第357話:確認
レウルスがラヴァル廃棄街へと戻り、一週間の時が過ぎた。
その間にしたことといえば、ラヴァル廃棄街を留守にしていた間に周辺に魔物が棲み付いていないかを確認し、“掃除”に励んだぐらいである。
これまでのレウルスの活動の賜物か、それとも秋を過ぎて冬が訪れたからか、魔物の数自体は少ない。それでも日に二、三匹は見つかる程度には魔物が存在していた。
もっとも、見つかる魔物はそのほとんどが角兎である。そのため魔物の探索だけでなく、野盗などが潜んでいないかも確認して回っていた。
結果として野盗は影も形もなく、むしろその痕跡すら見つからなかった。それが偶然によるものだったか、それともラヴァル廃棄街周辺は危険だと判断して寄り付かなくなったのかはわからない。
平和なことは良いことだと思いつつ、レウルスはエリザ達を連れて冒険者組合へと足を向けた。
「そう……町の周囲は平穏そのものということね。いいことだわ」
普段のように冒険者組合の受付でレウルスの報告を受けたナタリアは、実に真面目な口調でそう呟く。普段と違うことがあるとすれば、受付の机には様々な書類が大量に置かれていることだろう。
ナタリアは手元の紙にレウルスの報告内容を書き込んでいく。それは非常に簡易的ながらもラヴァル廃棄街周辺の情報が記された地図で、ナタリアは日付と共に問題がない旨を書き加えていた。
時刻は昼を多少過ぎたばかりで、冒険者組合の中に人の気配はほとんどない。少なくとも冒険者はレウルス達以外に存在せず、それ以外の者となるとナタリアの背後で従者の如く直立不動の体勢を取っているコルラードがいるぐらいだ。
「周囲に人もいないし、丁度良いわね……コルラード、アレを取ってちょうだい」
「はっ」
ナタリアの言葉を聞き、コルラードが外見に反したキビキビとした動きで書類の山から数枚ほど紙を抜き取る。そしてこの場にいる全員に見えやすいよう、机の上に広げた。
「む……これは地図じゃな……しかしラヴァル廃棄街の周辺のものとは異なるようじゃが」
机の上に広げられた紙――どこかの地形を記したと思しき地図を見て、エリザが興味深そうな声を出す。
さすがに前世で見たことがある地図と比べると精度は低いが、レウルスがこれまで見たことがあるこの世界の地図の中では精巧に作られている。
(平地と道、森と川……あとは山?)
七十センチ四方程度の紙に描かれた地図には、どこに何があるのか記されていた。それでも大雑把な分類がわかるだけで、地図のところどころに存在する道らしき線もおそらくは街道のものだと思われる。
細かい道やラヴァル廃棄街の周辺にある、“その土地の者”だけしか利用しないような道は書かれていないのだ。
しかも地図の半分以上は森と山で占められており、平地と思しき場所は全体の一割から二割程度だろう。
「これは?」
どこの地図かはナタリアも明言していないが、ある程度の見当をつけながらレウルスが尋ねる。
「わたしが拝領した領地……モントラートと呼ばれる場所の地図よ。ラヴァル廃棄街からは街道を通れば西に三日、そこから南に一日進めば着くわ」
「この町から西……えーっと、ティリエに行く途中で南に下るのか。思ったよりも近い……のか?」
街道を通って、と前置きしているからには“普通の移動速度”を前提としているのだろう。片道四日、往復で八日――急げば普通の人間の足でも一週間程度で往復できそうだ。
レウルス達の場合、街道を通らず森の中などを移動すれば片道二日程度で到着することができそうである。
「そうね、領地に着くだけなら割と近いと思うわ」
だが、ナタリアの言葉には妙な含みがあった。そのためレウルス達が疑問を覚えていると、コルラードが右手で胃の辺りを摩りながら口を開く。
「このモントラートと呼ばれる地方……いや、敢えてアメンドーラ男爵領と呼ぶが、広いのだ」
「広いんですか……ちなみにどれぐらいで?」
思わずレウルスがオウム返しに尋ねると、コルラードは地図に指を滑らせながら言う。
