第355話:餞別
グリマール侯爵家の別邸で行われたパーティの二日後。
ラヴァル廃棄街に戻るための準備を整えたレウルス達は、王都に来た時と同様に旅装で身を固めて借家の玄関前へと集まっていた。
三週間近い王都での滞在も終わり、これからラヴァル廃棄街に帰還することとなる。もうじき冬も本格化するため、その前に戻らなければ旅が辛いものになってしまうだろう。
「忘れ物はないわね?」
「全部積み込んであるし、確認も二回した。問題ないよ姐さん」
行き道と同様に荷物の大半は馬車に積み込んであり、借家の中もきちんと確認してある。旅先に物を忘れて帰宅するような真似は避けられるだろう。
家を借りていた代金も既に支払っており、あとは旅立つだけである。
「せっかく住み慣れてきたのに……ねーナタリア、この家買ったりしないの?」
三週間近く過ごしたということもあり、サラがどことなく残念そうに呟いた。“自宅”と比べると広く、キッチンや風呂、家具等の設備も充実していたため、離れるのは惜しいのだろう。
「さすがに無理だから我慢してちょうだい。領地が無事開拓できて余裕を持てたら、王都にも情報収集用の別邸を建てる必要があるけど……それはまだまだ先のことね」
そんなサラの呟きにナタリアが苦笑を零す。
「屋敷の管理や情報を集めて運ぶための人員を確保するだけでも大変なのよ。“当家”の人間が王都に来た際の滞在先として利用することもできるでしょうけど、当面は必要がないし優先度が低いわ」
「ふーん、そっかぁ……うげ」
ナタリアの言葉を聞いて納得したように頷くサラだったが、不意に嫌そうな声を漏らした。その視線は借家の外に向けられており、何事かとレウルスも視線を向ける。
そして、思わずサラと同じような声を漏らしかけた。
「良い天気ですね、皆様。まさに旅立ちには相応しい好天です。これも精霊様の御加護でしょうか?」
笑顔を浮かべ、そんな言葉を口に出しながら近づいてくる人物――ソフィアの姿がそこにはあった。
件の『精霊使い』の騒動以降、ソフィアとは顔を合わせていない。それだというのに旅立ちの直前で姿を見せたソフィアに、レウルスは警戒心を露わにした。
「“日頃の行い”が良かったのよ。そうでしょう? ソフィア」
「あはは、ナタリアさんがそう言うのならそうなんでしょうね」
警戒するレウルスを他所に、ナタリアは軽い調子でソフィアへと話しかける。それを聞いたソフィアも笑いながら軽い調子で答えるが、その笑顔は姉妹だけあってエステルによく似ていた。
「…………」
だが、エステルに似ているからといって油断するわけにもいかない。レウルスが無言で周囲を見回すと、同じように周囲を警戒しているジルバの姿がそこにはあった。
すると、それに気付いたソフィアの目が吊り上がる。
「ちょっと、そこの二人? その反応は何かしら? 失礼じゃない?」
「いきなり人のことを『精霊使い』だとか言い出す人に失礼とか言われても……」
「どこで何が起こるかわかりませんから」
ソフィアの抗議に取り合わず、レウルスとジルバは周囲に警戒の視線を向け続ける。ソフィアは一人で来たのか周囲に人影もなく、物陰に誰かが潜んでいるということもなさそうだ。
もっとも、そうでなければソフィアも猫を被って口調を精霊教師らしいものとしていただろうが。
「……“取り巻き”はどうしたんですか?」
王都を訪れた直後のように、精霊教徒を引き連れていないのか。そんな意図を込めてレウルスが尋ねると、ソフィアは小さく吹き出す。
「いつも周りに人がいたら気が滅入るでしょ。執務をするって言って窓から抜け出してきたから誰もいないわよ」
(それでいいのか大教会……)
ソフィアの思わぬ行動力にレウルスは眉を寄せると共に、そうまでしてこの場に現れた理由を警戒する。
「ああ、そういえばうちのレウルスに『精霊使い』なんてあだ名をつけて広めてたわね。ソフィア、どういうつもり?」
そうして警戒するレウルスを他所に、今気付いた、とでも言わんばかりの様子でナタリアが尋ねた。ただし口調の軽さに反してその瞳は細められており、嘘は許さないとソフィアを射抜く。
「ナタリアさんのところでうちの愚妹がお世話になっていますし、これから独立に向けて動くんでしょう? わたしからの餞別ですよ」
「……餞別、ね」
「ええ。何をするにしても“人手”は多い方が良いでしょう? 大教会が認めた精霊に、『精霊使い』の名前……敬虔な精霊教徒が放ってはおきませんよ。無償の労力とでも思って扱き使ってあげてください」
にこりと笑い、精霊教師とは思えないことを口走るソフィア。そのあまりにも明け透けな発言に、ソフィアを警戒していたレウルスでさえ思わず頬を引きつらせた。
精霊が住むための町って聞いたらいくらでも協力してくれそうですよねぇ、などと笑顔で言い放つソフィアに、ジルバから殺気が漏れ始める。
これ以上余計なことを口にすれば、王都で精霊教徒が精霊教師を殺すという前代未聞の事件が巻き起こりそうだ。それをソフィアも感じ取ったのか、それまで浮かべていた笑顔を消して真剣な表情を浮かべる。
「厄介事も招くかもしれませんけど、精霊教徒の協力があるのは大きいでしょう? 無償の労力というのは三割冗談としても、“何か”あればマタロイ中にいる精霊教徒から情報が回ってきますよ?」
「三割って……残り七割は? 本気?」
思わずツッコミを入れるレウルスだが、ソフィアはそれが聞こえなかったようにナタリアと言葉を交わす。
「現状だとそういった人員が乏しいのは確か、ね……受け取っておくわ。ただし、こちらに迷惑が掛かり過ぎないようになさい」
「わかってますって。何かあればこちらからも連絡を入れます……っと、そういえばレウルス」
