第340話:各々 その1
「なるほど……ナタリアさんが“この場”に連れてくるような奴が弱いとは思わなかったけど、アレはたしかに普通の冒険者とは毛色が違うわねぇ」
練兵場に停まっていた馬車の内の一つ。
尊大に足を組んで頬杖を突きつつ、外からは見えないように布が垂らされた窓からレウルスとベルナルドの戦いを“観戦”していた女性――精霊教師のソフィアはそんな言葉を零した。
その声色に込められた感情は驚きであり、納得であり、感嘆でもある。
先日顔を合わせた時は、生い立ちや年齢の割には多少賢いか、という程度の印象しかなかった。
精霊を連れているという特殊性、ジルバに精霊教の客人として認められたこと、『魔物喰らい』というあだ名と噂。
それらを考えれば弱くはないと思っていたが、蓋を開けてみれば想像以上の強さだった。
エリオとの戦いに関しては予想通りといえる結末に終わった。そもそも、エリオに敗れるようでは“今回の催し”も全てが御破算となる。
そのためベルナルドを引っ張り出し、レウルスが敗れたことも予想通りと言えた。
しかし、その戦いぶりは予想外だったのである。
ベルナルド=バネット=マルド=ルシーニ。
ソフィアのみならず、王都では知らない者がいない名前だ。地方の領軍に所属する者でも知らない者はいないだろう。王都から遠く離れた町や村でも、耳聡い者ならば当然のように知っている名前である。
国軍に入隊して既に三十年近くが過ぎており、四十代半ばという年齢にも関わらず未だに第一魔法隊で隊長を務める古強者。
有力な家系の生まれというわけでもなく、兵士として軍に入り、経験を積んで従士となり、やがては騎士となり、幾多もの戦場を駆け抜けて武功を積み上げ、一代で準男爵まで登り詰めたマタロイ屈指の武人である。
現状では準男爵の地位に在るナタリアを見ればわかるように、準男爵という地位は腕っぷしが強いだけでは“通常”得ることができない。領地を治めて運用する知識、政治の才覚があると見做されなければ得られない立場だ。
研鑽を積み、武功を上げ、部下の扱いを学び、知識を会得し、礼節や政治に関しても学ぶ。その上で他国の間諜の類ではないという裏付けを取り、貴族の推薦があってようやく成れるのが準男爵という地位である。
マタロイにおける“一般市民”の出世の終着点が準男爵で、武芸一辺倒では本来得られないものである。
ベルナルドが準男爵という地位を与えられたのは三十歳になるかどうかという年齢の頃で、これは他の準男爵が叙された年齢と比べると相当若い。
それなりに腕が立って、政治の才覚があって、複数の貴族からも覚えがめでたい。そういう人物の方が準男爵にはなりやすいのだが、ベルナルドはその強さだけで準男爵に叙された変わり種である。
ソフィアからすれば化け物の類だと断言できる腕前で、そんなベルナルドに多少とはいえ傷をつけ、十分近く戦い続けた。
――“その事実”は非常に大きい。
「でも……強いは強いんだけど、どちらかというととんでもないって表現した方が適切かしらね」
「と、申されますと?」
呟くようなソフィアの言葉に、御者台に座っていた御者から言葉が返ってくる。周囲の馬車と同様に顔がわからないよう外套で身を隠したその人物は、ソフィアの護衛にして腹心だ。わざわざ猫を被る必要もないため非常に重宝している。
「ん? だってアレ、冒険者になって二年も経ってないって話よ? どこかの家中の生まれってわけでもないから訓練を積んでたわけでもない……どこまで伸びしろがあるのかわたしには判断ができないけど、相当化けるでしょ」
「それは……いえ、そうですね」
自身の考えをまとめるように言葉を紡ぐソフィアに対し、御者は僅かに迷ってから男性とも女性とも判別できない声の高さで肯定した。
「ジルバさんぐらいには手が届くんじゃないかって思うんだけど……ま、素人の見立てだから聞き流してちょうだいな」
「はっ……これからどうされますか?」
「教会に戻るわ。これでも一応精霊教師だからねぇ……サラ様とネディ様の件もあるし、馬鹿が馬鹿なことを仕出かさないか監視しなきゃ」
ソフィアの言葉を聞き、御者が手綱を操って馬車を動かし始める。ソフィアは頬杖を突いたままで窓に垂らされた布を指で弾き、遠目にレウルスの顔を見た。
「精霊様と一緒に行動するのに申し分ない強さだったわねぇ……さて、どう動かそうかしら……」
そんな呟きを零し、ソフィアはため息を吐く。そしてふと、自身が乗る馬車と同じように練兵場に停まっていた馬車が視界に入り、首を傾げた。
(……しかし、やけにうるさい馬車がいたけど何だったのかしら?)
