第294話:『魔物喰らい』と『首狩り』 その3
薙ぐように振るった刃を、『首狩り』はより姿勢を低くすることで回避する。
振り下ろされた刃を、『首狩り』は左右に動くことで回避する。
ならばと掬い上げるように切り上げた刃を、『首狩り』は瞬時に後退することで回避する。
それまで攻撃に使用していた両腕を地面につけて駆けるようになった『首狩り』は、レウルスが繰り出す斬撃を次々に回避していく。
獣ならば、二本足よりも四本の足で駆ける方が速いのも道理だ。そちらの方が“自然”なことで、今まで二足歩行で行動していたことが異常なのである。
「シャアアアアアアアアアアアァッ!」
大振りでは当たらない。今までもそうだったが、四足で駆ける『首狩り』には生半可な斬撃では届かない。
そう強く実感したレウルスは回避されるのに構わず、雨霰と斬撃を繰り出した。『熱量解放』によって底上げされた膂力を使い、最早斬撃の壁とでも評すべき密度で剣閃を奔らせていく。
――だが、当たらない。
速度もそうだが、両腕を移動に使うようになった『首狩り』は左右への方向転換もスムーズで、レウルスが繰り出す斬撃の全てを手品のように回避してみせる。
走りやすいよう爪を短いものに変えた『首狩り』は、それまでと比べて攻撃の間合いが短い。そのため二メートル近い『龍斬』を小枝のように振り回すレウルスの懐に飛び込めず、ひたすら回避する形になっている。
一方が攻め、一方が回避を続けるという現状。“普通ならば”疲労によって動きが鈍りそうだが、レウルスも『首狩り』も止まらない。
レウルスは威力を落とす代わりに剣を振る速度を上げていき、『首狩り』は無駄な動きを削ってそれに対応していく。
無論、威力を落とすといっても『龍斬』の切れ味ならば当たるだけで腕の一本は飛ぶ。一撃で即死させるのではなく、相手の戦力を削ぐために手傷を負わせようとしているのだ。
レウルスにとって『首狩り』の脅威はその速度にこそある。そのため腕なり足なりを斬りつければ速度も落ち、いずれは回避できなくなるだろうと踏んでいた。
(くそっ……やりにくい)
しかし、四足で駆ける『首狩り』に向かって『龍斬』を振るいながらも、レウルスの内心には少しだけ焦りがあった。
斬撃を回避され続けることに関しては、まだ諦めもつく。それを可能とするだけの速度があり、当たれば腕の一本はもっていく斬撃の嵐に飛び込み続ける度胸が『首狩り』にあるからだ。
技術ではなく速度と身のこなしだけで回避され続けるのは思うところがあるが、その一因はレウルス側にあった。
両手を地面につけて動き回る『首狩り』は、“それまで”と比べて剣を振る方向が限定される。二本足で立っていた時はどの方向から斬撃を繰り出しても当たっただろうが、今はレウルスの腰よりも低い位置で高速に動いているのだ。
有効なのは振り下ろすか切り上げるか、あるいは斜め下に向かって剣を薙ぐかの三パターンである。突くという手もあるが、『首狩り』との速度差を考えると自殺行為だろう。
目まぐるしく移動する『首狩り』が近づけないよう斬撃を繰り出すレウルスだが、それができるのはコルラードとの訓練の賜物だった。しかし同時に、相手は“型にはまった”剣術ではどうにもならない相手である。
「っ……」
故に、レウルスはわざと隙を晒した。剣を振るい続けた疲れが出たと言わんばかりに、一度だけ剣を斬り返す速度を落とす。
『キャカカッ!』
すると次の瞬間、それを待っていたように『首狩り』が動いた。両腕両足の筋肉を隆起させ、弾丸のような速度でレウルスの首を刎ね飛ばすべく飛び込んでくる。
「ぐっ!?」
その行動は予想通りである。だが、予想外のことがあるとすれば、全身をバネのようにして飛び込んできた『首狩り』の一撃が重かったことか。
首を薙ごうと振るわれた右の爪を『龍斬』で受け止めるレウルスだが、勢いに押されて両腕が跳ね上げられる。それを見た『首狩り』は即座に左の爪を振るい、レウルスの首を刎ねようとした。
「ウ――オオオオオオオオォォッ!」
両腕が跳ね上げられた時点で、レウルスは上体を後ろに倒していた。むしろ跳ね上げられた勢いを利用し、首を狩ろうとしていた『首狩り』の腹を真下から膝で蹴り上げる。
『ギッ!?』
毛皮と筋肉に覆われている『首狩り』だが、不意を突くような膝蹴りはそれなりに堪えたのだろう。短い悲鳴を上げながら僅かに体が浮き上がる。
(斬る……には近すぎるかっ!)
