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第305話:閑話 その10 苦労人

 城塞都市ラヴァルの城壁内に存在する宿屋の一室。


 人が一人泊れる広さがあるものの、寝台や机、椅子が備え付けられているだけの簡素な部屋である。

 そんな一室には、椅子に腰を掛けて机に向かうコルラードの姿があった。


「うーむ……」


 机の上に置かれた物を見ながら、コルラードが唸るような声を零す。


 それほど大きくない木製の机は大柄なコルラードが使用するには小さい。そのため身を縮こまらせるようにしながら、目の前の作業と格闘していく。


 机の上に置いてあるのは数枚の紙と羽根ペン、インク壺と筆記のための道具である。そして、それらと一緒に“木製の入れ物”と木の皿が三つずつ並べられていた。


 木製の入れ物を一つ手に取ったコルラードは、蓋を開けてひっくり返し、中身を木の皿にぶちまける。そして残っていた丸薬が全て出てきたことを確認すると、目を凝らして丸薬の数を数え始めた。


「総数から引いて……ふむ……」


 コルラードは羽根ペンを手に取り、何度か頷きながら紙に文字と数字を書き込んでいく。


 残った二つの入れ物に関しても同じように中身を木の皿に出し、丸薬の数を確認する。


「大、中、小で……あー……面倒であるな……」


 部下の前では見せられないような情けない顔をしながらも、コルラードは手を止めない。


 丸薬の数を確認し、更にどこからともなく取り出した細い布地に視線を向け、紙に文字と数字を書き込んでいく。


「一日目の歩数がこれだけだから……『駅』との距離が……」


 ブツブツと呟くコルラードだが、周囲に人の気配がないからこそできることである。


 宿屋の人間には部屋に近づかないよう言い含めてあり、なおかつ部下にも同様のことを言ってあった。現在やっている作業の重要さを思えば、他人に知られるのも途中で邪魔されるのも勘弁してほしかったのだ。


 コルラードが行っていること。


 それは“歩測”の結果をまとめる作業である。


 今回の旅は他国――それもカルデヴァ大陸では最も大きな国であるラパリを実際に旅し、騎士の視点で情報を集められるという希少な機会だったのだ。


 ラパリの兵士に見られると困るため、記録するための道具は持ち込めなかった。それを補うために用意したのが木製の入れ物と丸薬で、飲んだ丸薬の数によって移動の距離を割り出すという手法を取ったのである。


 移動した距離の計算や記憶の仕方などは、王都の軍にいた頃に徹底的に仕込まれていた。そういった多芸さもコルラードが便利使いされる原因ではあるのだが、出世するためには仕方のないことだと割り切ってもいる。


 レウルス達がルヴィリアの治療を目的とする裏側で、コルラードは騎士としての思惑を隠していたのだ。


 情報というのは力である。コルラードが旅をしたのはラパリの北部の中でも更に一部分にしかならないが、隣接する国家を街道に沿って歩き、どこに何があるのか、町と町の距離はどれほどか等、得られた情報の価値は非常に大きい。

 マタロイとしても実際に攻め込む予定は“今のところ”ないが、現地を実際に歩いて得た情報というのは貴重である。


 ルヴィリアという存在を引き連れての旅も、厄介ではあったがコルラードとしては都合が良かった。荷馬車を連れ、ルヴィリアの足に合わせての移動は“平時の行軍速度”に近いのだ。


 魔法が使えず、金属鎧等で武装で固めた“普通の兵士”の移動速度はそれほど速くない。軍隊として行動するには食料や水、薬や薪、予備の武器や防具なども必要で、それらを積んだ荷駄隊として行動したと思えば今回の旅は貴重な経験だったと言える。


 道中で立ち寄った城塞都市の数々でも、市場の動向や道行く人々が口にする噂、世話になった精霊教の教会で得られた情報など、まとめて報告すればかなりの功績になるだろう。


 そのためラヴァルに帰還したコルラードは真っ先に情報を記録するべく、書類と格闘していた。国境を越えてマタロイに戻ってきた時点で情報をまとめても良かったが、尾行者を警戒していたこともあり、ラヴァルに戻るまでは文字に残すことを控えていたのだ。


 コルラードだけでなく、レウルス達の警戒をすり抜けて接近してこれるような存在は滅多にいない。


 そう――“滅多にいない”だけでゼロではないのだ。


 少なくともコルラードの知り合いにも一人はいる。むしろ今も監視されていそうで少し怖いぐらいだ。

 味方のため恐れる必要はないが、元上司(ナタリア)は恐ろしいのである。


「しかし……レウルスもよくわからない奴であるな」


 そこでふと、集中が途切れたコルラードが呟いた。


 木製の入れ物に関しては疑問を持たれたが、特に追及することもなく引き下がっている。それはコルラードを信用していたのか、あるいはどうでも良いと割り切っていたのか。

 妙に知識があるかと思えば、常識的な部分が抜けていることもある。それでも総合的に見れば騎士であるコルラードに近い知識量があり、やろうと思えば礼儀を弁えた対応もできるようだ。


(……まあ、その辺りは隊長殿が手綱を握っているから良いか)


 どこから見つけてきたのかわからないが、大した拾い物だと思う。ナタリアが治めているラヴァル廃棄街への思い入れも強く、『首狩り』を単独で倒すような腕も持っているのだ。


