第31話:精霊教 その2
「まずー、レウルスさんは精霊様について御存知ですかー?」
「精霊様?」
エステルに話を振られたレウルスは、思わず眉を寄せてしまった。精霊と聞いても知っていることなどほとんどないのである。
「……『詠唱』する時に声をかける相手?」
レウルスが知っていることがあるとすれば、キマイラと戦った時にシャロンが『氷の精霊』という言葉を口にしたことぐらいだった。
「そうですねー。『詠唱』する時は使いたい魔法の属性を司る精霊様に縋ることが多いですー」
どうやら間違いではなかったらしい。エステルは『詠唱』について補足するよう説明を行う。
「炎の精霊様、氷の精霊様、風の精霊様、雷の精霊様、水の精霊様、地の精霊様……それらの総称として精霊様と呼びますー」
「へぇ……精霊ってのは魔物とは別物なのか?」
魔物の一種なのか、それとも魔物とは一線を画す生き物なのか。それが気になって尋ねるレウルスだったが、エステルは困ったように眉を寄せた。
「魔物ではない、というのが精霊教の教えですねー。レウルスさん、わたくし以外の精霊教徒と会った時はそんなこと言っちゃ駄目ですよー? 怒られますからねー?」
宗教の象徴を魔物と同じように扱うな、ということらしい。レウルスが謝罪するように頭を下げると、エステルは気を取り直して話を続ける。
「それでですねー、精霊教では特に重要視している精霊様がいるんですー。それが大精霊様ですねー」
「大精霊?」
今しがた聞いた他の精霊と何か違いがあるのだろうか。レウルスが不思議そうな顔をすると、エステルはその大きな胸を張る。
「はいー、大精霊コモナ様ですー。属性を司る精霊様も信仰の対象ですがー、大精霊様はその中でも特別なんですよー」
そう言ってエステルは礼拝堂に置かれた石像へと視線を向けた。女性の姿をした石像だが、どうやらそれが大精霊コモナの似姿らしい。
「レウルスさんはわたくし達が話している言語について御存知ですかー?」
「……そういえば知らねえや」
エステルに言われて気付いたことだが、レウルスは自分が話している言語がなんという言語なのか知らなかった。その事実にかつてシェナ村で送っていた生活の酷さを思い知り、深々とため息を吐く。
「わたくし達が話している言語はですねー、コモナ語と言うんですよー」
「コモナ語? 大精霊コモナと何か関係があるのか?」
話の流れを考えると関係があるのだろう。レウルスが尋ねるとエステルは楽しげに頷く。
「はいー。コモナ語は大精霊様にあやかってつけられた名前なんですよー。文献もほとんど残ってないですけど一千年ほど前に大きな戦いがあったそうですー」
「大きな戦い?」
なんとも曖昧な表現だ。どこで誰が誰と戦ったのか、それすらわからない。
「一説によると人と魔物の戦い……らしいですよー? 場所はですねー、パラディア中央大陸ですー」
どこだよ、とレウルスは言いたくなった。そもそも自分がいる国のことすらロクに知らないのである。大陸名を言われてもピンとこないのだ。
そんなレウルスの心境を理解したのか、エステルは困ったように首を傾げる。
「わたくし達が住んでいる大陸……カルデヴァ大陸から見て南西にある大陸ですよー。とても大きくて、マタロイと同じかそれ以上の国が複数存在すると聞いたことがありますー」
カルデヴァ大陸と言われ、そう言えば誰かから聞いたことがあったような気がするレウルスである。もっとも、またすぐに忘れてしまいそうだが。
「とにかくですねー、そのパラディア中央大陸では人と魔物による激しい争いが続いていたそうですー。でも、魔物の方が多い上に強くて、人類は劣勢になったそうですー」
一千年前の出来事と聞いても、それが正しいという保証はない。話半分に聞いておこうと思ったレウルスだが、多少は興味が惹かれる。
「その時窮地に追い込まれていた人類を助けたのが大精霊様なんですよー。大精霊様は複数の属性魔法を操ることができてー、人類と協力しながら魔物を撃退したそうですー」
