第333話:模擬戦 その1
ナタリアから今後の予定を聞いてから二度の夜が明けた。
天気は朝から快晴で、空を見上げてみれば雲もほとんど見当たらない。冬が徐々に近づきつつあるためか天候の割に気温は少し低いが、寒いと感じるほどでもない。
“動き回る”には丁度良い気候と言えるだろう。動いていれば体温も上がるだろうが、それを適度に冷ましてくれると思える程度には心地良い。
防具を身に着けていても、愛剣を振り回していても、丁度良いと思えるに違いない気候である。
――つまりは、戦うにはもってこいの気候といえた。
「んー……」
冒険者として動く時のように防具を身に着け、その具合を確かめながらレウルスは気のない声を漏らす。
ドワーフ手製の三層の鎧は普段通り、体にフィットしている。手甲も脚甲も問題はなく、留め具がガタついているということもない。履き慣れた革靴も違和感は伝えず、思う通りに動き回ることができるだろう。
愛剣である『龍斬』もきちんと手入れが行き届いており、鞘共々完璧と呼べる状態を保っている。剣帯で留めて背負えば最早慣れ親しんだ重さを体に伝え、『首狩り』の剣を腰に差し、腰裏に短剣を固定すれば準備が完全に整う。
そう、準備は完全に整うのだが――。
「……まあ、こんなもんか」
ラヴァル廃棄街で冒険者として依頼を受けに行く時のような、完全武装である。だが、そのような状態にも関わらずレウルスのテンションは高くない。むしろ普段と比べれば低調で、それを見ていたエリザが首を傾げた。
「どうしたんじゃ? まさか体調が悪いとか……」
「そういうわけじゃないんだけどな……どんな相手と戦うのか考えてただけだよ」
そう答えるレウルスだが、本当にそんなことを考えていたわけではない。
今日はナタリアが話していた通り、“模擬戦”が行われる日である。そのため食事を取ったレウルスは朝から武装を整えていたのだが、いまいち気が乗らないのだ。
体調が悪いというわけではなく、緊張しているというわけでもない。魔力が足りないというわけでもなく、何か不安に思うことがあるわけではない。
腕試しとして戦わされることに思うところがないわけではないが、寸止めできるかという点に関しては不安に思ってもいた。だが、ナタリアの言葉を信じるならば相当な使い手が出てきそうである。
それならば自分が寸止めのことを考える必要はないのではないか、と前向きに捉えていた。寸止めのことなど考える必要もなく、容易く負ける可能性もあるのだ。
(ラヴァル廃棄街の独立に必要なことだってわかってるんだけどなぁ……)
ナタリアの夢を叶えるために、ラヴァル廃棄街の仲間達が“普通の生活”を送れるようにするために。そう思えば奮い立つものもあるのだが、現状では姿もわからない相手と戦うことに対してどうしても気が乗らないのだ。
それが何故なのかと首を傾げつつも、レウルスは出発の準備を整えているナタリアのもとへと向かう。
今回レウルス達が向かうのは、王都の中でも北側にある練兵場である。レウルスの腕前を見たいという“相手側”の希望に応えるためだが、さすがに町中で剣を振り回すわけにもいかない。
かといって貴族が所有する邸宅の庭で戦おうにも、魔法を使える者が戦うには狭い上に周囲に被害が及ぶ危険性もある。
そのため練兵場の一部を借り、思う存分暴れろというのがナタリアの要請だった。
練兵場までは馬車に乗って移動するため、御者としてコルラードの姿もある。エリザ達も同行するが、戦うのはレウルスだけだというのに全員が冒険者として武装していた。
先日注文した服も既に受け取っており、馬車に積み込んである。模擬戦を行った後に出番があるとナタリアは言うが、レウルスとしては先にある戦いの方に意識が向いているため詳しくは尋ねなかった。
なお、ジルバはついてきていない。今回は状況が状況だけに、ラヴァル廃棄街に住んではいるが精霊教に属するジルバは同行することができないのだ。
「準備が整ったようね……レウルス?」
借家から出てきたレウルスの格好を見て頷くナタリアだったが、レウルスの顔を見て僅かに眉を寄せる。
「ん? どうした姐さん。何かあったか?」
「それはこちらの台詞なのだけど……体調が悪い……わけじゃなさそうね。何か気になることでもあるのかしら? 表情が硬いわよ」
そう言われてレウルスは自分の顔に触れてみるが、自覚できるほど表情が硬いようには思えなかった。
「エリザにも似たようなことを聞かれたよ。意識してないけど、緊張でもしてんのかね?」
自覚していないだけで、心なり体なりが緊張しているのかもしれない。そう言って苦笑するレウルスに、ナタリアは不思議そうな顔をした。
「……貴方でも緊張するのねぇ」
「いや、姐さん? そこまで不思議そうな顔で言われると、さすがに傷つくっていうか凹むっていうか……」
緊張もしない生き物だと思われていたのか、ナタリアの声色は珍しく素に近かった。しかし、振り返ってみれば最近は緊張するような機会に乏しかった気がしないでもないレウルスである。
「レウルスよ……」