「今しがた隊長が仰った道程で領地の“最北端”に着く。で、そこから南に進み続けて……そうであるな、道の状況を確認せねば正確なところはわからんが、五日から一週間も歩けば最南端に着くであろう」
「……いまいち想像ができませんね。もしかして縦に細長い領地なんですか?」
そう言いつつレウルスは地図を見るが、特にそういった地形になっているようには見えない。
「縦横という基準で考えると、“横幅”は徒歩で五日前後……というのが吾輩の見立てである」
「……ラヴァル廃棄街を治めていた『管理官』って身分から考えると、姐さんも大出世したな」
からかうわけでもなく、真剣な口調でレウルスが呟く。己がこれまでしてきた旅の感覚でいえば、下手するとヴェルグ“子爵家”と並ぶかそれを上回りそうな広さだ。
「それは……広いのう。そのような土地を男爵の身分で拝領できるということは……土地がまずい?」
ラヴァル廃棄街の住民を移住させて町を興すという話が出ている以上、現地には町や村が存在しない可能性もある。あくまでマタロイという国の中の土地ではあるが、人が住むには適していない場所かもしれなかった。
「町や村はないけど大小いくつかの川もあるし、平地もあるし、街道も通ってるわ。土地が痩せていて畑を作ることができないなんてこともないし、領内に存在する山は鉱山の可能性もあるの」
「へぇ……そいつは中々に良さそうな土地に聞こえるな。で、悪い部分は?」
エリザの疑問にナタリアが答えるが、その内容にツッコミどころがあり過ぎてレウルスは思わず口を挟んでいた。
土地が広く、畑を作るのに適した土地が存在することが確認されており、なおかつ鉱山らしき場所もある。いくつか川が流れているということは、水不足の心配もしなくて良いだろう。
“それだというのに”これまで町や村が作られていないのは、一体何故なのか。
そんな疑問をぶつけるレウルスに、ナタリアはにこりと微笑んだ。そしてその細い指先で地図をなぞる。
「見てちょうだい……森が多いでしょう? この森には多くの魔物が生息しているのだけど、森が深いからか中級の魔物の割合が大きいのよ。それが原因で町や村を作るのが難しくなってるの」
「……? ねえねえナタリア、上級の魔物ならともかく中級の魔物ぐらいで町とか村が作れなくなるの? レウルスなら大喜びで突撃して食べちゃうわよ?」
退屈そうに話を聞いていたサラが疑問を口にする。すると、ナタリアは苦笑を浮かべた。
「一匹や二匹ならともかく、それが十や二十となるとねぇ……以前わたしのように男爵になった方が拝領して開拓に乗り出したことがあったらしいのだけど、一年ももたずに頓挫したそうよ」
「吾輩も他人から聞いた話になるが、町を造ろうとすれば下級中級問わず魔物が襲い掛かり、作業者が食われ、資材が焼かれ、難航を極めたらしいのである」
どうやら中々に危険な土地らしい。レウルスはそう思うが、同時に疑問も覚える。
「姐さんはどうしてそんな土地をもらったんだ? もう少しまともな場所がありそうなもんだが……」
開拓するにしても、もう少し楽そうな場所があるだろう。そう思ってレウルスが尋ねると、ナタリアは苦笑を浮かべる。
「近隣の領主にとっても邪魔な土地で、余計なちょっかいが入りにくいからよ。それに“わたし達”にとっては大きな問題でもないしね」
「森が深いわ、魔物が多いわで、国軍も街道上を巡回する際に遭遇した魔物を倒すぐらいしかしないのだ……その分危険で、野盗も住みつかない土地ではあるがな」
自信ありげなナタリアとは裏腹に、コルラードの表情は渋い。これから先の未来を想像し、気が重くなっているようだ。
「というわけでレウルス、現地に着いたら好きなだけ魔物を狩って食べて良いわよ。魔物だけじゃなく、森に生っているものも動物も好きに食べなさい。領主として許可するわ」
「――――」
ガタッ、と音を立ててレウルスが立ち上がる。ラヴァル廃棄街の周辺では魔物を探すのも一苦労だが、新しい領地では向こうから突っ込んできてくれるというのだ。
「もちろん、倒した魔物に関してはこれまで通り報酬を支払うし、素材も買い取るわ。土地を開拓するとなると、放っておいてもあちこちの商人が話を聞き付けて勝手に寄ってくるでしょうしね」
