第356話:温度差
カルデヴァ大陸の北西部に存在する大国マタロイ。
その王都ロヴァーマからラヴァル廃棄街へと帰還したレウルス達は、ひとまず旅の疲れを癒すべくそれぞれ別れ、自宅へと戻ろうとしていた。
もっとも、レウルス達は自宅の鍵をコロナに預けているためすぐに帰ることはできない。そのため帰還の挨拶を兼ねてドミニクの料理店へと顔を出し、店内にいた冒険者や町の住民を巻き込んで宴会へと雪崩れ込んでいた。
時刻は既に夕刻を過ぎ、店の中は食事を取る者達で溢れている。それでも約一ヵ月ぶりに戻ってきたレウルス達を見るなり、大喜びで招き入れてくれた。
「ふわぁ……本当にナタリアさんが男爵様になったんですね……」
帰還の挨拶もそこそこに王都で何があったかを話していくと、コロナが感嘆したような声を漏らす。
そんなコロナの手の中にはレウルスが王都で購入した土産が握られていた。王都を散策した際、髪飾りを買っておいたのだ。
あまり高すぎるとコロナが遠慮するため、髪飾りは手頃な値段で売られていた華美過ぎない銀細工の造りになっている。名前まではわからないが花を模っており、コロナの“おさげ”を留めれば似合いそうだと思ったのだ。
ドミニクにも土産を買っているが、こちらは市場で購入した香辛料の類である。料理に使えば味のバリエーションが増え、レウルスだけでなく店の利用者も嬉しいと思って買ってきたのだ。
「俺としちゃあ、サラの嬢ちゃんやネディの嬢ちゃんが精霊だって“公表”した話も気になるがなぁ……とうとうバラしちまったのかよ」
レウルスが持ち帰った香辛料を早速使って作られた肉の炒め物を食べつつ、ニコラがぼやくように言う。その隣にはシャロンの姿もあり、ニコラの発言に同意するように頷いた。
「ボクも兄さんに同意する。噂が広がっていて仕方ないとはいえ、精霊教の人間が町に来るかもしれない。ジルバさんやエステルさんはまだしも、それ以外となると困る」
余所者が町に入ってくるのではないか、という危惧を口にするニコラとシャロンだが、周囲にいた他の者も同意見だったのか頷いている者が多い。
ただし、ジルバとエステルに関してはラヴァル廃棄街にも受け入れられつつあるのか、シャロンの後半の発言に異を唱える者はいなかった。
「そうは言うが、この町が独立するとなると余所者と接する機会が嫌でも増えるだろう。その全てを拒絶するのか?」
「おやっさん……」
レウルス達の話が聞こえていたのか、ドミニクが口を挟む。手はお盆を持っており、その上にはレウルス達用の食事が乗せられていた。
「バルトロからも話を聞いているだろう? この町の人間のためを思い、ナタリアが必死になって掴んできた話だ。“それ”に協力したレウルスだって、何度死にかけたと思ってる。その努力を無駄にする気か?」
「こ、今回の旅では死にかけてませんし……」
ナタリアの素性を元から知っていたからか、ドミニクが擁護に回る。ただしレウルスとしては少しだけ抗議したい部分があっため、小声でツッコミを入れた。
ベルナルドとの模擬戦で完敗した件に関しては死にかけていないためセーフである。
「そんなつもりはありませんがね……」
「うん……それとレウルス、君は“これまで”のことを振り返ってから言ってみると良い」
シャロンからジト目を向けられ、レウルスは視線を逸らした。しかし、その傍らでこっそりとニコラを盗み見る。
(うーん……やっぱりグリマール侯爵に似てるんだよなぁ……)
王都で顔を合わせたグリマール侯爵を見て思ったことだが、ニコラに似ている――正確に言えば“ニコラが”似ている。
男女の違いかシャロンはそれほど似ていないが、面影を感じるのは確かだ。しかしニコラは確かに似ている。もちろん瓜二つということはないが、顔の全体的な雰囲気がグリマール侯爵に似ているのだ。
(……でもまあ、この場で尋ねるのはさすがにまずいか)
何か事情があるのだろうと察し、レウルスは後日改めて尋ねようと決意する。そしてその決意を隠すように別の話題を振った。
「というか先輩、サラやネディが精霊だって知ってたのかよ……」
一応、サラもネディも旅先で拾ってきた魔法使いだと説明していたのだが。
そんな意図を込めて尋ねるレウルスに対し、ニコラは呆れたような表情を浮かべた。
「お前な……本気で隠し通せると思ってたのか? サラの嬢ちゃんなんて頻繁に精霊だなんだって口走りかけてたじゃねえか」
そしてその度にエリザが飛び掛かり、強引に誤魔化していた――が、残念ながら誤魔化せてはいなかったらしい。
さすがにそこまで都合良くはいかないようだ。だが、そうなると何故確認してこなかったのか。
「まあ、町の仲間が隠そうとしてることだし、精霊だなんだって騒いでも得はねえしなぁ……そもそもサラの嬢ちゃんは町の仲間として受け入れたし、ネディの嬢ちゃんには町の水不足を救ってもらったんだ。精霊だからってとやかく言う奴はいねえよ」
「ニコラ先輩……」
苦笑しながら話すニコラに、レウルスは感動したような声を漏らした。
