第304話:閑話 その9 知らないところで
レウルス達がラヴァル廃棄街へと帰還した頃。
『首狩り』による騒動から落ち着き取り戻したリルの大森林において、アクシスの元に一組の来客があった。
一人は白い着物に緋色の袴、足元には足袋と草履。防具らしい防具を身に着けず、腰元と背中に小太刀を一振りずつ身に着けている。腰まで届く黒髪をなびかせた美しい女性――グレイゴ教の司教であるカンナだ。
そしてもう一人は急所を守る金属鎧に手甲や脚甲を身に着けた、乱雑に切られた赤髪が特徴的な二十代半ばの男性――グレイゴ教の司祭であるローランである。
二人がリルの大森林の傍まで歩み寄ると、それに応えるようにしてアクシスが姿を見せる。ユニコーン本来の姿ではなく、レウルス達の前に出て来た時と同様に老人の姿だ。
「おーおー、森の魔物が報告にきたから誰かと思えば……カンナちゃんではないか。久しいのう」
「お久しぶりです、アクシスのお爺さん。一別以来ですね」
カンナとローランの前に姿を見せたアクシスは、カンナにだけ視線を向けて朗らかに笑う。そしてその視線を頭から爪先まで移動させると、鼻の下を伸ばして笑みの種類を変えた。
「ほほう……立派に育ったのう。どうじゃ? 儂の子を産んでみんか?」
アクシスの視線はカンナの胸元に集中していた。それに気付きながらも、カンナは頬に手を当てながら首を傾げるだけで不快感を見せない。
「うーん……年上の男性も悪くはないんですが、さすがに二桁年上というのは遠慮したいところですねぇ」
「カァーッ! つれないのう。愛さえあれば歳が二桁違おうが問題ないと思わんか?」
「人間の間だと割と問題だと思いますよ?」
年齢が一桁違うだけでも問題だろうに、二桁違うとなると問題という一言では片付かない。最早あり得ない想定になるのだが、それを実現させてしまうのが千年を超える時を生きるアクシスという存在だった。
「コイツがユニコーン……って、本当なんですかい? 俺の目にはただの好色な爺さんにしか見えねえんですが……」
そんなカンナとアクシスのやり取りを聞いていたローランは、訝しむような視線を向けていた。
「いやまあ、リルの大森林で生活してる爺さんって時点で何者だよって話ではあるんですがね?」
立ち居振る舞いを見れば、アクシスが尋常な存在ではないことは理解できる。だが、言動があまりにも俗っぽかったため、ローランとしても反応に困ってしまった。
「なんじゃお主は。男はお呼びではないぞい。しっしっ」
ローランに視線を向けたアクシスだったが、犬でも追い払うように手を振る。そんなアクシスの反応を見たローランは、怒るよりも先に呆れてしまった。
「うわぁ、ぶった切りてえ……司教様、コイツは“試験”の相手にはできないんですよね?」
「この方は教義的にも“味方”ですからねぇ……それに、ローランの腕だと無理ですよ? わたしでもなるべく戦いたくない相手ですから」
冗談でも強がるでもなく、自然体でアクシスの強さを評するカンナ。それを聞いたローランは興味深そうに目を細める。
「……そんなに強いんですかい?」
「あの『狂犬』に手ほどきをしたことがあるぐらいには強いですよ?」
カンナの返答を聞いたローランは、お手上げだといわんばかりに両手を上げた。戦って良いのならば死力を尽くして戦うが、無駄死にしたいわけでもないのだ。
「それで? 一体何の用じゃ? カンナちゃんだけなら儂、大歓迎なんじゃが」
「この爺さん、色々とすげえな」
ただし、両手をわきわきと開閉させながらカンナに近寄ろうとするアクシスの姿を見ると、本当なのかと疑ってしまう。もちろん、カンナを相手にそんな真似をできるだけで大したものだとローランも思うのだが。
「わたしの友人の部下なんですが……最近、この付近に来たであろうグレイゴ教徒が消息不明でして。その調査を兼ねてお爺さんの顔を見に来た、というのが用件です」