「ざっくりとした話だな……」
おおよその話は理解できたが、詳しい部分は伝わってないらしい。
「その時の功績を讃えて大精霊様……コモナ様を筆頭とした精霊様達をお祀りしたわけですー」
「へぇ……成り立ちについては大体わかったけど、今の精霊教って何をしてる宗教なんだ?」
あまり宗教関係に踏み込みたくないが、コロナを横目で窺う限り今しがたの話も知っているようだった。つまり一般的に知られている話なのだろう。
レウルスは生まれと育ちの関係上、レウルスにはその手の“一般的”な情報がまったくないのだ。聞く機会があるのならば聞いておく方が無難というものである。
「人類を御救いくださった大精霊様に、火などの人が生きていく上で必要となる様々な属性を司る精霊様に、そして自然に感謝を捧げていますー。それが精霊教の教義で、それ以上でもそれ以下でもありませんよー」
「……それだけ?」
信徒に金を無心したり、権力者に近づいたりはしないのか。宗教に対してそんなことを考えてしまうのは、レウルスの性根が歪んでいるからだろうか。
「大精霊様達に感謝し、日々の営みの糧とする……それだけですよー?」
首を傾げるレウルスに対し、エステルも首を傾げた。どうやら本当にそう思っているらしい。それでもレウルスが訝しげにしていると、エステルは何かを思い出したように手を打つ。
「ただ、信仰する精霊様は地方によって異なるんですよー。コモナ語を喋る人間は大精霊様を、鍛冶を好むドワーフなどは火の精霊様を、エルフは風の精霊様を信仰するなど、多様な面があるんですー」
しかしそれは、レウルスが危惧していたこととは全くことなる内容の話だった。
「……信仰する精霊が違うってことは、信者同士で確執がありそうなもんだが」
「信仰する精霊様の属性は違いますけど、精霊様を信仰するという点では同じなので仲が悪くなることはないですねー。互いに尊重し合ってますよー」
本当だろうか、と疑いながらエステルの目を見るが、嘘を言っているようには見えない。少なくともエステルは精霊教を信仰する者達は総じて仲間意識があり、大きな確執はないと思っているようだった。
「なるほど……そんな宗教なんだな。牧歌的というか、平和そうな宗教で良いと思うぞ。異教徒は殺せ、この教えを信じない者は殺せとか言われたらどうしようかと思ったけど」
世界が変われば宗教の在り方も変わるらしい。好きな属性の精霊を信仰するだけで良いと言うのなら、レウルスとしても入信するのは吝かではない。
だが、レウルスの言葉を聞いたエステルは初めて表情を厳しいものへと変えた。それまでの柔和は笑みとは異なり、苦々しく表情を歪めたのである。
「……そこまで過激ではないですけど、似たようなことを言う宗教もありますよ」
間延びしていない、若干の嫌悪感が混じった声。その声色にレウルスは驚くが、エステルは恥じるように視線を逸らした。
「グレイゴ教……聞いたことはありますかー?」
「グレイゴ教? いや……初耳だ」
精霊教でさえ初めて聞いたのだ。それ以外の宗教についてレウルスが知る由もなかった。
「そうですかー……このマタロイでは精霊教と比べて非常に小さな宗教なんですが、国によってはグレイゴ教も広く知られている宗教になるんですよー」
「ふむふむ……エステルさんの反応を見る限り、物騒な教義を掲げてるのか?」
無知は危険につながることもある。特に宗教関係と聞けばレウルスとしても疎かにするつもりはなかった。そのため詳細を尋ねると、エステルは眉間に皺を寄せてしまう。
「グレイゴ教では強力な魔物を“神”として信仰していまして……大精霊様や各属性の精霊様も強力な魔物の一種だと定義しているんですよー」
「あー……」
それだけでエステルが毛嫌いする理由が読めた。グレイゴ教においては精霊教で信仰している大精霊と精霊を特別視していないのだろう。
「それなのに強力な魔物が出たと聞けば狩りにいくんですー」
「は? その宗教は何がしたいんだ?」
