第314話:路地裏にて
ジルバに声をかけられたレウルスは、思わず警戒するように身構えてしまった。
(わざわざ俺を探してたのか? ジルバさんが一体何の話を……って、用件は一つしかないか)
このタイミングでジルバが声をかけにくるなど、用件は一つしかないとレウルスは思う。
おそらくはサラの情報が精霊教徒から漏れていた件だろう――むしろ“それ以外”の用件ならば一体何が起きたのかと不安になる。
そんなことを考えるレウルスだが、人通りのある場所でするような話でもないからとジルバが歩き出した。レウルスはそんなジルバに付き従い、その背中を追う。
そうしてジルバが歩いた先は、大通りから外れた路地裏だった。周囲に民家が建ち並んでいるものの、小声で話す分には他者に聞かれる恐れもないだろう。
「ここならば誰にも聞かれずにお話ができそうですね……周囲の家からも人の気配がしませんし」
(農作業なりに出かけてるんだろうけど、ジルバさんにそう言われると怖いな……)
ジルバの発言を聞き、レウルスは少しだけ警戒を強めた。もちろん、無用の警戒だろうが。
「先にご自宅に伺ったのですが、カルヴァンさんのところに顔を出されていると聞きましてね……すれ違いにならなくて良かったですよ」
話の前振りとしてそう告げるジルバ。どうやら最初はレウルスの自宅に向かったらしい。
「……サラの件ですよね?」
「ええ……」
確認としてレウルスが尋ねると、ジルバは重々しく頷く。そして常に首から下げている大精霊コモナのレリーフが刻まれた首飾りを手に取ると、心底から悔やむように頭を下げた。
「ナタリアさんからは、謝罪するなら“事前に”話を通すから待っていてほしいと言われましてね……昨晩お話をされたとお聞きしたので、こうして朝から謝罪に参った次第です」
「謝罪って……頭を上げてください。別にジルバさんが話を漏らしたわけじゃないでしょう? それに、俺よりもサラとネディに迷惑がかかりそうな話ですし……」
レウルスとしては、精霊教に関わることに最早忌避感もない。ジルバにも散々世話になり、その教義もグレイゴ教のように物騒なものではないのだ。
初めて精霊教の存在を知った頃は、宗教に関わるのは遠慮したい気持ちがあった。ラヴァル廃棄街の住人としても、“外部の勢力”に関わりたくないと思っていたのだ。
だが、最早関わらずにはいられない。レウルスの意思とは関係なく、精霊教の助力がなければ危うい立場にあるとナタリアからも聞かされている。
あるいはサラとの『契約』を打ち切り、ネディからも離れてしまえば良いのかもしれないが、そんな選択肢を選ぶつもりなどレウルスには毛頭なかった。
「サラ様とネディ様にも謝罪をしようと先にお会いしたのですが、レウルスさんが気にしないのなら自分達も気にしない、と仰られましてね……」
頭を上げたジルバは困ったように眉を寄せるが、レウルスとしても反応に困る話だ。
ジルバがサラとネディの――精霊の不利益となる行動を取るはずがない。
そう断言できるぐらいには付き合いがあり、仮にそんな事態に陥ったら自力で“落とし前”をつけるだろう。
「それなら俺から言えることはありませんよ。それに、姐さんから聞きましたけど王都にも同行してくれるんでしょう?」
「ええ……私でどの程度の助力になるかはわかりませんが、微力を尽くします」
「……ほどほどでいいんですよ?」
明らかにやる気で満ち溢れた様子のジルバに、レウルスはそれとなく自制を促した。もっとも、ジルバが相手ではどこまで効果があるか不明である。
「本当ならエステル様も同行できれば良かったのですが……さすがに子ども達を置いてはいけませんし、私で我慢していただければと」
ジルバはそう言うが、レウルスとしては何の不満もない。精霊教師と精霊教徒という立場の違いはあるが、ジルバの経験の豊富さや知名度を考えれば不満の抱きようがないのだ。
「頼りにしてます……っと、丁度良かった。ジルバさんに聞きたいことがあったんです」
精霊が絡むことだけに普段と比べて落ち込んだ様子のジルバだが、その意識を逸らすようにレウルスは話題を変える。
「私に聞きたいこと……ええ、答えられることなら何でも答えますよ」
「ではお言葉に甘えて……精霊教って精霊に関して詳しいですよね?」
信仰する対象に関してならば、昨晩話題に挙がった『契約』に関しても詳しいのではないか。そう考えたレウルスは疑問を口にする。
「姐さんから話を聞いたってのもあるんですが、ネディとも『契約』を交わせるか疑問に思ってですね……複数の精霊と『契約』した場合、何か悪影響があったりしますか?」
「複数の精霊様との『契約』……ですか」
レウルスの問いかけに対し、ジルバは記憶を探るように目を細めた。そして十秒近く沈黙したかと思うと、申し訳なさそうに頭を振る。
「さすがに聞いた覚えがないですね……精霊様と実際にお会いできるというだけでも一大事ですから。その上でレウルスさんのように『契約』を交わして常に共に過ごすというのも……複数の精霊様との『契約』となると、どうなることやら……」
