第283話:ユニコーン その1
「おおう、近くで見るとますます可愛らしいお嬢ちゃん達じゃな。どうじゃ、儂の子を産んでみんか?」
そして、野営地に戻るなり開口一番にアクシスがそんなことを口走った。
前世ならば間違いなくセクハラとして通報されるだろう。今世においてもセクハラであることに疑いはない発言である。
エリザ達は全員風呂から上がっているが、レウルスが連れてきたアクシスを見て胡散臭そうな顔をしていた。
「レウルス、このお爺ちゃん……その、なに?」
珍しいことに、サラはアクシスとの距離を測りかねているような様子で尋ねる。
「あー……ユニコーン?」
そんなサラの疑問に答えるレウルスも、断言しかねて曖昧な口調になってしまった。
アクシス本人がユニコーンだと名乗っており、なおかつヴァーニルのことも知っている。それに加えて大精霊コモナを知っている口ぶりで、他にも色々と知っていそうだ。
今の姿も『変化』によるものだろうが、たしかにユニコーンだという証拠はなかった。
「そっちの男は近寄らんで良いぞ? うっかり蹴り飛ばしそうじゃ」
「理不尽である!」
「ああ、お嬢ちゃん達はもっと近くに来て構わんとも。むしろ儂から近づこうかのう」
何事かと周囲の警戒から戻ってきたコルラードに対し、野良犬でも追い払うように手を振りながら告げるアクシス。そんなアクシスの姿に周囲の女性陣の視線が冷たくなっているが、当のアクシス本人は気にした様子もない。
「えっと……レウルス様? この方がユニコーン……ですか?」
「どこからこんな徘徊老人を連れてきたので?」
困ったように尋ねるルヴィリアと、冷たい視線に負けず劣らずの冷ややかな声をぶつけるアネモネ。レウルスはどう答えたものかと視線を彷徨わせたが、このままでは埒が明かないとため息を吐いた。
「爺さん、その姿は『変化』を使ってるんだろ? 元の姿に戻ってくれないか?」
「ん? なんじゃなんじゃ、儂、どう見てもユニコーンじゃろ?」
「見えねえから『変化』を解けって言ってんだよ!?」
何を馬鹿な、と笑うアクシスに対し、レウルスは声を荒げてツッコミを入れた。最早アクシスに対する礼儀も遠慮もなかった。
「おお、怖いのう。最近の若者は怒りやすくて怖いのう。まあ、最近といっても千年前から大して変わらんが……ほれ」
わざとなのか素なのか、アクシスはレウルスに対して煽るような言葉を投げかける。しかし素直に頷いたかと思うと、瞬時にその姿を変貌させた。
それまでただの老人にしか見えなかったアクシスだが、瞬きの間にユニコーンの姿へと変わる。
体長は三メートルを僅かに超える程度で、体毛は白一色。それだけを見れば大柄な白馬にも見えるが、その頭には一本の角が生えていた。
毛並みも綺麗なもので、これまでの旅で荷車を曳いていた馬と比べると雲泥の差があると言えるだろう。同時に、ユニコーンの姿に戻るなり今まで感じ取れなかった魔力を感じ取ることができた。
アクシスから感じ取れる魔力の大きさは驚くほどのものではない。サラやネディと比べても大きいが、ヴァーニルなどと比べればその半分にも届かないだろう。
以前戦ったレベッカを真似た魔法人形と同等か、やや上回るぐらいである。ただし、感じ取れる魔力はどこか優しい。殺気や敵意といったものは感じ取れず、包み込むような温かさがあった。
最初からユニコーンの姿で現れ、なおかつその軽い口調さえなければ神々しさすら感じたかもしれないほどだ。
『どうじゃ? 格好良いじゃろう? ほれ、抱き着いても構わんぞ?』
だが、その言葉が神々しさを容易に霧散させる。ユニコーンの姿に戻ったとしても、そこにいるのは一人の助平爺でしかなかった。
「ほん、とう……に……ユニコーン、でしたか」
「まさか、こうも簡単に見つかるとは……ですがこれで……」
呆れて頭を振るレウルスだったが、ルヴィリアとアネモネは様子が異なる。
ルヴィリアは口元を両手で隠しながら声を震わせ、アネモネも困惑と喜びを声に滲ませていた。
「うわー……でっかいお馬さんね! ねえお爺ちゃん! 背中に乗ってもいい?」
『ほっほっほ。そちらのお嬢ちゃん二人なら断るところじゃが、貴女がそう望むのなら構わんとも。ああ、そちらの方もどうじゃな? その大きな胸を首に押し付ける感じで乗ってくれると、儂、大喜びするぞ?』
「……やっ」
物怖じしないサラが背中に乗せるよう頼むと、アクシスはどこか優しげな声色で答えた。ネディに対しても乗っても構わないと促しているが、後半の言葉が嫌だったのかネディはレウルスの背中に隠れてしまう。
(サラとネディの扱いが違うのは精霊だからか?)