「つまり……食べ放題か」
「焼き放題ねっ!」
ナタリアの“冗談”に付き合って頷くレウルスと、心底から嬉しそうに声を上げるサラ。
魔物を狩って食べるのはいつも通りのことだが、他にもやることがあるとレウルスは察した。
「それで、領地の開拓はどうなるんだ? 魔物に関してはどうとでもなるだろうけど、さすがに土地を耕したり家を建てたりするのは難しいぞ?」
そう言いつつも、レウルスはナタリアが何を考えているか手に取るようにわかる。
「カルヴァンさんを筆頭に、ドワーフを口説いてきてちょうだい。報酬はカルヴァンさんに話を通してから決めるわ」
「あいよ。人手がいるだろうし、ヴェオス火山の近くに行ったドワーフ達に声をかけに行ってくる」
それは元々ナタリアも考えていたことだろう。話が早いと言わんばかりに笑顔で頷いている。
しかし、ナタリアは笑顔のままで爆弾を投下した。
「実際に動き出すまで時間がかかるでしょうけど、先に言っておくわね。“現地”での町造りに関して、当面の指揮を執るのはコルラードになるわ」
「…………」
コルラードに町造りを任せると聞き、レウルス達は思わず顔を見合わせた。当のコルラードだけは真顔で固まっているが、おそらく事前に話を聞いていたのだろう。
「……姐さんはそれでいいのか?」
せっかく町を造るのだ。領主として色々と思うところがあるはずで、レウルスはつい尋ねてしまう。
「どんな風に作るかは設計図を用意するわ。もちろん、現地に行ってわたし自ら指揮を執って町を造ってみたいという気持ちもあるけどね……現状だとそうもいかないのよ」
「と、いうと?」
何か問題が起きたのだろうか、とレウルスは首を傾げる。すると、ナタリアは困ったように眉を寄せた。
「組合長を通して町の皆に独立の話を浸透させたけど、全員が賛成しているわけじゃないわ。もちろん、賛成じゃないというだけで反対しているわけでもないのだけれど……」
「ちなみにその割合は?」
「三割といったところね」
「意外と多い……のか?」
七割が賛成していると聞くと非常に多く思えるが、三割が賛成していないと聞くとそれはそれで多く感じる。そのためレウルスが反応に迷っていると、ナタリアは小さくため息を吐いた。
「町の住民の中でも、年老いた方々がね……」
そんなナタリアの言葉に、レウルスは小さく眉を寄せた。レウルスが知らないだけで町の長老みたいな人間がいたのだろうか、と疑問に思ったのだ。そういった者達が反対に回り、賛同する者が出たのかもしれない。
だが、そんなレウルスの心情を見抜いたのか、ナタリアはため息を引っ込めた代わりに苦笑を浮かべる。
「違うのよ。町ができたとしても自分達を連れて移動するのは大変だろうし、若者と比べると労働力でも劣るからここに置いていけって……“今”を生きる若者に迷惑をかけたくないそうでね」
「……一応聞いておくけど、置いていくつもりは?」
「ないわ」
「だよな」
愚問だったな、とレウルスは笑う。町の仲間を“普通”にするために足掻いてきたのがナタリアなのだ。老若男女問わず、町の仲間ならば可能な限り連れて行こうとするはずである。
「そういうわけで、その辺の説得……違うわね。きちんと話し合わないといけないし、あなた達が出払う以上この町の戦力も落ちるわ。わたしは防衛のための戦力として残る側面もあるのよ」
「ん? 姐さんって戦って良いのか? 『管理官』の役割的に駄目だって言ってたよな?」
明らかに戦う様子を見せているナタリアに、レウルスは疑問を込めて尋ねる。するとナタリアは何故か煙管を取り出し、柔らかく微笑んだ。
「今のわたしは男爵よ? 領主が領民のために戦うことを咎める法はないわ」
「……そういうもんか」
どうやら問題はないらしい。それならばレウルスとしても安心してラヴァル廃棄街を離れられるというものだ。
(とりあえずカルヴァンのおっちゃんに話を通して、ドワーフの皆に会いに行ってみるか……ヴァーニルが絡んでこなければいいけど……)
“これから”の展望を確認し、レウルスは内心で呟くのだった。