第321話:王都ロヴァーマ その3
王都ロヴァーマは城壁の規模が示すように非常に広く、城壁内には様々な大きさの建物が建ち並んでいる。
王都の中心には王城が建てられ、王城の周囲には貴族や豪商といった上流階級の邸宅が、その更に周囲には歓楽街や大店、騎士階級の者や兵士が住まう長屋のような建物が存在する。
それらの面積は王都の中でも半分程度で、残る半分の面積に王都の民が住む家々や小規模な商店、鍛冶場や兵士の練兵場などが存在していた。
(あー……王都に来て早々、精神的に疲れた……)
そして、王都の中でも上流階級の者達が住まう地域に程近い場所に建てられた一軒家の一室で、レウルスは備え付けのソファーに座りながらそんなことを考えていた。
その一軒家は王城に適度に近く、城門からも適度に近い。王都と城門の丁度中間に位置するように建てられており、今回の王都行きでナタリアが借り上げた家だった。
王都を訪れた貴族や貴族に準ずる者などが長期滞在する際に借りるための物件で、二メートルほどの壁で周囲を囲まれた二階建ての家である。造りは石材と木材をふんだんに使用しており、ラヴァル廃棄街ではお目にかかれないほど頑丈な建物だ。
僅かとはいえ庭も存在し、馬車を置くためのスペースや小さいながら厩舎も存在する。
民間人が借りるのは難しいが、準男爵であるナタリアが借りるには適当と言える規模の邸宅と言えた。
また、王都には宿も存在するが、今回はそれなりに長期間逗留する可能性があり、一軒家を借りた方が安上がりで済む。
普段ならばナタリアが懇意にしている貴族や知り合いの家に間借りしても良いのだが、今回王都を訪れた“用件”を考えると他者の邸宅に上がり込むのはまずいらしい。
その辺りの事情はレウルスにもよくわからなかったが、今は“先ほどの一件”に対する気疲れの方が重要だった。
明らかに待ち受けていたと思しきソフィアと精霊教徒の一団とは既に別れている。サラが真っ向から拒否を示すと、『それが精霊様のご意向ならば』とレウルスが驚くほどあっさりと引き下がったのである。
正確に言えば、精霊教徒の半数ほどからは不満そうな気配を感じ取れた。しかしそれをソフィアが宥め、後日改めて使者を出すと言い残して立ち去ったのだ。
真正面からソフィアの提案を蹴り飛ばしたサラの姿に、レウルスは顔に出さないものの非常に焦った。今回の旅では王都の教会に用があったというのに、それが難航しそうなほどにサラが発揮した“切れ味”は予想外だったのである。
王都を訪れてこの世界に生まれて初めて見るような整然とした街並みも、手入れが行き届いた石畳の道も、行き交う人々の多さと喧騒の大きさも、大して印象に残らなかったほどだ。
「サラ……なんであのソフィアって人の提案を即座に断ったんだ?」
邸宅の一階、居間に当たる部屋でソファーに沈み込んでいたレウルスは、周囲が身内しかいないからとサラに話を振る。
「えー……なんでって言われても……」
ラヴァル廃棄街の自宅とは違うタイプの家だからか大喜びで駆け回っていたサラだが、レウルスの質問を聞いて足を止めた。そして数秒悩んだ後、ぽつりと呟く。
「……なんとなく?」
そのサラの返答に、レウルスの眉が僅かに動く。
たしかにサラは直情的なところがあり、深く考えずに行動することがある。しかしそれでも王都に来て早々、明らかに厄介事を招きそうな相手に“あのようなこと”を言うほど向こう見ずではないはずだ。
サラは腕組みをして天井を仰ぎ見ると、頭を右に左に動かしながら唸る。
「なんとなーく……こう、嫌だった……みたいな?」
「……わかる」
曖昧なサラの表現だったが、レウルスの隣に座っていたネディが同意するように頷く。
「わかるのか……」
「うん……なんとなく、嫌」
確認するように尋ねてみても、ネディの反応は変わらない。
当然の話ではあるが、レウルスとてソフィア達の態度に好感を抱いているわけではない。むしろ心象としては最悪に近いだろう。
せっかく王都に到着し、どんな場所かと期待を抱きながら足を踏み入れた矢先に待ち伏せされていたのだ。
ソフィア達に敵意がなく、サラがソフィアの提案を断ると退いたことからレウルスも何も言わなかったが、到着早々ケチが付いたように思ってしまう。
(でも、サラとネディの反応はもっと“違う感じ”なんだよな……)
理屈ではなく感情でソフィアを忌避しているように思えるサラとネディの発言。普段は口数が少ないネディはまだしも、基本的に人懐こいサラが初対面の相手に取る態度としては異常だった。
「あー……姐さんはアレで良かったのか? 準男爵の進む先を遮る無礼者め、なんて怒ったりはしないのか?」
あっさりと退いたソフィア達もそうだが、ナタリアも何も言わなかったのである。それが気にかかったレウルスが尋ねると、レウルスと同じように寛いでいたナタリアが苦笑を浮かべた。
「向こうの方が“上”ですもの。怒りようがないわ」
「……上?」
「ええ。彼女、貴族なのよ」
返ってきた言葉に、レウルスは形容しがたい顔をする。驚くべきか冗談と尋ねるべきか迷い、最後にはため息を吐いた。
「……本当に?」
「嘘を言ってどうするの。ファルネス侯爵家の長女……いえ、今はファルネス侯爵と呼ぶべきだったわね。さすがに侯爵相手に道を譲れとは“言わない”わよ」
