第345話:精霊使い その2
――『精霊使い』。
その言葉を聞いたレウルスが覚えた感情は、困惑だった。
突然ソフィアが妙な称号を引っ張り出したこともそうだが、“その言葉自体”に困惑していたのだ。
(精霊……使い? そんな名前を使って良いのか?)
そのまま解釈するならば、精霊を“使う”ということである。精霊教の、それも精霊教師であるソフィアがレウルスに授けるには些か以上に危険ではないか。
一対一の状況で話しているわけでもなく、周囲には百人近い精霊教徒が詰めかけているのである。言い間違いでは通じず、聞き間違われることもないだろう。
そんな状況で口にするには危険な言葉で――いや待て、とレウルスは思考をつなげる。
その時レウルスが思い出したのは、以前ナタリアと話した時のことだ。自身の境遇を、前世の記憶があることを話した時のことである。
レウルスを『まれびと』だと評したナタリアだが、その際にレウルスは違和感を覚えていた。
知らない言葉を聞いても意味のある言葉として聞き、知らない言葉を話し、“それ”をおかしなことだとナタリアに指摘された。
もしかすると、『精霊使い』という言葉もレウルスにだけ違った意味に聞こえたのかもしれない。本当はもっと穏当で真っ当な、精霊教師であるソフィアが新たな位階として設立するのに相応しい名前だったのではないか。
レウルスはそう思い、そうであることを願った。
「――『精霊使い』?」
そして、その願いは容易く否定される。
レウルス達と共に大教会を訪れたジルバの口から零れた、押し殺すような声がレウルスを現実へと引き戻したのだ。
「聞き間違いでしょうか……今、『精霊使い』と……そう、聞こえたのですが?」
そう尋ねるジルバは、笑顔だった。それは見る者を安堵させるような笑みで――その身に纏う気配は真逆のものである。
寒気をもたらすような鋭い殺気。それを感じ取ったのはレウルスだけではなく、比較的近くに座っていた精霊教徒の男女が顔を引きつらせながら身をのけ反らせている。
「聞き間違いではありませんよ、ジルバさん。わたしは今、たしかに『精霊使い』と言いました」
そんなジルバの殺気に気付かないはずもないだろう。それでもソフィアは笑顔を崩さず、声を震わせることもなく言ってのけた。
「ほう……私の聞き間違いではないと……そうですか……」
ギシリ、とジルバの拳が音を立てて握り締められる。
レウルス達を先導するように歩いていたソフィアとジルバの距離は、ほんの二メートル程度しか離れていない。ジルバなら一瞬、一足の踏み込みで潰せる距離だ。
剣を抜いていない状況ではレウルスとて対峙したくない距離である。現に、自身目掛けて殺気が向けられているわけでもないというのに、レウルスは首の裏に冷や汗が浮いて止まらない。
仮にジルバがソフィアへと襲い掛かったとしても、止められない状況だ。無論、レウルスとしては止めるつもりもないが。
ジルバの必殺の間合いとも言える距離で足を止めたまま、ソフィアは首を傾げる。
「どうかしましたか?」
そして、ソフィアはジルバに向かって呑気に声をかけた。首を傾げたままで、何かあったのかと不思議そうに尋ねている。
「『精霊使い』……レウルスさんに新たな位階を授ける是非はともかく、その呼び名は精霊様に対して不敬では?」
故に、ジルバも即座には動かず言葉で攻める。何か釈明があるのならば述べろと言わんばかりに、敬語に殺気を混ぜながら問い質す。
そんなジルバの言葉に、大教会に集まっていた精霊教徒達からも似たような言葉が飛ぶ。そうだそうだ、と野次にも似た言葉が飛ぶ。
そうして周囲から向けられる視線と声を受け止めたソフィアは、笑顔を浮かべたままで視線を滑らせる。ぐるりと周囲を見回し、百人近くいる精霊教徒達一人ひとりの顔を確認していく。
その中でも野次を飛ばさず、顔に怒りすら浮かべていない者だけを、ソフィアの瞳が捉えていた。
「不敬……ですか」
だが、それも一瞬のことである。ソフィアはジルバに向き直ると、小首を傾げる。
「おかしなことを言うものですね、ジルバさん」
「……なに?」
とうとうジルバの口調から敬語が抜け落ちた。グレイゴ教徒と遭遇した時のような、煮え滾る殺気が溢れ始める。
「わたし達が“わたし達の基準”で精霊様に対して不敬かどうかを決めるのですか? 精霊様が不快に思われたのですか? 精霊様の心情を推し量ることこそが不敬ではないでしょうか?」
「…………」
疚しいところは一片もないと言わんばかりの様子で疑問をぶつけるソフィアに、ジルバは沈黙した。
「『精霊使い』……精霊“の”使いと言えばレウルス殿に相応しいと思うのですが、如何でしょう?」
「……それならば、精霊教師で良いでしょう? レウルスさんはサラ様から炎に対する『加護』を受け取っています」
