第32話:生でかじる→焼いて塩を振る
エステルの教会を後にしたレウルスは、コロナを料理店に送り届けるなり一人でラヴァル廃棄街を歩き始めた。
ラヴァル廃棄街に来て既に一ヶ月弱が経過している。そのため街の住人達もレウルスの顔を覚えたのか、顔を見るなり親しげに声をかけてきた。
「よう『魔物喰らい』。今から仕事か?」
「ああ、今から冒険者組合で依頼を受けてくるよ」
「おっ、レウルスじゃねえか。ドミニクの旦那が使ってた武器を渡されたってのは本当なんだな」
「重くてしょうがねえけどな……もっとメシを食って体を鍛えないと振り回せねえよ」
『魔物喰らい』――それはレウルスが食用に適さない魔物でさえも好んで食べることからつけられたあだ名である。元々は冒険者の先輩達がからかってつけたあだ名だったのだが、キマイラを倒した今ではラヴァル廃棄街全体でも伝わっているようだった。
すれ違い様に街の住人達と言葉を交わし、レウルスは大きな建物へとたどり着く。冒険者組合と呼ばれるラヴァル廃棄街の中でも重要度が高い場所であり、レウルスの目的地でもあった。
初めて訪れた時は萎縮していたが、今では慣れてしまった。気軽に扉を開けて足を踏み入れると、周囲にいた冒険者達から視線を向けられる。
もっとも、視線を向けられたと言っても敵意があるわけではない。入ってきたのがレウルスだとわかると、すぐに好意的な視線に切り替わった。
「ようレウルス。今から魔物退治か?」
「……おはよう、レウルス」
そんな冒険者仲間の中でも、レウルスの顔を見るなり即座に声をかけてきた者がいる。それは先輩冒険者のニコラとシャロンの二人組であり、ニコラは気さくに、シャロンはどこか辛そうな表情を浮かべながら歩み寄ってきた。
先日起きたキマイラとの戦いにより、ニコラは半死人としか思えないほどの重傷を負っている。その時の傷が完治していないのか全身に包帯を巻いたままだった。
シャロンは魔法の威力と消費魔力を底上げする『詠唱』を使って氷魔法を行使した結果、魔力切れになっている。今は魔力の回復に努めているらしいが、まだまだ完全回復には程遠く、体を動かすことすら億劫なようだった。
ゲームのように一晩眠れば魔力が全回復するわけではないのだ。
「ニコラ先輩……まだ怪我が治ってないんだろ? なんで冒険者組合に来てるんだよ……シャロン先輩も魔力が回復してないんだろ?」
ニコラはエステルの――精霊教の力を借りるのが嫌らしく、治療魔法を受けようとしない。それはニコラだけに限った話ではなく、冒険者全体に言える話だった。
ラヴァル廃棄街は独立性が高い街である。その影響か、精霊教のように“外部”の勢力を利用することを警戒しているのだ。
それならば追い出せば良いのだろうが、それでは来る者を選別はするが拒まないラヴァル廃棄街のスタンスに反する。結果として、余程のことがあれば少しだけ手を借りるが、それ以外はただの住民として扱うという微妙な扱いだった。
エステル個人ならば信用しても良いが、精霊教という看板を引っ提げてラヴァル廃棄街を宗教に染められては叶わない。ラヴァル廃棄街に必要なのは明日を生きる糧であり、腹が膨れない宗教ではないのだ。
レウルスからすれば、利用できるのなら利用すれば良いのにと思う気持ちがあった。しかしながらラヴァル廃棄街で生まれ育ったニコラはそう思わないらしい。精霊教は街に入り込んだ“異物”であり、その手を借りるのは死んでも嫌らしかった。
(実際に死にかけても治療を拒むんだから、筋金入りだよなぁ……)
普通、死にかけていたら四の五の言わずに治療を求めるはずである。それだというのに拒んだ辺り、やはり世界が違うのだなぁとレウルスは思った。
「この状態でもできる仕事がないかと思ったんだが、姐さんには帰って寝ろって言われた」
「妥当過ぎる……エステルさんの治療を受けたくないなら、せめて家で大人しくしとけよ。シャロン先輩だって辛そうじゃねえか」
「ボクは魔力がほとんどなくなってるだけだから……兄さんと違って魔物を倒そうと思えば倒せるよ」
レウルスの言葉を聞いたシャロンは、ニコラと一緒にするなと言わんばかりに眉を寄せる。キマイラとの戦いでも傷らしい傷を負っておらず、ミイラ男のように包帯が目立つニコラと比べれば健康そうだ。
言葉を信じるならば、身体能力を上げる魔法である『強化』ぐらいは使えるらしい。ただし、『強化』は保有している魔力の量によって効果が増減するのだ。今のシャロンでは大した効果は望めないだろう。
「あんなに強力な魔法を使ったんだし、シャロン先輩も大人しく休んどけよ。さすがにキマイラみたいに強い魔物が何度も来るとは思えないし……思いたくないし、休める時に休まないとな」
