第336話:模擬戦 その4
正直なところ、エリオは落胆していた。
国軍に所属している者ならば知らない者がいないナタリアが、“この場”に連れてくるような人物。その相手をベルナルドから任せると聞かされた時、どれほどの手練れが現れるのかと期待していた。
それだというのに、現れたのはエリオよりも年下と思しき男である。少年と呼ぶほど幼くはないが、青年と呼ぶにはやや若い。
その振る舞いから戦い慣れてはいるのだろう、とアタリをつけたエリオだったが、戦いの蓋を開けてみれば予想を下回る酷さだった。
表情は真剣だが、どこか戸惑いのような気配が感じられる。動きこそ素早いものの、反撃することなく回避に徹するその姿は拍子抜けも良いところだった。
自身の動きを観察しているのかと訝しんだエリオだったが、対戦相手――レウルスはどちらかというとエリオ自身よりも周囲に意識を向けているようだった。
繰り出す槍はそのほとんどが回避されているが、模擬戦ということである程度加減している。それなりに急所を狙いもするが、レウルスが回避できなかった時に備えて即座に動きを止められるよう、意識もしていた。
『魔物喰らい』だ何だと噂されているが所詮は冒険者か、と心中で落胆をしつつも、それは表には出さない。
加減をしているが、槍を回避されているという事実は変わらないのだ。それも、大剣を肩に担いだままで回避するという、何をしたいのかと訝しむ避け方である。
弱くはないが、強くもない。槍の避け方や足捌きを見れば、長期間鍛錬を積んだ者ではないというのも見て取れる。魔力を感じるため、『強化』を使って身体能力に物を言わせて回避しているのだと思われた。
様々な噂が流れているが、それも所詮尾鰭が付いたものだろう。それでもこうして槍を回避できているだけ、冒険者にしては強いか。
そう結論付けたエリオは、レウルスの頬に軽く傷がついたのを機と見て話しかけた。
エリオとしても“仕事”で来ているため不快には思わないが、やる気がないならばすぐさま降参するべきである。そう思い、レウルスに話しかけたのだが――。
「シャアアアアアアアアアアァァッ!」
一体何を考えたのか、獰猛な笑みを浮かべたレウルスが強力な魔物を彷彿とさせる殺気を放ちながら襲いかかってきたのだった。
眼前のエリオを“敵”と捉えたレウルスは『熱量解放』を使い、練兵場の地面を陥没させる勢いで蹴り付けて疾駆する。
そんなレウルスの行動に虚を突かれたのか、エリオの反応は僅かに鈍い。小さく目を見開きながら槍を手繰り、迫り来るレウルスの胴体目掛けて穂先を繰り出す。
「シャアアアアアアアアアアァァッ!」
穂先が到達するよりも速く、駆けた勢いもそのままに『龍斬』を振り下ろす。狙いはエリオが繰り出した槍で、槍を叩き切るどころか槍を握っている両腕を圧し折るぐらいのつもりで愛剣を叩き付ける。
「っ!?」
それに気付いたエリオは咄嗟に槍の軌道をずらし、槍の柄で『龍斬』を受けることを避けた。
エリオが振るう槍は金属製で重量も相応にあるが、レウルスが振るう大剣と比べればさすがに劣る。また、いくら『強化』の『魔法文字』を刻んであるといっても限度があるのだ。
そのため攻撃を中断して槍を逸らしたエリオだが、レウルスが狙ったのは武器破壊などではない。槍を破壊するのは“ついで”で、エリオの体勢を崩すか、衝撃で痛手を負わせることばできればと考えただけだ。
そうなれば、返す刃で首を刎ねればレウルスの勝ちである。もちろん可能な限り止めるつもりだが、模擬戦だろうが戦いに“事故”は付き物だろう。
仮にレウルスが『龍斬』を振り下ろしたついでに魔力の刃を放っていれば、その時点で勝負がついていたかもしれない。だが、手の内を見せ過ぎるのもどうかと考えたのだ。
――仮にそうしていた場合、ベルナルドが止める暇もなくエリオが両断されていた可能性もあるが。
そうしてレウルスが振り下ろした『龍斬』は、地面に向かって斬り込む形になった。轟音と共に刃が地面を断ち割り、その刀身を深々と地面に埋めることになる。
武器を地面に埋め込んだレウルスを見て、エリオは即座に槍を引き戻して刺突を繰り出そうとした。大した膂力だが当たらなければどうということはないと、勝負を終わらせるための一撃を放とうとする。
「馬鹿めっ! 力は大したものだがそれでは――うおぉっ!?」
だが、レウルスからすれば勢い余って武器を地面に叩き付けるのも“よくあること”だ。
しっかりと突き固められた練兵場の地面は普段よりも硬質な手応えを伝えてきたが、『熱量解放』を使ったレウルスは止まらない。
剣術を教えてくれたコルラードに後で怒られるかもしれない、などと頭の片隅が考えつつ、膂力に物を言わせて『龍斬』を地面から強引に切り上げる。
踏み込んで刺突を繰り出そうとしていたエリオは、“真下”から迫る刃に気付いて慌てて後退した。しかし、刃自体は回避できても一緒に撒き散らされた砂礫までは回避できない。
エリオは後退してレウルスから距離を取りつつ、目を細めて視界を奪われないようにする。それでも、撒き散らされた砂礫がエリオの視界を制限した。
「ガアアアアアアアアアアアアアアァッ!」
そして、視界の悪さなど知ったことかと言わんばかりにレウルスが斬りかかる。振り上げた『龍斬』を膂力と遠心力に物を言わせて振り回し、砂塵ごと斬り捨てる勢いで真横に回転しながら横薙ぎの一閃を繰り出した。
