第290話:『首狩り』 その5
「……アイツ、何のつもりだ?」
遠く、リルの大森林の木陰に佇むようにして視線を向けてくる『首狩り』に気付いたレウルスは、困惑したように呟いた。
こちらから探そうと思って歩き出してみれば、すぐさまその姿を見つけたのである。レウルスでなくとも困惑するだろう。
「爺さん、アイツがこっちを見てるんだが……」
歩き出した足を止めて引き返したレウルスは、『首狩り』から視線を外さないようにしながらアクシスへ声をかける。
「ふむ……これまでにない行動じゃのう。儂がいるというのに逃げず、こちらを観察するなぞどんな心境の変化があったんじゃ?」
アクシスも『首狩り』の行動が理解できないのか、首を傾げていた。
『首狩り』とレウルス達の間に存在する距離は、およそ百メートル。効果はないだろうが、魔法で狙おうと思えば十分に届く距離だ。
もちろん、『首狩り』でも斬れないようサラに全力で魔法を撃たせれば効果はあるだろう。だが、撃つよりも先に逃げ出すに違いない。
かといってレウルスが向かうにしても、百メートルという距離は少しばかり遠い。『熱量解放』を使っても三秒、エリザとサラの『契約』による強化だけならばその倍はかかる。『首狩り』ならば容易に逃げ出せるだろう。
「観察ねえ……何か気になるものでもあるのか?」
「さてのう……持久戦を仕掛けてくるような知能はないと思うんじゃが」
レウルスとアクシスは不思議に思いながらも、『首狩り』の様子を確認する。『首狩り』はレウルスとアクシスが視線を向けているにも関わらず、逃げる様子もない。
「爺さんなら間合いを詰めるのに何秒かかる?」
「お主と大して変わらんよ。それに、儂が動こうとしたら逃げるじゃろう」
いつでも『龍斬』を抜けるよう、適度に脱力しながらレウルスはアクシスと言葉を交わす。
味方の中で最も速いのがレウルスだ。そんなレウルスよりも若干とはいえ速度で勝ると考えれば、『首狩り』が襲ってくるのに二秒程度。気を抜く余裕もない。
「向こうから姿を見せたのはありがたいが、この状況は嬉しくないな」
「じゃな。お主やエリザのお嬢ちゃん達はともかく、ルヴィリアのお嬢ちゃんがもたんじゃろう」
ごく自然にコルラードを省いたアクシスだが、今更だったためレウルスもツッコミは入れない。コルラードならば早々に精神が疲弊することはないという信頼もあった。
「……レウルス、どうするの?」
レウルスが『首狩り』に視線を向けていると、少しだけ不安そうにしたエリザが声をかけてくる。レウルスは試しにと『首狩り』から視線を外してエリザを見るが、『首狩り』が動く気配はなかった。
「さて、どうしたもんか……向こうが逃げ出さないギリギリの距離まで近づいて、そこからは『熱量解放』を使って追いかけてみるか?」
距離が離れているのなら、こちらから縮めれば良い。レウルスはそう考えたものの、エリザは眉を寄せる。
「多分、相手は森の中に逃げ込むと思うけど……戦い難くない?」
「それなんだよなぁ……アレを相手に森の中で戦うのはさすがに厳しそうだ」
『首狩り』を相手に、森の中で戦う――それはただでさえ危険な戦いをより危険なものへと変えるだろう。
「そうだよね……もっと平地側に移動して、向こうから近づいてくるのを待つとか?」
「向こうが動くかわからないし、逃げる時は森の中だろうしなぁ……厄介な場所に陣取りやがって」
リルの大森林から離れた場所で迎撃の準備を整えてはどうかというエリザの案だが、相手が乗ってくるかがわからない。仮に気が変わって逃げ出された場合、レウルス達の方から捕捉するのは困難だろう。
「そっか……」
エリザは遠目に見える『首狩り』へチラリと視線を向けると、不安そうにレウルスの服の裾を掴んだ。すると、口を閉ざしていたアクシスが不思議そうに首を傾げる。
「ところでお嬢ちゃんや、なんで口調が変わっておるんじゃ? お主、儂と似たような喋り方をしとったじゃろう?」
似ているどころか、一人称を含めてほぼ一緒である。だが、エリザはアクシスが近くにいると素の口調に戻しているのだ。余程アクシスと同じ口調というのが嫌らしい。
「――誰のせいだと思ってるの?」
「ひょっ!? 何故そこで殺気を向けるんじゃ? 怒ると可愛いのが台無しじゃぞ?」
