第330話:事前準備 その2
ナタリアとルイスは互いに紅茶を飲みながら、相手の機先を制すように視線をぶつけ合う。もちろん、傍目から見てすぐにわかるような露骨な視線ではない。
互いに笑顔を浮かべてにこやかに、友好的な態度を示しながらの対峙である。
もしもレウルスがこの場にいれば、ナタリアやルイスと同じように笑顔を浮かべていただろう。ただしその笑顔は引きつっていて、この場から逃げ出す方法を模索していたに違いない。
「それで? レウルスを通して“声をかけてきた”理由をお聞かせいただけますか?」
先に口火を切ったのはナタリアだった。敢えて直截に、真っ向から疑問をぶつける。
ルイスが言ったように腹を割って疑問をぶつけた――などという理由ではない。ナタリアからすればほんの牽制に過ぎない疑問だった。
ルイスは手慣れた様子でティーカップを口元に運ぶと、町を歩く少女が頬を赤らめそうなほど貴公子然とした笑みを浮かべる。
「理由はいくつかあるのですが……貴女にお会いしてみたかったのですよ」
「あら、光栄ですこと」
微笑むルイスに対し、ナタリアもまた微笑みを返した。まるで口説くようなルイスの言葉だが、それを額面通り受け取るようでは貴族社会では生きていけないだろう。
「直接顔を合わせたご感想は?」
「貴女のような美しい方と言葉を交わすことができて、光栄に思います」
美辞麗句を連ねてナタリアの反応を引き出そうとしているのか、腹を割って話すと言った割にルイスの言葉はひどく迂遠だった。しかし、それをナタリアが指摘するよりも先にルイスが言葉を続ける。
「ただ同時に、噂通り凄腕の魔法使いなのだと感嘆しております」
「お褒めいただき恐縮ですわ。差し支えなければ、何故そう思ったか聞いても?」
ナタリアは優雅に紅茶を飲みながら、茶目っ気を見せるように片目を閉じてみせた。
「ナタリア殿と比べれば非才の身ですが、私も魔法を使えますからね……この至近距離でまったく魔力を感じさせないその技量。さすがは歴代の魔法隊長でも一、二を争うと謳われた方だ」
魔力を完全に隠しているナタリアに対し、ルイスは心からの称賛を込めて言う。
仮に――本当に仮にだが、ルイスがセバスやアネモネと共に戦いを挑んだとしても、“戦い”にはならないだろう。
マタロイ国軍第三魔法隊の隊長から退き、ラヴァル廃棄街の管理官に就任して実戦から遠ざかっているはずだというのに、その立ち振る舞いには一片の隙も無い。
「ふふふ……もう過去の話ですわ」
そう言って微笑むナタリアだったが、ルイスからすれば自然体でありながら微塵も打ち込める隙が見当たらなかった。
「ははは……御謙遜を」
そのため内心の驚嘆を笑顔で隠し、口元が震えそうになるのをティーカップで隠す。そしてルイスは一呼吸置いて精神を落ち着けると、ナタリアの目をじっと見つめた。
「貴女にお会いしたかったのもありますが、妹の件でレウルス君達に助力してもらった御礼も伝えたかったのです。レウルス君達にも感謝していますが、彼らを貸し出してくれた恩を私は決して忘れません」
「受け取っておきましょう……ふふっ、高いですよ?」
「ははっ、それは怖い」
ナタリアの言葉に苦笑しながら肩を竦めるルイス。レウルス達にも伝えたが、ルヴィリアの件に関して恩義を踏み倒すつもりはなかった。
それでもナタリアを前にしたルイスは、僅かに気圧されるような感覚を覚える。ルイスも貴族として相応の経験を積んでいるが、眼前のナタリアは潜った場数が違う。
貴族としての立場は上でも、ナタリアは国軍で隊長まで昇りつめた傑物だ。潜ったものには死線も含まれており、その違いが軽い言葉のやり取りだけでもルイスに“差”を感じさせていた。
「ナタリア様、紅茶のお代わりはいかがですか?」
セバスもそれを感じ取ったのか、ルイスが完全に立ち直る時間を稼ぐようにそんな提案を行う。それを聞いたナタリアは微笑み、ティーカップを差し出した。
「お願いするわ」
堂々とした態度で受け入れたナタリアは、笑顔でセバスの所作を観察しながら呟く。
「そういえば……ユニコーンの件では“色々と”あったようですね」
「ええ……色々ありましたよ」
ナタリアの含みを持たせた言葉に、ルイスは真剣な表情で頷いた。
「ですが、そのおかげで当家にも恩恵がありました。領地を預かる者としては嬉しい限りですよ」
「領地が増え、爵位が上がる……貴族としては喜ぶべきことでしょうね。そういえば、どこぞの商人が捕縛されて縛り首になったとか?」
ふと思い出した、といわんばかりに話題を変えるナタリア。その話題の転換に、ルイスは痛ましげに眉を寄せる。
