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第302話:月下 その2

「――わたしは貴方に恋をしました」


 そう告げるルヴィリアの表情には、冗談やからかいといった色はない。元より、そういったことをする性格でもないだろう。


「…………」


 だからこそ、というべきか。レウルスはルヴィリアから視線を外すことはせず、ただ沈黙を守る。


 想いを告げるルヴィリアがとても真剣で、顔を真っ赤にしながら告白の言葉を告げるその姿が綺麗で――どこか悲しそうだったからだ。


 故に、レウルスはその告白を受け止めるに留め、ルヴィリアの瞳をじっと見つめる。


 ルヴィリアは何も言わないレウルスを見てどう思ったのか、頬を赤くしたまま微笑んだ。その笑顔はやはり、どこか寂しそうだ。


「少しは打ち解けてくれたと思っていました……いえ、そう思いたかった。それでも“やっぱり”、貴方はわたしを見てはくれないんですね?」


 そう呟くルヴィリアの声には、寂しさと同時に納得も含まれている。ルヴィリアは右手首に巻かれた純白のミサンガを左手で撫でながら、微笑みだけは絶やさない。


「あー……」


 そんなルヴィリアを前にしたレウルスは、困ったように頭を掻く。無言を貫きたかったが、立場や関係を考えすぎるのも無粋だろう。


 ルヴィリアの告白は真剣で、本気で、演技の色は欠片もない。そう感じ取ったレウルスは、完全に素の自分で言葉を紡ぐ。


「ルヴィリアさん……いや、ルヴィリア」

「はい」

「勘違いしないでほしいんだが、まあ、なんだ……いきなりで驚いたってのもあるけど、その気持ちは嬉しいよ」


 簡潔に、あるいは冷徹に。ルヴィリアの告白を撥ね退けるべきだとレウルスは思ったが、これまで共に長旅をしてきた仲である。刃物で斬るようにあっさりと断るのも気が咎めた。


「可愛らしいし、貴族のお姫様っていう割に根性あるし、性格も良い」

「……あ、ありがとうございます」


 外見や性格だけを見るわけではないが、レウルスとしてもルヴィリアという少女が嫌いなわけではない。

 不安を堪えて旅に出て、二ヶ月半にも渡る長旅になっても文句の一つも言わず、踏破を目前としている。立場が立場だけに、旅が新鮮で面白かったのかもしれないが、面白いという感情だけで達成できるほど易しい旅ではなかった。


 『首狩り』を誘き出す必要があったとはいえ、レウルスを信じて命を賭けるその姿勢も好ましいものだ。だからこそレウルスもルヴィリアを嫌ってはいない。


 嫌ってはいないのだが、レウルスは冒険者で、ルヴィリアは貴族のお姫様だ。社会的な立場の違いもそうだが、ルヴィリアが抱える“背景”を思えば頷けるはずもない。


(あー……こうやって言葉を捏ね繰り回してる場合じゃねえな)


