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第301話:月下 その1

 他人に話を聞かれたくなかったのか、あるいはそういう気分だったのか。


 ルヴィリアは馬車から離れた場所で話をしたいと言い出した。


 現在不寝番を務めているのはレウルスとサラ、コルラードの三人である。他の者は馬車で休んでいた。

 魔物や野盗に関してはサラが熱源を探っているため、近づいてくればすぐにわかる。グレイゴ教徒のキース達が襲ってきた時のように大雨という状況でもないため、サラが熱源を見逃すことはないだろう。


 そのため危険はほとんどなく、ルヴィリアの申し出を受けることは不可能ではない。だが、魔物や野盗を警戒する以上に、深夜に貴族の令嬢と二人きりになるという状況をレウルスは警戒していた。


「ここじゃ駄目なんですか?」

「駄目、というわけでは……ないのですけど……その……」


 ルヴィリアは僅かに頬を赤らめ、困ったようにコルラードとサラを見る。その視線を受けたサラは何も理解していないように首を傾げていたが、コルラードは横を向いてしまう。


「明日にはラヴァル廃棄街に到着するであろうし、“最後の夜”なのだ……吾輩は何も見ていないことにするのである」

「……それでいいんですか?」

「良いも悪いも……ほれ」


 そう言ってコルラードが手ぶりで馬車を見るよう示す。それに釣られてレウルスが視線を向けると、そこには布の隙間から顔を覗かせるアネモネの姿があった。


 ただし、アネモネはレウルスと視線が合うと唇を引き結び、無言で頭を下げる。どうやらアネモネの許可も出ているらしい。


(危険はないだろうし、明日にはラヴァル廃棄街に到着するってのも本当なんだが……なんだろうな、この陰謀の匂い)


 心中だけで半分冗談、半分本気で独白するレウルス。


 ルヴィリアが謀を仕掛けてくるとは思えない――思いたくないが、警戒が先に立つのは貴族という生き物自体を警戒しているからか。


(……まあ、取って食われはしないか)


 まさかルヴィリアが突如として豹変して襲い掛かってはこないだろう。そう判断したレウルスは、依頼者からの最後の我が儘だと自分に言い聞かせた。


「あまり遠くには行けませんよ? サラ、警戒は任せた」

「はーい。何かあったらすぐに呼んでねー」


 サラに声をかけたレウルスは『龍斬』を背負い、『駅』の外に向かって歩き出す。『首狩り』との戦いで消耗した魔力は半分も取り戻せていないが、もう一度『首狩り』と戦うようなことがなければ十分だろう。

 一応周囲を警戒しながら『駅』から出ると、どこか嬉しそうに笑うルヴィリアが小走りでついてくる。


「こんな夜更けに町の外でお散歩をするなんて、これから先、一生機会がないでしょうね」

「そりゃあないでしょうよ。冒険者か兵士でもないと……いや、それでも夜更けに歩き回ることは早々しませんがね?」


 いくら満月で視界が明るいといっても、普通ならば焚き火などの光源の傍で夜を明かすのが普通だ。レウルスでさえそうなのだから、ルヴィリアがこれから先の人生で似たようなことをする機会は一生訪れないだろう。


「ふふっ……ちょっと悪いことをしてる気分です」


 周囲を警戒しながら歩くレウルスとは異なり、ルヴィリアは心底から楽しんでいる様子で満月の夜道を歩いている。

 その足取りは軽く、まるでダンスでも踊っているようだ、とレウルスは思った。時折無意味にくるりと回転し、金糸のような髪も釣られるようにして舞い踊る。


 レウルスはそんなルヴィリアの姿を眺めながら、小さく首を傾げた。


「しかし、なんで突然こんなことを? 他人に聞かれたくない話ってのは見当がつきませんが、これまでの旅で色々と話してきましたよね?」


 ラヴァル廃棄街を出発し、ルヴィリアを連れて旅をすること既に二ヶ月半。


 出発した頃は春が過ぎて初夏が訪れるかどうかという気候だったが、今は八月が目前へと迫っている。日本の夏と比べれば過ごしやすい気候ではあるものの、日中は少し歩くだけで汗ばむほどには暑い。

 ネディとサラがいるため入ろうと思えば毎日風呂に入ることができ、飲み水を節約しなくても良いためかなり楽だが、貴族のお姫様には辛い旅路だっただろう。


「ええ、色々話しましたね……でも、レウルス様は最後まで他人行儀でしたね?」

「有事の際はともかく、普段は依頼者とその護衛ですからね」


 遠くから聞こえる虫の鳴く声と、僅かな風の音。それらを耳にしながら、レウルスとルヴィリアはのんびりと歩く。


「むぅ……そこだけは残念でした。エリザさん達とはそれなりに打ち解けたのに、レウルス様とはいつも“壁”を感じるんですもの」


 先を歩くルヴィリアが振り返り、小さく頬を膨らませてみせる。実際の年齢よりも幼く見えるその仕草に、レウルスは思わず破顔した。


「はははっ、そりゃそうですよ。様付けかつ敬語で話すルヴィリアさんもそうは思いませんか?」

「……わたしの場合、他の喋り方を知らないというのも大きいんですけどね」


 からかうように言葉を紡ぐレウルスに対し、返ってきたのは思いのほか真剣な声だった。その声につられてレウルスがルヴィリアの顔を見てみると、ルヴィリアのどこか悲しげな表情が見える。


