第326話:大教会 その3
態度を砕けさせたソフィアを前に警戒を強めるレウルスだが、ソフィアはそんなレウルスの警戒を気にも留めず、緑茶を啜っている。
ソフィアは余程緑茶を気に入っているのか、幸せそうに頬を緩ませていた。その表情だけを見れば、エステルの姉というのも頷けるほど柔和な雰囲気がある。
レウルスがこれまで接したことがある貴族は、それほど多くない。ヴェルグ子爵家の面々や、ソフィアと話したことで貴族の生まれだと判明したエステル、あとは準貴族という立場にあるナタリアぐらいだ。
そんな彼ら、あるいは彼女らは、立場に相応しい教養や立ち振る舞いをしていた。眼前のソフィアは真逆で、演技なのか素なのか、貴族や精霊教師という立場を完全に放り投げているように見える。
「……一応、確認しておきたいことがあるんですが」
「まだ硬いわねぇ……何かしら?」
警戒を露にしながら言葉を紡ぐレウルスに対し、ソフィアはティーカップを机に置きながら答えた。
「言葉遣いや礼儀に注意していたら言いたいことも伝わらないっていうのには同意ですけど……言葉遣いを崩した途端、貴族に対して不敬だって言ったりしません?」
ないと思いたいが、失言を引き出そうとしているのではないか。そう警戒するレウルスに対し、ソフィアはきょとんとした顔付きになり――盛大に吹き出した。
「アハハハッ! “そんなこと”を警戒してたの!? 無礼を咎めないって言ったじゃないっ!」
面白いことを聞いた、と言わんばかりにゲラゲラと笑うソフィア。何が面白いのかは不明だが、どうやら無礼を働いても本当に咎めないつもりらしい。
ひとしきり笑ったソフィアは目の端に浮かんだ涙を指先で拭うと、サラとネディへ視線を向ける。
「それを言ったら、わたしなんて精霊教師なのに精霊に対して不敬を働いてるのよ? どの口でアンタ達を咎めろっていうの?」
「……不敬を働いているってのは?」
何かしたのか、と目を細めるレウルスだが、ソフィアは不思議そうに首を傾げた。
「ん? 気付いてない? そっちの精霊二人は気付いてそうだけど、わたしのこの目のことよ」
そう言いつつ、魔力を集中させるソフィア。レウルスは僅かに警戒するが、ソフィアは先刻の『宣言』の時のように瞳を赤く光らせるだけだ。
「これ、一応大精霊の『加護』なんだけどねぇ……大精霊コモナを“降ろせる”愚妹と比べたらまがい物も良いところなのよ。“視る”ことはできるけど、視られる側からすると嫌悪感があるみたいなの」
「そうなのか?」
レウルスが尋ねると、サラとネディは頷きを返す。
「“その状態”じゃなくてもこう、イラッとするわ」
「……気持ち悪い」
ソフィアの言う通り、嫌悪感を剥き出しにするサラとネディ。そんな二人の言葉に、精霊を信仰しているはずのソフィアは苦笑を浮かべる。
「精霊からすると、目だけ借りてる……言葉を飾らずにいうと、同類である精霊の目を盗んでいるようなものだもの。嫌われるのも仕方がないわ」
(エステルさんの場合、大精霊コモナ自身が現れているから問題ない……この人の場合、勝手に力を借りているからサラとネディが反発している……みたいな感じか?)