「~~っ! 自分で考えてっ! ばかっ!」
ズカズカと足音も荒く、エリザが離れていく。癇癪を起こしたようなエリザの反応だが、“事情”を知っているレウルスとしては苦笑することしかできない。
「爺さんが悪いってわけじゃ……いや、思いっきり爺さんが悪いんだけど、気にしないでくれよ」
「それ、逆に気になるやつなんじゃが……怒る元気があるのならあのお嬢ちゃんは大丈夫じゃのう」
そう言って目を細めるアクシスに対し、レウルスは内心で少しばかり感嘆する。
(エリザが怖がってるのを見抜いて、怒らせたのか? ただのエロい爺さんかと思ったけど、長い時間を生きてるだけあってその辺りの機微はすぐにわかるのかもな)
敢えてエリザを怒らせたのだろう、とレウルスは思った。
「しかし、あのお嬢ちゃん……」
そこで不意に、アクシスは真剣な表情を浮かべる。レウルスは何事かと思い、その表情を引き締めた。
「もっと身長があって、胸と尻が育っていれば儂の好みなんじゃが……残念じゃのう。数年後に期待といったところか。いや、待てよ? 今から揉んで育てれば――」
(……やっぱり気のせいかなぁ)
回避されるとわかってはいても、鼻の下を伸ばすアクシスに拳を繰り出すレウルスだった。
そしてその日の夜。
昨晩と同じように複数の焚き火を設置して視界を確保したレウルス達は、いつ『首狩り』が襲ってきても良いように神経を尖らせていた。
結局日中は動かず、物は試しにとレウルスが近づくと『首狩り』は即座に逃げ出したのである。どうやら『首狩り』はアクシスだけでなく、レウルスのことも警戒しているらしい。
アクシスがわざとレウルス達から離れてみても、『首狩り』が動く気配はなかった。
「さて……動くかねぇ」
レウルスは最初から『龍斬』を抜き、右手に握った状態で呟いた。
昨晩とは違い、『首狩り』が動いたら即座に気付けるようサラも起きている。他にもコルラードとアネモネが馬車を囲むように布陣しており、どの方向から『首狩り』が襲ってきても対応できるようにしていた。
サラは馬車の屋根に上っており、索敵だけでなく襲撃があった際にもすぐさま援護として魔法を撃てるようにしている。その隣には同じく援護要員としてネディの姿もあった。
馬車の中にはエリザとミーア、そしてルヴィリアがいる。無理だとは思うが、ルヴィリアにはエリザとミーアを護衛につけて眠るように伝えてあった。
この場にアクシスの姿はない。日中は動かなかったが、夜間ならば『首狩り』が近づいてくるかもしれないと考え、レウルス達から距離を取ったのだ。
(俺と爺さんが二手に別れてあの兎を挟撃すれば……いや、その間にエリザ達が狙われるか)
『首狩り』の速度が厄介過ぎる、とレウルスは内心でため息を吐いた。どんな行動を取ろうとも、逃げに徹されると追い詰めることが不可能に近いのだ。
「……あ、動いた。でもこっちにはゆっくり近づいてる」
緊張を切らさない程度にレウルスが考えごとをしていると、サラが困惑したような声を漏らした。どうやら『首狩り』は急襲ではなくゆっくりと距離を詰めてきているらしい。
「方向は?」
「コルラード……ううん、アネモネの方に移動してる。回りながら近づいてきてる?」
サラの言葉を聞いたレウルスは、暗闇に潜む『首狩り』に意識を向けた。馬車を中心として時計回りに移動しながら近づいてきているらしい。
(サラがいるからその辺は筒抜けだけど、問題はどのタイミングで襲ってくるかだな……)
いつでも『熱量解放』を使えるようにしながら、レウルスは精神を集中させていく。ある程度近づいてきたならば、自分から襲い掛かっても良いだろう。
そう考えるレウルスのもとに、風に乗った腐臭が届く。風の向きによっては日中でも臭ったが、視界が制限されていると余計に臭いが強く感じられた。
『キキキ……キキキ……』
続いて、どこか喜悦を感じさせるような『首狩り』の声が響く。それは警戒するレウルス達を嘲笑っているようでもあり、レウルスは『龍斬』を握る手に力を込める。
(心理戦を仕掛けてきた……って線は薄いか? こっちが疲弊するのを待ってるのか、他に目的があるのか……)
『首狩り』の行動がいまいち理解できず、レウルスは少しだけ眉を寄せた。“受け”に回らざるを得ない現状は、どうしても精神的な疲労が大きくなってしまう。