「レウルス様……以前、グレイゴ教徒に襲われた日に、わたしと話していたことを覚えていますか?」

「んー……なんでしたっけ? 不満があるなら聞かせろとか、あとは……旅が楽しいかどうかでしたっけ?」


 そんな話をしていた気がするが、詳しい内容までは思い出せない。レウルスとしてはその直後に起きたキース達の襲撃の方が記憶に残っているのだ。


「ええ。こう言っては護衛を務めてくださるレウルス様達に失礼かもしれませんが……長い旅でしたが、とても楽しかったです。本当に……本当に、楽しい旅でした」

「……まだ町に戻ったわけじゃないんですし、その言葉は最後まで取っておいてくださいよ」


 旅の最終地点はラヴァル廃棄街で、そこまで辿り着けばルヴィリアとは別れることになる。あとはヴェルグ子爵家の手勢に連れられ、本拠地である城塞都市アクラに戻ることになるだろう。


「いえ、今こうして伝えておかなければ、面と向かっては二度と言えない気がしまして……その、わたし、これでも恥ずかしがり屋なんですよ?」

「知ってます……いや、本当に恥ずかしがり屋なら、こんな夜更けに同年代の男と二人きりになろうとはしないのでは?」

「そ、そうですけど……そうですけどっ」


 レウルスが真顔で尋ねると、ルヴィリアは顔を真っ赤にしながら両手を上下にブンブンと振る。レウルスとしては手を出すつもりは微塵もないが、軽率ではないかと思う気持ちはあった。


「他の方がいるとヴェルグ子爵家の人間として話す必要がありますし、わたしがレウルス様と“個人として”話すことができる最後の機会、と言った方が良いでしょうか……もっと話せる機会はあったけど、でも勇気が……」


 後半は小声で呟くルヴィリアだが、周囲が静かなためレウルスにもしっかりと聞こえていた。もちろん、それをわざわざ指摘するような野暮はしないが。


「っと、『駅』から離れすぎても問題ですし、散歩はこの辺までってことで」


 レウルスはひとまず話の矛先を逸らし、その視線を周囲に向ける。


 散歩と称して街道を歩いてみたが、僅かに道を逸れれば平原が広がっていた。遠くに森が見えるが見晴らしが良いため奇襲を受けることもないだろう。

 折り返して『駅』に戻っても良いが、ルヴィリアはまだ話し足りない様子である。そう判断したレウルスは『龍斬』を傍に起きながら、街道脇の草原に腰を下ろした。


「……レウルス様?」

「話し足りないんでしょう? 椅子もないですけど、良ければ座って話しましょうや」


 ルヴィリアの体はアクシスの手によって無事完治した――が、これからどうなるのか。


 病弱だと噂されていた貴族の令嬢が、ユニコーンの力で快癒したのだ。ルヴィリアの今後に関してはナタリアから色々と話を聞いていたこともあり、ある程度予測できる。

 故に、依頼主の最後の我が儘としてレウルスはルヴィリアの話を聞こうと思った。


 ルヴィリアは草原に座ったレウルスを見て困惑していたが、やがて小さく吹き出し、レウルスの隣に腰を下ろす。


 ――その距離が少しだけ近く感じたのは、レウルスの錯覚か。


 しばらくの間、レウルスもルヴィリアも無言で過ごす。満月の光に照らされた草花が緩やかな風に揺られているのを、意味もなく眺める。


「……今回の旅は、本当に楽しかったです」


 そうしていると、不意にルヴィリアが呟いた。レウルスは横目でルヴィリアを見るが、ルヴィリアはレウルスを見ていない。ただ遠くを、満月に照らされた平原を眺めるだけだ。


「自分の足で街道を歩いて、夜は焚き火を囲んで料理を食べて、夜空の下で眠って」


 ルヴィリアの口から語られるのは、以前の焼き直しだった。ただし、今日は言葉が続けられる。


「国境を越えて他の国に行って、グレイゴ教徒に襲われて、ユニコーンや『首狩り』という上級の魔物に会って」


 途中から楽しい思い出とは言えなくなったのか、ルヴィリアの声色が少しだけ沈む。しかし、言葉を紡ぐルヴィリアの顔は間違いなく笑顔だった。


「五年、六年と苦しんでいた体の不調もなくなって、無事に旅が終わりそうで……こんな経験、他の貴族の女の子だと絶対にできないですよね」


 相槌を打とうとしたレウルスだったが、何も言わずにルヴィリアの言葉に耳を傾ける。するとルヴィリアはそのまま上体を倒し、草原に寝転んでしまった。挙句の果てにその場で背伸びを始め、心地良さそうな声を漏らす。


