第293話:『魔物喰らい』と『首狩り』 その2
『首狩り』との間に開いた距離は、およそ十メートル。
レウルスは『龍斬』を構えたままで静かに気息を整え、相手の動きを待つ。
通常ならば距離が開いているといえるが、レウルスにとっても『首狩り』にとっても、一歩で距離を詰めて必殺の間合いへと変えられる距離だ。
『キキキキ……』
それまでは駆け回っていた『首狩り』だが、足を止めて威嚇するように唸り声を上げる。その視線はルヴィリアではなくレウルスに向けられており、赤い瞳には敵意が色濃く宿っていた。
「ハッ……良い面構えになってきたじゃねえかよ、オイ」
殺気ではなく“敵意”を感じ取り、レウルスは鼻で笑う。
その目を見れば、嫌でもわかる。それまでも殺気という名の敵意を向けられてはいたが、今は違う。
執着する獲物へ向かうのを妨げる邪魔者ではなく、明確な敵として自分を見ているのがレウルスにはわかった。
レウルスとしては、『首狩り』に選択されると厄介な戦い方が二つほどある。
一つはルヴィリアを襲うために、速度に物を言わせて移動されること。
これは立ち回り次第でどうとでもできるが、一瞬の油断、一瞬の判断ミスも許されなくなる。アネモネが傍にいるとはいえ、一度の突破がルヴィリアの死を招きかねないのだ。
そしてもう一つは、『首狩り』が持久戦に徹することだ。
『首狩り』は『熱量解放』に関して詳細を知らないが、仮に持久戦を選択されていればほぼ確実に敗北していただろう。魔力は貯めるだけ貯めているためすぐに尽きることはないが、『熱量解放』を使い続ければその分魔力も消耗する。
十分はもつが、二十分はもたないだろう。一対一の戦闘でそこまで長引くのは稀だが、持久戦を選択された時点でレウルスの方から攻勢に出る必要が生まれてしまう。
あとはレウルスの力を知ったことで『首狩り』が逃げるという未来もあり得たが、幸か不幸か、『首狩り』はレウルスを敵と定めたようだ。
これならばルヴィリアよりも先に自分を殺そうと躍起になるに違いない。そう判断したレウルスは瞬きの瞬間にすら注意しながら『首狩り』と対峙する。
『キキッ……キメタ。クビ、モラウ』
そう言いつつ、『首狩り』はレウルスを睨んだ。浅いとはいえ傷を負わせたからか、あるいは“自慢のコレクション”を切断して地面に落としたからか、敵意だけでなく殺気や憤怒といった感情も見て取れた。
「そうか……俺はお前の首はいらんぞ。肉は喰って革は剥いで持ち帰るけどな……いや、素材になるなら首ももらって帰るが」
『…………』
『首狩り』が首を取ると宣言すれば、レウルスは普段通りに答える。そんなレウルスの返答に何を思ったのか、『首狩り』は無言で爪を構えた。
そして“首の輪”がなくなったことで多少軽くなった体を慣らすように、地面を爪先で蹴る。
そして、『首狩り』の姿が消えた。
「ッ、オオオオオオォッ!」
眼前に迫った右の爪を、『龍斬』で弾く。それを見越していたように放たれる左の爪も、大剣を操って弾く。
その一撃一撃が、先ほどよりも僅かに速い。交互に振るわれる左右の爪がレウルスに迫るのは、ほぼ同時である。
それをレウルスは弾く。必要最小限の動きで、弾いて逸らす。
だが、『首狩り』は止まらない。先ほどまでの戦いの焼き直しのように、速度に頼って次々に連撃を繰り出してくる。
駆ける速度で翻弄するのではなく、手数を優先した乱打戦。『首狩り』の屈強な肉体から放たれる左右の連撃は速度を優先していてもそれなりに重い。
「ガ――アアアアアアアアアアァァッ!」
レウルスは咆哮し、その全てを弾く。瞬きをする余裕もなく、ひたすらに弾いていく。
弾いたついでに斬りかかりたいが、防御から攻撃に転じるよりも先に次の攻撃が飛んでくる。
攻撃自体は単調なためレウルスでも余裕をもって弾くことができる――が、ただただ速い。
『キャカカカカカカッ!』
それまで両手の爪を振るっていた『首狩り』が、残像を残すような速度でレウルスの真横へと移動する。それまでの攻防で『首狩り』の動きに慣れ始めていたレウルスの予測を外すような動きだ。
だが、“それ”はレウルスも織り込み済みである。コルラードの訓練で、散々やられた手だ。
「シイィッ!」
それまで防御のために振るわれていた『龍斬』を、『首狩り』の動きを追うようにして真横へと薙ぐ。もしもルヴィリアの方へ向かおうとするのなら、背中から真っ二つにすると言わんばかりに殺気を叩き付ける。
『首狩り』は慌てた様子でその場にしゃがんで斬撃を回避すると、地面を踏み台にしたかのように反発し、真下から切り上げる軌道でレウルスの首目掛けて爪を振るった。
これまでとは異なる軌道で迫る五指の刃を、レウルスは僅かに身を引くことで回避する。その際爪に掠めた赤髪が僅かに宙を舞ったが気にも留めず、横薙ぎに振るっていた『龍斬』を斬り返して『首狩り』の首を狙って振るった。
『キキッ!』
武器の間合いの違いがそうさせたのか、あるいはレウルスを真似たのか。『首狩り』は背後に跳んで斬撃を回避しようとする。
