第334話:模擬戦 その2
馬車から飛び降りたレウルスだが、今回戦うことになる相手の姿は見えない。
遠目に見えている赤毛の男性は体付きこそ引き締まっているものの、服装はいかにも貴族と言わんばかりの質の良さが見て取れる。
黒を基調とした上下は燕尾服を派手にしたような様相で、下品にならない程度にあしらわれた金鎖や銀鎖、宝石が男性の裕福さを表していた。
一応魔力は感じるものの、それほど強いものではない。また、目付きこそ鋭いものの武器や防具を身に着けている様子もなく、“戦う者”としての気配は薄かった。
「あの方が今回の話を持ち込んだ方……グリマール侯爵よ」
不躾にならないよう注意しながら視線を彷徨わせていたレウルスに、ナタリアが言葉を向ける。どうやら男性――グリマール侯爵が今回の発案者のようだ。
「一応聞いておくけど、あの人が戦うわけじゃないよな?」
「違うわよ……あの方も若い頃は領軍を率いて戦いに赴くことがあったみたいだけど、さすがに今は現役を退いているわ」
レウルスの疑問に苦笑しながら答えるナタリア。そんなものかと思いながら、レウルスは周囲に視線を向ける。
「他にも何台か馬車が停まってるみたいだけど……」
「気にしなくて良いわ。“野次馬”よ」
ナタリアの言う通り本当に野次馬なのか、それとも何か目的があるのか、グリマール侯爵のように馬車から降りてくることはない。
(貴族様の暇潰しってところかねぇ……ま、いいけどさ)
この場にいるということは、野次馬なりに何か理由があるのだろう。ナタリアが止めないということはそういうことだとレウルスは判断する。
「俺の相手が見当たらないけど、先にあの……グリマール侯爵だっけ? あの人に挨拶とかした方がいいのか?」
貴族相手の礼儀など知らないが、挨拶をしないというのも面倒が起こるのではないか。そう思ったレウルスがナタリアに尋ねると、ナタリアは首を横に振る。
「それは後よ。場所が場所だし、服装も服装だし……ああやって顔を見せてくださるのもあの方の好意と思ってちょうだい」
「……よくわからないけど、姐さんがそう言うのなら」
色々と面倒な作法なり手順なりがあるのだろう。そう考えるレウルスの気分は、より下降線を描きつつある。
いつの間にかコルラードも御者台から降りており、地面に立って周囲を見回している。エリザ達もそれにつられたように馬車から降り、レウルスの背後に控えた。
「ところで姐さん、相手は――」
どこだ、と言おうとしたレウルスは言葉を切った。そして反射的に体が動き、背後へと向き直る。
そうしてレウルスが視線を向けた先。練兵場の入口にいたのは、複数の男女だ。
一目見て兵士だとわかる出で立ちをしているものの、その中でもレウルスの視線が向けられたのはただ一人。
年の頃は四十を超え、半ばに至っているだろう。この世界においては高齢と呼べる年齢に差し掛かっているものの、真っすぐに伸びた背筋としっかりとした足取りがそうとは思わせない。
短く切り揃えられた白髪混じりの濃紺の髪に、意志の強さを示すように鋭く細められた鳶色の瞳。巌のような顔立ちは彫りが深く、謹厳実直そうな印象を受ける。
身長はレウルスよりも頭半分高く、百九十センチに届くだろうか。金属製の部分鎧を身に着けたその肉体は筋肉で盛り上がっており、首や四肢は丸太のように太い。
距離が離れていても感じられる魔力は力強く、レウルスが知る人間の中ではグレイゴ教司教のレベッカに次ぐか。
その手には三メートル近い一本の槍が握られているが、おそらくは魔法具の類なのだろう。遠目にも『魔法文字』が刻まれているのが見えた。
「まさか……ね。あの方が出てくるとは思わなかったわ」
その男性に気付いたのか、珍しいことにナタリアが呆気に取られたような声を零す。それに気を引かれたレウルスが視線を向けると、目を見開いたナタリアの姿が見えた。
「訓練のために顔を出した……と考えたいところでありますな……」
ナタリア以上に呆然と、頭を抱えそうな様子でコルラードが呟く。
どうやら有名人らしい――などと悠長なことを考える余裕はレウルスにも存在しない。
一目見ただけで強いと、“アレ”は危険な相手だと本能が騒いでいるのだ。
「んー……なんか見ただけでビリビリする」
「……強いと思う。すごく」
珍しいというべきか、男性を見たサラが真面目に呟き、ネディがその呟きを補足する。エリザとミーアは男性を見て絶句しており、感想を口にすることもできなかった。
(さすがは王都……あんな人もいるのかよ)
どんな相手が出てくるのかと考えていたレウルスだが、さすがにあの男性は違うだろうと思う。いくらナタリアが保有する兵力を確認するためとはいえ、冒険者相手にぶつけて良い手合いとは到底思えなかったのだ。
戦ったわけではないため推測になるが、“弱くても”ジルバ並の強者だとレウルスの本能が騒いでいる。
「――遅くなったようだ」
そのまま素通りしないかと無意識の内に考えていたレウルスだが、それを否定するように歩み寄ってきた男性が声をかけてくる。