そう言ってジルバは小さく頭を下げた。どうやら予想もできないことらしく、答えかねるのだろう。
「いや、気にしないでください。精霊が希少な存在だっていうことは俺も理解していますから」
サラとネディという、二人の精霊が傍にいること自体が一種の奇跡なのだろう。
もっとも、昨晩ナタリアから指摘されなければレウルスもその辺りを自覚できていたか怪しいところだが。
「そういうことでしたら、王都の教会で“精霊教徒に”話を聞いてみると良いかもしれません。サラ様と『契約』を交わしているレウルスさんの話ならば、相手も喜んで聞くでしょう」
「なるほど……ちなみに、エステルさんに頼んでコモナ……様を呼び出してもらうっていうのは無理ですかね?」
大精霊コモナならば何か知っているかもしれない。そう考えたレウルスが尋ねると、ジルバは首を横に振る。
「エステル様のあの力は能動的に使用するのが非常に困難でして……ヴェルグ子爵家の邸宅で一度使用したでしょう? 身の危険が迫れば力をお貸しくださるかもしれませんが、現状では魔力が……」
そう言って表情を曇らせるジルバ。どうやらコモナの力を借りるには条件があるらしい。
(って、精霊本人に尋ねても仕方ないのか……やっぱりヴァーニルみたいに長生きしている奴じゃないと駄目かね)
サラとネディでさえ、『契約』を交わせるかどうか意見が分かれているのだ。過去に複数の精霊と『契約』を交わした者がいたかどうか、仮にいたとすれば“どうなった”のかがわからなければ参考にすることもできない。
「そうですか……ひとまず、ジルバさんの謝罪は受け取りましたし、もう気にしないでください。サラとネディもジルバさんを責めなかったんでしょう? それなら俺からは何も言えませんよ」
「……感謝いたします」
複数の精霊との『契約』に関しては情報が得られなかったが、“ジルバでも知らない”ということは判明した。これも一つの情報である。
(ジルバさんでも知らないってことは、他の精霊教徒も知らないだろうしな……ジルバさんの言う通り、王都の教会なら詳しい人がいるんだろうか?)
ジルバが勧めるということは、何かしらの根拠があるのだろう。そう考えたレウルスは興味を表情に覗かせる。
「ところで、王都の教会にはどんな人がいるんですか? 王都に教会を構えるとなると、やっぱり精霊教師がいるんですかね?」
言葉にするとジルバが怒りそうだが、グレイゴ教で例えるならば大司教のような存在がいるのだろうか。
その場合エステルのように精霊の『加護』を受けた精霊教師ではなく、ジルバのように影響力があり、なおかつ王都でも教会を維持運営できるだけの政治力に長けた人物かもしれない。
そう思って問いかけたレウルスだったが、何故かジルバの表情は冴えなかった。
「たしかに、王都には精霊教師がいます。この国に住む精霊教徒にとって、王都の教会は“中枢”のようなものですからね」
「……その割に、引っかかる言い方ですよね。もしかして権力闘争でドロドロとしているとか……」
今しがたジルバは王都の教会で話を聞けば良いと言ったが、その裏では権謀術数が渦巻いているのだろうか。
カルデヴァ大陸では宗教においてグレイゴ教と二分するのが精霊教である。レウルスが住むマタロイでは精霊教が完全に浸透しているが、そのマタロイの王都で教会を構えるとなると並大抵のことではなさそうだ。
いくら精霊教が牧歌的な教義を掲げているとはいえ、巨大な宗教を運営するとなると後ろ暗いところの一つや二つ、あるいは十や二十とあってもおかしくはない。
「そういうわけではないのですが……」
そんなレウルスの疑問をジルバが否定する。しかし相変わらず歯切れが悪く、何かを言い淀んでいる様子だった。
「何かあるのなら教えてもらえると助かるんですが……」
“あの”ジルバが言い淀んでいるというだけで、不安が膨れ上がる。ナタリアやジルバが同行するということで気楽に構えていた面があったレウルスだが、もしかすると王都は魔境の類かもしれない。
「いえ、本当に危険などはないんです。ただ、今回私が一人で王都に同行するというのも、子ども達の事情を抜きにその辺りが絡んでいまして……本来なら精霊教師であるエステル様が同行した方が良いのですが……」
「……エステルさんじゃ都合が悪いと?」
本当にジルバらしくない。
レウルスが心底からそう思う態度を取るジルバだが、やがて小さくため息を吐いた。
「エステル様の“個人的な事情”に関わることなので、私からはお答えできないんですよ。ただ、王都に行って実際にお会いすればすぐにわかると思うので一つだけ……」
そう言ってから、ジルバは真剣な表情を浮かべる。
「王都の教会に在籍している精霊教師はエステル様の姉君になります」
――新たに難題が積み重なった。
根拠もないが、何となくそう思うレウルスだった。