キマイラを倒すことはできなかったが、シャロンの魔法はレウルスが知る中で最も強力な攻撃手段である。キマイラと戦った際、冒険者組合の長であるバルトロなどがシャロンの安全を最優先にしたのも納得できる話だった。
魔力を使い切ったものの、折角無事にキマイラを倒せたのだ。無理はせずに魔力の回復に努めてもらいたかった。
「仕方ねえ……大人しく寝とくか」
「そうしてくれ。んじゃ、俺は姐さんに依頼があるか聞いてくるよ」
ニコラとシャロンに軽く手を振り、受付へと足を向けるレウルス。そこには冒険者組合の受付嬢である女性――ナタリアが座っており、大剣の重量によって重い足音を立てながら近づいてくるレウルスに苦笑を向けた。
「坊やがドミニクさんの剣を受け継いだって噂だったけれど、本当だったのね」
そう言って苦笑を向けてくるナタリアだが、相変わらず妖艶な雰囲気を振り撒いている。色気のある顔や体付きもそうだが、服装もわざと着崩すことで胸元が露出しているのだ。
「色んな意味で重たすぎるけどな。それで姐さん、何か仕事はあるかい?」
背中の大剣は重すぎるため、冒険者組合から予備の武器として剣を借りた方が良いかもしれない。そんなことを考えながら尋ねると、ナタリアは着崩した服装を正すこともなく手に持った煙管を何度か指先で回す。
「そうねぇ……坊やには魔物退治をお願いしようかしら。キマイラが出た影響で魔物の動きが不安定なのよ。キマイラを倒せたんだから一人で動いても問題ないでしょうし、狩れるだけ狩ってきてちょうだいな」
「俺一人の力で倒したわけじゃないってわかってるよな? 下手すりゃウサギが相手でも死ぬんだけど……なんだよ姐さん、そんなに人手不足なのか?」
ラヴァル廃棄街の冒険者がやることと言えば、大きく分けて二つである。
一つはラヴァル廃棄街から見て北の方角にある畑に向かう住民の護衛。
そしてもう一つが魔物退治だ。
魔物退治と一口に言っても、ラヴァル廃棄街の周辺で魔物の接近を見張り、迎撃に当たるパターン。それに加えてラヴァル廃棄街からある程度離れ、森や林などの魔物が生活する空間に飛び込んで魔物を倒すパターンがある。
狩れるだけ狩れということは、後者が望まれているのだろう。それは理解したものの、レウルスとしては命がいくつあっても足りない気分だ。
レウルスはたしかにキマイラを倒したが、それは事前に交戦したニコラとシャロンが多少なり傷を与え、その上で重戦士とでも評すべきバルトロとドミニクがさらに傷を増やし、その上でシャロンが強力な氷魔法を叩き込んで弱らせたから成し得たのだ。
まったく貢献していないとは言わないが、キマイラ相手に発揮した“馬鹿力”がなければレウルスは素人に毛が生えた程度の腕しかない。キマイラ討伐の功績で下級中位の冒険者になったレウルスだが、立場に比例して実力が伸びたわけではないのだ。
そのため一応は釘を刺すレウルスに対し、ナタリアは艶っぽいため息を吐く。
「ニコラとシャロンが動けないのが痛くてね……それに、キマイラに追われてきた魔物と交戦した冒険者が“引退”したのよ。それも三人も……本当に頭が痛いわ」
「……そうだったのか」
命を落としたのか、あるいは冒険者を続けられないほどの重傷を負ったのか。重傷の度合いで言えばニコラも大差ないが、ニコラは『強化』を使える魔法使いでもある。魔法が使えない普通の冒険者と比べれば遥かに頑丈で、怪我が治れば戦線復帰も叶いそうだった。
「他にも怪我をして治療中って子もいる……動ける冒険者に動いてもらう必要があるのよ」
「それなら仕方ねえな……でも姐さん、そんなに怪我人が多いのならエステルさんに治してもらえば良いんじゃないか?」
実演しているところは見たことがないが、エステルは治療魔法が使えると聞いている。レウルスの怪我もそれによって治してもらった以上、他の怪我人の治療を拒むということもないだろう。
「怪我を治せるのだから治してもらう……道理ね」
「それなら……」
「でも駄目よ。教会にはなるべく借りを作りたくないの。坊やはこの街にとって有用な存在になると判断されたから治療を“お願い”しただけ」
やはり外部につながりがある勢力の力は借りたくないらしい。そのことにレウルスは苦笑すると、納得したように頷きを返す。
「わかったよ。俺としてもさっき治療代を払ってきたんで、貸し借りなしってことにしとく。それでいいか?」
怪我の治療をしてもらいはしたが、元々命に係わるほど重傷というわけでもなかった。それならば金貨3枚の寄付で貸し借りなしになるだろう。
