第329話:事前準備 その1
レウルス達が大教会に赴いた同日。
ナタリアはコルラードに御者を任せ、馬車に揺られながら王都の町中を進んでいた。
「王都は変わらないわね……」
「はっ……そうでありますな」
呟くようなナタリアの声に、畏まった様子でコルラードが答える。ナタリアが乗った馬車を操っているからか手綱の操り方は丁寧で、その視線は常に周囲の様子を確認し、急停止や急発進をしないよう注意が払われていた。
「しかし、良かったので? いくらジルバ殿が同行しているとはいえ、レウルス達を“あの”大教会に向かわせるというのは……」
互いに沈黙が辛いと思うような間柄ではないが、コルラードは折角だからと気になっていたことを尋ねる。
王都の精霊教徒を、ひいてはマタロイ全土の精霊教徒を統括するのが大教会だ。そして、その大教会で精霊教師を務めるソフィアはある種“有名人”でもあり、コルラードの声色には些か以上の疑念が宿っていた。
「あら、レウルス達が心配?」
からかうようなナタリアの言葉を聞いたコルラードは、手綱を操りながら視線を彷徨わせる。
「そういうわけでは……ない、とは言いませぬが……」
「ふふっ……情が移ったの? 貴方は昔から面倒見が良かったものね」
そのナタリアの声色は、どこか優しい。そのためコルラードは居心地が悪そうに肩を竦めることしかできなかった。
立場や役職はともかく、年齢が下のナタリアにかけられる言葉としては不適当だろう。それでもコルラードは不快感を覚えず、ただただ身を縮こまらせることしかできない。
人間誰しも頭が上がらない相手がいるものだが、コルラードにとってはナタリアがそれに当たる。年齢の多寡ではなく、“それまで”の積み重ねがそうさせるのだ。
「まあ、出てくるとすれば精霊教徒ではなくソフィア殿でしょうね。それならどうにかなるわ」
「……あの御仁を相手にそう言えるのは、隊長殿ぐらいでしょうな」
「国王陛下も言えると思うわよ?」
「比較対象がおかしいです……本当におかしいです……」
レウルス達は本当に大丈夫なのか、とコルラードは心配に思う。
武力という面では心配していないが、王都において重要なのは武力ではない。立場であり、家格であり、礼節であり、政治力といった様々な要素こそが重要になるのだ。
コルラードの目から見て、レウルスはその辺りがどうにも鈍い。“立場”に関してはまだ良いが、冒険者という身分かつ妙な感性を持っているのが玉に瑕だった。
農奴の生まれで今は冒険者という割に、不自然なほど礼儀を弁えていたり知識を持っていたりはする。それは剣を教えた時もそうだが、ユニコーンを探して共に旅をした時に観察してある程度把握することができた。
武力に関しては、本当に問題がない。技術という点では微塵も劣らないと自負しているコルラードだが、こと戦闘という面だけで見れば自分を軽く超えているだろうと思う。
今はまだ“中途半端”だが、それでもジルバやナタリアといった“壁”の向こう側にいるような者達の仲間入りするだろう。コルラードとしてもあれだけの才覚が自分にあれば、と妬まずにはいられないほどだ。
ただし、その才覚が原因で様々な厄介事に巻き込まれている辺り、嫉妬と同情が相殺されて何とも言えない印象を抱いてしまう。
「……ジルバ殿がいますし、どうにかなりますか」
そんな心情に蓋をして、コルラードはそう締め括った。しかし、ナタリアは違う意見を持っていたのか、進行方向を眺めながら目を細める。
「さて……それはどうかしらね。ジルバさんのことだから、精霊教のことを教える良い機会だと思ってレウルス達だけでソフィア殿と会わせてるかもしれないわよ?」
「精霊教のことを教える……でありますか?」
コルラードから見て歪な知識の偏りを見せるレウルスだが、精霊教に関して今更教える必要はないだろう。近くにジルバやエステルという格好の教師役もいるのだ。
つまり、“コルラードも知らない”何かが精霊教にあり、それを開示されているということか。
「聞きたい?」
「聞きたくないです」
笑顔で尋ねるナタリアに、コルラードは真顔で答えた。
明らかに厄介事の臭いがする話題である。騎士として戦いや政治に関わってきた本能が、聞くべきではないと激しく警鐘を鳴らしていた。
「そう……でも退屈だから“独り言”を零しちゃおうかしら」
「お願いですからやめてください!?」
クスクスと童女のような笑みを漏らすナタリアに対し、コルラードは必死になって止める。情報は多い方が良いが、厄介事は少ない方が良いのである。
「冗談よ。ただ、貴方もいつかは知ることになると思うわ……それに優秀な貴方のことだもの。わたしが言わなくても、ある程度は推測しているのではなくて?」
「例えそうだとしても、知らない、聞いたことがないという事実が重要なのです!」
ナタリアがどんな情報を持っているか、コルラードもおおよそは推測することができる。それでも世の中には知らない方が良いこともあるのだと耳を塞ぐと、ナタリアの笑い声が一段と強くなった。
その笑い声が聞こえたコルラードは、話題を変えるためにもぽつりと呟く。
「最近の隊長殿はよく笑われますな」
「そうかしら?」
意外なことを言われた、といわんばかりに目を丸くするナタリア。そんなナタリアの反応を横目で見ながら、コルラードは大きく頷く。
「ええ。肩の荷が下りたような、そんな顔で笑われています」