レウルスはピンとこなかったが、おそらくはサラもネディも理屈ではなく感情でソフィアのことを嫌っているのだろう。
(もしくは、『契約』しているわけでもないのに他人がエリザやサラの力を勝手に使っているような感じか……そう考えると、腹が立つのもわからないではないな)
自分に当てはめて考えるとそんなところだろうか、とレウルスは思考した。すると、そんなレウルスの納得を感じ取ったのか、ソフィアが口の端を吊り上げて笑う。
「そういうわけで、礼儀だなんだって気にする必要はないわけよ。あ、もちろんこの部屋から出たらそうはいかないわよ? わたしにも一応、立場ってものがあるからね」
――だからこの場では好きなように話しなさい。
そう締め括るソフィアに、レウルスは深々としたため息を吐く。
(ルイスさんみたいな人も困るけど、この人もまた面倒な……)
ルイスのようにやけにフレンドリーな態度を取られても困るが、ソフィアのように明け透けな態度を取られても困る。
しかしそうやって言い合っていても話が進まないため、レウルスは承諾するように頷いた。
「よろしい……そうそう、『魔物喰らい』のレウルス。アンタの名前も有名になってきているわよ? 少なくとも、王都にいるわたしの耳に届くぐらいには噂になってるわ」
そして、レウルスが承諾するなりそんな話題を叩き付けるソフィア。それを聞いたレウルスは思わず眉を寄せてしまった。
「……本当に?」
「ええ、本当に。マタロイのあちらこちらに精霊教徒がいるからねぇ……そちらの精霊二人と合わせて、色んな情報が入ってきてるわ」
そう言いつつ、ソフィアは右手の指を折り始める。
「ラヴァル廃棄街の周辺で魔物を狩りまくって魔物自体が近付かないようにする、襲ってくれば野盗も殺す、グレイゴ教徒と何度もやり合う、『城崩し』に『国喰らい』、『首狩り』を倒す……」
そこまで言葉にしたソフィアは、心底不思議そうにレウルスに尋ねた。
「ねえ、これだけ暴れているのに何で噂にならないと思ったの? わたしからするとそっちの方が不思議なんだけど?」
「冒険者がちょっと暴れてるぐらいで噂になると思わなかった……って、『国喰らい』? 一体何のことだ?」
不思議そうな顔をしているソフィアに対し、レウルスもまた不思議そうな顔をした。
『国喰らい』――スライムに関してはジルバに功績を引き受けてもらったはずなのだ。
「いや、いくらなんでも無理があるでしょ。ジルバならやりかねないけど、ジルバの“戦い方”を知ってる人からすれば明らかに“何か理由があります”って言ってるようなもんじゃない」
どうやらソフィアは騙されてくれなかったらしい。それでも、ジルバならやりかねないという部分に気を取られ、騙されている者も多そうだが。
全力で惚けるレウルスに、ソフィアは足を組み替えながら事も無げに言う。
「まあ、わたしの場合、グレイゴ教徒から情報が流れてきたんだけどね?」
「――――」
その発言を聞いた瞬間、レウルスは無意識の内に前傾姿勢を取っていた。それは半ば反射のような動きだったが、それに気付いたソフィアは鬱陶しげに手を振る。
「ちょっと、殺気を飛ばさないでくれる? 言っておくけど精霊教師の皮を被ったグレイゴ教徒なんてオチはないわよ? “向こう側”に潜ませている間諜からの報告で聞いただけなんだから」
「……グレイゴ教に間諜を潜ませてるのか?」
「え? 当然でしょ? この国では精霊教が信仰されているけど、グレイゴ教も大きな宗教だもの。アンタが交戦した『傾城』みたいな奴もいるんだから、常に情報を探っておかないと安心できないでしょ?」
何を当たり前のことを聞いているんだ、と言わんばかりのソフィア。そこには冗談や嘘の気配がなく、大教会の精霊教師の“当然の職務”としてグレイゴ教に探りを入れているらしい。
ソフィアの言葉に一応の納得を示すレウルスだったが、ソフィアはどこか呆れた様子で口を開く。