レウルスの咆哮で気付いたのか、あるいは殺気で気付いたのか。エリオは微塵の躊躇もなく振るわれる大剣に冷や汗を掻きながら後方へと跳ぶ。
そうして距離を取ったエリオを、レウルスは猛追する。ギラギラと瞳を輝かせ、歯を剥き出しにして笑いながら踏み込む。
繰り出すのは、一撃の威力よりも手数に重きを置いた連撃だ。まだまだ未熟に過ぎる“技術”に拘泥せず、エリオに命中させることだけを意識して刃を繰り出していく。
だが、『熱量解放』を使った状態で繰り出す斬撃は速度を重視していても相応に重い。そもそも切れ味鋭い十キロを超える金属の塊が唸りを上げながら連続して繰り出されるのだ。
部分鎧で身を固めているエリオだが、直撃すればそれだけで致命傷になり得る威力である。
「くっ! ぐ、ぬっ!?」
故に、エリオはレウルスが放つ斬撃を必死に捌いていく。回避できるものは回避し、受け流せるものは受け流し、どうしても回避できないものは穂先を打ち合わせて強引に弾く。
そうして斬撃を捌くエリオの姿に、レウルスは密かに感嘆した。身体能力では優に勝っているが、エリオは技術で暴威に対抗している。
レウルスの連撃を捌くだけで手いっぱいになっているため既に“詰んでいる”が、自在に槍を操り、辛うじてという言葉がつくだろうが凌ぎ切っている。
コルラードには劣るだろうが、エリオの技術は確かなものだ。
そう思いながらレウルスは『龍斬』を振るい――その威力に耐えかねたように、エリオの持つ槍が圧し折れるのだった。
「そこまで!」
レウルスがエリオの槍を圧し折った瞬間、ベルナルドが即座に止めに入る。そうしなければそのままエリオを斬り捨てるのではないかと思うほどに、レウルスは殺気に溢れた攻撃を繰り出していた。
ベルナルドの声を聞いた瞬間、レウルスは体に急制動をかけて動きを止める。手数重視の連撃だったが、その分一撃一撃は軽く、動きを止めやすかったのだ。
攻撃が“過剰過ぎる”とコルラードに言われたこともあるレウルスだが、今回は殺気こそ出したもののそれなりに控えてはいる。
『熱量解放』を使ったのも、使わなければ勝てないというよりも使わなければ攻撃を止めきれない可能性があったからだ。身体能力が高まる分、攻撃の威力や速度も上がるが、殺すつもりで斬りかかっても瞬時に止められるというのは助かる話である。
レウルスは槍が圧し折れて呆然としているエリオを見ながらも、自身の体勢は崩さない。ベルナルドの声を聞いて瞬時に止めた『龍斬』はエリオの首筋に宛がわれており、奇しくも寸止めを実現した形になっている。
それでも一応の残心としてエリオの動きを見ていたが、エリオは首筋に宛がわれた刃に視線を落とし、そのまま視線を滑らせてレウルスを見た。
「色々と……そう、色々と言いたいことがあるんだけど……君、豹変しすぎじゃないかい?」
途中から別人みたいだったよ、とエリオが言う。その言葉を聞いたレウルスは『熱量解放』を解き、『龍斬』を引きながら苦笑を返した。
「そう言われてもですね……冒険者なんでお行儀良く戦うのは苦手なんですよ」
「いや、行儀で片付く話じゃないから」
そんなツッコミを入れながらエリオは両手で握っていた槍に視線を落とす。レウルスの斬撃に耐えかねて柄が圧し折れているが、金属製の槍を圧し折るなどどんな威力だ、と頬を引きつらせた。
そして、戦いが止められてようやく脳が現状を理解したのか、エリオはレウルスの顔を見てから再度自身が握る槍の残骸に視線を落とす。
「……って、お、俺の槍がっ!?」
「あー……これって弁償しなきゃいけないんですかね……」
自身の得物が再利用も不可能な状態になったことに、エリオは地面に膝を突きながら嘆く。
レウルスとしても、愛用の『龍斬』が圧し折れたら本気で凹むだろう。どう扱えばスライムを斬っても刃が多少摩耗するだけで済むような強度を誇る『龍斬』が圧し折れるかは謎だが、落ち込んで数日は引きこもりそうである。
そのためエリオの槍を弁償するべきなのかと頭を悩ませるが、それを遮るようにしてベルナルドの声が響いた。
「無用だ。武器を折られるなど、エリオが未熟だっただけだ」
厳しい声色でそう話すベルナルドに、エリオはすぐさま直立不動の体勢を取って頭を下げる。
「はいっ! すみません! 次は武器を折られることがないよう精進します!」
「そのたんじゅ……いや、素直さだけは美徳なんだがな」
どこか呆れたようにため息を吐くベルナルドだが、不意にその目が細められた。
「しかし、貴様の強さを見るにはエリオでは足りなかったか……“予定通り”ではあるが、これでは貴様も物足りんだろう?」
そう言いつつ、ベルナルドの視線が向けられる。その視線を受けたレウルスは、続くベルナルドの言葉を予想しつつも愛想笑いを浮かべた。
「いえ、もうお腹いっぱいで……」
「次の相手は俺が務めよう。ナタリア、審判を頼む」
レウルスの反応を軽く流し、ナタリアに話を振るベルナルド。それを聞いたレウルスは断るようナタリアにアイコンタクトを送るが、ナタリアは真剣な顔で首を横に振る。
「王都で様々なものを見てほしい……そう願いはしたけど、この国で最強に近い人物と戦えるなんてまたとない機会よ。向こうもそのつもりみたいだし、全力でぶつかってみてちょうだい」
ナタリアの言葉に隠し切れない期待の色を感じ取ったレウルスは、ため息を吐くと同時に大きく頷くのだった。