第292話:『魔物喰らい』と『首狩り』 その1
――目にも止まらない速さとは、このことか。
眼前で繰り広げられる戦いを目の当たりにしたルヴィリアは、自然とそんな感想を抱いていた。
「オオオオオオオオォォッ!」
『キャカカカカカカカカッ!』
咆哮と咆哮。そしてぶつかり合う金属音。
業物の刃と生物の爪がぶつかり合うにしては、些か以上におかしな音である。だが、“おかしい”のははたしてどちらか。
ルヴィリアの視線の先では、レウルスと『首狩り』の戦いが繰り広げられている。しかし両者共に足を止めて打ち合うことはなく、残像でも残りそうな速度で移動し、剣と爪をぶつけ合っていた。
アネモネと違って戦いに身を置いていないルヴィリアでは、レウルスと『首狩り』のどちらが優勢かはわからない。
力が拮抗しているのか時折足を止めて力比べをしている時もあるが、駆け出しては打ち合い、あるいは互いに互いの攻撃を避け、残響を置き去りにしながら忙しなく立ち位置を変えていく。
素人目に見ても、『首狩り』の速度は異常だ。何故あの巨体でそこまでの速度を出せるのか、不思議に思うほどである。
そして、そんな『首狩り』の動きについていき、なおかつ身の丈を超える大剣を振り回しているレウルスも異常だった。
「まさか、これほどとは……」
ルヴィリアと違ってレウルスと『首狩り』の戦いが見えているのか、アネモネが感嘆を込めて呟く。アネモネは何があってもルヴィリアを守れるよう身構えているが、その視線はレウルスと『首狩り』の戦いに釘付けになっているようだった。
「……そんなにすごいの?」
「当家の騎士団でも、打ち合えるのは一握りでしょうね。戦いに絶対はないので断言できかねますが……“一対一で”勝負になるのは、片手の指で足りる程度になるかと思います」
アネモネにそう言われ、ルヴィリアは消えるようにして駆け回るレウルスへと視線を向ける。
ルヴィリアは荒事に無縁の生活を送ってきたが、貴族の家に生まれた者として様々な人間を見てきた。
ヴェルグ子爵家に仕える騎士達と、騎士に仕える従士。更にはその下の兵士にいたるまで、戦いに身を置く者を多く見てきた。
身近なところでいえばアネモネもそうだ。兄であるルイスや従兄弟のカルロ、長年ヴェルグ子爵家に仕えているセバスなど、腕に覚えがある者は多い。
そんなルヴィリアから見ても、レウルスの戦いぶりは凄まじいものがある。素人だからこそ、純粋にそう思う。
下手すれば町の一つは滅びかねない上級の魔物を相手に一歩も退かず、互角に切り結ぶその姿。これまでの旅でも戦うところは見てきたが、これがレウルスの、『魔物喰らい』とあだ名される冒険者の実力かと感嘆する。
ルヴィリアからすれば、『首狩り』は非常に恐ろしい魔物だ。
ある程度距離があっても嗅ぎ取れる腐臭に、腹の底から震えそうになる禍々しい殺気。造形は最早悍ましいとしか言いようがなく、袈裟に懸けた“首の輪”など趣味が悪いにもほどがある。
そんな魔物に執着され、恐怖で眠れぬ夜を過ごすなど、これまでにもない経験だ。リルの大森林までの長旅もそうだが、貴族の子女が経験するにはあまりにも血生臭い。
貴族の子女の“戦場”もまた、醜く悍ましい側面が強い。それでもルヴィリアからすれば、上級の魔物を前にした恐怖と比べれば生温い。
「っ……」
ルヴィリアは恐怖を抑え込むように、服の裾を強く握る。
今、この場で命を賭けて戦っているのはレウルスだ。集中を乱すことになりかねないため、声をかけることも戸惑われる。
噛み殺した声を飲み込み、ルヴィリアはただじっと眼前の戦いを見つめる。
――助けてほしいと願い、任せろと応えてくれた。
故に、ルヴィリアにできることは、レウルスの勝利を願うことだけだった。
『熱量解放』によって加速する思考と視界の中、レウルスは『首狩り』の動きを見ながら瞬時に『龍斬』を振るう。
最初から全力で、それは敵を倒すまで変わらない。倒しきるか、魔力が尽きるか、あるいは攻撃を受けて死ぬか。そんな結末もあり得るが、今は止まるわけにはいかない。
獣らしいと表現するには些か奇形な『首狩り』は、そのアンバランスな外見に反して異常なほど動きが速い。
二メートル近い巨体で、『熱量解放』を使っているレウルスを振り切りかねない速度で移動するのだ。いくら魔法が存在する世界とはいえ、物理法則もあったものではないとレウルスは笑いたくなった。
『首狩り』の前に立ちふさがったレウルスだが、『首狩り』はルヴィリアだけを狙っているのか、レウルスを無視してルヴィリアを殺そうとしている。
レウルスが正面を塞げば左右に駆けて回り込もうとし、レウルスがその速度についていけば鬱陶しそうに爪を振るう。一瞬でも気を抜けば左右を突破されるか、あるいは首を刎ねられるか。
「オオオオオオオオオオオォォッ!」
振るわれる『首狩り』の爪を、レウルスの『龍斬』が迎撃する。風を切るどころか空間すら斬り裂けそうで、常に必殺になり得る斬撃を真正面から弾いていく。
『首狩り』からすれば自身の爪は切れ味が良すぎて体重を乗せる必要がなく、速度と手数を重視して振るうことができる。両手の爪を縦横無尽に振るえば、それだけで中級の魔物だろうとバラバラにすることができるだろう。
だが、レウルスには届かない。