「ええ。ドミニクさんを助けるためにキマイラ相手に立ち向かう……それに似たようなことをしないのなら問題はないわ」
「でっかい釘を刺しやがって……それなら治療魔法が使える奴を見つけてきてくれよ。それか腕の良い医者を連れてくるとかさ」
怪我を治療できる者がいるのなら、“引退”する冒険者も減るはずだ。もっとも、それをナタリアが理解していないはずもなく、探しているものの目ぼしい人材がいないというのがオチだろうとレウルスは思う。
「その怪我人を減らすためにも魔物退治をお願いね? ああ、そうそう……」
ナタリアはレウルスの言葉に艶のある笑顔を返すと、机の引き出しから何かを取り出した。黒味を帯びた石に、手の平に収まる大きさの金属棒、それと小さな布袋が二つである。
「遅ればせながら、キマイラを倒したことへの“個人的な”報酬よ」
「個人的な報酬? 触ったら爆発したりしないだろうな……」
ナタリアの言葉に首を傾げつつ、レウルスは黒石に視線を向ける。もらえるものはもらっておく主義だが、ナタリアには“爆弾付き”の冒険者登録証を渡されたことがあるのだ。警戒するに越したことはない。
「警戒しているわねぇ……でも、冒険者としては悪いことじゃないわ」
警戒と疑問を露わにするレウルスに対し、ナタリアは苦笑を浮かべた。
「これは火打石と火打金よ。ニコラとシャロンから聞いたけれど、火を熾せたら魔物を焼いて食べられると思ったんでしょう? これがあれば火を熾せるわ」
「俺、姐さんのこと信じてた!」
火を熾す道具と聞き、レウルスは即座に手の平を返した。そして試しに火打石と火打金を打ち合わせてみると、小さく火花が散る。
「おお……すげぇ」
キラキラと目を輝かせるレウルス。これだけで即座に火を熾せるわけではないが、魔法を使えない身としては非常にありがたい道具だった。
「こっちの袋には油を含ませた後に乾燥させた木の屑が入ってるわ。火を熾す時に使いなさい。それと、こっちの袋には塩を入れてあるから、魔物を焼いた時の調味料にでもしなさいな」
「ありがとう姐さん!」
至れり尽くせりとはこのことだ、などと思いながらナタリアからの贈り物を受け取るレウルス。ついでに腰帯に下げる革製の頑丈な小型バッグをもらい、嬉々として貰い物を詰め込んだ。
魔物を狩れるだけ狩ってこいと言われた時は無茶振りすぎると思ったが、倒せば倒しただけ“食料”が手に入るのだ。今のところ焼くだけになりそうだが、生で食べるよりは美味しいはずである。
「火を使う時は周囲に燃えるものがないことを確認なさい。森を燃やしたら洒落にならないわ。それと、火はちゃんと消すこと。水がなければ土を被せて消すのよ?」
「了解了解。それじゃあ早速行ってくる」
満面の笑みを浮かべ、足取りも軽く冒険者組合を後にするレウルス。そんなレウルスの背中を見送ったナタリアは手に持っていた煙管をくるりと回し、口の端を僅かに吊り上げる。
「これで町の周囲には敵対者じゃなくて“捕食者”がいると魔物が考えてくれればいいけれど……効果が出るとしてもしばらく先のことかしらね」
戦えば危険だと思われるのと、戦えば食われると思われるのでは抱く印象も変わる。魔物と人間が殺し合うという点では変わらないが、殺された上で食われる――捕食されるとなれば魔物も警戒するだろう。
『魔物喰らい』と冗談混じりで呼ばれるレウルスだが、魔物にもそう思われてくれれば楽になる。そんなことを考えつつ、ナタリアは小さく笑うのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
またまた後書き部分をお借りしています。
読者の方からいただいたご感想で、とうとう来たか、というものがあったので補足説明をいたします。
Q.この世界って『異世界の王様』の時と同じ世界?(意訳)
A.同じ世界です。ただし同一時間軸の世界とは限りません。拙作『異世界の王様』の設定を下敷きにして色々と手を加えています。
折角の異世界ファンタジーということで、以前書いたものを活用したいと思いました。もちろん、拙作『異世界の王様』を読まれていなくてもまったく問題はありません。読まなくても大丈夫なように物語を書いていくつもりです。
ただ、読まれた方にはわかるネタをちらほら挟むかもしれませんが……もう少し物語が進めばそういったネタをこっそり仕込むつもりでした。昨日の更新分では思い切りバレバレな部分が多かったですが。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。