第300話:帰路
『首狩り』を倒したレウルスが目を覚まし、ルヴィリアの治療が終わって五日の時が過ぎた。
ルヴィリアに関しては治療を終えてから二、三日様子を見れば良いという話だったが、一応の用心として五日の時間をかけたのである。
その甲斐もあったのか、あるいはアクシスの治療が完璧だったのか、ルヴィリアに変調はない。治療を受けた際に消耗した体力も取り戻し、万全と呼べる状態だった。
「……体が自由に動くというのは、本当に素晴らしいことだったんですね」
経過を観察したアクシスからも健康体だと太鼓判を押されたルヴィリアは、自分の体を見下ろしながら感慨深そうに呟く。
ルヴィリア曰く、体調が良い時でも体の芯に存在していた疲労感が抜けているらしい。これほど体が快調なのは数年ぶりで、幼い頃に戻ったようだと笑顔を浮かべていた。
既に出発の準備は整っており、あとはリルの大森林を後にするだけである。そのため、レウルス達はアクシスと別れの言葉を交わしていた。
「アクシス様には本当にお世話になりました。何かお礼ができれば良いのですが……」
そう言ってアクシスに頭を下げるルヴィリア。その後ろではアネモネも頭を下げているが、何度もセクハラされたことは脇に置き、心底から感謝の念を向けているように見える。
「なに、礼はこちらの提示した条件を達成したレウルスに言うんじゃな。その上で何か礼がしたいというのなら……どうじゃ、儂の子を産んでみんか?」
「それはお断りさせていただきますね」
初めて会った時のようにセクハラを行うアクシスだったが、ルヴィリアは笑顔を浮かべたままでばっさりと切って捨てた。そこには深窓の令嬢然とした儚さだけでなく、芯の強さが覗き始めている。
「残念じゃのう……ま、“人の世”で生きるなら止めはせんよ」
「ふふ……それは違いますよ、アクシス様。わたしはようやく、“今から”人の世で生きられるようになったのです」
「カカッ、それもそうか」
ルヴィリアの返答の何が面白かったのか、アクシスは満足そうに頷く。しかし少しだけ真剣な表情を浮かべると、頭を下げたままのアネモネに視線を向けた。
「儂は人の世に必要以上に関わる気はないが……“ソレ”の扱いには注意するんじゃな」
「……心得ておきます」
アクシスの言葉を受け止めたアネモネは、懐にしまっていた硝子の小瓶を服の上から握り締めた。
アクシスがルヴィリアを治療するにあたり、ルヴィリアの体から出てきた毒素の塊――無味無臭にして無色の液体が小瓶に入っている。
『解毒』で毒を消すのではなく、ルヴィリアの体から毒素を“引っこ抜いた”ことで手に入ったのだ。並の治癒魔法の使い手では成し得ない、治癒魔法に関しては白龍に匹敵すると言われているユニコーンだからこそできた離れ業だった。
「それじゃあ爺さん、そろそろ行くわ」
そうやって頭を下げているルヴィリアやアネモネとは異なり、レウルスは実にあっさりとした挨拶の言葉をかける。
「うむ。近くに寄ることがあればまた顔を出すと良い」
「住んでる場所が遠いし、さすがにもう一度来るのは難しいんじゃねえかな……ま、その時は寄らせてもらうよ」
ヴァーニルならばヴェオス火山に住んでいるため会いやすいが、再び国境を越えてリルの大森林まで赴くようなことがあるかはわからない。そのため確約しかねたが、未来のことはわからないためレウルスは軽く頷いた。
「お嬢ちゃん達も元気でな。儂のところに嫁いでくるならいつでも歓迎するぞい?」
そう言ってアクシスがエリザ達に視線を向けると、エリザは表情を歪める。
「絶対に嫌。記憶の中のおばあ様の口調が変になりそうだし、見境なく『儂の子を産んでみんか?』なんて言い出す人は絶対に嫌。わたしも喋り方に苦労しそうだし絶対に嫌」
「絶対に嫌って三回も言われてしまったのう……」
エリザの冷たい反応に、アクシスは肩を落とした。
「えー、やだー。わたしがお爺ちゃんについていったら、誰がレウルスのためにお肉を焼くのよ?」
「千年以上生きてきたが、一番衝撃的な断り文句じゃなっ!?」
サラは心底不思議そうな顔で断り、肩を落としていたアクシスは驚愕で目を見開く。
「……やだ」
「端的に断られてしもうたか……」
サラに続き、ネディもあっさりと断る。
「えっと……ボクもその、嫌かなぁって……」
「一番大人しいように見えて、一番心にくる断り方じゃな……」
ミーアは申し訳なさそうに断るが、アクシスとしてはその断り方が一番堪えたようだ。
そんなやり取りを見ていたレウルスは苦笑を浮かべ、馬車を曳く馬に馬具を装着していたコルラードに視線を向けた。
「コルラードさんからは何かないんですか?」
「吾輩、この御仁とまともに喋った記憶がないのだが?」
「儂は何も言うことがないぞ。名前も覚えていないしのう」
「最後まで理不尽である!」
どうやらアクシスは最後までコルラードの名前を覚えなかったようである。そのためコルラードが怒りの声を上げるものの、アクシスが相手では意味がないと悟ってすぐに冷静さを取り戻した。
そうやってひとしきり騒いだレウルス達だったが、出発を遅らせるとその分帰国するのが遅くなる。そのため挨拶もそこそこに、リルの大森林を後にしようとした。
「レウルス」
「ん? っと、なんだこれ?」
馬車の殿を務めていたレウルスが名前を呼ばれて振り返ると、アクシスが白い物体を投げ渡してきた。それを危なげなく受け取ったレウルスは、手元に視線を落とす。