「……そう。わたしもまだまだね」
そう言ってナタリアは苦笑を浮かべる。
「久しぶりに王都に来て気が緩んだのかしら……古い顔馴染み達にも会えたしね」
ナタリアの言葉に、コルラードは昨日と今日で足を運んだ相手を思い出していた。
爵位も、現役か退役済みかも問わず、国軍に関係する者達――それも一軍を率いる将軍やその副将、更には元部下などに顔を見せていたのだ。
中には仕事で王都を離れていた者もいたが、ナタリアと顔を合わせた者は一様に驚き、同時に喜んでもいた。
かつての同僚で、時には共に戦場で轡を並べた間柄である。部下として仕えていたコルラードからすれば、ナタリアが喜んでいたのは火を見るよりも明らかだった。
ナタリアが王都で育んできた絆は、時を経ても薄れていなかった。コルラードとしてもそう思える。
もっとも、ナタリアの後任として第三魔法隊の隊長を拝命した者などは、ナタリアを見るなり顔を真っ青にしていたが。
「でも、そうやって気を抜けるのも……“我が儘”もここまでね。ここからが本番だもの」
同情するように何度も頷いていたコルラードだったが、ナタリアの言葉で我に返る。ナタリアがかつての同僚や戦友と顔を合わせたのは短時間で、再度改めて顔を合わせる約束もしているが、今回王都に来たのは旧交を温めるためではないのだ。
コルラードが操る馬車が辿り着いた先にあったのは、一軒の邸宅である。貴族が居を構える区域に建つその邸宅は周囲のものと大差ない大きさであり、ナタリアが借りている一軒家よりも倍以上大きかった。
「――お待ちしておりました」
そして、その邸宅の門前に一人の男性の姿があった。ナタリア達を出迎えるように一礼したのは執事服を着込んだ男性――セバスである。
「ご苦労様。案内をお願いできる?」
「畏まりました。こちらへどうぞ」
一分の隙も無く再度一礼し、馬車を先導し始めるセバス。
その背中を追い、ナタリアとコルラードはヴェルグ子爵家の別邸へと足を踏み入れるのだった。
「こうして直接お会いするのは初めてですね。ルイス=ヴィス=エル=シン=ヴェルグです」
「ご丁寧にありがとうございます。ナタリア=バネテス=マレリィ=アメンドーラです」
そう言って友好的に微笑み合うナタリアとルイス。
ナタリアが通されたのはヴェルグ子爵家の別邸にある応接間で、コルラードは立場上同行していない。
ナタリアが単身で踏み込んだ応接間にいたのはルイスとアネモネ、そしてこの場所まで案内をしてきたセバスの三人だ。
「先日は急に押しかけてしまい、申し訳ありません。レウルス君達が王都にいると聞き、思わず訪ねてしまいました」
「いえ、こちらこそ侍女の一人も雇っておらず、碌に歓迎できなったことをお詫びいたしますわ」
文字通りの挨拶として、互いに笑顔を浮かべあったまま言葉を投げ合うナタリアとルイス。
そうやって軽く挨拶を交わすとルイスは応接間のソファーにナタリアを誘い、ナタリアも素直に腰をかける。するとルイスもナタリアの対面に腰を下ろし、セバスに目配せをした。
「失礼いたします」
そう言って、セバスが音をほとんど立てずに紅茶を用意していく。その手際はナタリアの目から見ても完璧で、感嘆したような声を漏らした。
「ヴェルグ子爵家は素晴らしい従者をお持ちですわね」
「そう言っていただけると鼻が高いですよ」
ナタリアの賛辞にルイスが笑みを深め、セバスが静かに一礼する。ナタリアの紅茶を用意しているのはセバスだが、ルイスの紅茶を用意しているのはアネモネだった。さすがに年季が違うからか、その手際はセバスと比べると数段劣る。
そうやって軽い雑談から入った二人だったが、互いに紅茶を飲むと場の雰囲気が僅かに引き締まる。
「ルイス殿……いえ、ヴェルグ子爵、もしくは“ヴェルグ伯爵”とお呼びした方が良いでしょうか?」
「まだ代替わりが済んでいませんので、ルイスと気軽にお呼びください。貴女のような美しい女性に名前を呼んでいただけるなら、これに勝る喜びはありませんからね」
ナタリアの言葉に、ルイスは輝かんばかりの笑顔を浮かべながら答えた。そして、ナタリアに向かって今度はルイスが言葉を放る。
「そちらは“アメンドーラ男爵”とお呼びした方が良いでしょうか?」
「こちらもお気軽にナタリアとお呼びくださいな」
「それは光栄ですね。かの『風塵』、かの才媛を名前でお呼びできるなど、男子一生の誉れとなりましょう」
互いにニコニコと笑いながら、牽制という名の情報交換を行う。しかし、その途中でナタリアの意識がルイスの背後に控えているアネモネへと向けられた。
(ふぅん……あの子……)
侍女らしく失礼にならないよう笑みを浮かべているが、僅かに不機嫌そうな気配を感じる。
(……若いわね)
ナタリアはその観察眼でアネモネの心情を見抜いたが、毒にも薬にもなりそうにないからと放置することにした。
「是非とも一度お会いしてみたかったのです。ナタリア殿の下にいるレウルス君達のおかげで妹も元気になりましたし、感謝を伝えたかったのですよ」
「“当家にも”利益のある話でしたから」
にっこりと微笑むナタリア。そんなナタリアの笑顔を見たルイスは、思わずといった様子で苦笑する。
「……と、挨拶もこれぐらいにしておきましょうか。これからは腹を割って話をしたいのですが……」
「ええ。こちらとしても望むところですわ」
個人ではなく準男爵としての仮面を被り、ナタリアは笑顔で頷くのだった。




