第337話:模擬戦 その5
(まさかとは思ったけど、本当に出てくるとはなぁ……)
準備運動でもするように槍を振るうベルナルドの姿に、レウルスは内心で小さく呟く。
(予定通りって言ってたよな……あのエリオって人に勝つのもそうだけど、そこから続けて戦うのも予定通りってことか? 姐さんも妙に乗り気だし……)
コルラードが事前に語っていたような、レウルスが全力で戦っても問題がない人物――それはエリオではなくベルナルドだろう。
その立ち振る舞いを見て、威風を感じ取るだけでそう断言できる。
前世の年齢を加算したとしてもなお年上であろうベルナルドだが、その肉体が鍛え上げられているのは一見するだけで理解できた。また、実戦経験が豊富で幾多もの死線を乗り越えているというのも、その目を見れば嫌でも理解できる。
模擬戦ではあるが、戦いを前にして微塵も浮ついたところがない。日常の延長として槍を振るい、敵を屠るような手合いであることは一目瞭然だ。
問題は戦う相手がレウルス自身という点だが、実戦ではないため仮に敗れても命を取られることはないだろう。
ナタリアの言葉を信じるならば、マタロイという大国における最強――頂点に近い人物なのだ。
経験を積むという点において、これ以上の相手は早々いない。ナタリアが乗り気なのも、その辺りが影響しているのではないか。
(でもなぁ……)
『龍斬』を右肩に担ぎながら、レウルスはベルナルドへと視線を向ける。
エリオ相手に『熱量解放』を使ったものの、短時間で勝負がついたため魔力に不安はない。体感のため誤差はあるだろうが、『熱量解放』を使っても十分以上もつはずである。
だが、魔力がもつといっても勝てるかは別問題だ。勝つ必要があるのかもわからないが、ベルナルドの言動やナタリアの反応を見る限り“負けて当然”と思われている節がある。
もちろんレウルスとてベルナルドに勝てるとは思っていない。エリオが相手ならば技術で劣ろうとも単純な“出力差”で勝てるが、ベルナルドから感じ取れる魔力は非常に大きい。
レベッカほどではないが、レウルスが知る限り人間では三指に入るであろう魔力の巨大さである。精霊であるサラやネディよりも魔力が大きいと表現すれば、その巨大さが嫌でもわかった。
その巨大な魔力で『強化』を使えば、それだけで脅威的な力を発揮する。それこそ魔法人形で模した存在だったが、レベッカ並の膂力を発揮するだろう。
(……待てよ? この人がレベッカだと思えばこれは貴重な経験になるんじゃないか?)
戦い方も異なるだろうが、強さという点ではレベッカのみならずグレイゴ教の司教にも勝りそうな気配がある。
そんなベルナルドと模擬戦とはいえ戦えるというのは、たしかに貴重な経験と呼べるだろう。
見ただけで“格上”だとわかる相手との戦い。それは本当に貴重なことで――ドクン、と音を立てて血潮が巡るのをレウルスは感じ取った。
エリオと戦っている最中にも思ったことだが、細かいことを考える必要などない。その辺りのことは全部ナタリアに放り投げている。そして、そのナタリアが戦ってこいと勧めるのだ。
「貴様のような人間は実戦以外だと力が出しにくいようだが……」
そんなレウルスの心境を読み取ったのか、準備をしていたベルナルドが声をかける。
「どうやらそんな心配は無用なようだな?」
レウルスが放つ殺気を感じ取ったのだろう、ベルナルドは鼻を鳴らすように言う。そこに油断は欠片も存在せず、レウルスとしては苦笑したい気持ちになった。
(どうして強い人に限って油断しないんだろうな……いや、油断しないからこそ強くなるまで生き延びてるのか)
もっと油断してくれれば戦いようもあるのだが、とレウルスは思う。それでもその油断のなさも含めて、貴重な経験となるだろう。
「戦う前に一つ、いいですか?」
「聞こう」
レウルスが『龍斬』に魔力を込めながら言葉を向けると、ベルナルドは短く答える。
「勝てるとは思えないんですが、どうにも戦わずに退くわけにもいかないようでして……“全力”で歯向かわせてもらいますが構いませんかね?」
そう言って、レウルスは『龍斬』を鞘から抜き放つ。真紅の刀身が空気に触れ、レウルスの魔力を受けて歓喜の声を上げるように陽光に煌めく。
エリオの時は抜かなかったが、ベルナルドが相手では加減も出し惜しみもできない。殺すつもりで剣を振るっても、死ぬことはないだろうという直感があった。
「無論」
答えながらベルナルドは半身開いて腰を落とし、槍を中段に構える。
三メートル近い銅褐色の槍は無骨だが、気品のようなものが感じられた。直接相対して思ったのは、エリオが振るっていた槍と比べれば桁違いの逸品だということだ。
そんなベルナルドから十メートルほど離れた位置で、レウルスは『龍斬』を右肩に担いぎながら『熱量解放』を使い、前傾姿勢を取った。
そうしてレウルスとベルナルドの準備が整ったと見て、ナタリアが右手を挙げる。
「では……始め!」
開始の宣言と共にナタリアの右手が振り下ろされ――レウルスは即座に大剣を振り下ろす。
それは半ば反射による行動で、レウルスが自分の取った行動に気付いたのは大剣を振り下ろした瞬間だった。
「っ!?」