何故か好意的な言葉をかけるアクシスに、レウルスは小さく首を傾げた。
だが、そんなアクシスの言葉が聞こえていたのか、律義に距離を取っていたコルラードが胃の辺りを手でさすりながらレウルスを呼ぶ。
「大丈夫ですか?」
「色々と……本当に、色々と言いたいことがあるのである……だが、探し出すのに長い時間がかかるよりは良いと思うのだ……吾輩は今、自分にそう言い聞かせているのである」
レウルスが心配そうに声をかけると、コルラードは頬を引きつらせながら答えた。
その視線はレウルスの背中に張り付いたままのネディと、アクシスの許可を取ったことでその背中に飛び乗るサラに向けられていたが、深呼吸を数回繰り返して落ち着きを取り戻す。
「ユニコーンに会えたことは喜ばしいのである。これまでの旅の苦労が報われるというものだ……しかし、どうだ? お主の目から見て、こちらの頼みを受けてくれると思うか?」
「……その辺りも含めて、この場に連れていくよう言われましてね」
アクシスと交わした会話に関しては、誰にも話していない。アクシスも話す気はないのか、スライム云々に関して話題に挙げることはなかった。
『坊主、そろそろ本題に移って構わんかの?』
「え? あ、ああ……」
サラを背中に乗せたままで声をかけてくるアクシスに、レウルスは頷きを返した。サラは普段と違う視点の高さに大喜びしているが、これまでのアクシスの言動を考えればすぐにでもサラを引き離したいところである。
だが、不思議なことにアクシスからサラに向けられる視線は妙に柔らかかった。
「……本題、とは?」
先ほどは僅かに取り乱していたものの、平静を取り戻したアネモネが尋ねる。ルヴィリアを庇うように一歩前に出ているのは、アクシスの言動を警戒してのことだろう。
『坊主……レウルスから聞いたが、儂に用があるのじゃろう? 予想はつくが、一応本人の口から聞いておこうと思っての』
そう言ってアクシスが視線を向けたのは、アネモネの背後に庇われたルヴィリアである。真剣な空気を感じ取ったのかアクシスの背中に乗っていたサラも地面に下り、レウルスの傍に駆け寄った。
「はい……仰る通り、貴方様にお会いしたいと思ったのはわたしです」
アネモネの背後に庇われていたルヴィリアだが、アクシスと相対するように一歩前に出る。今までの言動から攻撃を仕掛けてくるとは思わないが、高位の魔物の前に立つのだ。ルヴィリアの足は静かに震えていた。
「わたしはルヴィリア……ルヴィリア=ヴィス=セク=ド=ヴェルグと申します。マタロイ南西部の国境を預かるヴェルグ子爵家の次女です」
『…………』
名乗りを上げたルヴィリアだが、アクシスは何も言わない。静かにルヴィリアを見つめ、続く言葉を待っているようだ。
「わたしは幼少の頃……十歳の頃から体調を崩すようになりました。医者や治癒魔法の使い手、魔法具の制作者……様々な方に診てもらいましたが、この歳に至るまで治ることはなく……」
それは、先日レウルスが聞いたものと同じ話だった。ルヴィリアは切々と、訴えかけるように言葉を紡いでいく。
「アクシス様……どうか、わたしの体を治してはいただけませんか?」
そう言ってルヴィリアは地面に膝を突いたかと思うと、神仏にでも縋るように頭を下げた。そんなルヴィリアに続き、アネモネも膝を突いて無言で頭を下げる。
『ふむ……』
ルヴィリアとアネモネを見下ろしながら、アクシスが小さく声を発する。
レウルスはそんなやり取りを見守っているが、“もしもの際”にはすぐに割って入れるよう僅かに前傾姿勢を取った。
アクシスは警戒するレウルスをチラリと見るものの、その視線をすぐさまルヴィリアに戻す。
『人間というのものは、何百年……いや、千年経とうと変わらんようじゃのう』
「……それは、どういうことでしょうか?」
ため息を吐くように答えるアクシスに対し、ルヴィリアは頭を下げたままで問いかける。
『そのままの意味じゃよ。儂ら魔物にはない悪辣さじゃ。同族に毒を盛るものなど、魔物にはおらんよ』
「……っ!」