 縁を結んでいて損はない相手である――たまに胃壁が削れそうな思いをすることもあるが、性格も悪くはない。


 そもそも、今回の旅で精霊教の看板を借りることができたのもレウルスの存在が大きいのだ。それがなければ比較的平穏に旅をできなかっただろう。


 マタロイに限らず、どの国でも他国へ間諜を差し向け、情報を得ようとするものである。そして、当然の話ではあるが間諜を素通しにする国は存在しない。

 即座に捕殺するか、情報を吐かせるか、泳がせるか、抱き込むか。選択肢はいくつかあるものの、間諜に対する備えを整えるのは当然の話だ。


 その点、レウルスは政治には極力関わろうとしない精霊教の『客人』にして、“あの”ジルバとも懇意にしているのだ。大手を振って他国の調査をできる機会など滅多にあるものではない。

 加えて言えば、レウルスの傍にいるネディが精霊の可能性が非常に高いとルイスからも聞いていたが、どう見てもサラも同様で――そこまで考えたコルラードは胃に痛みを覚えた。


(貴族を除けば、縁を結ぶのに最上の部類ではあるが……うっかり精霊の存在を漏らせば、ジルバ殿がどう動くか……それに、グレイゴ教も……)


 コルラードは手慣れた様子で胃薬を飲むと、大きく息を吐いた。


 精霊を従えるなど、精霊教の中で見れば精霊教師にも劣らない。むしろ精霊の『加護』を得ているだけの精霊教師と比べると、勝るのではないか。


 それだけでも大概だが、レウルスは『首狩り』を単独で仕留めてしまった。これはグレイゴ教で司教に勧誘されるような偉業である。


 王侯貴族や土地の有力者などのように、公な権力を得るわけではない。それでも一個人として放置しておくには厄介な存在といえるだろう。レウルスの近くにいる人間でいえば、ジルバ並の影響力を発揮しかねない。


(そういう意味では、ルヴィリア殿と結ばれていれば……いや、どうにもならんか)


 コルラードの脳裏に、長旅を共にしたルヴィリアの顔が浮かぶ。


 ヴェルグ子爵家の次女にして、長い間体が弱いと噂されてきた少女だ。それも今回の旅によって改善し、今頃はヴェルグ子爵家の本拠地である城塞都市アクラへと向かっている最中である。


 ルヴィリアがレウルスに対して色々と想いを抱いていたのは見て取れた。もしもレウルスがルヴィリアを受け入れていれば、様々な道があっただろう。


 これから独立するであろうラヴァル廃棄街、ひいてはナタリアへの“つなぎ”としてレウルスに嫁入りさせる。あるいはレウルスをルヴィリアへ婿入りさせ、一家を立てる。


 前者ならばラヴァル廃棄街が独立した後にレウルスを通して影響を及ぼすことができ、後者ならば単独で『首狩り』を仕留めた戦力を抱き込める。


 仮にレウルスがルヴィリアの元に婿入りして一家を立てていたならば、ヴェルグ子爵家の協力で最初から騎士になっていただろう。レウルスの若さと実力を考えれば、武勲を積み重ねて準男爵にまで手が届く可能性が高い。


 だが、そうはならなかった。ルヴィリアもまた、貴族としての務めを優先していた。


 これは二人の性格や相性が悪かったというよりも、立場と“時期”が悪かっただけの話である。


 レウルスが婿入りする可能性がないのならば、ルヴィリアを嫁として送り出す方法を選ぶこともできた。ただし、ラヴァル廃棄街が独立するとしても形になるまで時間がかかるため、ルヴィリアを数年は待たせることになるだろう。

 その間にレウルスが死ぬなり、嫁入りの話が流れるなりすれば、ルヴィリアの嫁入りが困難になる。


 現状のルヴィリアでさえ、貴族の子女として考えると結婚適齢期の後半に差し掛かっているのだ。貴族の子女ならば子供が産めるようになった段階で結婚していてもおかしくはなく、早い者ならば生まれた時から婚約していて幼い頃から共に過ごすということもあり得た。


 そして、ルヴィリアに数年待ってでもレウルスと結ばれようという考えはない。ヴェルグ子爵家の次女として、貴族の娘として、務めを果たそうと即座に動く。


 ルヴィリアならば嫁ぎ先を選ばなければいくらでも選択肢があるだろう。だが、家格に見合った相手となると限られる上に、“同じように動いている者”が少なからずいる。


(吾輩なら迷わず承諾するのであるが……)


 貴族の娘と結婚するなど、望んだからといってできることではない。立身出世の近道であり、“それ”を望む者がどれほどいるか。

 ただし、レウルスのような権力に執着しない人間からすると、厄介事でしかないというのもコルラードは理解していた。


(しかし、ルヴィリア殿のことは横に置くとしても、これからが大変そうであるな。一応剣を教えた身としては世話を焼いてやりたいところではあるが……)


 これから先、一介の騎士では手の貸しようがない事態に巻き込まれそうだとコルラードは心配の念を抱いた。打算はあるとしても、弟子に近い存在が厄介事に巻き込まれるというのは寝覚めが悪い話である。


(……その辺りは隊長殿がどうにかするな、うん)


 もしもコルラードの同僚や部下にレウルスぐらい出世の機会に恵まれた存在がいれば、嫉妬で怒り狂う自信があった。しかし、ナタリアが手綱を握っていると知れば嫉妬よりも先に同情を覚えてしまう。


 故に、コルラードはレウルスの存在を一時的に脳内から放り出した。


 今回の仕事が終われば、滅多に顔を合わせることもないだろう。それならばその時々に応じて対応すれば済む話である。


 だが、コルラードは知らなかった。


 これからも事あるごとにレウルスと関わり合いになる未来が待っているなど、知るはずもなかったのだった。

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