第338話:模擬戦 その6
駆ける、駆ける、地を駆ける。
レウルスは獣のように疾走し、槍を構えたベルナルドの周囲を駆け回る。
そうして駆け回る理由は単純だ。足を止めてベルナルドの出方を窺うようでは勝機が存在しないと、そう判断してのことだった。
ほんの数十秒程度だが、戦ってわかったことがある。それは“まとも”に戦っていては一方的に蹂躙されるということだ。
膂力はほぼ互角。
速度はレウルスが僅かに優勢。
技量は雲泥の差で、戦闘経験は比べるべくもない。
振るう武器にも大きな差がなく、直接戦闘という意味ではレベッカ以上の難敵だろう。
「…………」
『熱量解放』によって引き上げられた身体能力に物を言わせ、残像を残しそうな速度で駆け回るレウルスをベルナルドは無言で注視している。
ベルナルドはレウルスの動きに合わせて立ち位置を変えて常にレウルスを視界に捉えているが、槍を繰り出すことはない。
レウルスも常に全力では走らず、意識して速度を増減させて的を絞らせない。単調な動きを見せた瞬間、ベルナルドの槍がレウルスを捉えるだろう。
理想はベルナルドに空振りをさせることだが、そんな真似を許すとは思えない。そのためレウルスは隙を探るようにベルナルドの周囲を駆け回る。
それと同時に、レウルスはベルナルドの魔力にも意識を向けた。『天雷』という大層なあだ名で呼ばれているのだ。エリザ以上に強力な雷魔法を扱えると考えるべきで、その雷魔法が溜めすらなく瞬時に放たれてもおかしくはない。
さすがに模擬戦では使わないだろうが、ベルナルドの持つ魔力の大きさを考えると上級魔法を扱える可能性もある。
以前サラがメルセナ湖でスライム相手に使ったような強力な魔法――それも雷魔法として放たれるとなると、どれほどの威力でどんな現象が起こるか。
距離を取っているとはいえ、馬車に乗った“観客”がいる状態では撃たないとは思う。それでもそういった手札を持ち合わせていると思うと、目には見えない魔力の動きにも注意する必要があった。
「なるほど、中々に速いな……では“こう”しよう」
レウルスが魔法に関しても警戒した矢先、ベルナルドの魔力に動きがあった。魔法を撃たれても『龍斬』で斬り裂こうと考えていたレウルスだが、ベルナルドは予想外の行動に出る。
「っ!?」
――目が潰れた。
そう思えるほどの眩い雷光がベルナルドの体から放たれ、レウルスの視界を焼く。前世の知識で例えるならばカメラのフラッシュを直視したようなもので、思わぬ“攻撃”にレウルスは思わず足を止めてしまった。
「小細工の類だが、俺の動きを観察している者にはよく効くだろう?」
そんな声が聞こえると同時に、殺気にも似た戦意が向けられる。
併せて踏み込むような音に、風切り音がレウルスの耳朶を叩いた。
「ッ、オオオオォッ!」
目は見えないが、気配と音は感じ取れる。視覚を封じられたレウルスだが直感で『龍斬』を振るい、ベルナルドが振るう槍に刃を合わせて強引に弾く。
一合、二合、三合。身に迫る気配と魔力、そして音を頼りにレウルスはベルナルドの連撃を弾いて逸らす。『龍斬』の刃と槍の柄がぶつかる度に激しい衝撃が伝わるが、凌げない威力ではない。
「ほう……勘が良いのか耳が良いのか、大したものだ。そら、次の小細工だ」
「ぐっ!?」
ベルナルドの槍と『龍斬』を打ち合わせた瞬間、体を貫くような雷撃が走り抜ける。目には見えないがおそらくは槍に雷を纏わせていたのだろう、とレウルスは察した。
放たれた魔法ならばともかく、さすがに接触した状態では斬りようがない。『龍斬』を握る両手から焼けるような痛みが伝わり、体も雷撃で痺れて動きを止める。
視覚もそうだが、ベルナルドほどの手練れを前にして致命的な隙だ。動きさえ止まればベルナルドでなくともレウルスを倒すことは容易だろう。
ベルナルドの槍が迫る。レウルスは音と気配でそう感じ取る。意識を奪うためか横に薙ぐようにして、レウルスの頭を殴り飛ばす軌道で槍の柄が迫る。
意識を奪うどころか頭蓋が陥没しそうな威力で、痺れた体では到底回避できない速度で――“そんなもの”は知ったことかとレウルスの体が動いていた。
「ぬっ!?」
ベルナルドの口から漏れる、僅かな驚愕。
体が痺れているはずだというのにレウルスが動いたこともそうだが、ここにきてレウルスは防御を選択しなかった。歯を食いしばって槍の衝撃に備えつつも、『龍斬』をベルナルドの胴体目掛けて振るったのだ。
さすがに『龍斬』に魔力を込める余裕はない。それでも切っ先に僅かな手応えが伝わった。
「ギッ!?」
そして、その手応えを強く実感するよりも先に衝撃が頭部を襲う。左側頭部に走った衝撃でレウルスの体が浮き、真横へと吹き飛ばされる。
常人ならば首の骨が折れて死にそうな一撃だ。レウルスの頑丈さを見抜いて威力を調節したのだろうが、気を抜いていれば意識ごと首を持っていかれそうな威力だった。
一応衝撃に合わせて軽く跳びはしたが、軽減するにも限度がある。雷光によって瞬間的に視界を奪われたレウルスは勢いに逆らわずに地面を転がり――すぐさま飛び起きた。
「つぅ……いてぇ。今、首の骨がポキッて鳴ったぞ……」
「それだけで済むとは、見誤っていたか……どんな体をしているのやら」
元気に飛び起きて『龍斬』を構えるレウルスの姿に、ベルナルドが呆れたような声を零す。
『熱量解放』を使っていても痛みを感じたということは、相当な威力だったのだろう。レウルスは自身の首を軽く摩ってみるが、骨が折れたわけではないようだ。急な衝撃で骨が鳴ってしまったのだろう。
(『熱量解放』を使ってなかったら死んでそうだけどな……)
徐々に色を取り戻しつつある視界でベルナルドの姿を捉えつつ、レウルスは内心だけで呟く。こめかみを何かが伝っているのを感じて触れてみると、左手にべったりと血が付着した。
(今の攻撃で戦いが終わりじゃないのは……姐さんが審判だからか。加減されてるとはいえ俺なら耐えるって思ったのか?)