「なんじゃ、儂はついでか……寂しいのう。初めて会った頃の可愛いカンナちゃんはどこに行ってしまったんじゃ……」
所用のついでに寄っただけと答えるカンナに対し、アクシスは悲しそうな目をした。もちろん演技である。
それを当然のように見抜いたローランは、アクシスの言葉に少しだけ興味が引かれたため口を開いた。
「司教様って可愛かったのか?」
「うむ、可愛かったぞ? 前途有望で将来美人になると確信ができる可愛さじゃった……十を多少超えた程度の童じゃというのに、『首狩り』を一方的に斬り殺したがな」
「微塵も可愛くねぇっ!?」
そして、聞かなければ良かったと心底から思った。ローランはカンナが過去に起こした所業に少しだけ身を引く。
レベッカのような“例外”はともかく、司教になっているのならば上級の魔物を仕留めているのは当然である――が、それにも限度があるだろう。
「懐かしいですねぇ……この大陸に来た直後ですから、五年ぐらい前でしたか」
「……司教様、その時何歳だったんで?」
カンナの正確な年齢はローランも知らないが、現在が二十歳だとしても十五歳の頃の話になる。低く見積もっても十二、三歳の頃に上級の魔物を倒したとなると、尋常な話ではない。
「女子に歳を尋ねるとか、失礼な小僧じゃのう。引くわい」
「この爺さん腹立つなぁ!?」
だが、アクシスから真顔でツッコミを入れられてしまった。ローランとしてはそれが非常に腹立たしかった。
「ちなみに、『首狩り』を倒したその年に司教になりましたけど、その後大怪我しちゃったんですよね」
「司教様が大怪我するってのも想像できませんね」
年齢の話を流すカンナに対し、ローランは素直に話の流れに乗る。強者と戦って死ぬのならともかく、しつこく年齢を尋ねて上司に殺されるなど笑い話にもならないのだ。
「街道を歩いていたら『狂犬』と遭遇しちゃいまして。いやぁ、噂には聞いていましたけど偶然って怖いですねー。相打ちに持ち込むので精一杯でしたよ」
「『狂犬』の嗅覚がすごかっただけって可能性もあって、俺としちゃあ笑えませんぜ」
カンナの話に驚けば良いのか笑えば良いのか、ローランにはわからない。あるいはこれぐらい“突き抜けて”いなければ司教にはなれないのかもしれない、と密かに思った。
「話を戻しましょうか……それでお爺さん、最近グレイゴ教徒が来ませんでした?」
「来たぞ? 何人じゃったかのう……『首狩り』に首を刎ねられて死んでしもうたわい。墓もあるが、参っていくかの?」
そう言ってアクシスは墓――レウルス達が荼毘に付した上で埋葬し、墓石代わりに岩を設置した場所に案内しようとする。
しかし、その提案に頷くよりも先に、カンナが疑問を口にした。
「おかしいですね……『首狩り』がまた生まれたんですか? 少し“早くない”ですか?」
「生まれてしまったのう。その辺りはまちまちなんじゃが……ま、もうこの世におらんがのう。問題はないわい」
アクシスがなんでもないように答える。すると、ローランがその場で両手両膝を地面に突いた。
「お、俺の昇進がまた遠退いた……『首狩り』がいたのかよ……」
消息を絶ったグレイゴ教徒に関して調べるつもりだったが、上級の魔物である『首狩り』が絡んでいたらしい。しかも既に倒されていると知り、ローランは派手に落ち込んだ。
「あなたの運の悪さは折り紙付きですね……『首狩り』なら丁度良さそうな相手だったのに。それで、お爺さんが倒してしまったんですか?」
カンナはうなだれるローランの姿に苦笑を浮かべつつ、アクシスに問いを投げかけた。
友人であるレベッカは怠惰で面倒くさがりで感情の起伏が激しくて部下の管理も雑だが、その分、部下には目端が利く者が多い。
今回リルの大森林に赴いたグレイゴ教徒――司祭のキースを始めとした者達は実力だけで見ればローランに劣るが、並の魔物に遅れを取るほど弱くもない。特にキースは司祭に叙されているだけあって相応の実力もあった。