それは白い毛で編まれた、ひも状の輪っかだった。おそらくはアクシスが『変化』する前――ユニコーンの毛で織られたものだろう。
軽く引っ張ってみるが非常に頑丈そうで、千切れる様子は微塵もない。
(こういうのって名前があったよな……えっと……ミ、ミ、ミサイル……じゃなくて……)
そうだ、ミサンガだ、と前世の記憶を掘り起こすレウルス。腕や足につける装飾品の一種だったはずである。
「“お主には必要ない”ものじゃが、厄介な魔物を倒してくれたんじゃ。餞別として持っていけ。あとでルヴィリアのお嬢ちゃんに渡してやると良い」
「……爺さんがこの場で直接渡せばいいんじゃないか?」
何故自分に渡すのかと不思議に思うレウルスだが、アクシスは苦笑を浮かべて追い払うように手を振る。
「年長者の言うことは聞いておくものじゃぞ? なに、悪いようにはならんはずじゃ」
「千年以上生きてる爺さんからすれば大抵の相手は年少者だろうに……」
「だからこそ、じゃ。儂からの手向けよりも、お主からの方があの娘も喜ぶじゃろ」
苦笑を浮かべたままだが、アクシスの声色はどこか真剣だった。そのためレウルスは腑に落ちないものを感じながらも頷きを返す。
「それじゃあそうするよ……じゃあな、爺さん。何歳まで生きるのか知らないけど、元気でな」
「うむ……お主も壮健でな」
そんな言葉を最後に交わし、レウルスはアクシスに背を向ける。アクシスは何か思うところがあるのかレウルス達を見送り、その姿が見えなくなるまでその場を動かなかった。
「さて、森に帰るとするかのう……あっ」
そうしてどれほどの時間が経ったのか、アクシスは踵を返してリルの大森林に足を向ける。しかしすぐさま間の抜けた声を漏らし、音が立つ速度で背後を振り返った。
「しまったのう……レウルスに話しておこうと思ったことがあったのに、すっかり忘れていたわい……儂もそろそろボケる歳かのう」
そう言って頭を掻くと、アクシスの姿がユニコーンへと変わる。
『まあ、コモナの奴と話をしたと言っておったし……あやつが近くにいるのなら問題はないじゃろ』
そしてレウルス達が去った方向に視線を向けながら呟き、リルの大森林へと姿を消すのだった。
マタロイへと帰る旅は、リルの大森林へ向かう時と比べて非常に順調だった。
ルヴィリアが体調を崩すこともなく、グレイゴ教徒に襲われるようなこともなく、強力な魔物が襲ってくることもなく、野盗に襲われることもない。
むしろレウルスが魔力の補充をしようと魔物に襲い掛かっていたぐらいで、帰路の旅は順調そのものだった。
行き道で一度通った場所を進むだけで良い、というのも旅が順調な理由だろう。
帰路では進路上に存在する町で精霊教の教会に寄り、立つ鳥跡を濁さずと言わんばかりに情報をばら撒くのも忘れない。
旅の目的として掲げていた『祭壇』は見つからなかった、リルの大森林は危険で長い期間滞在して調査することはできなかった、などと話し、マタロイに帰還する不自然さを極力消していく。
サラが探ったところ、行き道のように監視の兵士がついてくることはなかったが、情報を集めればある程度の動きは掴める。そのため世話になった教会では怪しまれないように堂々と、『祭壇』探しに失敗したと伝えた。
声高に宣伝すれば怪しまれるため、兵士が事情聴取のために教会を訪れれば伝わる程度の塩梅が丁度良いとはコルラードの談である。
町では周囲を警戒しながらも買い物を楽しみ、レウルス達は土産物を物色する余裕すらあった。
そうやって旅をすること一ヶ月。
行き道と違って予定通りに進んだレウルス達はマタロイとラパリの国境を越え、ヴァーニルの縄張りに踏み込まないよう注意しながらヴェオス火山を迂回し、翌日にはラヴァル廃棄街に到着するだろうというところまで進む。
『駅』で一晩を明かし、早朝に出発すればその日の夕方にはラヴァル廃棄街に到着する予定である。
もちろん、ラヴァル廃棄街に到着する瞬間まで気は抜けない。レウルスはいつものように不寝番を務め、何かあれば即座に対応できるよう気を張っていた。
ただし夜空は晴れ渡り、丸い月が顔を覗かせている。焚き火がなくとも周囲が見渡せるほどに月明かりが強く、魔物や野盗の襲撃には向かないだろう。
風もほとんど吹いておらず、本当に良い月夜である。
「レウルス様――少し、お話をしませんか?」
そして、柔らかい満月の光に誘われたのか、あるいは元々そうするつもりだったのか。
レウルスは儚げな笑顔を浮かべたルヴィリアから“夜の散歩”に誘われたのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、お気に入り登録や評価ポイントをいただきましてありがとうございます。
今回の更新でプロローグを除いて300話となりました。
もう300話というべきか、まだ300話というべきか悩むところではありますが、ここまで拙作が続いているのも拙作を読んでくださる方々のおかげです。
そろそろ7章も終わり、次の章に移るかと思います(多分3~5話ぐらいで)。
また間に閑話を挟むかもしれませんし、遅々とした進みの物語ではありますが、気長にお付き合いいただければ嬉しく思います。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。