こういった場で詮索するのは御法度とはいえ、ソフィアの気にかかる程度にはガタガタとうるさかった。それが何だったのかと不思議に思ったが、どうでも良いことだと結論付ける。
(まあ、あれほどの激戦を見れば興奮して騒ぎたくなってもおかしくはない、か……)
どこぞの道楽貴族が物珍しさに顔を出して、思わぬ激戦に気が昂ってしまったのだろう。特に興味もないためそう結論付けたソフィアは、馬車の揺れを感じながら練兵場を後にするのだった。
グリマール侯爵の邸宅に向かおうとしたレウルス達だったが、さすがにそのまま向かうわけにもいかない。
ナタリア達はともかく、レウルスは血だらけな上に砂ぼこりに塗れているのだ。いくらレウルスといえど、その辺りを無視して貴族に会いたいとは思わなかった。
出血したままではさすがに失礼過ぎるということで、体のあちらこちらに負った傷はベルナルドが連れてきていた治癒魔法の使い手に治してもらっている。
それでも血や汗で臭いが酷いことになりそうだったため、防具を外してからネディが生み出した水で服を着たまま全身を洗い、水気を抜いてもらった。
そうすることでようやく“まとも”な外見になったレウルスだが、こんなことならば一度借家に帰った方が良かったのではないかと首を傾げる。
新しく作った服があるため着るものにも困らないが、一度帰宅して身支度を整える時間ぐらいはあっても良いと思ったのだ。
「その場合、グリマール侯爵を待たせることになるでしょう? さ、傷が治って体も綺麗になったのなら先に着替えてちょうだいな」
そう言って馬車を指さすナタリア。どうやら馬車の中で着替えろということらしい。
(マジか……いや、それは別に良いんだけどさ……)
普段と比べるとナタリアのテンションが僅かに高いように見え、レウルスは抗弁を諦める。そして馬車に乗り込むと、手早く服を着替えた。
この世界に生まれ変わって初めて着る正装である。もっとも、冒険者なりの正装ということで服の生地も意匠も貴族が着る服のように優れているというわけではない。
それでも、普段着ている麻布で作られた服よりも上等な綿布であり、きちんと体型に合わせて作っただけあって体にフィットする。
レウルスが着たのはジャケットにシャツ、ズボンと、前世で例えるならばタキシードに似た服だ。
黒く染められた布地を使ったその服は短期間で作られたとは思えないほど縫製がしっかりとしており、値段相応の造りになっている。
ただし、タキシードもどきを着たレウルスは、ベルナルドとの戦いで昂った心情が嘘のように急降下した。
(この服を着ると前世の社会人時代を思い出すんだよなぁ……)
スーツにも似ているため、自分の体を見下ろして思わずため息を吐いてしまう。それでも既に擦り切れた感傷だと切って捨て、時間もないことからすぐさま馬車から降りた。
「……あれ? ベルナルドさん達は?」
そして、先ほどまで練兵場にいたはずのベルナルド達が消えていることに気付く。また、あちらこちらに停まっていた馬車も姿を消していた。
「次の仕事に向かったわ……ベルナルド殿は御機嫌だったわよ?」
「挨拶をしてないんだけどな……」
模擬戦で負けはしたが、ベルナルドは敬意を抱くに足る強さだった。そのためレウルスが残念に思っていると、ナタリアは馬車に向かいながら意味深に微笑む。
「王都にいればいつか会う機会もあるわ……わたしも着替えるわね」
そう言い残し、馬車に入っていくナタリア。一体どれぐらいの時間がかかるのかと警戒するレウルスだったが、ナタリアは三分と経たない内に馬車から出てくる。
「……着替えるの早くないか?」
時間の短さから着替えなかったのかと訝しんだレウルスだが、ナタリアはきちんと着替えを済ませている。
ナタリアが身に纏っているのは黒を基調としたアフタヌーンドレスで、裾の長さがくるぶし近くまであるというのに身軽な動きで馬車から飛び降りてきた。
“普段”の服装もドレスに似ているが、今回着ている服は普段着と比べて露出が控えめである。ほっそりとした印象があるその服は、ナタリアの優れたプロポーションを嫌味でない程度に目立たせていた。
「むぅ……」
ナタリアのドレス姿を見たエリザが、自分の胸元に手を当てながら唸るような声を漏らす。そしてその場に膝を突かんばかりに落ち込んだ。
「何故じゃ……」
エリザ達も連れて行くため着替える必要がある。そのためエリザはとぼとぼとした足取りで馬車に向かい、それにサラが続いた。
レウルスやナタリアと比べれば小柄なため、二人同時に着替えても十分に余裕があるのである。そしてエリザとサラが着替えれば、今度はミーアとネディも着替える予定だった。
「しかし……いくら馬車の中とはいえ、準男爵がこんなところで着替えて良かったのか?」
着替えを待つ間、レウルスは雑談がてらナタリアに話を振る。するとナタリアは苦笑を浮かべた。
「以前は国軍にいたのよ? 戦場ではその辺りのことをいちいち気にしてる余裕はなかったわ」
「ここ、戦場じゃなくて王都だし……今は隊長さんでもないだろ? 貴族らしくとは言わないけどさ」
そう言いつつレウルスはコルラードの姿を探す。“昔のナタリア”に関しては、この場で最も詳しいと思ったからだ。
だが、コルラードは馬の手綱を握った状態で明後日の方向を見ている。その背中はこちらを巻き込むなと語っているようだった。
「習慣というものは中々抜けないものよ……グリマール侯爵も昔は前線に出ていたし、必要以上に礼儀を気にする人ではないのだけれどね。“周囲”がどう思うか、気を付ける必要があるわ」
「そんな人と今から会うのか……」
正直なところ、今だからこそ言えるがベルナルドと戦っている方が気楽だったかもしれない。ナタリアが相手をするのだろうが、貴族相手に通用する礼儀など持ち合わせていないのだ。
(しかし、あの人……)
レウルスは先ほど見たグリマール侯爵の顔を思い出し、どこで見たのだったか、と無言で首を傾げるのだった。