ナタリアの顔に冗談の色はない。
ソフィアは貴族――それも侯爵家の当主らしい。
(言えないじゃなくて言わないって辺りが少し怖いが……)
ナタリアの発言を噛み砕いたレウルスは、居間の入口付近に立っていたジルバに視線を向けた。
「ジルバさん、エステルさんの姉が王都の教会にいるって話でしたけど、あの人がそうなんですよね?」
「ええ……一目見ればわかったでしょう?」
「たしかに顔立ちは似てましたね。でも、そうか……」
向こうから出向いてきたため、ジルバも隠すつもりがなくなったのだろう。あっさりと肯定するその姿を見ながら、レウルスは思考を巡らせる。
(エステルさんって貴族の生まれだったのか……そういえば貴族に関して色々と詳しかったし、作法もばっちりだったもんな……)
レウルスが思い起こすのは、これまでのエステルの言動に関してだ。
ずいぶんと貴族や作法に関して詳しいとは思っていたが、エステル本人が貴族の生まれだったらしい。
それだというのに何故ラヴァル廃棄街で精霊教師をやっているのか。そんな疑問が浮かんだレウルスだが、今は気にするべきことでもないだろうと頭を振った。
(エステルさんの様子を見た限りじゃ、どうにも貴族に良い印象があるわけじゃなさそうだしな……)
そう締めくくり、レウルスは疲れたようにため息を吐く。
「それで、精霊教師かつ侯爵な人がわざわざ出向いてきた理由はなんでしょう?」
ソフィアの正確な素性も気になったが、それよりも先に相手の行動の理由が気にかかる。その疑問をジルバにぶつけたレウルスだったが、ジルバの返答は非常にシンプルだった。
「精霊様がいらっしゃると聞けばお会いしたくなるものでしょう?」
「……あ、はい、そうですね」
ジルバに聞いたのが間違いだったのか、それとも精霊教師や精霊教徒からすれば当然のことなのか。
(……え? 俺、本当に精霊教に入らないといけないの?)
入る以外に選択肢がない状況だが、本当に入るべきなのかと逡巡するレウルス。いくら自身やエリザ達の身の安全を図るためとはいえ、演技とはいってもジルバ達のように信仰を篤くすることはできない。
(いや、待てよ……あのソフィアって人が本当に侯爵なら、精霊教の庇護を受けるっていうのはかなり大きいよな。他にも貴族がいるかもしれないし、“傘”は大きい方が良い)
そう考えたレウルスだが、精霊教は極力政治に関わらないようにしているらしく、仮にソフィアの助力を得られたとしてもどれほどの効果があるかわからない。それでも侯爵という立場にある人間が味方になるのなら、かなりのメリットになるだろう。
――相応のデメリットも存在するだろうが。
どう転ぶのやら、と考えるレウルスだったが、そんな思考を遮るようにナタリアが両手を打ち鳴らす。
「色々と気になるのはわかるけれど、今日のところはゆっくりと休みましょう。疲れた頭で考えても良いことはないわよ?」
「……それもそうか」
ナタリアなりの気遣いなのか、その声色はどこか励ますようでもある。そのためレウルスは素直に頷き、今後の予定に関して確認することにした。
「今晩はゆっくりと休むとして、明日からはどう動くんだ?」
「わたしは謁見の手続きや知り合いへの挨拶があるから、別行動になるわ。あなた達は……」
途中でそれなりに休めはしたが、十日の旅を終えたからと休日を設けるつもりはないらしい。翌日には動くと言いながら、ナタリアはジルバに視線を向ける。
「さっきは向こうからやってきたけど、予定通り精霊教の教会に顔を出してきなさい。ジルバさん、補佐をお願いできるかしら?」
「もちろんです。ただ、わたしが先に動いて相手方の動きを確認しても良いかもしれませんね」
「可能ならお願いするわ。その場合、レウルス達はこの家で待機してもらうことになるけど……」
そう言いつつ、ナタリアはレウルス達の顔を一人ひとり見る。そして最後にはエリザをじっと見ると、僅かに目を細めた。
「いえ、これも経験ね。エリザのお嬢さんがいれば大丈夫かしら?」
「大丈夫だと思うけど、可能ならコルラードさんが一緒だと助かるかな」
王都の地理や様々な作法に明るいであろうコルラードならば、エリザ以上に頼れるだろう。エリザも様々な知識があるが、実際に王都で過ごしていたコルラードには及ばないのである。
そう思ったレウルスだったが、ナタリアは首を横に振った。
「コルラードはわたしが借りていくから駄目よ。色々と手伝ってもらう予定なの」
そう言って微笑むナタリア。その言葉を聞いたレウルスは心中だけでコルラードに労わりの念を向けた。
「だ、大丈夫かのう……さすがに一国の王都となると不安の方が大きいんじゃが……」
レウルス一行の中で最も知識の面で長けるエリザだが、さすがに不安が勝るらしい。
「もしもの際はわたしの名前を出して構わないわ」
「ううむ……それなら、まあ、なんとかなるじゃろ」
不安が和らいだ様子で何度も頷くエリザ。だが、情報収集をするジルバに付いて回るという手段も存在する。
(とりあえず今晩はゆっくりと休んで、明日に決めるか……)
レウルスはそう判断し――翌日、思わぬ来客が訪れる。
「やあ、レウルス君。久しぶりだね」
ヴェルグ子爵家の長男、ルイスがにこやかに笑いながら来訪したのだった。