第33話:模索
喜び勇んで冒険者組合を飛び出し、ラヴァル廃棄街から見て南の方角へと足を向けたレウルス。二十分も歩けば森があるのだが、そこまで来て頭を抱えていた。
「やべぇ……剣を借りるの忘れてた……」
キマイラがうろついていたのが南の森であり、二、三日かけて歩けば生まれ故郷であるシェナ村にも辿り着くだろう。ラヴァル廃棄街の東側にある林と比べれば木々が多く、キマイラが死んだことで魔物の活動が不安定になっている場所でもあった。
そのためここならば魔物と遭遇しないということもないだろう、などと思いつつ剣の柄を握ろうとして剣がないことに気付いたのである。あるのは背負った大剣と予備の武器兼魔物解体用の短剣だけだ。
一度ラヴァル廃棄街に引き返し、剣を借りてくるか。しかし今から戻っても剣を借り忘れた間抜けとしてからかわれそうである。
「……街の中だと振り回せないし、訓練するにはちょうどいいか」
ため息を一つ吐き、背負っていた大剣に手を伸ばす。重さもそうだが刀身が長く、鞘から抜くだけでも一苦労なのだ。
レウルスは体の前面で斜めに、たすき掛けのようにしていた剣帯を解くと、大剣を鞘ごと地面に下ろす。そして柄を握って鞘から引き抜くが、大剣の重さに辟易としてしまった。
ドミニクから託されたというのもそうだが、物理的に重すぎる。試しに両手で握って持ち上げてみるが、腕がプルプルと震えてしまった。
キマイラと戦った時は片手で振り回すこともできたというのに、今では両手で持ち上げるのが精一杯である。
(“アレ”はなんだったんだろうな……)
キマイラを倒した際に発揮した力。それを見た者は『強化』に似た魔法だと口を揃えて言う。しかしながらあくまで似ているだけであり、その実態は別物らしかった。
(自分の意思で使えるわけじゃないし、むしろ勝手に発動するし……いや、勝手に発動しなかったら死んでたんだけど、もうちょっと使い勝手をだな……)
得体の知れない力だが、それがなければキマイラに殺されていただろう。だが、自由に扱うことができていればそもそも窮地に陥っていなかったかもしれない。
(それにアレ、やたらと腹が減るんだよなぁ……エステルさんの話が本当なら、色々と納得がいく話だけどさ)
大剣を構えつつ、レウルスはエステルと交わした会話を思い出す。
(喰らう力に魔力の渦……毒への耐性ってのがいまいちわからんが、ガキの頃から虫や木の根を齧ってた影響か? あとは食べたものを魔力に変換してるんだっけか……)
冒険者組合を初めて訪れた時、『魔力計測器』によって魔力の有無は確認してある。その時は魔力がないと言われたが、思い返してみると魔力を測る前日に角兎相手に例の力を使っていた。その結果魔力がなくなり、『魔力計測器』にも引っかからなかったのだろう。
シェナ村では魔力を蓄えられるような食生活を送っていなかったから仕方ないが、十五年かけて溜まっていたと思わしき魔力は角兎相手の一戦で全て使い切ったらしい。
その後の半月ほどはドミニクの料理店で食事をし、なおかつ魔物を倒した際はその死体を好きなだけ食べることができた。キマイラを食べることができなかったのは残念だが、倒した後に三日も気を失っていたのである。それに加えて強力な魔物は色々と使い道があるらしく、肉などが傷む前に売られていたのだ。
ラヴァル廃棄街に到着してから食生活が改善された結果キマイラを倒せたと考えると、今更ながら生まれ故郷が滅べば良いのにと思ってしまった。どれだけ現状との“差”があったのか、考えるだけでも気分が急降下してしまう。
(ま、全部仮定の話だけどな……いつ使えるかもわからない、どれだけ使えるかもわからない、一度使ったら全部の力を放出……なんて条件だったら、一か八かの博打になるし)
効果時間がどれほどかはわからないが、魔物と戦っている最中に効果が切れたらそのまま死にかねない。
冒険者として生きていく以上、自由に使いこなせれば有用な能力だろう。だが、使い方は自分で模索しなければならないのだ。