当のレウルスやサラ、ネディを尻目に言葉をぶつけ合うジルバとソフィア。
「直接精霊様から『加護』を賜り、なおかつ常に精霊様と共に在る方に、我々『加護』を“受けただけ”の精霊教師と同等の地位に降りてこいと仰るのですか?」
「それは……」
「サラ様、ネディ様、お二方はどう思われますか? 『精霊使い』……レウルス殿と常に共に在れるよう願って考えた名前でしたが、ご不快ですか?」
ジルバが僅かに言いよどんだ隙に、ソフィアはサラとネディへ話を振った。それまで浮かべていた笑顔を引っ込め、ソフィアは真剣な表情を浮かべて言う。
「ご不快に思われたのでしたら仰られてください。精霊教師として己の不明を恥じ、責任を取らせていただきます」
そう言い放つソフィアを前に、レウルスの背後に隠れていたサラは腕を組み、ネディは何を考えているのかわからない顔で首を傾げた。
「んー……『精霊使い』……『精霊使い』……」
「…………」
背後から聞こえるサラの声と沈黙したネディの雰囲気に、レウルスは内心だけ冷や汗をかくような心境に陥る。
(おいおい……本気かこの人……)
どう責任を取るつもりなのかはわからないが、サラとネディはソフィアのことを良く思っていない。
それはソフィアが持つ『加護』が原因だが、殺気を滾らせたジルバが傍にいる状況で、サラとネディから好意的な反応を得る方に賭けるなど正気の沙汰とは思えなかった。
「うーん……うん、“そんなこと”はどうでもいいんだけど、今日は何をくれるの? お肉?」
そして、本当に悩んだのかと尋ねたくなるようなことをサラが口走った。
「ネディも……どうでもいい。サラと同じように、ネディもレウルスと一緒にいる。それだけ」
続いて、ネディもどうでもいいと言う。『精霊使い』という名前も、ソフィアとジルバの言い争いも、全てを含めてどうでもいいと切って捨てた。
「…………」
「…………」
そんなサラとネディの反応に、ソフィアとジルバは言葉を失う。意見を求めた精霊から、どうでもいいと言われてしまったのだ。肯定でも否定でもなく、無関心を示されてしまった。
「精霊様の御心は自由で縛られず、我々が勝手に崇めるのみ……そういうことですね」
ジルバよりも先に我に返ったソフィアは、呟くように言った。
「……まあ、精霊様には自由に過ごしていただきたいものですな」
ソフィアに僅かに遅れてジルバが言う。ソフィアの呟きに同意するような言葉だったが、それを聞いたソフィアはレウルスへと視線を向けた。
「レウルス殿はどう思われますか? 教会を運営するよう望むこともありませんし、『精霊使い』という名前は貴方に相応しいと思うのですが?」
「いや、そんな御大層な名前をもらっても困りますから」
サラとネディが否定したのならば、自分がそれに続いて否定しても問題にはならないだろう。
そう判断したレウルスがソフィアの言葉を否定すると、ソフィアは何故か笑みを浮かべる。
「“本当に”それでよろしいのですね?」
何か含みを持たせた声色だった。しかし、それが何を意味するのかわからず、レウルスは頷きを返す。
「……ええ」
何かあると思わせて、レウルスの翻意を誘っているのかもしれない。そう考えたレウルスに対し、ソフィアは笑みを浮かべたままで言う。
「そうですか……残念です。性急すぎましたね」
「……せめて、事前に話をしてほしいですね」
相槌を打ちつつ、レウルスは内心だけで首を捻った。
(なんで笑うんだ? こっちの……特にサラの性格を知ってればこうなることもわかってただろうに……断られた方が都合が良いのか?)
ソフィアの考えが読めず、レウルスは小さく眉を寄せる。しかしそんなレウルスの反応を見てもソフィアの表情が崩れることはなく、笑みを浮かべたままで背中を向けた。
(この人なら事前に他の精霊教徒に根回しするなり、事前にこっちに話を通すなりできた……よな? なんだ? 何か見落としてるのか?)
あっさりと退かれると、それはそれで気になってしまう。かといってレウルスには判断材料が少なく、ソフィアが何を考えているのか見当もつかない。
(いくら侯爵かつ大教会の精霊教師だからって、こんな大勢の前でこんなことをしたら立場が……ん?)
絨毯の上を歩くソフィアの背中を見ていたレウルスだったが、視界の端に数人の精霊教徒の顔が映った。それぞれが薄く笑みを浮かべているものの、どこか歪な印象を覚える笑顔である。
しかし、その違和感もすぐさま消え失せた。レウルスの視線を感じ取ったのか、あるいはレウルスの気のせいだったのか、精霊教徒達は柔和な笑みを浮かべる。
「それでは、“予定通り”精霊様への贈り物の奉呈を行いましょうか」
気を取り直したようにそう告げるソフィアに、レウルスは一抹の不安を覚えるのだった