「どこぞの貴族を相手に“危険なもの”を商っていたそうですね。いやはや、恐ろしい話ですよ。当の貴族は“何も知らなかった”ようですが、物が物だけに領地を削られて……本当に恐ろしい話です」
そう言ってルイスは紅茶を飲み干す。そしてアネモネに紅茶を淹れさせると、小さなため息を吐いた。
「おっと……ため息を吐くなど失礼をしました」
「お気になさらず。ご心中を察しますわ」
言葉通り、気にしていないと言わんばかりにナタリアが微笑む。ルイスはそんなナタリアに笑い返すと、紅茶を一口飲んでから話題を変えた。
「ところで、ナタリア殿は王都に住む方々にも顔が利くとか?」
それまでの話題とは打って変わり、どこか雰囲気を軽くしながらルイスが話を振る。それを聞いたナタリアは苦笑しながら答えた。
「顔が利くといっても、王軍に所属していた頃の縁ですけれどね」
「そうですか……いえ、ご存知の通り私の領地は王都から離れていますからね。こうして別邸を構えてはいますが、王都に住まう方々とはどうしても縁が薄くなってしまうのですよ」
年に一、二回ほどしか顔を出すことができない、とルイスは嘆くように言う。
「もしよければ、“妹のために”どこかの家中に良縁がないかを教えていただければと……」
「ご家族を思うそのお気持ちは立派ですわ。妹と申されますと……」
「ええ、ルヴィリアです。他に嫁いでいない、“俺にとっての妹”はいませんからね」
後半に付け足された言葉に、ナタリアの眉が僅かに動く。それでも表面上は笑顔のままで、首を横に振った。
「わたしの知り合いは軍に所属している者が多いですし、ルヴィリア殿を迎えられる身代の者となると既に結婚している者ばかりでして……」
「そうですか……残念です。ルヴィリアを幸せにしてくれるのなら、家格の低さにも目を瞑るのですが……」
そう言ってチラリと視線を送るルイス。ナタリアはそれを笑顔で受け止めると、ルイスは苦笑を浮かべて手を振った。
「いや、これはこちらの落ち度ですね。いくらなんでも性急でした」
「そうやって気を回してくださる兄君を持てて、ルヴィリア殿も幸せでしょう」
互いに笑い合い、紅茶で喉を潤す。そして一息つくと、ルイスが新たな話題を口にした。
「ところでナタリア殿、独立の際に賜る領地に関しては何か聞かれていますか? “もしも”当家の領地に近いのならば、先の恩義と併せて便宜を図らせていただきますが……」
「さて……その辺りは国王陛下がお決めになることですもの。複数の家から推薦をいただければこちらの希望も通るかもしれませんけど、ね」
ニコリと微笑みながら、ナタリアは言葉を続ける。
「これから“相談”で何ヵ所か回る予定もありますが、どうなるかわかりませんわ」
「そうですか……何かあれば気軽に声をかけてください。貴女のような女性の力になれるのなら男子の本懐です」
微笑むナタリアに合わせるように、ルイスもまた微笑む。
そうしてナタリアは雑談を交えながら情報交換を行い、ヴェルグ子爵家の別邸を後にするのだった。
「どうでしたか?」
行き道と同様に馬車に乗り込んだナタリアに対し、御者として馬を操るコルラードが声をかける。その問いかけを受けたナタリアは肩を竦めると、小さく笑ってみせた。
「まだまだ場数が足りないけれど、ヴェルグ子爵家の次代は安定しそうね」
「ふむ……高評価ですな」
二頭分の手綱を器用に操りつつ、コルラードは感心したように頷く。
「こちらの独立に関しても好意的だったわ。もちろん、打算もあるんでしょうけどね」
「打算がないようでは貴族とは言えますまい。むしろ打算がない方が怖いのでは?」
「ふふっ……それもそうね」
コルラードの言葉に満足そうな笑みを零すナタリア。それはとても美しく、可憐とも呼べそうな笑顔だったが、コルラードは得も言われぬ感覚を覚えて頬を引きつらせた。
「た、隊長殿? 何かを企んではいませぬか?」
「あら、何故そんなことを聞くのかしら?」
笑顔が怖かったからです、などとは当然ながら言えない。そのためコルラードは進路の安全を確認する振りをして視線を外した。
「そ、そんな気がしただけであります」
「そう? 別にあなたにとって悪いことは何も考えていないわよ?」
笑みを深めながら告げるナタリアだが、コルラードは前方に視線を固定してナタリアの顔を見ないようにする。
「本当に、あなたにとって悪いことは何も考えていないわよ?」
「何故繰り返して言うのですか……」
念を押すように繰り返すナタリアに、コルラードは胃がキリキリと痛むのを感じた。しかし最早馴染んだとすらいえるその痛みに、コルラードは却って冷静さを取り戻す。
「ふぅ……次はどこに向かいましょうか?」
「そうねぇ……」
着々と進む“準備”に手応えを感じつつ、ナタリアは次の目的地を指示するのだった。