そんなキース達でも容易く狩られてしまうのが上級の魔物であり、『首狩り』に勝つとなると同じ上級の魔物か、カンナや他の司教のように人外に足を踏み入れた人間しか成し得ないことなのだ。
他のグレイゴ教徒がリルの大森林に赴いたという報告は受けていない。『首狩り』を倒せるような技量を持つ者となると司教、あるいはローランのような極一部の司祭のみ。
各国の騎士団の中でも最精鋭の者の中から探せばいくらかはいるだろうが、リルの大森林という状況が不安定な国境に赴いて『首狩り』を退治することはないだろう。
グレイゴ教徒ではなく、騎士などでもない。それならばアクシスが始末をつけたのかとカンナは思ったが、アクシスは首を横に振る。
「丁度良いところに手頃な実力を持った奴がおってのう。そやつに任せてみたんじゃ」
「――へえ」
アクシスの言葉を聞き、カンナの唇が弧を描く。
結果は聞くまでもない。既に『首狩り』が死んでいる以上、答えは明白だ。
「すごく……ええ、すごく興味がありますね」
「技量だけを見ればそこまででもないが、面白い奴じゃったよ。歳はお主とそこまで変わらん……いや、“ある意味”親子ほど離れておったかもしれんが」
そう言って意味深に笑うアクシスだが、カンナの興味は『首狩り』を倒した人物に集中している。
「どこの誰なんでしょう? 名乗っていませんでしたか?」
「上級の魔物を倒せるってなると、それなりに有名そうですがね……この国で自由に動ける奴の中に、そこまでの手練れっていましたっけ?」
興味津々な様子のカンナとは対照的に、ローランはどこか懐疑的である。上級の魔物というのは容易く勝てるような相手ではないはずだが。
「この国の人間ではないぞ? レウルスという赤毛の小僧なんじゃが」
「お前かよ戦友!?」
そして、ローランはその場に倒れ伏した。
アクシスが口にしたのが知り合いの名前だったというのもあるが、『城崩し』に『国喰らい』ときて『首狩り』まで“先に取られて”しまったのだ。
「あー……レウルスさんでしたか」
ローランの激しい反応とは異なり、カンナは納得した様子で戦意を引っ込める。
「なんじゃ、知り合いか? グレイゴ教徒ではなく精霊教徒だったんじゃが……」
「知り合いといいますか、一緒に戦った仲といいますか……グレイゴ教には誘ったこともあるんですけどね。あと、わたしのお友達が夢中になってる男の子でもあります」
「あやつ、妙なところで顔が広いのう……」
呆れたようにアクシスが呟くが、カンナの表情は明るくない。思考を巡らせるように目を細め、その視線を遠くに向けた。
「ローラン……一応聞いておきますけど、レウルスさんがこの国に足を踏み入れたという報告は受けていますか?」
「受けてたらこんな反応してませんって……マタロイとの国境付近にゃ何人も張り付けてあるはずなんですがねぇ」
周囲に悟られないような方法でレウルスが国境を越えてきたのか、グレイゴ教の末端から情報が上がってきていないだけか。あるいは、情報を誰かが握り潰していたのか。
「うーん……レベッカちゃんが“変な命令”を出していたから、司祭以下の人達が委縮してしまったんですかね?」
「それが一番ありそうっすね。あの司教様が相手となると、俺もなるべく近づきたくねえっすわ」
行方不明になった者達の詳細はすぐさま判明したが、新たに調べることができた。
それを手間だと思いながらも、カンナは小さく笑う。
「でも……そうですか。伸びるとは思いましたけど、この短期間でそこまで至ったんですね」
カンナの脳裏に浮かんだのは、以前対面したことがあるレウルスの顔だ。
「ふふ……これで“お仲間”ですね」
今度レベッカに会ったら教えてやろう。あるいは、レウルスが絡んでいると伝えて“今回の裏側”の調査に関してやる気を出してもらうか。
「……武運を祈るぜ、戦友」
薄く微笑むカンナの横で、ローランは同情を抱くと共に全てを諦めたような顔で空を仰ぐのだった。