回は勘弁してくれ。これから暴れる予定があるから、魔力を消耗したくないんだよ……」
先ほどの話題とは打って変わって目を輝かせながら対価を要求するヴァーニルだが、レウルスとしては頷けない。
以前の“喧嘩”では約束を交わしていたというのもあるが、『龍斬』の切れ味を試すため、ドミニクから譲られた大剣の“敵討ち”をするため、そしてドワーフ達の移住を認めさせるためという目的もあった。
『契約』に関する情報は欲しいが、これから大変になることがわかっている状況で魔力を大量に消耗するわけにはいかない。ヴァーニルが相手となると『熱量解放』なしでは戦えず、加えて数分で戦いが終わるとも思えないのだ。
戦うとしても、次回に回してほしい。そう頼むレウルスに対し、ヴァーニルは口の端を吊り上げた。
「と、“代金”として一戦交えたいところだが、知らない情報を盾に戦うのも我の信条に反するのでな」
「……ヴァーニルでも知らないのか?」
拍子抜けしそうなほどあっさりと、レウルスが求める情報を持っていないとヴァーニルは告げる。
「我も五百……六百……何年生きていたか忘れたが、知らぬものは知らぬ」
「さすがに百年単位で間違うのはまずいだろ……でも、そうか……」
ヴァーニルがわざわざ嘘を吐くとも思えず、レウルスは少しだけ落胆の息を零した。千年以上生きていると思しきユニコーンのアクシスに話を聞いておけば良かった、と今更ながらに後悔する。
(ヴァーニルでも全然知らないってのは予想外だったな……『契約』ってのはそんなに珍しいものなのか? 『契約』を交わしてるエリザとサラ、交わせそうなネディ……それにヴァーニル……?)
身近なところに何人もいるのだが、と首を捻るレウルスだったが、ふと引っかかるものがあって眼前のヴァーニルをまじまじと見た。
(そういえば……コイツが以前何か言ってたよな……『契約』……えっと、なんだっけ……)
脳裏を過ぎるものがあり、レウルスは目を閉じて記憶を探り始める。そうして数十秒ほどかけて記憶を引っ張り出したレウルスは、確信が持てない様子で尋ねた。
「えっと……初めて会った時、ヴァーニルって自分が『契約』を結びたいぐらいだって言ってなかったか?」
「む……たしかに言ったが、我と『契約』を結ぶ気か? やめておけ、死にたくはあるまい。我としても殺し合った結果ならばまだしも、そんな形で知り合いを失うのは御免だぞ」
いきなり物騒なことを言い始めたヴァーニルに、レウルスは頬を引きつらせながら自分の体を見下ろした。
「……それって『契約』には問題が存在するってことじゃねえか」
「そうとも言えるな。だが、我の場合は複数の相手と『契約』を結んでいるかは関係ないぞ? 単純に“容量”の問題だ」
ヴァーニルは手酌で酒をコップに注ぐと、一息に飲み干す。
「複数の相手と『契約』を交わして問題があるかどうかはわからぬ……が、我と『契約』を交わした場合に起きるであろうことは推測ができる」
「……何が起きるんだ?」
酒ではなく唾を飲み込みながら、レウルスが問う。ヴァーニルは数秒視線を彷徨わせたが、やがて呟くようにして答えた。
「弾ける」
「え?」
聞き間違いか――むしろそうあってほしいと思いながらレウルスが声を漏らすと、ヴァーニルは真面目な顔で言う。
「実際に『契約』を交わしている貴様ならば体感として理解しているだろう? そこの吸血種の娘とサラの二人から魔力を得ているはずだ。我の場合、おそらくは与える魔力が巨大なものになる。そしてその結果……」
「弾ける?」
「うむ。魔法が使える者でも、保有できる魔力は個々で差異があるだろう? そこに『契約』で魔力を送り込むと……」
弾けてしまうらしい。
改めて確認するレウルスに、ヴァーニルは何度も頷いた。例えるならば、風船に空気を入れ過ぎて破裂させてしまうようなものだろう。
「ただし、貴様の場合はどうなるかわからん……案外平然としているかもしれぬし、『契約』を交わした瞬間肉体が爆散するかもしれぬ」
「……試す気にはならねえな」
エリザとの『契約』により、ある程度の怪我ならば勝手に治ってしまう。だが、さすがに体が爆散したら即死するだろう。
それでも生きているような生き物など、『核』が無事ならどうとでもなるスライムぐらいではないか。
「さっきも言ったが、あくまで我の推測だ……ふむ、試してみるのも良いかもな。我が魔力を送ればいくらでも戦い放題、か……」
「やめろよ? 絶対にやめろよ?」
レウルスは何やら真剣に検討をしているヴァーニルからさりげなく距離を取る。
(ある意味、聞きたいことが聞けたな……魔力がデカすぎるとまずいのか。俺の場合、普段からエリザとサラから魔力をもらって『強化』みたいなことになってるし……)
複数の『契約』を結んだ場合の問題点というよりも、“相手”次第で発生し得る問題点というべきだろう。
(俺の場合、サラが一方的に『契約』を結んできたのって実は危ないことだったのか……でも、特に異常はないしなぁ……)
サラの魔力が巨大すぎた場合、体が弾け飛んでいたかもしれない。そうは思うものの、実際にそうなったかはレウルスとしても首を傾げるところである。
(魔力の上限量に引っかかったら爆散する……それがわかっただけでも良かったな)
さすがにいきなり爆散することはなく、体が痛むぐらいで済むのかもしれないが、試してみる気にはならない。
ヴァーニルの話を聞いたレウルスは勝手に引きつる頬を手で解しつつ、まずは当初の目的である町造りの協力を求めるべくドワーフ達に声をかけ始めるのだった。