「ああ……見てください、月が綺麗ですよ。丸くて大きくて、本当に綺麗……」

「そういう行儀の悪いこともできそうにないよな……貴族ってのは」


 この時ばかりは敬語をやめてレウルスが答える。するとルヴィリアは嬉しそうに微笑み、夜空の満月を見つめた。


「月は町の中でも見れますけど……焚き火以外明かりがない夜の怖さも、アネモネ以外親しい人間がいなかった心細さも、上級の魔物の恐ろしさも……きっと、知りようがないんですよね」


 そう話すルヴィリアだが、その声に負の感情は宿っていない。満月を見上げたまま、口元を綻ばせている。


「夜空がこんなにも綺麗なことも、ほとんど知らない人達と少しずつ打ち解けていく楽しさも、恐ろしい魔物を倒せる人の凄さも……きっと……きっと、忘れられません。一生、忘れません」


 そこで初めて、ルヴィリアがレウルスに視線を向けた。


「わたしを守ってくれた人がいたことを、わたしの体を治すために上級の魔物を倒してくれた人がいたことを……わたしはずっと、忘れません」


 それが仕事だったから――と答えるのはさすがに無粋だろう。


 返答に困ったレウルスは、ルヴィリアに倣うようにして草原に寝転がった。ルヴィリアの言う通り、丸くて大きな満月が綺麗だった。


「今、仕事だったから……なんて言おうとしました?」

「……さて、なんのことやら」


 クスクスと笑うルヴィリアに、レウルスは何とも言えない気分になる。どうやらこれまでの旅で性格を見抜かれてしまったようだ。


 二ヶ月半という旅の期間を長いと見るか、短いと見るか。ある程度性格を見抜かれるのも仕方がないと苦笑したレウルスは、話の矛先から逃げるように懐に手を入れる。


「これが最後の機会だっていうのなら、丁度いいか」


 そう言ってレウルスが取り出したのは、アクシスから渡された純白のミサンガである。レウルスは上体を起こし、更にルヴィリアの右手を取って身を起こさせると、その手首に手早くミサンガを巻いた。


「これ、快気祝い……って言うと味気ないな。贈り物だ」


 ルヴィリアに渡せとは言われたが、タイミングが掴めずにいたため今になってしまった。そう苦笑するレウルスに、ルヴィリアは小さく目を見開く。


「ミサンガ……だと通じないか。ユニコーンの毛で織られた腕飾りでさ、頑丈だし、ちょっと魔力を感じるし、良かったら使ってくれよ」


 アクシスがわざわざ渡してきたのだ。ただの装飾品ではないだろう。どんな効果があるかはわからないが、無意味とは思えない。


 ルヴィリアはレウルスの行動に目を見開いたまま硬直していたが、ゆっくりとその視線が純白のミサンガに移動した。そして左手でそっと触れると、優しい手つきで撫でる。


「あ……あり、がとう……ございます……」


 そう呟くルヴィリアの顔は、月夜にもはっきりとわかるほど真っ赤だった。肌の色が白いからか耳まで真っ赤になっており、それを見たレウルスは所在なさげに頬を掻く。


「えっと……その、ですね……贈り物をもらうのは初めてではないのですが、“こういった形”でもらうのは初めてといいますか……嬉しいのは初めてといいますか……」


 ごにょごにょ、と意味のない呟きを漏らすルヴィリア。


 レウルスとしてはアクシスから渡すように言われた物を渡しただけで、そのような反応が返ってくるのは本当に困ってしまう。


「ただでさえ恩が積み重なっているのに……うぅ……ちょ、ちょっと待ってくださいね!?」


 ルヴィリアは慌てた様子で、転がるようにしてレウルスから距離を取ると、真っ赤に染まった顔色を落ち着けるためか頬を摩り始めた。もちろん、そんなことで顔の色が落ち着けば苦労はしない。


「も、もう少し後か、前なら良かったのに……でもでも、明日になれば……贈り物をもらったからって思われないかしら……」


 小声で呟くルヴィリアだが、レウルスの耳にはしっかりと届いている。そのため気まずく思うレウルスに対し、数度深呼吸したルヴィリアが振り返り、立ち上がって歩み寄った。


 ただし、その顔は相変わらず真っ赤である。


「ほ、本当はもっと、もっともっと、話したいことがあった……ん、です、が……もう本題に……うぅ……」


 徐々に言葉が弱くなるルヴィリア。その視線は激しく彷徨っており、右に左にと忙しなく動いている。


 それでも更に数度深呼吸をすると、ある程度の落ち着きを取り戻した。


「わたしとしても、えっと、本当にこれが“そう”なのかわかりません……わかりませんが、でも、きっと、そうなんだと思います」


 そう言いながら、ルヴィリアは服の裾を両手で握り締める。その顔は桜色に染まっており、レウルスを見る瞳は潤んでいる。


 そこにはヴェルグ子爵家の次女ではない、ルヴィリアという一人の少女がいた。


「――わたしは貴方に恋をしました」

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