第30話:精霊教 その1
カルデヴァ大陸において広大な国土を持つ大国家マタロイ。
マタロイには多くの町や村が存在し、国土の至る所に点在している。その中でもマタロイの南側、城塞都市ラヴァルと呼ばれる街――その隣にラヴァル廃棄街と呼ばれる街は存在している。
木材を組み合わせた柵に土壁という、石造りの壁で囲まれた上に空堀まで設置されたラヴァルと比べれば貧相な防衛設備で囲まれたその街に、一組の少年少女の姿があった。
雑多に建ち並ぶ住居や店で自然と造り出された、ラヴァル廃棄街の中でも大通りと呼ばれる広い道。行き交う人々で賑わう大通りを少女と共に進みながら、少年が嫌そうな声を出す。
「教会ねぇ……宗教関係には近づきたくないんだけどなぁ」
身長は170センチに届くかどうか。ボサボサな赤茶色の髪が伸びる頭を乱雑に掻きながら、心底嫌そうにしている。
少年はそれなりに質が良さそうな革鎧に、手甲や脚甲で身を固めている。さらに背中には巨大な片刃の大剣を背負っており、腰には予備の武器として短剣を下げていた。
ラヴァル廃棄街で冒険者と呼ばれる職業に就いている少年――レウルスは背負った大剣の重さに眉を寄せながら肩を竦める。
「政治と宗教と贔屓にしている野球球団の話は避けた方が良いんだよ、マジで」
「レウルスさんって時々変なことを言いますよね?」
レウルスの言葉に少女は不思議そうな顔をした。
レウルスと同じように、歳は十五歳になるかどうかという年頃の少女である。150センチを僅かに超える身長、体付きは年齢相応と言うべきなだらかな起伏を描いている。
歩く度に二つ結びにされた亜麻色のおさげが揺れ、レウルスの言葉に一喜一憂する姿は瑞々しい健康美が溢れていた。
派手な美しさはないが落ち着きがあり、親しみを覚える可愛らしさがある少女である。そんな少女――コロナは年下の子供を叱るように言う。
「駄目ですよ? レウルスさんの治療でお世話になりましたし、ちゃんとお礼を言いに行かないと」
「いや、それはわかってるんだけどさ……まさか俺の治療をしてくれたのが宗教関係の人だったとは……」
偏見かもしれないが、とどうしても及び腰になるレウルス。それもそのはず、レウルスには前世――平成の日本で生きた記憶があった。
既にボロボロで色褪せた記憶だが、それでも宗教関係者という言葉に強い引っ掛かりを覚えたのである。
できることなら関わりたくないが、コロナの言う通り怪我の治療をしてもらったのに挨拶をしないのも角が立つ。ただ、入信の勧誘をされたら逃げ出そうとレウルスは思った。
この世界の宗教とはどんなものだろうか、などと考えながら肩に食い込む剣帯の位置を調整する。背負っている大剣が重いため、すぐに肩が凝りそうだった。
レウルスが背負っている大剣はコロナの父――ドミニクが使っていたものである。
一週間ほど前、このラヴァル廃棄街の近くにキマイラと呼ばれる魔物が現れた。キマイラとは獅子のような体躯を持ち、角が生えた頭が二つに尻尾が三本、前足が黒光りする頑強な外殻に覆われており、挙句の果てには雷を放ってくる化け物である。
ラヴァル廃棄街でも有数の冒険者である剣士のニコラと魔法使いのシャロン、さらには冒険者組合の長を務めるバルトロに、コロナの父親で元上級下位の冒険者であるドミニク。そこにレウルスを加えた五人で迎撃に当たり、これを打倒したのだ。
本来ならば数合わせにもならない下級下位冒険者であるレウルスだったが、自身でも詳細がわからない魔法を使うことで何とか倒せたのである。それが切っ掛けだったのか、ドミニクは完全に冒険者から手を引いて大剣をレウルスに託したのだ。
生まれ故郷であるシェナ村で幼い頃から農奴として扱き使われ、成人を機に鉱山へと売り払われたレウルスだったが、鉱山へ移送されている途中で件のキマイラに襲われ、命辛々逃げ出した。
レウルスは疲労と空腹で死に掛けながらもラヴァル廃棄街に辿り着いた。その直後にレウルスを助けたのがドミニクとコロナだったのだ。
つまり、ドミニクはレウルスにとって恩人である。キマイラを倒したことで恩返しができたが、それでも恩人であることに変わりはない。そんなドミニクから大剣を託されたことは嬉しく、誇らしく、とても“重たい”ことだった。
――物理的にも非常に重たいのが困りものだったが。
「レウルスさん、大丈夫ですか?」
頻繁に剣帯の位置を調整するレウルスをどう思ったのか、コロナが心配そうに声をかける。
「大丈夫……って見栄を張りたいところなんだけど、さすがに重たいわ」