今までの発動状況から考えると、命の危機に晒されれば発動できるのではないかとレウルスは考えている――が、もしも違えばそのまま死ぬ。それは博打過ぎて確認するのが戸惑われた。
「…………あん?」
とりあえずは不確定要素に頼らず戦闘できるようにならなければ。思考をそう締め括ったレウルスだったが、己の勘に引っかかるものがあった。
悪寒とも呼べない、ほんの僅かな違和感。それは以前ならば気のせいだと見逃しただろうが、一度それで痛い目を見ているのだ。
「ウサギか別口か……どっちかね」
おそらくは角兎だろうと判断するレウルス。先に気付いた以上逃げても良いが、大剣の重さが足を引っ張って逃げ切れるかわからない。それならば迎え撃とうと決断し、両手で握った大剣を右肩に担いだ。
そうして三十秒もしないうちに木陰から姿を見せたのは、予想通り角兎である。この世界ではイーペルと呼ばれるそのウサギは、大型犬並の体躯に加えて鋭利な二本の角を持つ。
魔物としての階級は下級下位に分類され、魔物の中では雑魚と言えるだろう。だが、油断すれば頭の角で革鎧ごと串刺しにされるのだ。
レウルスは大剣の柄を握る手に力を込めると、大きく足を開いてどっしりと構えた。どの道大剣を持ったままでは素早い移動などできないのだ。それならば真正面から迎え撃つべく体勢を整えた方が無難と言えるだろう。
角兎もレウルスの存在に気付いていたのか、迷うことなく一直線に突っ込んでくる。その速度は地を駆ける獣らしいもので、三十メートル近い距離を一呼吸の時間で走破した。
――だが、目で追えないほどではない。
「おおおおおおおおおおぉぉっ!」
気合いの咆哮と共に、一歩前へ。地面を踏み割らんばかりの勢いで踏み込み、右肩に担いだ大剣を全力で振り下ろす。
それは技術も何もない、力任せの斬撃だ。踏み込んだ勢いに任せ、大剣の重量にすら頼った真っ向から振り下ろしである。
その一閃は、一直線に突っ込んできた角兎を真上から叩き斬る――だけに留まらず、勢いもそのままに地面に大きくめり込んでしまった。
「……相変わらず切れ味がすげぇな。これでもう少し軽けりゃ言うことはないんだが」
下手すれば折れ、下手せずとも刃毀れぐらいはするであろう雑な斬撃。しかしながら地面から引き抜いた大剣には刃毀れ一つなく、レウルスは呆れたような声を漏らしていた。
コロナの父親にして元上級下位冒険者であるドミニクが使用していた大剣は、通常の武器と比べて大きく異なる点がある。
それは『魔法文字』と呼ばれる魔法を文字として刻む技術により、『強化』の魔法が刀身に刻まれていることだ。これによって通常の刀剣を遥かに上回る頑丈さと切れ味を有しており、剣に関して素人のレウルスが手荒く扱ってもまったくの無事である。
ただし、レウルスからすれば恩人であるドミニクが使っていた武器である以上、可能な限り大切に使いたいと思っていた。
「それがこの結果ってのは……まあ、もっとしっかり訓練しないとな」
角兎を一撃で仕留めることができたが、複数の魔物が同時に攻撃していればどうなったか。それを理解しているレウルスは眉を寄せながらため息を吐いた。
それでも魔物を倒すことができたことに変わりはない。大剣を傍に置いてから短剣を引き抜くと、真っ二つになった角兎から二本の角を回収する。
「毛皮は……これって買い取ってもらえるのか?」
真上から力任せに叩き斬ったため、ボロボロというよりはスプラッタな状態である。一応毛皮を剥ぎ取れないこともないが、血と肉で汚れていた。二本の角があるため討伐報酬はもらえるだろうが、素材分の報酬は期待できそうにない。
やはりいつも使っている普通の剣を借りてくるべきだったと後悔するが、既に遅い。それでも短剣を操ってなるべく毛皮を回収しようと試みる。
「……やっぱり無理だなこりゃ」
