第323話:王都ロヴァーマ その5
ルイスと思わぬ再会を果たしたその後。
レウルス達は借家に引きこもり、周囲の散策すら行わずに大人しく過ごしていた。
借家から一歩出ればルイスと再会したのである。どれだけの情報が出回っているか確認も取れないが、再度外出しようとすれば昨日と同じように、精霊教徒を連れたソフィアが笑顔で待ち受けていても不思議ではない。
グレイゴ教徒を排除しているマタロイの王都ではあるが、出先でカンナやローラン、果てはレベッカに襲われても納得できてしまいそうだった。
食料に関しては王都まで旅をするために用意した分が残っているため、外出せずとも問題はない。そのためレウルス達は誰も来ないことを祈りつつ、ナタリア達が帰ってくるのを待つことにした。
「ヴェルグ子爵家の長男が顔を出した……ねぇ」
そして夕刻。疲れた様子のコルラードを連れて帰ってきたナタリアに対し、レウルスはルイスが訪れたことを話す。
ナタリアは今日一日をかけて知り合いのところに顔を出し、王城での謁見の申請なども行ってきたらしいのだが、コルラードと違って疲れた様子もない。
レウルス達が外出しなかったと聞いて不思議そうにしていたナタリアだったが、事情を説明すると苦笑と共に納得したのだった。
「何かまずかったか?」
特におかしなことを話したわけでもないのだが、とレウルスは疑問を呈する。強いて問題を挙げるとすれば、ルイスが訪れたというのに碌に歓待する用意がなかったことぐらいだろう。
その辺りはナタリアも意識していたのか、外出の土産として茶葉と日持ちする焼き菓子を購入してきていた。
余談ではあるが、ナタリアが買ってきた茶葉は早速使用されている。茶葉を渡されたコルラードが慣れた手付きで紅茶を淹れ、ソファーに座ったナタリアへと献上するように差し出したのである。
「むぅ……悔しいが美味いのじゃ……」
さすがに紅茶の淹れ方までは教わっていなかったのか、コルラードが淹れた紅茶を飲んだエリザが悔しげにしている。
ナタリアに事情を説明していたレウルスも試しに飲んでみたが、茶葉の良し悪しがわからないなりに美味しいと感じる味だった。
「何かあればヴェルグ子爵家の名前を出して良いとまで言ってくれたのでしょう? わたし向けの情報提供という面もあるけど、話を聞いた限りだと純粋にあなた達に会いたかっただけという可能性もあるわ」
優雅にティーカップを傾けつつ、ナタリアが言う。その背後には騎士らしく鎧を着込んだコルラードが直立不動で控えていたが、レウルスは努めて見ないようにした。
「……本当に?」
裏で何か考えているのではないか。そう勘ぐるレウルスに、ナタリアは苦笑を浮かべる。
「用心深くなったようで嬉しい限りだわ。でもね? わたし達ラヴァル廃棄街の人間もそうだけど、貴族と呼ばれる人間だろうと情もあれば恩義を感じることもあるの」
そう言って宥めるナタリアだが、レウルスとしては貴族という人種は裏で何を仕掛けてくるかわからないという印象があった。
そのため、今回のルイスの来訪も何かあるのではないかと疑ってしまうのだ。
「わざわざわたしやジルバさん、コルラードがいない状況で会いに来た……つまり、貴族としてではなく、ルイス殿個人として行動したんでしょうね」
「個人といっても、相手は家紋入りの馬車に乗ってきたんじゃが?」
レウルスの隣に座ったエリザもまた、ティーカップを傾けながら尋ねる。その所作はレウルスの目から見ても洗練されているように感じられ、エリザの教養の高さが伺えた。
「貴族としての都合もあるでしょうしねぇ……わたし達が王都に到着した翌日、すぐさま会いに来た。つまりラヴァル廃棄街とヴェルグ子爵家の“仲の良さ”を示したいんでしょう。これから独立する予定の相手だから、唾をつけておく意味もあるわ」
そう語りつつ、ナタリアはティーカップをテーブルに置く。そして思案するように目を細めると、僅かに間を置いてから口を開いた。
「ただ、何かあればヴェルグ子爵家の名前を出しても良いと言ったのは好意によるものでしょうね……ある程度なら泥を被ってもいい、それぐらいの借りがあると思っているということよ」
「……姐さん向けの情報提供っていうのは?」
ルヴィリアの体が治ったことを恩義に感じているのか、あるいは他の考えがあるのか、それとも複数の感情や考えが入り混じっているのか。
その辺りのことはルイスの頭の中を覗かない限りはわからないため、レウルスは一時棚上げして他の話題を振る。するとナタリアは意味深に微笑んだ。
「当主でもない人間が、家名を出しても良いとまで言ってるんですもの。ほぼ確実に代替わりがあるってことよ。ルイス殿が王都を訪れているのもそれが関係しているんでしょうね」
(マジかよ……って、そうはいってもルイスさんってヴェルグ子爵の“代行”をしてたし、別におかしくはない……のか?)