両手で持つことと比べればまだ楽だが、背負っている大剣の重さが辛い。
肉厚な刀身は片刃で僅かな反りがあり、その表面には『魔法文字』と呼ばれる文字が刻まれている。『強化』と呼ばれる魔法を文字として刻んでいるのだが、大剣というだけあって非常に重いのだ。
前世の知識で例えるならば鯨包丁とでも言うべき形状だが、大剣の先端から柄頭までの長さは二メートル近い。斜めに背負うことで補っているが、背負い方によっては先端が地面についてしまいそうだった。
そんな大剣に加えて革鎧と手甲、脚甲と短剣まで身に付けているのだ。総重量は二十キロを超えるだろう。キマイラを倒した報酬で革鎧と手甲、短剣を新調したのだが、これならばもう少し軽い材質で作ってもらえば良かったと後悔している最中だ。
キマイラと戦った時、レウルスは謎の魔法を発動させた。それはドミニク曰く『強化』に似た魔法だったらしいが、大剣を片手で持ち上げられるほどに身体能力が向上したのである。
だが、その魔法は自分の意思で発動できない。そのため自前の身体能力で今の装備に慣れるしかなく、普段から装備を身に付けるようにしているのだ。
(この剣もまだまともに振れないしなぁ……魔物退治に出る時は普通の剣にしようか)
今の装備でも歩くことはできる。すぐに息が切れるが、走ることも可能だろう。しかし戦闘で使うには武器が重すぎる。もっと筋肉がつけば扱えるのかもしれないが、現状では体力をつけるための重り代わりにしかならなかった。
「無理はしないでくださいね……あっ、あそこが教会です」
レウルスに苦笑を向けていたコロナだったが、目的地が見えてきたことで話題を変える。それに釣られてレウルスが視線を向けると、そこには白色を基調とした古びた家屋があった。
教会の立地はラヴァル廃棄街の中でも外れの方になる。ただし、外れといっても城塞都市であるラヴァルの空堀の傍であり、魔物に襲われることもないと思われた。
もしもこの教会が襲われることがあるとすれば、ラヴァル廃棄街全体が破壊された後になるだろう。
「これが教会……ねえ」
前世で知る教会と言えば、キリスト教のものが有名だっただろうか。キリストの教会の場合屋根などに十字架が掲げられているが、眼前の教会ではそういったシンボルは見当たらなかった。目立つものがあるとすれば外観が白いということぐらいである。
コロナに案内されるまま教会の前面に広がる庭を通り、家屋へと近づく。すると、木製の扉が目についた。観音開きで作られた扉は木製ながら頑丈そうであり、弱い魔物の攻撃ぐらいならば防げそうである。
そこまで近付いたことでレウルスは扉に何かが刻まれていることに気付いた。表面を削って描いたのだろうが、扉には女性と思わしき姿絵が刻まれている。
(なんだこれ……女神でも祀ってんのか? 魔物がいる世界だし、神様がいてもおかしくはないだろうけど……)
レウルスが首を傾げていると、コロナが扉についていたノッカーを叩く。そうすると一分ほど経ってから扉が開き、中から一人の少女が顔を覗かせた。
「はーい、どなたですかー……あら、コロナさんじゃないですかー」
「こんにちは、エステルさん」
どうやら少女の名前はエステルというらしい。コロナとはそれなりに親しいらしく、エステルは楽しそうに笑っていた。
顔立ちは可愛らしかったが年齢はコロナよりも上なのだろう。身長はコロナと同じかやや低く小柄である。ただし、体付きの良さではエステルに軍配が上がる。それも圧倒的大差だった。
特に胸が大きい。レウルスが知っている人間で比べるならば、冒険者組合の受付を務めているナタリアと互角かそれ以上か。身長が低い分、余計に大きく感じられた。
エステルは修道服に似た黒色を基調とした服を身に付けており、頭も黒色のベールで覆われている。僅かに覗く髪は金色であり、教会のシスターなのだろうがナタリアとは別種の色気を感じてレウルスは思わず視線を逸らしてしまった。
「あれー? そっちの方はー……」
ずいぶんの間延びした喋り方だな、と思いながらレウルスは頭を下げる。
「初めまして、レウルスと申します。この前キマイラと戦った後に怪我を治してくれたって聞いたんですが……」
「あー、あの時のー。お怪我はもう大丈夫ですかー?」
レウルスが自分の名前を名乗って説明をすると、それまで笑っていたエステルが一転して心配そうな表情を浮かべた。その様子だけを見ると、外見通り気の良い女性らしい。