「以前、それでレウルスが旅に出る度にどんな人を連れて帰るか“賭け”をしていたぐらいには、皆知ってた」
「ニコラ先輩……」
冷たい眼差しをニコラに向けながら放ったシャロンの言葉に、そういえばそうだった、とレウルスの声色も相応に変化する。
その賭け事を知った後はコロナを除く参加者全員を追い回したものだが、まさか賭けの内容に精霊に関する情報まで含まれているとは知らなかったのだ。
レウルスとシャロンの反応を見たニコラは、一度咳払いをしてから話の矛先を逸らす。
「過ぎたことは気にするなよ……もちろん、町の全員が知ってるわけじゃねえ。でもなぁ……サラの嬢ちゃんはともかく、さすがにネディの嬢ちゃんは誤魔化せないだろ。あの人間離れした妙な雰囲気に、水脈を操るような手練れなんだ。ただの人間とは思えねえって」
「え? 先輩先輩、わたしは? ねえ、わたしは?」
ニコラの話を聞き、サラが不思議そうに食いつく。どうやらネディとの扱いの違いが気になったようだ。
「……正直なところ、レウルスがしてた話が本当だって思う奴が大半だったな。ジルバの旦那が様付けしてなかったら、ネディの嬢ちゃんだけ精霊だって思ってたかもしれねえ」
「あー……ジルバさんか……」
ジルバもその辺りは警戒していたが、ラヴァル廃棄街はそれほど広くない。どこかしらで聞かれてしまったのだろうとレウルスは納得した。
もっとも、ジルバが行っている“礼拝”に関しては知られていないようだが。
「えー……わたしってばどう見ても精霊でしょ? ねえ、ねえ!」
そう言って駄々を捏ねるようにニコラの衣服を引っ張るサラだが、当のニコラは生温い笑顔を浮かべながら頷きを返す。
「あーうんそうだなー、お前さんはちゃんと精霊だなー」
幼児をあやすような口調と声色だった。しかしそれでサラも納得したのか、笑顔で引き下がる。
「とまあ、そういうわけで俺としちゃあ精霊だなんだってのはどうでもいい。でもなぁ……」
そこで不意に、ニコラの表情が曇った。そして手元にあった木製のコップを口につけると、酒と思しき液体を飲み干す。
「精霊や精霊教、余所者がどうだって話は横に置いておいて……だ。この町が独立してどうこうってのは……ま、なんだ……」
真剣な表情で視線を彷徨わせるニコラ。レウルスはどんな言葉が出てくるのかと疑問に思いつつ、ドミニクが運んできてくれた塩スープを食べていく。
しばらく言葉を探していたニコラだが、やがて困ったように苦笑を浮かべた。
「実感が湧かない奴が大半じゃねえかなぁ……それぐらい“環境の変化”ってのは大きいもんだぜ?」
その言葉には、妙に実感がこもっていた。
「…………」
そんなニコラの隣では、シャロンが無言で酒を傾けている。常のように乏しい表情ながら、その眉根が少しだけ寄っていることにレウルスは気付いた。
「レウルス、お前だって生まれた場所から……ああいや、なんでもねえ。お前の場合当てはまらないんだった……忘れてくれ」
そう言って言葉を濁すニコラだが、レウルスはニコラが何を言おうとしたのかを察す。
レウルスの場合は紆余曲折を経て生まれ故郷であるシェナ村からラヴァル廃棄街へと“移住”したものの、生まれ故郷に対する未練は欠片もない。仮にシェナ村が強力な魔物に襲われて滅びたと聞いても、微塵も動揺しない自信があった。
「とにかく、だ……おやっさんの言う通り、姐さんのやってきたことに文句はねえ。むしろめでたい話だって思う奴が大半だろ。でも、さすがに全員が心から賛同するってのは無理だろうし、実感が湧くまでどれぐらいかかるか……」
ラヴァル廃棄街が独立することに関して文句はない。ナタリアが男爵として統治することも、問題ではない。
ラヴァル廃棄街のすぐ傍に存在するラヴァルの住民のように、“普通”の生活が待っているのだ。いつ強力な魔物に襲われて命を落とすかわからないのが廃棄街というもので、そんな環境から抜け出せることを喜ばない住民は“少ない”だろう。
そう――決してゼロではない。
環境が変化することに戸惑う者は必ず出る。
これからナタリアが得た領地を開拓し、自分達の町を造っていく必要があるわけだが、それは“これまで”と比べて大きな変化だろう。
ふと、そこまで考えたレウルスの脳裏に過ぎる声があった。
『……なんつうか、色々と変わってきてるのかねぇ……』
そんな言葉を漏らしたのは、当時子爵家だったヴェルグ伯爵家から送られてきた使者を見た門番のトニーである。
その呟きがあまりにも感慨深そうで、レウルスの記憶にもしっかりと残っていたのだ。
(なるほど……“変化”ってのは必ずしも良いわけじゃないよな)
そう思いながら、レウルスは手元の塩スープを飲み干す。
――相変わらず美味いと思える塩スープだが、普段と比べると妙に薄味に感じられたのだった。
王都から帰った直後なので8章の続きっぽいですが9章スタートです。
なお、9章は長さ的に最初から章タイトルをオープンにしています。
9章は多分短いです。本当です。