膝蹴りを叩き込んだ勢いで、今度は上体を起こす。それと同時に跳ね上げられた『龍斬』を握る両手に力を込め、柄頭で『首狩り』の頭部を横から殴りつけた。
『首狩り』は頭部を殴られたことでたたらを踏み、その隙をレウルスは逃さない。
密着しそうなほど至近距離に『首狩り』がいることに構わず、体を捻じって『龍斬』を振るった。
剣で斬るというよりも、剣で“こする”ような一撃。いくら『龍斬』の切れ味が凄まじいといっても、刃筋を立てる暇もなく力任せに『首狩り』の腕を千切り飛ばそうとする。
『ッ!』
しかし『首狩り』の反応も速い。
身の危険を感じたのか頭部を揺らされたことに構わず後退し、大きく距離を取ろうとした。レウルスの首を刎ねるべく跳び上がっていた『首狩り』は後ろ足だけで地面を蹴り、レウルスから身を離そうとする。
「ガアアアアアアアアアアァッ!」
腹部と頭部への打撃が効いているのか、『首狩り』の速度も少しだけ落ちていた。そのためレウルスは『龍斬』を振り切った状態で前へと踏み込み――そのまま、踏み込んだ左足で『首狩り』の右足の甲を踏みつける。
本来は『龍斬』を使うレウルスの方が間合いが広いが、敢えて飛び込む。それこそ『首狩り』の爪が届かないほどの至近距離へ、迎撃の危険性を冒しても踏み込む。
ついでに足を踏んで後退を邪魔したのは、『首狩り』の意表を突くためだ。現に『首狩り』はレウルスの動きに驚いた様子である。後退しようとしたところで足を踏まれ、上体だけが泳いでいた。
その隙に、レウルスは腰の裏に差していた短剣を抜いた。そして『首狩り』が驚きから脱するよりも速く、短剣を右の太腿に突き込んだ。
『龍斬』ほどの切れ味はないが、ドワーフが作って『強化』の『魔法文字』が刻まれた短剣は相応の鋭さがある。レウルスの膂力と相まって、三十センチほどある刀身が『首狩り』の太腿に深々と刺さった。
『ギイイイイィィィッ!?』
その激痛に『首狩り』が悲鳴を上げる。そして激痛から逃れるように、レウルス目掛けて爪を振るった。
それに気付いたレウルスは即座に短剣の柄から手を離し、後方へと跳ぶ。地面に生い茂る草を踏み躙りながら着地し、『龍斬』を構え直す。
(危ないところもあったが、隙を晒しただけの価値はあった……か)
『首狩り』の攻撃が予想よりも強力だったため少しばかり焦ったが、結果としては上手くいった。短剣を深々と太腿に突き刺したため、機動力も落ちるだろう。
レウルスはそう判断し、一度だけ大きく息を吐く。これで機動力が落ち、仮に逃げようとしても追いつけるだろう。これまでと比べれば戦いやすいはずだ。
博打を打つ価値はあった。『首狩り』の太腿に突き刺した短剣の手応えを思い返しながら、レウルスは意識を集中させていく。
『キ、キ……ギギギギギギ……』
『首狩り』もレウルスから距離を取ると、唸り声を上げながら自身の右脚に向けた。そして柄まで埋まっている短剣に手を伸ばし、一瞬だけ躊躇してから一気に引き抜く。
『ギギイィィッ!? ギャ、ガ、ギ……』
当然ながら、刺さっている短剣を抜けば激痛が走る。刺さったままでも痛いだろうが、引き抜けば痛みに加えて出血もする。
『熱量解放』を使っている時のレウルスは無縁に近いが、そうやって痛がるのも隙につながる。