甲高い金属音と、両手に伝わる激しい衝撃。それを知覚するよりも際に、レウルスは“何が起きた”かを目視する。
開始の宣言と同時に、ベルナルドが動いていたのだ。一体どのような歩法によるものか、槍を構えたままで地面を滑るように移動し、レウルスの顔面目掛けて刺突を繰り出してきたのである。
開始の宣言直後という、実際に“戦い”に意識を向けるまで数瞬かかるであろう空白。その隙を逃さず間合いを詰めて槍を繰り出すベルナルドには油断もだが容赦もない。
迫りくる穂先をレウルスが弾けたのは、事前に『熱量解放』を使っていたからだ。エリオの時のように見に徹していたならば、最初の一撃で勝負がついていただろう。
「……ほう」
穂先を弾いたレウルスに、ベルナルドが僅かに感心したような声を漏らす。だが、レウルスに向かって踏み込んでいたはずのベルナルドの姿はいつの間にか離れている。
開戦当初と同じように槍を構えたままで後退し、距離を開けていたのだ。
(『熱量解放』を使ってなかったら一撃で終わってたな……というか、なんだよあの動き……)
槍を構えたままで、スライドするように移動してみせたベルナルド。その動きはレウルスの遠近感を狂わせそうになるほどで、レウルスは目で追うだけでなくベルナルドの魔力との距離を探ることで正確な位置を割り出す。
「シイイイイィィッ!」
ベルナルドが新たに動く前に、レウルスの方から動いた。鋭い呼気と共に『龍斬』を横薙ぎに振るい、魔力の刃を放つ。そして振り切った『龍斬』を構えたまま、魔力の刃を追うようにしてベルナルドとの距離を詰める。
魔力の刃は加減ができないが、ベルナルドが死ぬこともまともにくらうこともないだろう。そう判断して接近戦を挑もうとするレウルスだが、ベルナルドが取った行動は予想を上回る。
「ぬんっ!」
回避するでもなく、防御するでもなく、ベルナルドは魔力の刃目掛けて踏み込んでいた。そして刺突を繰り出し、槍の穂先で魔力の刃を穿ち抜いて霧散させる。
(『無効化』か!?)
ベルナルドが繰り出した槍は魔力の刃を貫いた勢いもそのままに、レウルスへと迫る。レウルスは左横に構えていた『龍斬』を切り上げて槍の柄を叩き、軌道を逸らし――。
(お――も――っ!?)
想定したよりも槍を弾くことができず、辛うじて命中を避けるだけの結果に終わった。
斜め下から弾いたというのに、ベルナルドが操る槍はそれほど大きく動かない。『熱量解放』を使っているにも関わらず、だ。
「ほう……大した力だ」
しかし、ベルナルドからすれば賛辞に値する出来事だったらしい。瞬時に槍を引き戻しながら呟きを零し、足を止めてしまったレウルス目掛けて槍を横へと薙ぐ。
――跳躍して回避すれば、逃げ場のない空中ということもあって胴体を貫かれて死ぬ。
――しゃがみ込んで回避すれば、今度は槍の振り下ろしで頭蓋を叩き割られて死ぬ。
――後方に跳んで回避すれば、追撃で繰り出された穂先が心臓を捉えて死ぬ。
模擬戦だというのに瞬時に三つの死の臭いを嗅ぎ分け、レウルスは迎撃を選ぶ。迫りくる槍の柄目掛けて『龍斬』を叩き付ける。
「ぐっ!?」
そして伝わってくるのは、巨大な鉄球でもぶつかってきたのかと錯覚しそうな衝撃だった。両腕に伝わる衝撃は激しく、レウルスは体が撥ね飛ばされそうになるのを必死に押さえ込む。
「ふっ!」
レウルスの動きが止まった瞬間、ベルナルドは槍を引いて体を捻った。そして槍を引いた勢いを利用し、槍のような前蹴りを繰り出してくる。
その足を斬ろうにも、動きが速い。そのためレウルスは咄嗟に『龍斬』の“腹”で蹴りを受け止める。
「ッ、う、おおぉっ!?」
――蹴りを止めた『龍斬』ごと、レウルスの体が宙に浮いた。
両足が地面から離れ、ほんの僅かとはいえ空中へと放り出される。
(追撃は……っ!?)
何だかんだで直撃は受けていない。そうなると、ベルナルドも容赦なく追撃してくるだろう。
そう考えたレウルスは、スローモーションな視界の中で徐々に離れていくベルナルドを見た。レウルスに向かって左手を向け、魔力を集中させるその姿を。
「オオオオオオオォォッ!」
体勢が崩れようと構わない。“そんなこと”よりもベルナルドが放つ魔法を迎え撃つ方が先決だ。
ベルナルドの左手から紫電が放たれる。その前兆を魔力から感じ取ったレウルスは空中かつ蹴られた衝撃ですぐには振るえない『龍斬』を咄嗟に手放し、『首狩り』の剣を抜くと同時に魔力を込めながら一閃する。
雷が弾けるような音と、『首狩り』の剣を握る右手に伝わる衝撃。そこまで雷撃の威力が高くなかったのか問題なく斬り裂けたが、その事実はベルナルドがまだまだ手加減しているのだろうと感じさせた。
レウルスは着地するなり『首狩り』の剣を鞘に収め、落下してきた『龍斬』の柄を見ることなく掴む。
ほんの僅かな激突、数十秒にも満たない戦い。それでも彼我の実力差を感じ取ったレウルスは、『龍斬』を構え直しながら気息を整える。
(参った……いや、こりゃ参ったわ……)
エリオと比べると、難易度が段違いどころか桁で違っている。模擬戦だというのに死にそうな気配がするのはどういうことなのか。
何故こんな相手と戦っているのだろう、と僅かに疑問に思い――知らず知らずのうちに、レウルスの頬は笑みを作るように吊り上がっていたのだった。