強力な魔物を信仰しているというのに、強力な魔物がいれば狩りに行く。グレイゴ教とやらが何をしたいのかわからず、レウルスは困惑してしまった。
「わたくしにもわかりませんねー……大精霊様が斃れたとは聞きませんが、強い力を持つ精霊様が何度か……」
どうやらグレイゴ教の連中は精霊教が信仰する精霊を何度か殺しているらしい。真正面から全力で喧嘩を売っていると思われても仕方がないだろう。
「だから、精霊教の信者同士で争うことはないですー。“外敵”がいますからー」
「お、おう……そうか。ちなみに、グレイゴ教が信仰する強力な魔物について聞いてもいいか? 知らずに倒して恨まれるなんてこともありそうだし……」
強力な魔物と戦いたくはないが、レウルスは冒険者である。そもそもつい先日にキマイラを倒しているのだ。
「そうですねー……冒険者の方の基準で言えば、上級の魔物がそうでしょうかー。その中でも亜龍を除いた龍種は確実に該当しますー」
「龍種?」
言葉だけで判断するならば、この世界にはドラゴンのような魔物が存在するようである。キマイラ以上の強さを持つ魔物など遭いたくないとレウルスは思った。
「火龍などの属性龍と白龍、それに黒龍ですねー。他の魔物が討伐の対象になるかは強さに因りますしー……」
龍種は確定で、その他の魔物はケースバイケースらしい。レウルスが理解を示すように頷くと、エステルは空気を変えるように微笑んだ。
「それでですねー、レウルスさんも精霊教に入信しませんかー? 今なら精霊教師であるわたくしが祝福しますよー」
「入信はちょっと……その、精霊教師ってのは?」
話を聞いた限り入信しても問題はなさそうだが、宗教に対して警戒心が先に立つのは元日本人だからか。
前世でも宗教の勧誘が自宅に来たことがある。その時はニコニコと笑顔を浮かべた二人組の女性だったが、聖書らしき本を片手に持って迫ってくる姿は今でも思い出すことができた。前世の記憶はだいぶ薄れているが、すぐさま思い出せるぐらいにはインパクトがあったのだ。
「精霊教師はですねー、教会を建てることを許された信徒を指す言葉ですよー。それ以外は精霊教徒と呼ばれていますー。複数の精霊教師から推薦されないと精霊教師にはなれないんですよー」
エステルはまだまだ若いというのに、精霊教を信仰する者の中ではずいぶんと優れているようである。
「すごいな……つまりエステルさんがこの教会を切り盛りしてるわけだ」
「……わたくしは新米の精霊教師ですし、今は外出してますけど補佐をつけられてるんですけどねー」
感嘆したレウルスが素直に褒めると、エステルは頬を赤く染めながら謙遜するように言った。
「新米でも十分すごいと思うけどなぁ……でも、なんでラヴァル廃棄街で教会を? こう言っちゃなんだけど、危ないと思わなかったのか? 広く知られている宗教ならそれこそラヴァルの城壁内でも大丈夫なんじゃ……」
既にラヴァルの中に教会があるというのなら、他の町や村でもいいはずだ。少なくともシェナ村には教会がなかったはずである。
強力な魔物が現れた際、真っ先に“エサ”になるラヴァル廃棄街は非常に危険だ。そもそもうら若き乙女であるエステルが教会を営むには物騒な場所でもある。
ラヴァル廃棄街に受け入れられたレウルスからすれば過ごしやすい場所だが、それは生まれ故郷であるシェナ村がこれ以上ないほど酷かったからだ。あの場所と比べればどこだろうと天国だとレウルスは思っている。
「危ないからこそ、ですよー。わたくしは治癒魔法が使えるので怪我をした方も治せますし、“そういった場所”だからこそ信じるものが必要だと思うんですー……あまり上手くいってませんけどねー?」
胸に手を当て、エステルは嘘偽りなく断言した。危険な場所だからこそ信仰が必要なのであり、自分には他者を癒す力があるから来たのだと。
そんなエステルに治療を受けたと聞かされたレウルスとしては、それ以上何も言うことができない。