その外見に相応しい、低く威厳のある声だった。同時に、頼もしさを覚えるようなカリスマが感じられる声でもある。
「……お久しぶり、ですわね」
そんな男性に声をかけるナタリアだが、その声色は少し硬い。それを珍しいと思う間もなく、男性の視線がナタリアへと向けられた。
「久しいな、ナタリア。壮健そうで何よりだ」
そう言って、男性の口元が僅かに弧を描く。ほんの少し、片頬が吊り上がっただけの形だが、ナタリアとの再会を喜んでいるのが伝わってくる表情だった。
「貴様が故郷に戻ると聞いた時は勿体ないことだと思ったが、こうして“この場に”いる……おめでとうと言祝ぐべきだな」
「……恐縮ですわ」
言葉通り、恐縮そうに頭を下げるナタリア。レウルスはまだしも、普段の泰然としたナタリアの姿ばかりを見ていたエリザ達は目を丸くして驚いている。
「さて……」
そして、男性の視線がレウルスに向けられた。その視線には敵意も殺気も存在しないが、視線を向けられただけでレウルスは思わず身構えてしまう。
男性はレウルスを頭から爪先まで眺めると、納得したように頷いた。
「なるほど、貴様が話に聞いた『魔物喰らい』とやらか。良い面構えをしている」
「……ありがとうございます。レウルスと申します。それで……貴方は?」
男性の態度は友好的とは言えないが、敵対的とも言えない。そのためレウルスは自身の名前を告げてから尋ねた。
「なにぃっ! 君はこの方を知らないのか!?」
「…………?」
その怒り混じりの声は、男性の隣から聞こえた。レウルスはそこでようやく男性以外の人物に意識が向く。
男性と共に近づいてきたのは、三人の男女である。強弱の差はあるが、それぞれから魔力が感じられた。
レウルスに対して怒声を上げたのは、青年と呼ぶべき年齢の男性である。その後ろには女性が二人いたが、怒声を上げた青年を見て苦笑するような表情を浮かべていた。
青年はレウルスよりも年上に見えたが、大きく離れているということはないだろう。ニ十歳前後と思しきその顔立ちは整ってこそいるものの、感情の高ぶりで真っ赤に染まっている。
視界を遮らない程度に伸びた濃い茶色の髪に、敵愾心を見せる青色の瞳。それはレウルス個人への怒りというよりも、“隣に立つ男性を知らないこと”に対して怒っているように見える。
身長はレウルスよりも若干高く、体付きも僅かに大きい。男性を真似るかのように金属製の部分鎧を身に着け、その手には三メートル近い槍が握られている。ただし、こちらも魔法具のようだが男性が持つ槍と比べると感じ取れる魔力が小さかった。
「すみません、最近王都に来たばかりの田舎者なんですよ」
男性の存在感が強すぎて、正直なところ視界に入っていなかった。そう言えるはずもなく、レウルスは小さく頭を下げる。
「なんだと……それなら仕方がないなっ!」
すると、青年はすぐさま怒りを霧散させて納得したように頷く。真っ赤に染まっていた顔色も収まり、その体から放たれていた怒気すらも瞬時に消え去ったのだ。
「知らないものは仕方がない。だが、知ろうとする姿勢は大事だぞ?」
「あ、はい。教えてくださいますか?」
「よろしい! 教えてあげようじゃないか!」
青年の表情の移り変わりに気勢をそがれたレウルスが頼むと、青年は胸を張りながら大きく頷く。
「この方こそは――」
「第一魔法隊の隊長、ベルナルド=バネット=マルド=ルシーニ……『天雷』ともあだ名される方で、武功だけで準男爵に叙された方よ」
青年の言葉を遮るようにしてナタリアが紹介をする。それを聞いた青年が愕然とした顔でナタリアを見ているのを視界の端に収めつつ、レウルスは内心で感嘆の声を漏らした。
(姐さんと同じ……じゃ、なさそうだな。姐さんの態度を見るに、この人の方が“上”か)
マタロイの王国軍の内、魔法隊を率いる隊長。そう考えるとかつてのナタリアも同じ立場だったが、同格と見るにはナタリアの態度がおかしい。
「他人の口から紹介されるなど、俺も偉くなったものだな」
ナタリアの言葉を聞いた男性――ベルナルドはどこかつまらなそうに肩を竦める。
「後ろの二人は何かあった時のために連れてきた治癒魔法使いだ。そこの騒がしいのはうちの隊の人間でな……名乗れ」
「はいっ! 名乗ります!」
ベルナルドの言葉を受け、青年は直立不動の体勢を取りながら返事をする。そしてレウルス達に向き直ると、胸を張りながら口を開く。
「俺はエリオ=ネイト。今回、君の相手を務めさせてもらう」
「……レウルスです。よろしくお願いします」
一度名乗ってはいるが、名乗り返すレウルス。それと同時に、内心ではほっと安堵の息を吐く。
「“とりあえず”はエリオが相手で、俺が立会人を務める。何か質問は?」
だが、ベルナルドの言葉を聞いて表情が固まった。
(とりあえずって……まさかこの人とも戦うってことはないだろうな?)
確認したいところだが、肯定されても辛いものがある。そのためレウルスは一度だけ深呼吸してから首を横に振った。
「……ありません」
「結構。それでは始めようか」
そう言って早速戦わせようとするベルナルドを前に、レウルスは意識を切り替えて集中するのだった。