嫌な信頼だ、とレウルスは苦笑する。試合なら“一本”を取られて終わりだろうが、レウルスがまだまだ戦えると見て止めないつもりらしい。
(いや……向こうも無傷じゃないからか)
徐々に戻りつつある視界で捉えたのは、ベルナルドの脇腹についた傷である。運良く部分鎧の隙間に当たったのか、僅かとはいえ血が滲んでいるのだ。
傷の程度ではレウルスの方が重傷といえるだろう。だが、頭部の出血ぐらいならエリザとの『契約』によって時間の経過と共に勝手に塞がる。
『首狩り』を倒した時のように『契約』を通してエリザやサラの力を“引きずり出せば”時間の経過を待つ必要もないかもしれないが、現状で再現できるかはわからない。
模擬戦でエリザとサラの力を借りて良いのかという疑問もあるが――。
(それは今更か……)
レウルスの強さはエリザやサラとの『契約』の上に成り立っているものだ。冒険者として活動してきたことで『契約』抜きでも戦えるぐらいに体も鍛えられているが、二人からの魔力の供給がなければ数段弱くなるだろう。
『熱量解放』を使えば話は別だが、エリザやサラとの『契約』は最早レウルスとしても当たり前のものだ。
僅かとはいえ傷を負ったことで戦意が強まるベルナルドと相対しながら、レウルスは徐々に意識を集中させていく。駆け回っていた状況から一転、『龍斬』をだらりと下げて構えにもならない構えを取った。
これは模擬戦で、殺し合いではない。それでもベルナルドという強者を前にしたレウルスの意識は研ぎ澄まされ、『熱量解放』によって“外”に放出される魔力を少しでも身の内に収めようと試みる。
何度も練習で試してことごとく失敗してきたが、一度は成功したのだ。
『首狩り』の時と同じように、眼前には全力を出しても勝ち得ない敵が立っている。その事実を認識すれば、練習の時よりも速く、深く、己の中に埋没できる。
だが、『首狩り』を倒した時のような状態には至らない。“そこまで”は至れない。
どれだけ集中しても体が死を認識していないからか、エリザとサラ、二人の力を同時に引き出すような真似はできない。
――それでも、“片方”は引き出せた。
レウルスの握る『龍斬』から炎が吹き上がる。それは普段は『契約』を通して行使するサラの炎だ。
“それ”をレウルスの意思だけで操り、魔力を糧に炎という形で顕現させる。
「シャアアアアアアアアアアアァッ!」
レウルスが炎を生み出したのを見て眉を寄せるベルナルド目掛け、『龍斬』を振るう。そうして放たれるのは炎を纏った魔力の刃だ。視認性という点では通常の魔力の刃と比べて大きく劣るが、威力という点では大きく勝る。
それを見たベルナルドは、雷を纏わせた槍で薙ぎ払う。炎と雷がぶつかり合い、相殺し合って消え失せる。
その間にレウルスは駆けていた。意識を集中させているため複雑な動きはできず、真正面から『龍斬』を構えて突っ込んでいく。
雷を纏ったベルナルドの槍が迫り、炎を纏ったレウルスの大剣がそれを弾く。今度は体が痺れることもなく、互角に武器をぶつけ合う。
「ぬっ!?」
そして、先ほどまではほぼ互角だったぶつかり合いでベルナルドが押し負けた。レウルスを打ち据えようとした槍が弾かれる。
それでもベルナルドは槍が弾かれた勢いすらも利用し、即座に体勢を立て直した。レウルスが繰り出す斬撃を力で弾かず、技術で受け流していく。
今この場において、レウルスは膂力という一点だけでも完全にベルナルドを上回っていた。
しかし、それで崩れるようではベルナルドもマタロイで最強と噂されることはないだろう。直撃すれば両断されてそのまま燃やし尽くされそうな斬撃を冷静に、的確に、槍で受け流していく。
「――面白い」
そして、レウルスへの“認識”を一段階引き上げて獰猛に笑うのだった。