ただし、キマイラとの戦いで怪我を負った者の多くがエステルの力を借りておらず、自力で治療を行っている辺りラヴァル廃棄街としても距離を測りかねているのだろう。宗教に深く関わるつもりがないという意思表示なのだと思われた。
孤児などを引き取ってくれるのは助かるが、宗教に縋ったからといって救いが得られると思っていないのだ。ラヴァル廃棄街では自力で己を守り、仲間を守り、町を守ることが推奨されている。そこに宗教を加えてもプラス要素にならないと判断されたのだ。
積極的に排除するわけではないが、受け入れるわけでもない。その証拠に、レウルスをこの場に連れてきたコロナも口を挟んでこなかった。エステルとの間に個人的な友誼はあれど、ラヴァル廃棄街の住人としては深く関われないらしい。
無論、だからといってレウルスにまで“それ”を強制するわけではない。自らの意思で精霊教について学び、その上でどう付き合うかは自由なのだ。
(といっても、俺も宗教はちょっとなぁ……)
前世の日本ではクリスマスを祝い、大晦日にお寺の除夜の鐘を聞き、元旦に神社で初詣をするような緩い宗教観が主流だった。レウルスもその例に漏れなかったが、精霊教を信仰するかと言われれば答えはノーである。
つかず離れず、必要な時に頼って対価を渡すビジネスライクな付き合いに留めるのが妥当だろう。ラヴァル廃棄街と精霊教を比べた場合、レウルスとしては前者に重きを置く。
(とりあえず治療の対価を渡しとくか……それで貸し借りはなしだ)
どれぐらいが相場かわからないが、金貨の一枚でも渡しておけば不足はないはずだ。装備を新調したとはいえ、革製の装備ばかりのためそれぐらいならまだまだ残っている。いくら相手が宗教家とはいえ、治療を受けたのならその恩は返すべきだろう。
そう考えて懐を漁るレウルスだったが、いつの間にか沈黙したエステルが不思議そうな視線を向けていることに気付く。
「ん? どうかしたか?」
「いえー……」
エステルの頭が右に傾き、左に傾き、最後にもう一度右に傾いた。奇妙な物を見たような、どこか物悲しそうな雰囲気を漂わせている。
「レウルスさん……でしたねー。あなた、他の人と違う“何か”があったりしませんかー?」
「――――」
唐突なその指摘に、レウルスの呼吸は勝手に止まっていた。知らず知らずの内にエステルを見詰めてしまい、そんな自分に気付いたレウルスは喉の震えを抑え付けながら口を開く。
「……そういう曖昧な表現で相手を誘導するのって、詐欺師の常套手段じゃないか?」
大勢の人が当てはまることをもっともらしく装飾して喋り、自分のことを知らないはずなのに悩みなどを言い当てられたと錯覚させる。そういった手口が存在することはレウルスも覚えていた。
それでも思わず攻撃的な言葉を吐いてしまったのは、エステルの言葉が図星だったからだ。
前世のことを見抜いてそう言っているのか、それとも詐欺師の常套手段として口から出任せを言っているのか。知られて困る過去があるわけではないが、前世の記憶の有無が何かしらの問題を招く可能性も否定できない。
「わたくしにはですねー、大精霊様の『加護』が与えられているんですよー」
「……『加護』ってのは?」
警戒心を抑えながら話を促すレウルス。この世は知らないことだらけであり、聞いてみないことにはわからないのだ。
「特殊な能力……あるいは特別な才能を指す言葉ですねー。人並み外れて魔力が豊富だったり、特定の属性魔法に秀でていたり……そんな“普通な特別”から、わたくしみたいに――」
そこで言葉を切り、エステルが大きく目を見開く。言葉の区切り方もそうだが、まるで何かに邪魔をされたような驚きを含んでいた。
一体何事かとエステルの瞳を覗き込む。特に驚かせるようなことはしてないはずなのだが、などと考えたレウルスの目の前で、エステルの瞳が淡い赤色の光を帯びた。
「っ!?」
それに加え、エステルの体から魔力が放たれ始める。それを察知したレウルスは咄嗟に床を蹴ると、腰の短剣に手をかけながらコロナを庇うように立った。