そうやってナタリアと話していると、御者台に座ったコルラードが声をかけてきた。その顔には何故か妙な落ち着きがあり、全身から滲むように出ていた気疲れの気配がなくなっている。
「吾輩の伝手を辿ってみたが、今回の相手はわからなかったのである。だが、今回の話を聞いた限り相手は領軍もしくは国軍に属する誰かであろう……その上で助言するならば、殺す気で戦って問題ないのである」
「助言はありがたいですけど、なんか妙にすっきりとした顔をしてません?」
「気のせいである」
「そうですか……殺す気で戦って問題ないっていうのは?」
コルラードが気のせいというのなら勘違いなのだろう。そう考えて流すことにしたレウルスは、確認の意図を込めて尋ねる。
「推測になるが、いくら腕試しといっても貴様に負けるような人選はしないはずである。貴様が全力で戦っても問題がない……いや、貴様の全力を引き出せるような相手が出てくる可能性が高いと考えるべきである」
「と、言われてもですね……俺、領軍だの国軍だのに知り合いがいないんで、どんな相手かも想像ができないんですよ。コルラードさんより強いんですか? それなら俺も殺すつもりで全力で戦えるんですけど」
実際に対面してみれば肌で感じ取れるのかもしれないが、現状では何とも言えない。そのためレウルスは目の前のコルラードを引き合いに出す。
「レウルスよ……気のせいか、吾輩に対する評価が高い気がするのだが……」
「……? 妥当では?」
殺すつもりで戦って良いと言われても、模擬戦の域を出ないだろう。そうなると、レウルスとしてはコルラード以上に手強い相手を知らない。
そんなコルラード以上に強い相手ならば、寸止めだなんだと気にする必要もないだろう。“実戦”とはいえないが、それなりに気分が向上しそうである。
「コルラードさんがそこまで言うのなら相当凄い人が出てきそうですね……あとは蓋を開けてのお楽しみってところですか」
そんな言葉を交わし、レウルス達は馬車に乗り込むのだった。
到着した練兵場は、王都の中ということでそこまで広くはない。もちろん王都の中に存在すると思えば広いのだが、前世の記憶で例えるならば学校のグラウンドが二つから三つほど入る程度の広さである。
本格的な調練は王都の外で行うらしく、王都への行き道では見なかったが王都を出て北に向かうと大規模な練兵場があるらしい。
今回のように個人が使用する場合や少数、あるいは数十人規模での使用を想定しているようで、場合によっては決闘などにも使用される。
そんな説明をコルラードから受けながら、レウルス達は練兵場へと到着する。練兵場は周囲を二メートルほどの石垣で囲まれており、練兵場を管理するためなのか立哨する兵士の姿も見えた。
馬車で近づくと兵士が駆け寄ってくるが、コルラードが用件を伝えるとすぐさま解放される。そうして馬車を進めて練兵場に乗り込むと、遠目に何台かの馬車が見えた。
「……予定よりも早いわね。こちらも余裕をもって到着したはずなのだけれど……」
何台かの馬車の内、一台に視線を向けながらナタリアが呟く。
レウルス達が乗ってきたような幌馬車に馬を連結したようなものではなく、傍目から見ても立派な造りの馬車である。
乗車できる人数はレウルス達の幌馬車の方が多いだろうが、それでも四人は乗り込めそうな大きさの馬車だ。
頑丈そうな木材をふんだんに使用し、金銀による細工があしらわれ、馬車の上部には家紋らしき紋章が刻まれている。
馬車に詳しくないレウルスから見ても、明らかに金がかかっていると思えた。あるいは、貴族としての体面がそうさせるのかもしれない。
レウルス達が乗る馬車が停車すると、ナタリアが視線を向けていた馬車の扉が開く。そして出てきたのは一人の男性だ。
年の頃は四十代の半ばといったところだろう。僅かに色褪せ始めた赤毛をオールバックにまとめ、顔立ちは険しさを帯びているものの若い頃は色男だったのだろうと思わせるほどには整っている。
性格によるものか年齢によるものか眉間には深い皺が寄っており、細められた鳶色の瞳がレウルス達に向けられている。
(……ん? んん?)
その男性の顔を見たレウルスは、思わずといった様子で目を細めて注視した。間違いなく初めて見た人物だが、何故か引っ掛かりを覚えたのである。
(あれ……なんだ? どこかで見た……じゃないな、誰かに似てるような……)
男性の顔を見たレウルスは、心中に浮かんだ疑問に困惑する。エリザ達に視線を向けてみるものの何かを気にした様子もない。ナタリアとコルラードは泰然とした様子である。
気のせいか、いやしかし、などと頭を悩ませるレウルス。遠目に男性の顔を確認するが、違和感こそ覚えるものの明確な答えは出ない。
(気のせい……か?)
ナタリアに言われた通り、緊張しているのかもしれない。
そう結論付けたレウルスは苦笑を浮かべ、馬車から飛び降りるのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
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