焦って飛び出しても逃げるか、速度に物を言わせて強引に突破される。かといってこのまま待ち続けても事態が好転するとは思えない。
『キキ……キー……キー……アー……』
レウルスが魔力を感じ取れるぐらいまで近寄ってきた『首狩り』だが、その動きが止まった。そして喉の調子でも確認するように声を発する。
『――クビ、クレ』
続いて、レウルスにも理解できるような“言葉”が飛んできた。
(……喋れたのか)
この時レウルスが感じたのは、言葉の内容よりも『首狩り』が喋った点に関する驚きである。片言ではあるが、言葉を話せるだけの知性があったらしい。
――内容が物騒すぎるため、レウルスとしても戦うことに微塵も躊躇はないが。
「……ヒッ」
『首狩り』を警戒していたレウルス達は、驚きこそすれ怯えることはなかった。だが、馬車の中で待機しているルヴィリアは別である。
馬車から短い悲鳴が漏れ聞こえ――『首狩り』の発する声に喜色が滲んだ。
『キキッ……クビ、クレ! クビ、ホシイ!』
ルヴィリアの声に反応し、『首狩り』の声が大きくなる。その声が聞こえたのか、馬車からはルヴィリアの押し殺したような悲鳴が続いた。
(ルヴィリアさんに執着してる……のか? それにしてはやり方が……)
『首狩り』が発する魔力によって、どこにいるか手に取るようにわかる。わざわざ声を上げている点からも、間違うことはないだろう。だが、レウルスは動かずに『首狩り』の行動が何を意味しているのか思考した。
『クビ! クビ! クビクビクビクビッ! キキキキッ!』
手を叩いて大喜びでもしていそうな、『首狩り』の声。そこにはやはり喜色の色が濃く滲んでいる。
(コイツ……ルヴィリアさんを怖がらせている? 怖がらせて何があるって……ん?)
『首狩り』の反応に疑問を覚えたレウルスは、心中だけで首を傾げた。
昨晩の襲撃の場において、レウルス達の中で『首狩り』に対して明確に怯えた表情を向けたのはルヴィリアだけだ。
エリザも怪しかったが、ルヴィリアと比べれば恐怖を飲み込めるだけの経験を積んでいる。
『首狩り』が何を求めているかは、先ほどから繰り返し叫んでいる言葉から明白だ。何がそこまで執着させるのかはわからないが、『首狩り』という名前らしく首が欲しいらしい。
レウルスは『首狩り』の姿を思い起こす。同時に、『首狩り』ならば何をどう思うか思考をトレースする。
趣味が悪い“首の輪”だが、魔物の頭はともかくとして、人間の頭に関しては表情が似通っていた。全員が全員、驚いたように目を見開いた状態で首を刎ねられていたのだ。
――もしかすると、コレクションに変わったものが欲しいのではないか?
それならば、色濃く恐怖の感情を浮かべたルヴィリアに興味を持つのも理解ができた。
レウルス達の中でルヴィリアだけに違いがあるとすれば、それぐらいだろう。ルヴィリアが貴族の娘だと気付いた可能性もあるが、人間社会のことなど知らないはずである。
故に、もしも、ルヴィリアの恐怖が引き金だったなら。
「シャアアアアアアアアアアアァァツ!」
瞬時に『熱量解放』を使い、レウルスは不意を突くように『首狩り』へと突っ込む。
相容れない、倒さなければならないとは思っていたが、仮に『首狩り』の行動理念が予想通りだとすれば。
――損得勘定を抜きにして、“人間として”殺さなければならないとレウルスは心の底から思った。
『キキッ!?』
突如として豹変したように攻撃を仕掛けたレウルスに、『首狩り』も虚を突かれたらしい。それでも即座に後方に跳び、レウルスから距離を取る。
だが、レウルスは構わずに『龍斬』を振り切った。斬撃は届かないが、魔力の刃なら十分に届く距離だった。
『ギッ!?』
僅かな手応え。それを感じたレウルスは即座に追撃を仕掛けようとするが、『首狩り』の方が一歩速い。
暗闇に紛れるようにして、『首狩り』の魔力が急速に遠ざかっていく。サラにナビゲートを任せて追うべきかレウルスは迷ったが、『首狩り』が逃げたのはリルの大森林の方角だった。
そのためレウルスは舌打ちを一つ零し、『龍斬』を鞘に収める。
「本当にルヴィリアさんに執着してるとすれば……命を賭けてもらう必要がある、か」
『首狩り』が逃げ去った方向を睨みながら、レウルスはそう呟くのだった。