大剣の方が威力も高いのだが、室内で振り回すには不便すぎる。そのため短剣をいつでも抜けるようにしながらエステルを警戒すると、それまでと異なり、厳かな声色で言葉を発した。
「――異能とも呼べる力を持つことがあります。ああ、危害を加えるつもりはありません。そもそも、“コレ”は他者を攻撃するような能力ではありませんから」
そう言ってじっとレウルスを見詰めるエステル。言葉通り危害を加えるつもりはないのだろうが、レウルスは自分の中の“何か”を視られているのがわかった。
「おいおい……なんだその目は」
腹の中を手で探られているような、気持ち悪い感覚。レウルスは全身の毛が逆立つような悪寒を覚えたが、エステルはそれに構わず言葉を紡ぐ。
「ふむ……ずいぶんと歪で異質な魂をしていますね。餓死……病死……過労死? ここまで見えにくい“因果”は初めてですが、これほど複雑に絡み合った因果も初めて見ました」
「――――」
再度、レウルスは絶句した。エステルの言葉が何を意味しているのか、思い当たる節があったのだ。
「その対価なのか、あなたの体には『加護』が……いえ、『加護』に似た何かが宿っているように見えます。喰らう力? 魔力の渦? 毒への耐性? 複雑に混ざり合っていますね」
目の前にいるのは本当にエステルなのか。レウルスがそんな疑問を覚えるほど、エステルの眼差しは機械的だった。
「今までお腹を壊したこともないのでは? それに食べたものが変化しているような……ははぁ、世界に満ちる魔力を取り込むのではなく、自身が取り込んだ食物を魔力に変換するんですか。『加護』というよりは因果の収束、呪いの類ですね」
「どういう……ことだ?」
色々と気になることはある。エステルの話には聞き逃せないことが多すぎた。
「“かつてのあなた”が辿った末路……その因果が巡って“今のあなた”に現れています。中々の苦境を経験されたようですが、それが今のあなたを形作っている……それだけです」
「……俺が魔力を感じ取れることと何か関係があるのか?」
レウルスが聞いた話では、魔法使いにしか魔力を感じ取れないはずだった。それだというのに“嫌な予感”として魔力を察知できる自分自身に、疑問を抱かなかったわけではない。
「関係あると言えばあります。ただ、それこそあなたの魂の問題なのでしょう。因果の糸が絡まっていませんから」
迂遠な言い回しだ。聞きたいことが次から次へと出てくるが、今は黙って聞こうとレウルスは思った。
「此処ではない、“何処か”から訪れた彷徨い人。今のあなたが在るのは因果の結果です。誰に憚ることもない……お好きに生きると良いでしょう」
そこまで言った途端、エステルの体が大きく揺れる。それと同時にそれまで纏っていた神秘的な雰囲気が霧散し、エステルは眠気でも払うように頭を何度も振った。
視線を合わせてみるが、先ほどまで帯びていた赤い光は見えない。
「ふいー……疲れましたー……」
続いて、エステルは間延びした声を漏らした。それは先ほどまで喋っていたエステルのものであり、雰囲気も柔らかいものに戻っている。
「今のが大精霊様の『加護』ですー……わたくしは他者の魂の形が見えるんですよー。でもでも、とても疲れるんですよねー」
「……色々と聞きたいことがあるんだが」
額の汗を拭うエステルに対し、レウルスは厳しい視線を向けた。しかしエステルは困ったように首を傾げるだけだ。
「ごめんなさいー。今の状態に入ると記憶が飛ぶんですよー。だからわたくしに聞かれても答えらえるかどうかー……」
「そう、か……」
嘘を言っている様子はない。レウルスは大きくため息を吐くと、背中に庇っていたコロナに視線を向けた。
「……コロナちゃん?」
だが、いつの間にやらコロナの姿が消えている。周囲を見回してみると、コロナは何故か部屋の隅に移動して両耳に手を当て、さらに目まで閉じていた。
「コロナさんはわたくしの能力を知っていますのでー、聞いてしまわないよう避難してくれたんですー」