「おかげさまで、こうやって元気になりましたよ。今日はお礼に来たんですが……」
そういえば手土産も用意していなかった、とレウルスは困ってしまう。教会ならばお金を寄付すれば感謝の気持ちになるだろうか。
「元気になったのならそれだけで十分ですよー。わざわざありがとうございますー」
レウルスが用件を告げると、心底から嬉しそうに微笑む。その際エステルは胸元で両手を合わせたが、その動きに合わせて胸が大きく揺れていた。
(この世界でもシスターって言っていいんだろうか……というかこの子を聖職者って呼んでいいんだろうか……)
視線をエステルの眉に固定しつつ、レウルスはそんなことを考える。
「あっ、申し遅れましたー。わたくし、精霊教師のエステルと申しますー」
「これはどうも御丁寧に……精霊教師?」
教師という言葉に反応するレウルス。あるいは精霊教の師という意味で言ったのかもしれないが、これまで聞いたことがない言葉だった。
「あれー、精霊教は御存知ないです?」
「ないです。初めて聞きましたよ」
仮に聞いていたとしても、宗教に関わりたくないと思って聞き流していただろう。そう言いかけたが口を閉ざす。レウルスは治療の礼として訪れたのだ。相手の機嫌を損ねるなど論外である。
「それでは少しお話ししましょうかー。ここではなんですし、教会の中にどうぞー」
そう言って背を向けるエステル。コロナもその後に続いたため、レウルスはため息を吐きながら扉を通る。
この世界で初めて足を踏み入れた教会は、おおよそレウルスが想像する通りのものだった。扉から入ってすぐにあったのは礼拝堂であり、それなりに広い。
信者が座るためのものなのか長椅子が等間隔で並べられており、それを見ると教会というものは世界が変わっても大きな変化がないのだな、とレウルスは思った。
「……ん?」
教会の内装を興味深く観察していたレウルスだが、奥の方から何やら声が聞こえてくる。それも声は複数であり、聞く限り幼い子どもの声だと思えた。
「子ども……か?」
教会の奥には居住スペースがあるのだろう。そこから子どもの声が聞こえるのだ。
「はいー。この教会で育てている子達ですよー」
頬に手を当てつつ、優しげに微笑むエステル。その言葉から判断する限り、エステルの兄弟姉妹などではないのだろう。一瞬だけエステル自身の子供かと思ったレウルスだったが、その可能性もなさそうである。
「ラヴァル廃棄街では自立と相互扶助が基本ですけど、限界もあるんです……だからこの教会で捨て子や両親が魔物に殺された子どもを引き取って育ててるんですよ」
エステルとは対照的に、コロナは痛ましそうな顔で説明をした。それを聞いたレウルスは何とも言えない気持ちになったが、まずはエステルの話を聞こうと思い、背中の大剣を下ろして壁に立てかける。
「色々と気になることはあるけど、まずは精霊教について教えてほしい。十五歳になるまで農奴生活をしてたんでね。その辺りがまったくわからないんだ」
「……そうなんですかー」
農奴と言ったからか、エステルの声色が僅かに変化した。それでもすぐさま元の調子に戻ると、礼拝堂の中でも一際目立つように設置された石像へと視線を向ける。
「それではー、簡単にではありますが精霊教について説明させていただきますねー」
レウルスは礼拝堂の長椅子に腰をかけ、エステルの話を聞こうと姿勢を正す。宗教と聞いて警戒していたが、この世界は前世で生きた地球とは違うのだ。
まずは話を聞いてみないことには何も判断できない。レウルスはそう思った。
どうも、作者の池崎数也です。
前回の更新で1章が終了したわけですが、早速新章スタートです。
ついでに章を分けてみました。2章のタイトルがバグっているのは仕様です。2章が進むと■が明らかになっていく予定です。リアルタイムで更新できるネット小説ならではですね。
章タイトルを最初から明かすとネタバレになりそうな点からも隠しています。
前回の更新分でいただいたご感想から一点補足説明をしたいと思います。
Q.キマイラの肉はどこに行ったの? 食べたかったよ!(意訳)
A.レウルスが3日間気絶していたため素材として売られました。保存技術があまり発展していないので保存もできず、ラヴァル廃棄街で唯一冷凍保存ができるシャロンが魔力切れで倒れていたのが原因です。作中でレウルスが気にしなかったのは金貨10枚のインパクトが強かったからだったりします。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。