ニコラから解体の仕方は習っているが、あまりにも状態が悪すぎた。レウルスは今の自分ではどうしようもないと見切りをつけると、毛皮を剥いだことで残った肉に目を向ける。
多少土と砂で汚れているが、食べようと思えば食べられるはずだ。そう考えたレウルスは周囲を警戒しながら森に入ると、手頃な枯れ木を手早く集めて戻る。そして森から十分に離れると、ナタリアからもらった火打石と火打金を取り出し、着火用の木屑に向かって火花を散らし始めた。
「お? おお……すげえ」
試行錯誤することほんの一分。木屑に火が点いたのを見計らい、拾ってきた枯れ木に火を移していく。すると思ったよりも簡単に火が移り、数分もすると焚き火と呼べるほどに火が強くなった。
たったそれだけのことではあるが、自分の手で火が熾せたことにレウルスは感動する。そしてウキウキとしながら角兎の肉を掴み、火で炙り始めた。
食べられるのならば生肉でも一向に構わないが、せっかくナタリアから火打石一式をもらったのだ。更に言えば塩もあるため、味付けにも困らないのである。
もちろん、肉を焼いている間も周囲の警戒は怠らない。大剣を常に傍に置き、己の勘に引っかかるものがないかと神経を集中させている。
しかしたまたま近くに魔物がいなかったのか、それとも平原のど真ん中で角兎を解体して焼肉を始めたレウルスを警戒したのか、近づいてくる魔物の姿はなかった。
もしも食事の邪魔をされたら“もう一品”増えたのだが、と残念に思いつつもレウルスは角兎の肉を焼き上げていく。
レウルスが焼いているのは角兎の足である。短剣で毛皮を剥ぎ、ついでに焼きやすいよう取っ手として骨を露出させていた。その造形を一言で表すとすれば――。
「ま……マンガ肉っ!」
火力が安定しないためところどころ生焼けだったり焦げたりしているが、レウルスが作り上げたのはマンガ肉と呼んで差支えがない代物だった。
レウルスは震える手を懸命に抑えながら塩を一振りすると、肉の熱さに構わず思い切り噛み付く。そして歯を立てて肉を噛み千切ると、満足そうに頷いた。
「美味い……こりゃ姐さんに感謝だな」
今世で初めて作った手料理である。レウルスは骨までしゃぶる勢いで肉を齧り取ると、残っていた角兎の肉も分解して焼き始めた。
殺したばかりの新鮮な肉である。血抜きをしていないため血の味がするが、それを差し引いても十分に美味い。調味料も塩だけとシンプルだったが、自分の手で仕留めた魔物を自分の手で調理したからか、異常に美味く思えた。
「ふぅ……美味かったぁ」
結局、角兎を丸々一匹焼いて食べたレウルスは満足そうな声を漏らす。残ったのは血で汚れている上にバラバラになった角兎の毛皮と骨、そして内臓だけだ。レウルスは手持ちの水筒で口元や手についた血を洗い流すと、焚き火に振りかけて消火する。
まだ昼食を取っていなかったとはいえ、角兎一匹は食べ過ぎただろうか。そう思ったものの自身の体が重いようには感じられないレウルスである。むしろまだ食べられたな、と若干の不満が出てくるほどだ。
(って、いかんいかん……俺は魔物退治にきたんだった)
思わず焼肉を始めてしまったものの、本来の目的は魔物退治である。焼肉の匂いで魔物が寄ってくれば探す手間も省けたのだが、生憎と寄ってくる魔物は一匹もいなかった。
(あれ? 魔物を仕留めたその場で食べちまったら廃棄街に納める税金はどうなるんだ? 素材分は引かれるだろうけど、肉の分は……んん?)
ついつい食欲に負けて全部食べてしまったが、この場合はラヴァル廃棄街に支払う税金はどうなるのか。そんなことを考えていたレウルスだったが、首筋にヒヤリとしたものを感じて眉を寄せる。
角兎の時よりも強い、魔力の気配だ。わざわざ食事が終わるのを待っていたのだろうかと首を傾げるが、魔物がそこまで律儀だとは思えない。
比較対象が少ないが、己の勘を信じる限りキマイラのような大物ではないようだ。それでも角兎より弱くないと即断できる程度には強い。
(知らない魔物か? それともあのカマキリか?)