「オオオオオオオオォォッ!」
痛みに意識が向いた瞬間、レウルスは動いていた。とどめを刺そうと踏み込み、両断すべく大剣を振り下ろす。
『首狩り』は傷を負った右脚を庇うように、右に跳んだ。両腕と左の後ろ脚だけで地を駆け、レウルスの斬撃を回避する。
だが、その動きは今までと比べて遅くなっていた。動く度に痛みが走るのか、二本足で移動していた時と比べても遅い。それでも三本足で器用に駆けるのは魔物としての習性なのか。
『ギギ……ガアァァッ!』
一体何を思ったのか、レウルスから距離を取った『首狩り』は傷を負った右の後ろ脚に力を込めた。するとそれまで傷口から吹き出すようにして溢れていた血の量が減り、僅かな時間で微々たるものへと変わる。
(まさか、筋肉を締めて傷を塞いだのか? 出鱈目だな……)
どのような体をしているのか、筋肉を隆起させて傷口を締め付け、出血を減らしたようだ。もちろん傷が治ったわけではないため、動くなり力を抜くなりすれば再び出血が酷くなるだろう。
それでも、足に深手を負わせたことでレウルスが優位に立った。『首狩り』の武器だった速度さえどうにかなるのなら、いくらでも戦いようがある。
勝機が見えたレウルスだが欠片も油断はしない。互角以上に渡り合えているが、相手は上級に数えられる魔物なのだ。
(動きを確かめて、仕留められるなら仕留める……“それだけ”だな)
背中を向けて逃げ出してくれるのなら、逆に楽なのだが。足に深手を負わせて速度が落ちたならば、追いついて斬れるだろうとレウルスは思考する。
『――イタイ』
そして、そんなレウルスの思考を遮るように『首狩り』が呟いた。
レウルスの聞き間違いでなければ、痛いと。苦痛を訴えるように『首狩り』が呟く。
『イタイ……イタイ、イタイ、イタイイタイイタイイタイイタイ』
壊れた蓄音機のように、痛いと繰り返す『首狩り』。その姿に言い知れぬものを感じたレウルスは、言葉に構わず地を蹴った。
油断はしないが、嬲るつもりもない。一撃で仕留めようと『龍斬』を振りかぶり、縦に両断すべく頭蓋目掛けて刃を振り下ろす。
『首狩り』に目立った動きはない。斬撃を回避する様子もなく、爪で防御しようともしない。
レウルスはそれを少しだけ訝しく思いながらも、振り下ろした剣は止まらない。怪我がなくて万全だろうと、どんなに速かろうと、回避が不可能という状態になってようやく『首狩り』の爪が動いた。
「――っ!?」
そして、これまでにないほどの“嫌な予感”を覚えたレウルスは、咄嗟に剣の軌道をずらしながら真横に転がっていた。
それは反射的な行動で、地面に転がってから自分の行動に気付いたほどである。レウルスは何故自分がそんな行動に出たのかを疑問に思いながら跳ね起き――そして見た。
「なん、だ……?」
レウルスが剣を振り下ろしていれば首が通っていたであろう場所――空間が僅かに“ズレている”。
一本の糸を宙に引いたように風景がズレているのだ。見間違いかと目を凝らすレウルスだが、それを否定するように風景が陽炎のように揺らぎ、元に戻る。
――アレは危険だ。
首の裏が焦げ付くほどの危機感を覚えながら、レウルスは『龍斬』を構え直すのだった。