だが、話の途中でソフィアの矛先がレウルスへと向いた。一体何事かと身構えると、ソフィアは懐に手を突っ込んで一冊の本を取り出す。
「はいコレ、迷惑料ね」
そう言って本を投げ渡すソフィアと、空中で掴み取るレウルス。一体何のつもりかと本に目を向けるが、表紙には何も書いていない。
「なんですか、コレ……」
「ん? 精霊教の教義に関してわたしが書いた本よ。『精霊使い』の名前に相応しいぐらい勉強してくれたら嬉しいわ」
「……燃やしても?」
レウルスがそう呟くと、サラが目を輝かせて掌から炎を生み出す。それを見たネディが無言で掌から水の玉を生み出したが、おそらくは延焼を防止するためだろう。
「冗談よ冗談。精霊との『契約』に関して知りたいんでしょ? わたしが知る限りの情報を書いておいたから、気が向いたら読んでみるといいわ」
「……『契約』? なんのことですかね?」
ごく自然とかけられた言葉に、レウルスの反応が僅かに遅れた。しかしそんなレウルスの言葉を無視し、ソフィアはジルバに視線を向ける。
「それにしてもジルバさん、いくらなんでもわたしのことを舐めすぎでしょう。口が堅い人を選んだつもりでしょうけど、大教会の中で調べ物なんてしてたら気付かないわけがないじゃない。それともわたしに気付かせるのが目的だったのかしら?」
「さて、なんのことでしょうか?」
レウルスとは違い、笑顔で即座にとぼけるジルバ。今まで殺気を滾らせていたとは思えない変貌ぶりだった。
そんなソフィアとジルバのやり取りを聞きながら、レウルスは渡された本を開く。
(ところどころ読めるけど、知らない単語が多いな……)
以前エリザに習い、最低限の読み書きは可能になった。だが、その程度の知識量では読み解けないほどに見知らぬ単語が文面に乱舞している。
「読み終わったら燃やしても構わない……いえ、むしろ燃やしてくれた方がいいわ。あと、できれば内容を言い触らさないでちょうだいね?」
「……これ、本当に読んで大丈夫なんですか?」
読んだら正気ではいられないような物騒な本ではあるまいか。そう危惧するレウルスに、ソフィアは意味深な笑みを零した。
「“今”大丈夫なんだから大丈夫よ……多分ね」
そう答えたソフィアは、ナタリアに向かって一礼する。
「それでは執務がありますので失礼いたします、アメンドーラ男爵殿」
「ええ、また会いましょうファルネス侯爵殿」
最後に礼儀を取り繕い、レウルスが止める間もなくソフィアがその場を去る。
そうしてソフィアが立ち去ると、レウルスは手の中にある本へ再度視線を落とした。
(コレ、本当に読んでいって大丈夫なのか?)
『魔法文字』で魔法が仕掛けられていたり、この世界にあるかは不明だが呪いの類が仕掛けられていたり、正気が削られるような悍ましいナニカだったりしないかとレウルスは警戒する。
それでも本当に『契約』に関する情報が記されているのなら、きちんと読み解く必要があるだろう。
(あの人、最後の最後でとんでもない爆弾を残していったな……)
先日の『精霊使い』の件もそうだが、奇妙なほどにチグハグな印象を受ける。
精霊教師として、侯爵として、そしてソフィア個人として。その全ての境界が曖昧で、ソフィア自身の目的も“本当の性格”もわからなかった。
ナタリアとは違った意味で読めない女性だ、とレウルスは頭を振る。
(とりあえず、読めるところだけでも読んでみるか……わからないところはあとでエリザに確認すればいいだろ……)
それでも無理ならナタリアに読んでもらおう。
そんなことを考えながら、レウルスは動き出した馬車に合わせて歩き始める。
そして当面は――下手すればこれから先、一生訪れないかもしれない王都の中を進んでいく。
相変わらず多くの人々で賑わっているが、馬車が近づくと慣れた様子ですぐさま道を開ける。王都の民にとって、道を進む馬車などそれこそ日常茶飯事なのだろう。
そうやって進んでいくと、王都の南門が見えてくる。レウルス達と同じように王都の外へ出ようとする者、巡回に向かう兵士などで列が作られているが、王都に入る時と同様に並ぶこともなく王都から出ようとした。
(……ん?)
そこで不意に視線を感じ、レウルスは肩越しに振り返る。殺気や魔力は感じなかったが、誰かに見られている気がしたのだ。
そうして振り返った先には、路肩に止められた馬車が遠くに見えた。家紋などは見当たらず、窓に垂らされた布によって乗っている人物は判別できない。
そのためレウルスは視線を正面に戻し、気付かなかったように歩いていく。
だが、もうじき城門に差し掛かるというところで足を止め、ため息を吐いて頭を掻き――左手を軽く挙げてヒラヒラと振った。
勘違いだったのなら、それで良い。この世界、この時勢、二度と会う機会もないかもしれない。
そのため“かつて言われたように”『さようなら』という言葉を込めながら、レウルスは手を振った。
「ん? どうしたんじゃ?」
「いや……なんでもない」
足を止めたレウルスに対し、エリザが不思議そうな顔を向ける。それに誤魔化すように答えてから、レウルスは再び歩き出す。
――王都を出るまで、レウルスが振り返ることはなかった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、お気に入り登録や評価ポイント等をいただきましてありがとうございます。
これにて8章も終了となります。
7章と比べると話数的に短かったものの、なんだかんだで長くなりました……9章は短いです、多分。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。