霞むような速度で振るわれる『首狩り』の爪を弾き、あるいは受け止め、毛ほどの傷も負うことなく凌ぎ続ける。
相手の方が速いため、剣の振りは必要最小限で。それでいて押し負けないよう、力はしっかりと込める。そうすることで、『首狩り』の“斬撃”は凌ぐことができる。
(……なるほど……殺気が素直ってのはこういうことか)
速度で劣るレウルスだが、攻撃を凌げているのには理由がある。
『首狩り』の殺意があまりにも正直で、どこを狙っているかすぐにわかるからだ。
そしてそれは、以前レウルスがコルラードから指摘されたことでもある。
実戦でレウルスが実感できるほどに『首狩り』の殺気を見抜くのは容易で――“それだというのに”互角に切り結んでいるのは、それだけ『首狩り』の速度が異常だということだ。
『龍斬』だけを振るうレウルスとは異なり、『首狩り』は両手に爪を生やしている。それは二刀流の剣士を相手にしているのと大差なく、『首狩り』自身の速度と相まって回転しているミキサーの刃を弾いているようなものだ。
もちろん、レウルスとて『首狩り』が繰り出す斬撃の全てを弾いているわけではない。回避できるものは回避し、時には敢えて踏み込み、爪ではなく腕を受け止める。
受けるか弾くか回避するかが問われる一瞬の判断、一歩の踏み込み、剣を振るう力の強弱。そのいずれかが狂えば即死しかねない状況だった。
速さでは『首狩り』に劣り、膂力では上回り、そして技術では勝る。
付け焼き刃としか言えない短い期間だったが、コルラードから教わった技術が『首狩り』との戦いを拮抗状態に持ち込んでいた。
『首狩り』は殺気だけでなく、戦い方も素直だ。その優れた速度と両手の爪の切れ味に物を言わせ、怒涛のような連撃を繰り出してくる。
そんな『首狩り』と比べれば、少しとはいえ“練られて”いる。一手の打ち間違いで即死する状況でレウルスはそれを強く実感する。
『キキキキッ!』
そこで不意に、『首狩り』の動きが変化した。
それまではルヴィリアの元へ向かうのを邪魔をするレウルスを倒そうとしていたが、接近戦を嫌がるように距離を取る。そして速度に物を言わせ、大きく迂回してルヴィリアへ接近しようとした。
逃げるのではなく、ルヴィリアの元へ向かおうと思う辺り執着が凄まじいのだろう。だが、いくら迂回しようとレウルスが進路を塞ぐ方が速い。
「そんなんじゃあ抜けねえよ。後ろのお姫様に手を出したいんなら俺を殺していけ」
接近してくる『首狩り』に合わせて、レウルスが踏み込む。振るわれる左の爪を『龍斬』で弾き、挟み込むようにして振るわれる右の爪は更に一歩踏み込むことでただの打撃に変える。
「っ!?」
超至近距離で『首狩り』と向き合った瞬間、その巨大な口が開かれた。そしてレウルスの首元目掛けて鋭利な牙を突き立てようとする。
「オラアアアァッ」
『ギッ!?』
眼前に首狩りの顔が迫ったため、レウルスは踏み込んだ勢いもそのままに鼻づらへと頭突きを叩き込んだ。その際開かれた口から覗く牙が頬を深く切り裂いたが、“そんなもの”ではレウルスは止まらない。
互いに剣も爪も振れないため、レウルスは『龍斬』から離した左手で『首狩り』の目を狙う。いくら動きが速くても、視界を潰せばどうとでも料理できるのだ。
だが、さすがに目潰しを喰らうほど『首狩り』も間抜けではない。慌てた様子で背後に跳んで回避し――そこはまだ、レウルスの間合いの中だった。
「シャアアアアアアアアァァッ!」
退いた『首狩り』を追うようにして踏み込み、下段に構えた『龍斬』を切り上げる。股下から真っ二つに切り分けるつもりで、剣閃を奔らせる。
『ギィッ!?』
『首狩り』から苦悶の声が漏れるが、レウルスが剣を振っている間にも距離を離していたのか手応えが浅い。それでも『首狩り』の胸部に傷が刻まれた。
レウルスはそれで満足せず、更にもう一歩踏み込む。切り上げた刃を返し、今度は頭から叩き切るつもりで振り下ろす。
『キキキッ……キキ?』
しかしさすがに二度目はない。『首狩り』は瞬時に後退してレウルスの斬撃を回避し――そこで違和感を覚えたように首を傾げた。
そんな『首狩り』の仕草にレウルスは眉を寄せたが、何を気にしているのかすぐさま気付く。それまで『首狩り』が袈裟懸けに身に着けていた“首の輪”が、一連の攻防によって千切れ、地面に落ちていたのだ。
『キ……キキキキキキキッ!』
それに気付いた『首狩り』は、怒りを滲ませた鳴き声を上げた。両腕を振り回し、地団駄でも踏みそうな様子で牙を噛み鳴らす。
レウルスはそんな『首狩り』の姿を眺めながら、頬を伝う己の血を舐めた。頭突きを敢行したことで左頬が深く斬れているが、口内に達するほどではない。放っておいても短時間で治るだろう。
だが、近付き過ぎたのは失敗だったと反省する。仮に爪を振るうのではなく腕を使って押さえ込まれていたならば、喉笛を噛み千切られていたかもしれない。
『首狩り』の戦闘経験の薄さによって救われた形になるが、相手の失敗に助けられるようでは命がいくつあっても足りないだろう。
(向こうも“余計な荷物”がなくなって身軽になる、か……ここからが本番だな)
牙を剥き出しにして威嚇する『首狩り』の殺気に応えるよう、レウルスも殺気を漲らせ――その口元は自然と吊り上がっていた。