移動速度はそれほど速くなく、レウルスはどうするべきか迷う。カマキリならば既に何度か倒しているため、このまま戦っても良い。しかし相手が知らない魔物だった場合は逃げた方が良いだろう。
情報がない魔物の場合どんな攻撃方法を持つのかわからず、魔法を使ってくるかもわからない。さすがにキマイラより強い魔物と遭遇するとは思いたくないが、キマイラより弱くてもレウルスより強い可能性もあるのだ。
大剣を担いだレウルスは森から離れるように少しずつ後退する。エサを求めて森から出てくるのならば、角兎の食べ残しがまだ残っていた。そのためレウルスと無理に戦わずにエサの確保に向かうかもしれないのだ。
(でもキマイラみたいに街を危険に晒す魔物かもしれないし、遠目に見るだけでも……)
今のレウルスにとって重要なのは、ラヴァル廃棄街で生きていくことだ。そのためにはラヴァル廃棄街に害を成す存在か見極める必要があった。
感じる魔力が弱くとも、凄まじく強い魔物かもしれない。その場合はレウルスも覚悟を決め、この場で迎え撃つつもりである。
なにせ今のラヴァル廃棄街には強力な戦力が存在しないのだ。ニコラは負傷でまともに戦えず、シャロンはキマイラ相手に魔力を消耗しすぎた。冒険者組合の長であるバルトロも怪我が完治していない。
他にも冒険者はいるが、ニコラやシャロンのように魔法が使える者がいると聞いたことがなかった。
それ故に、もしもラヴァル廃棄街の敵となるのならこの場で迎え撃とうと決断した。勝てないとしても腕の一本、足の一本はもらおうとレウルスは思った。
それまで焼肉を食べて喜んでいたのが嘘のように心が静まる。レウルスは深呼吸を繰り返して気息を整えると、両手で握った大剣に力を込めた。
「……?」
だが、待ち構えるレウルスを警戒したのか接近してくる魔力の気配が止まってしまう。相手は森の木々に隠れているようだが、レウルスからすれば気配が“丸見え”だった。
「何者だ!? 姿を見せろ!」
一応、人の可能性もあると考えて声をかける。これで出てくるなら自分のように村などから逃げ出したのかもしれない。あるいは森の中で迷ったか。
さすがに自分と同じ境遇に置かれた人間を斬るつもりなどなく、レウルスとしてはこれで何か動きがあればと思っていた。
相手が人語を理解できるほどの知性を持つならば何かしらの反応があるだろう。その場合は遭難した人間か――あるいは強力な魔物か。魔力を感じるため後者の方があり得そうである。
反応がなければ知性が低い魔物だと判断し、なおかつ見たことがない魔物ならばこの場から退くつもりだった。情報がない魔物と戦うなど、危険極まりない。逃げても支障がない状況で踏み止まるほど無謀でもないのだ。
(……動かない、か)
頭の中で十秒ほど数えてみるが、相手に動きはなかった。これでただの気のせいだったら笑い話にもならないが、レウルスは己の勘を信じている。
これまで何度も命を助けられてきた、頼りになる勘なのだ。何か問題があるとすれば、その勘を疑って対応を誤ることである。かつては己の勘をただ違和感だと無視し、角兎に殺されかけたのだからなおさらに重視していた。
「っ……」
いっそのこと自分から斬り込んで不意を突くのも手かもしれない。そんな物騒なことを考え始めたレウルスだったが、相手側に動きがあって小さく息を飲んだ。
待ち構えるレウルスを警戒していたのか、それとも別の理由があったのか。木々に隠れるようにしていた気配がゆっくりと動き出し、サクサクと枯れ葉を踏みながら近づいてくる。
(鬼が出るか蛇が出るか……この世界には鬼も化け物みたいな蛇もいそうだから洒落にならないけどな)
何が出てきても驚くまい。そう自分に言い聞かせるレウルスだったが、草木を踏み分けて姿を見せた相手の姿に思わず目を見開いてしまう。
「……子ども?」
木々の隙間から姿を見せたのは、一人の子どもだった。
ボロボロの外套を身に纏い、顔を隠すようにフードを被っている。それでもフードの端から桃色がかった金髪が覗いており、髪の長さだけで判断するなら少女だろうか。フードと髪の毛の間から見える瞳は赤みを帯びており、レウルスをじっと見つめている。
外套とフードによって体格が隠れているが、身長はそれほど高くない。足元に視線を向けてみると裸足であり、外見だけで判断するならばどこかの村から逃げ出してきた小柄な少女に見えた。
(俺みたいに奴隷として売られた途中で逃げ出したクチか、それとも村から逃げ出したか……素直にそう考えられたら良かったんだけどな)
レウルスは緊張によって唇が乾燥していくのを感じ取る。外見だけ見れば何の害もなさそうだが、レウルスの勘は目の前の少女に反応しているのだ。
そこまで強烈な反応ではないが、少なくとも魔力を持っているだろう。あるいは眼前の少女は魔物であり、人の姿を取っているだけという可能性もある。
この世界は魔物や魔法が存在するのだ。強力な魔物が人間に化けていてもなんら不思議はない。
「アンタ……何者だ?」
大剣を握る両手に力を込めつつ、低い声色で尋ねる。人間ならば良いが、これで魔物だったならば撤退も視野に入れる必要があった。
人型の魔物がどれほどの強さを持つのか、レウルスは知らない。危険かどうかの判断もできない以上、まずは情報を持ちかえるべきだろう――生きて帰れたならば。
警戒心を露わにするレウルスに対し、少女は“何故か”数秒ほど視線を彷徨わせてから決然と答えた。
「ワシの名はエリザ=ヴァルジェーベ! 誇り高き吸血種じゃ!」