故に、レウルスは“そこ”を狙った。
跳んだ『首狩り』を追うようにして、魔力の刃を放つ。間合いを伸ばすように、『龍斬』ではなく魔力の刃で叩き切ろうとする。
『ッ!?』
だが、『首狩り』もそれで斬られるほど甘くはない。
レウルスの殺気を感じ取ったのか、魔力の動きから判断したのか、あるいはただの勘か。
両手の爪を交差させて魔力の刃を受け止め、そのまま霧散させる。
「……チッ」
舌打ちを一つ零し、レウルスは『龍斬』を構え直す。
これまで戦ったことがある上級の魔物と比べれば、『首狩り』は戦いやすい部類だろう。『龍斬』を過不足なく操れるようになった今ならば『城崩し』よりも若干上か、と彼我の戦力差を測る。
少なくともヴァーニルやスライムのように出鱈目な存在ではない。レウルス一人では手も足も出ないような、常識外の生き物ではない。
速度と爪の切れ味は非常に厄介だが、“それだけ”の話で――それでも仕留めるに至らないのは『首狩り』が自身の速度に見合った勘の良さも備えているからか。
(一撃の重さと手数のどちらを優先するかって違いはあるけど、俺と似たような戦い方だな)
距離を測る『首狩り』を前に、レウルスは内心だけで呟く。
武器も体格も異なるが、戦い方自体はレウルスと似ている部分がある。技術よりも身体能力に頼り、更に要所要所で勘に頼る戦い方だ。
コルラードに教えを請うたとはいえ、レウルスも『首狩り』のことを笑えるほど技術を修めているわけではない。だが、それでも一歩、二歩は先を進んでいる。
様々な技術を教わりはしたが、レウルスが気を付けていることは武器を大振りしすぎないことだけである。それだけでも『首狩り』と互角以上に渡り合うことができていた。
このまま戦いが続くのならば、遠からず仕留めることができる。そう断言できるぐらいには明確な差があった。
――このまま戦いが続くのならば、だが。
『キ――キャカッ、キャカカカカカカッ!』
レウルスと睨み合っていた『首狩り』が、不意に笑い声を上げる。それを何事かと不審に思うレウルスだったが、後手に回る理由もない。
笑い声を上げる『首狩り』目掛けて踏み込み、威力よりも速度を意識して『龍斬』を振り下ろした。
「……っ!?」
だが、掻き消えるようにして『首狩り』の姿が消える。それまでは目で追えていたというのに、視界の端ギリギリのところを黒い影が駆けたのを辛うじて捕捉するに留まる。
速度が更に上がった。それを脳が認識するよりも先に、レウルスの体が動いていた。
背後から迫る殺気に反射的に反応し、合わせるようにして『龍斬』を振るう。すると重い衝撃が両手に伝わり、レウルスは咄嗟にその場で踏ん張った。
(なん、だ……くそっ!)
『龍斬』が両手から弾き飛ばされそうな衝撃。それを無理矢理押さえ込んだレウルスだったが、姿を見せた『首狩り』は構わないと言わんばかりに再度姿を消す。
『熱量解放』を使ったレウルスの動体視力でも、辛うじてその残像が追える程度の速度。殺気自体は消えていないため全方位から殺気を向けられている気分になりながらも、レウルスは感じ取った殺気に合わせて『龍斬』を叩き付ける。
『キャカカッ!』
嘲るような、喜んでいるような、弾んだ声。そんな声をその場に置き去りにして、『首狩り』がレウルスの周囲を駆け回る。
まだ最速を見せていなかったのか。レウルスはそう考えて気を引き締めるが、僅かに見えた『首狩り』の姿に頬を引きつらせる。
それまで二足歩行で駆けていた『首狩り』が、いつの間にか両手を地面について四足で駆けているのだ。
剣と見紛うほどの長さがあった爪も短くなっており、走る際に邪魔にならないようになっている。
おそらくは、四足で動くのが『首狩り』にとっての最速なのだろう。見た目があまりにもアンバランスだったためレウルスも失念しかけていたが、相手は兎と思しき魔物なのだ。
(獣なら四本足で走った方が速いってのも道理か……)
『強化』や『熱量解放』のような魔法ではなく、走りやすい走り方で走る。『首狩り』が選んだのはそんな単純なことだったが、レウルスからすれば目を見張るほどに速度が増していた。
(何で最初からそうしなかったんだ……って、ああ、そうか。あの“飾り物”が邪魔だもんな)
本当に気に入っていたのか、“首の輪”が地面に擦れてしまわないよう気を付けていたのかもしれない。
そんなことを考えつつ、レウルスは『首狩り』の動きに注意を払う。
速度もそうだが、四本足で駆けているからか方向変換もスムーズだ。目にも留まらぬ速度で左右に動き、少しでも隙を見つけると即座に襲い掛かってくる。
「く……そっ!」
首元にまで迫っていた刃を弾き、レウルスは次の攻撃に備える。
レウルスとしては、少し前の自分を殴りたい気分だった。技量で勝るといっても、それだけで勝てるのなら苦労はしない。
おそらくは今の戦い方こそが最速で、『首狩り』にとっての最強なのだ。
それを感じ取ったレウルスは『龍斬』を構え直し、機先を制するべく駆け出すのだった