レウルスからすればルイスは二十歳をいくらか過ぎたか、という若年だが、近々ヴェルグ子爵家の家督を相続するらしい。
それが貴族的に見て早いのか遅いのかもレウルスにはわからなかったが、ひとまずは納得することにした。
「わたしも“今は”まだ準男爵だから直接話すわけにはいかなかったのでしょうけど……非公式にとはいえそういった情報を渡してくるあたり、どれぐらいあなたのことを気に入っているかがわかるわね」
「……ルヴィリアさんの件で苦労したしな。その対価と思おう、うん」
手慰みにシュガーポットから掬った砂糖を紅茶に投入しつつ、レウルスは人形のように何度も頷く。
「でも、まあ、なんだ……そういう情報を渡すのって貴族的に大丈夫なのか? いくらルヴィリアさんの件で貸しを作ったっていっても、“個人的に”肩入れしすぎるのは駄目な気がするんだが……」
――個人としての感情よりも、領地や“家”のことを優先する。
レウルスとしては面映ゆい部分もあるが、それはルヴィリアから教わったことだ。
「もちろん、個人の情実が貴族としての立場より優先するようでは落第も良いところだけどね……ルイス殿はそういった手合いではないわ。わたしもこれから何度か王城に行く予定だけど、何かあるかもしれないわね」
そう言って気を引き締めるナタリアだが、レウルスにはできることも限られている。そのため一応の確認として尋ねた。
「王城か……行くのは姐さんだけか?」
「ええ。護衛が必要というわけでもないし、こう言っては気を悪くするかもしれないけど、あなた達は“登城できる身分”でもない……いつも通りコルラードに頑張ってもらうわ」
「ふーん……興味がないとは言わないけど、面倒そうな場所だしなぁ。大人しく留守番してるよ」
あるいは精霊教の教会に顔を出すか。そう言葉を付け足したレウルスは、相変わらずナタリアの背後に立っているコルラードへ視線を向けた。
その直立不動振りは騎士というよりも執事か従者のようで、さすがに無視できなくなったのだ。
「ところで……コルラードさん、大丈夫ですか?」
「国境線での小競り合いや、この間のように他国に行かされるよりは楽である」
「……比較対象がおかしくありません?」
「…………」
沈黙してしまったコルラードだが、ナタリアに全力で振り回されてさすがに疲れているらしい。そんなコルラードの姿が視界に入ったのか、出された紅茶を飲んでいたネディがコルラードの傍に駆け寄り、腰を軽く叩いた。
「……頑張って、ね?」
「……はい」
どうやらルヴィリアの治療に関する長旅を共に乗り越えたことで、ネディもコルラードに対して多少なりとも打ち解けてきたようだ。ただし、ネディの励ましに敬語で答えている辺り、割と限界が近いのかもしれないが。
「あー……えっと、姐さん? さすがにコルラードさんが可哀想じゃないかなぁ、なんて……」
コルラードの反応を見たレウルスは、声を潜めてナタリアに尋ねる。ラヴァル廃棄街の仲間ではないが、剣術を教わったり一緒に旅をしたりと色々世話になっているのだ。
そのためもう少しなんとかならないのか、と促すレウルスに対し、ナタリアは薄く微笑みながら小声で答えた。
「これは本人には伝えていないんだけどね……わたしもだけど、コルラードも“今”が正念場なのよ。優秀だから手を借りているけど、その見返りはきちんと用意してあるわ」
「それって……」
ナタリアの言葉を聞き、レウルスは思わずといった顔付きでコルラードを見る。
当のコルラードはといえば、ネディに続いて追加で増えたサラに背中を叩かれながら励まされていた。そして、そんなサラとネディを止めるべきか迷っている様子のミーアがあたふたとしているのも見える。
(昇進が控えてるのか……現状の大変さも、その前振りってことかね)
どうやらナタリアも、コルラードに対して意味もなく厳しく当たっているわけではないらしい。
そう納得したレウルスは素直に引き下がり、ソファに背中を預けた。
「……ただいま戻りました」
すると、そのタイミングでジルバが帰宅する。しかしその声色は普段と違って硬く感じられ、レウルスは疑問を覚えながら振り返った。
「おかえりなさい、ジルバさん……どうかしたんですか?」
振り返った先にいたジルバの表情を見て、レウルスは驚きと共に尋ねる。普段は常に笑みを浮かべているジルバだが、その表情がひどく真剣だったのだ。
「予定通り情報収集に出かけたのですがね……これを」
そう言いつつ、ジルバは懐から取り出した白い物体をレウルスに差し出す。レウルスは首を傾げながらも受け取ると、その物体に視線を落とした。
(封筒……手紙か?)
白い、質の良い紙で作られた封筒である。きちんと封蝋で閉じられており、なおかつ花を模したと思しき紋章が刻まれていた。
(魔力は……感じないか。さすがに開けたらドカン、なんてことはないだろうけど……)
何故か小包爆弾という単語がレウルスの脳裏に過ぎった。そのため中身を尋ねるような視線をジルバに向けると、ジルバは真顔で答える。
「ソフィア様からです」
使者を出すとは言っていたが、どうやら情報収集に出かけたジルバを使者に仕立て上げたらしい。
家から一歩も出ずとも、向こうから厄介事がやってくるようだ。
そう結論付けたレウルスは、そのまま脱力するようにソファーに倒れ込むのだった。