 答えは決まっているのだ。期待を持たせるようなことを言うのは逆に失礼で、レウルスは頭を下げる。


「でも――すまん。その気持ちには応えられない」


 ルヴィリアの想いには応えられないと、真っすぐに答える。するとルヴィリアは僅かに間を置いてから頷く。


「はい……知ってました」


 その言葉にレウルスが頭を上げてみると、ルヴィリアは微笑んだままだった。ただ、心情を表すように瞳が揺れている。


「わたしの我が儘に巻き込んでしまって、ごめんなさい。旅が終われば二度と会えないかもしれないって思ったら、どうしても、気持ちだけでも伝えたかったんです」


 そう言うとルヴィリアはレウルスに背を向け、視線を夜空へと向けた。


「……叶わないって、レウルス様が頷いてくれても叶わない恋だって、わかっては……いるん、ですけど……ね……」


 夜空を見上げたルヴィリアの声が、かすかに震えを帯びた。


「本当に、初めてのことだから、合っているのかわかりません……でも、この感情は、この胸の高鳴りは、きっと、恋なんだと思います」


 そう言いながら、ルヴィリアは自身の胸に右手を当てる。右手首に巻かれた純白のミサンガを、抱きしめるように。


「吟遊詩人が歌うように、本に出てくるお姫様みたいに、本当に、どうしようもないんですね」


 声の震えが大きくなり、ルヴィリアの体もそれに釣られるように小さく震える。

 ルヴィリアは服の袖で目元を拭うと、大きく深呼吸をした。ただし、その視線が夜空から外れることはない。


「“貴族として”嫁ぐ前にこの感情を知ってしまったのは、運が悪かったのかもしれません。でも、わたし個人としては、知ることができて本当に良かったと思います」


 ルヴィリアの独白に対し、レウルスは答える言葉を持たない。黙って話を聞くのが、せめてもの礼儀だと思った。


「旅が終われば、わたしはヴェルグ子爵家の次女に戻ります……ようやく“戻ること”ができます」


 そこまで言って、ようやくルヴィリアが視線を下ろしてレウルスを見る。


 その目尻に光るものがあったのを、レウルスは努めて見ないようにした。


「家に戻ったら、子爵家の人間としての務めを果たします。体が治ったから、務めを果たすことができます。色々あった“問題”も、今回の旅で……レウルス様のおかげで片付いているでしょうから」


 おそらくは、この旅が終わればルヴィリアはヴェルグ子爵家の次女としてどこかの家に嫁ぐのだろう。ルヴィリアが嫁に行くことができていないから、下の妹達も嫁に行くことができないとナタリアも言っていた。