「ありがたいっちゃありがたいが、それなら他人がいるところで使うなよ……」
つまり、今の話を聞いたのは自分だけになるらしい。エステルの言葉を信じるならば既に記憶になく、コロナも聞いていない。レウルスが一人で抱え込む必要があるのだ。
レウルスは再度ため息を吐く。それはもう深々と、これ以上ないほどに疲れを含んだため息だった。
「事前に説明してくれ……せめて心の準備をさせてほしかったよ」
「すいませんー……稀に自分の意思に関係なく視ちゃうんですよー。わたくし、何か失礼なことを言ってませんでしたかー?」
どうやら先程の現象はエステル自身の意思で行ったものではないようだ。
先程の会話――まるで神託としか言えないような言葉の数々。それはレウルスにとって多くの疑問をもたらしたが、同時にこれまで抱えていた疑問を解消するものでもあった。
「いや……とても有難い話を聞かせてもらったよ。今日はここに来て良かった」
精霊教に入信するかは別として、前世も含めて初めて“神の御業”とでも評すべきものを見ることができた。そのためレウルスは素直に感謝し、懐を漁って財布代わりの布袋を取り出す。
「先日の治療とさっきの話……その対価になるかわからないけど受け取ってくれ」
レウルスが渡そうと思ったのは、手元に残っていたキマイラ討伐の報酬――そこから新調した装備代を除いた金貨3枚である。他にも銀貨が1枚あったが、さすがに今日明日の生活費まで差し出すわけにはいかない。
布袋から銀貨を取り出すと、エステルは有り難そうに表情を緩めた。しかし、レウルスが銀貨ではなく布袋の方を渡すと怪訝そうな顔をする。
この場で中身を確認するのは失礼だと思ったのか、エステルは布袋の中を見ようとしない。レウルスはそんなエステルに笑みを零し、その視線を教会の奥に向ける。
「引き取った子どももいるんだろ? これで美味いものでも食わせてやってくれ。ああ、返金は受け付けないから」
「わたくしもこの町にお世話になっていますし、さっきのは勝手にやったことなので対価は必要ないですがー……お気持ちはありがたくいただきますねー」
エステルの教会がどうやって収入を得ているかわからないが、子どもを育てるには金がかかる。それに加えて教会の奥から聞こえてくる子どもの声は一つや二つではなく、少なくとも十人前後はいるように思われた。
「それじゃあ今日のところは帰らせてもらうか……っと、最後に一つ聞きたいことがあったんだ」
「なんですかー?」
レウルスはエステルに背を向け、部屋の端で見ざる聞かざる言わざるの三猿状態に在るコロナへと歩み寄る。そして軽く肩を叩いて目を開けさせると、大剣を回収してからコロナを促して教会の出口へと歩を進めた。
「エステルさんの能力は普通じゃない『加護』って言ってたけど、他にはどんなのがあるんだ」
それは単なる興味から質問だった。扉を開けて肩越しに振り返りつつ尋ねると、エステルは頬に手を当てて思案気な顔をする。
「わたくしが聞いた話では属性に囚われない魔法が使える……とかですかねー。時間を操るとか、自分の意図通りに世界を改変するとかー」
「うん……自分で聞いておいてなんだけど、そんなことができる奴にゃ会いたくねえな」
聞かなきゃ良かったと思いながら扉を潜り、ゆっくりと閉めた。そしてコロナと共に歩き出して一分ほど経つと、背にした教会から驚愕するようなエステルの悲鳴が響く。
どうやら渡した布袋の中身を確認したらしい。金貨3枚は奮発しすぎたかと思ったが、キマイラと戦った際に負った傷を治してもらったのだ。
金はまた稼げば良いのである。それに、エステルからは千金に値する話を聞けた。対価として釣り合っていないと思うが、今のレウルスに出せる金は明日までの生活費を除いて全て渡したのである。
「あの、レウルスさん? 今、エステルさんの悲鳴が……」
「有り金のほとんどを寄付しただけだよ。喜んでくれたんじゃないか?」
コロナの言葉に小さく笑いつつ、レウルスは教会を後にするのだった。