「アンタ、自分が有名になっている理由がわかった? 冒険者だろうが乞食だろうが、上級の魔物やグレイゴ教の司教と一戦交えて生き延びてるんだから噂になって当然でしょ?」
「……それは、まあ」
ナタリアやジルバが情報の隠蔽に協力してくれてはいたが、ソフィアの目を欺くには至らなかったらしい。
ソフィアは曖昧に頷くレウルスを見ながら緑茶を一口飲むと、その視線をサラとネディに向ける。
「その上、噂の『魔物喰らい』が精霊を連れているなんて話が出ればねぇ……アンタ、ナタリアさんに感謝しておきなさいよ。あの人が管理官をしている場所だったから今までどうにかなってきたんだから」
どうやらナタリアのことはソフィアも知っているらしい。それも、ソフィアの口振りから判断する限り、下にも置かない扱いを受けているようだ。
ソフィアは追加の緑茶をティーカップに注ぎながら、呆れたように言う。
「しかし……王都に来るとは思っていたけど、とんでもないのを連れてきたものね。そっちの火の精霊はともかく、そっちの精霊は水と氷の二属性で構成されているでしょう? 表情を変えないようにするだけで大変だったわ」
「…………」
茶飲み話のように話すソフィアに、何度目になるかレウルスは言葉を失った。
「『国喰らい』が出たっていうし、生まれた場所はメルセナ湖かしら? そうだとしても水だけじゃなくて氷までっていうのはちょっとねぇ……」
「……色々と気になるけど、何かまずいのか?」
「あー、うん、違う違う。まずいのはネディ様じゃなくて、精霊教の話」
ネディの身に何か悪影響があるのか。そう心配するレウルスに、ソフィアは顔の前で手を振る。
「大精霊と呼ばれるコモナ様だけど、“どんな精霊”かは知ってる?」
「いや……二回言葉を交わしたことがあるけど、ソフィア、さん、みたいに一回目と二回目で性格や口調がガラッと変わってたことぐらいしか……」
レウルス自身のことに関して色々と教えてくれたが、さすがにそれをソフィアに伝える気はない。そのためぼかした言い方をするレウルスだが、ソフィアは口元に手を当てながら小さく呟く。
「へぇ……二回“も”言葉を交わす機会があったんだ」
その呟きを拾いきれなかったレウルスは聞き直そうとするが、それよりも先にソフィアが口を開いた。
「諸説があって、精霊教の文献でも記述が異なることがあるんだけど……大精霊コモナは複数の属性を司る精霊だと言われているのよ」
そう言われて、レウルスは思わずネディに視線を向ける。ネディも水と氷の魔法を操ることができる精霊で、その点だけ見れば大精霊コモナと同じだ。
「全ての属性を操れると書かれた文献もあれば、火と氷と風と雷の四属性を操れると書かれた文献もある。属性が少ないものだと火と風、氷と雷、風と雷、なんてどれが正しいのかも見当がつかないことが書かれていたりするの……わかった?」
ソフィアもネディへと視線を向け、口調とはともかく雰囲気は真剣なものへと変える。
「複数の属性を司るなんて『宣言』してみなさい。第二の大精霊だなんだって騒ぎ出すわよ? そうなったが最後、わたしでも止めるのは不可能でしょうね」
そう語るソフィアだが、それが本当かもレウルスには判断ができない。しかし、後でジルバに尋ねればわかりそうなことで騙そうとするのは無謀も良いところだろう。
(つまり、なんだ……この人はネディがそうならないように水の精霊だって『宣言』“してくれた”ってわけか?)
ここまで話した印象としては、ソフィアは決して敬虔な精霊教師とは思えない。その口ぶりや態度からは精霊教徒の手綱を握り、管理しているように感じられた。
「……なるほど、そういうことだったんじゃな」
不意に、それまで黙って話を聞いていたエリザが口を開く。視線はソフィアへと向けられているが、その瞳には納得の色があった。
「侯爵という地位を持ちながら、精霊教師でもあると聞いて疑問に思っておったが……“管理官”のようなものか」
確信を込めたエリザの言葉。それを聞いたソフィアはどこか楽しげに笑い、答えた。
「正解よ――精霊に似た亜人さん」