 それはきっと、ヴェルグ子爵家のための政略結婚だ。


 ルヴィリアはそんな自分の未来を受け入れており――それでも告白の言葉が出てきたのは、未練を残したくなかったのか。


 仮にレウルスが告白を受け入れたとしても、“本当に叶うことはない”とルヴィリアは悟っていた。立場が許さないと、幼い頃から知っていた。

 領民の税で生きる者として、ヴェルグ子爵家の人間として、領地と家の発展のために尽くす義務があるのだと。


 そんなルヴィリアの立場、心情をレウルスもある程度は理解することができる。だが、手を差し伸べることはできない。背負うことはできない。


「まだ旅が終わったわけじゃないんだ……あと一日、残ってる」


 ここまで来れば、何もないとは思う。それでも気を抜かないように注意することぐらいしか、レウルスにはできなかった。


「何かあっても、レウルス様が守ってくださるんでしょう?」

「ああ――旅の最後まで守るさ」


 そして、ルヴィリアが貴族に戻れるよう、貴族として送り帰してやることぐらいしかできなかった。


「ふふ……それなら安心ですね。では、馬車に戻りましょうか」


 そう言ってルヴィリアが来た道を戻り始める。レウルスは僅かに遅れてルヴィリアに続き、その背中を追った。


 行き道と違い、ルヴィリアの足取りはゆっくりとしたものである。踊るように跳ねていた足が、今は一歩一歩、確かめるような足取りに変わっていた。

 だが、ゆっくり歩いていても『駅』までの距離は変わらない。行き道と比べて倍以上の時間をかけて歩いても、何も変わらない。


 『駅』まであと僅か、というところで不意にルヴィリアが足を止めた。


「さっきの話は忘れてくださいね。伝えたかったから伝えるなんて、子どもみたいな我が儘ですもの」


 振り返ることはなく、ルヴィリアが言う。


「でも……ごめんなさい。やっぱり、一つだけ我が儘を言っていいですか?」

「……ああ」


 ルヴィリアにできるのは言葉を紡ぐことだけで、レウルスにできることはそれを聞くことだけだ。


「どこかの家に嫁いで、いつか忘れることができるかもしれません……夫になる方と、“貴族として”愛を育むことはできると思います……でも」


 ルヴィリアは草原でそうしたように、その視線を夜空に向けた。


「この恋はきっと、ずっと、忘れません。叶わなかったけど、初めての恋なんです。忘れられるはずがありません……だから、その想いだけ持っていても、いいですか?」

「…………」


 その問いかけに対し、レウルスは頷くことも、言葉を返すこともできなかった。ルヴィリアはレウルスの返事を数秒待ったが、やがて、ぽつりと呟く。


「あはは……おかしいな」


 夜空を見上げ、丸い月を見ながら。


「――月が、曇ってる」


 涙で濡れたその呟きに、レウルスが返せる言葉はなかった。








 翌日、レウルス達は予定通りにラヴァルまで辿り着くことができた。


 夕日によって大地が赤く染まり始める時間帯。旅立った時と同じように城塞都市ラヴァルの東門で足を止めたレウルス達は、別れの挨拶を交わす。


「レウルス様、コルラード様、エリザさん、サラさん、ミーアさん、ネディさん……本当にありがとうございました」

「無事に旅を終えられて良かったですよ」


 頭を下げながら感謝の言葉を紡ぐルヴィリアに対し、レウルスも普段と変わらない様子で答える。

 レウルスもルヴィリアも、昨晩のことがなかったように声を掛け合っていた。


「今回の依頼の報酬に関しては、再び使者を通してやり取りをすることになると思いますが……」

「その辺は姐さんにぶん投げてるんでね。あとは……コルラードさんがどうにかしてくれるんじゃないかって」

「お主、吾輩の胃を痛めつけるのがそんなに楽しいのであるか? ん?」


 感謝の言葉と、あとは依頼を達成したことに関するやり取りが少々。日が沈むとラヴァルに入れなくなるため仕方ない面もあるが、どこか事務的に話が進んでいく。


 今後はラヴァル廃棄街と城塞都市アクラ、ナタリアとヴェルグ子爵家でのやり取りが主になるだろう。その間をつなぐのが使者やコルラードである。


 直接ルヴィリアと顔を合わせる機会が訪れるかどうかは――。


「それでは……」


 ルヴィリアもそれをわかっているのか、平静を取り戻したはずの表情が僅かに崩れていた。そんなルヴィリアをアネモネが少しだけ心配そうに見つめていたが、レウルス以外の者が気付くよりも先に笑顔を浮かべる。


「本当にお世話になりました――さようなら」


「ああ……お元気で」


 ルヴィリアが選んだ言葉は、再会を願うものではなかった。それ故にレウルスも笑顔で答える。


 そうして、ルヴィリアはアネモネを連れてラヴァルの城門へと姿を消していった。何かを察したのかコルラードもラヴァルへと足を向けたが、すぐには追い付かないよう、距離を取って歩き出す。


 レウルスはルヴィリア達の姿が完全に見えなくなるまで見送ると、一度だけ頭を振り、その視線をラヴァル廃棄街へと向けた。


「さあて……俺達も“帰る”か」

「うむ……そうじゃな」


 二ヶ月以上ラヴァル廃棄街を離れていたのだ。レウルスだけでなく、エリザ達の表情も明るいものへと変わっている。


「あっ……どうしよう……」


 すると不意に、ミーアが声を上げた。その声に何事かと視線を向けたレウルスだったが、ミーアが見ているものに気付いて思わず破顔する。


「コルラードさん……馬をつなぎっぱなしじゃねえか」


 もしかすると、馬車を運ぶのが大変だからとそのままにしていったのか。旅の最中でミーアの御者としての腕も良くなっているため、ラヴァル廃棄街に向かうぐらいなら可能である。


「どうせコルラードも後で顔を出しにくるんでしょ? それならそれまで預かってましょうよ! この子達も旅の仲間なんだし、今夜は豪勢な食事にしてあげましょっ!」

「……おうまさん」


 サラとネディが胴体を撫でると、馬はされるがままに大人しくしていた。


 そんなやり取りを聞いていたレウルスは一度だけラヴァルの城門へ視線を向けたが、すぐに視線を戻す。


「よし……それじゃあ今夜はおやっさんのところで宴会だ!」


 努めて明るい声を出して、ラヴァル廃棄街に向かって歩き出す。


 レウルスが振り返ることは、二度となかった。

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