ビクリ、とルヴィリアの体が震えた。しかし反論をすることもなく、アクシスの発言が真実であるように沈黙を保つ。
(……毒? そういえば、初めて社交の場に出て倒れたって言ってたっけ……)
否定しないルヴィリアを見ながら、レウルスは内心で呟く。傍から聞いている限りでは、ルヴィリアの病弱さは“それ”が原因のように聞こえた。
「毒が原因なら『解毒』の魔法を使えば良いんじゃないか?」
助け船のつもりでレウルスが言葉を挟むと、アクシスはその長い首を横に振る。
『それで簡単に消せるなら苦労はせんわい。飲んだ直後ならまだしも、体に変調が現れた後では並大抵の使い手では消しようがないんじゃ。しかも、すぐさま毒とわかるほど効果が強いものでもない……本当に悪辣で、執念深くて、人の恐ろしさを感じさせる毒じゃよこれは』
「その口ぶりだと、どんな毒か知ってるみたいだな」
ルヴィリアの体を蝕む毒に関して明らかに知っていると思しきアクシスに、レウルスが疑問をぶつける。
『知っておるよ。儂が生まれて千年以上経つが、同じようなことを頼んでくる者は数えきれんほどおった。そりゃあ詳しくもなるというものじゃ』
「……数えきれないぐらい?」
『うむ。人の業の深さよな……さすがに調合方法までは知らんが、ゆっくりと、しかし確実に飲ませた相手の体を壊す毒じゃ。徐々に苦しみが強くなって、大抵は歳が二十を超える頃には死ぬ。“恨みが深い相手”に飲ませる毒じゃな』
そう言われてレウルスもルヴィリアに視線を向けるが、頭を下げたルヴィリアの表情は窺い知れない。
『坊主のように特殊な体質ならば効かないんじゃがな。毒が全身に行き渡れば、それこそ白龍に匹敵する治癒魔法の使い手でないと治せんじゃろ』
「で、でも……貴方なら治せるんですよね?」
アクシスの言葉を聞き、ルヴィリアが顔を上げて縋るように言う。今にも泣きだしそうだが、貴族としての意地なのか涙を流すには至らない。
二十歳を超える頃には死ぬと、ユニコーンに宣告されたのだ。それも、これまで数えきれないほど同じ症例を見てきたと言うアクシスの宣告である。
アクシスはルヴィリアの顔をじっと見つめたかと思うと、小さく頭を振った。
『治せるか治せないかで言えば、治せる。じゃが、これでも一応魔物の中では上級に位置する身での。すまんが、人間……それも貴族に手を貸すわけにはいかんのじゃよ』
アクシスが静かに断りの言葉を述べると、ルヴィリアの表情がひび割れるように引きつる。悲しみと絶望をない交ぜにしたような、見る者の心を軋ませるような表情だった。
「…………?」
だが、そんなアクシスとルヴィリアのやり取りに疑問を覚えたのはレウルスである。
(俺を通して干渉するとか言ってたけど、アレは何だったんだ?)
ルヴィリアから話を聞いたものの、結局は断るという結論に落ち着いたのか。それとも別の狙いでもあるのか。
レウルスが疑問を込めてアクシスを注視すると、アクシスは何故か焦ったように声を上げた。
『しかし、じゃ。儂とて情がないわけでもない』
「……えっ?」
そこまで言ったかと思うと、アクシスは『変化』で再び老人の姿になる。そして地面に膝を突くルヴィリアの傍に歩み寄り、膝を折って間近でその顔を見つめた。
「話を聞いたところ、貴族の子女の身でありながら長旅を乗り越えてここまで来たのじゃろう? その覚悟は天晴れじゃ。儂が提示する条件を乗り越えれば、お主の体を治してやろう……どうじゃ?」
「良い……の、ですか?」
「うむ。儂とて男じゃ。二言はないわい」
頷くアクシスに、ルヴィリアは声を震わせながら頭を下げる。
「ありがとう……ございますっ……」
「ほっほっほ。まだ体が治ると決まったわけでもないんじゃ。礼の言葉は不要じゃよ」
そう言って、ごく自然な動きでルヴィリアの背中を撫で始めるアクシス。
傍目から見れば、泣いている女性を慰めるために見えるだろうが――。
(この爺さん、わざと厳しい言い方をしやがったな……)
感動したように頭を下げるルヴィリアと鼻の下を伸ばすアクシスの姿に、レウルスは内心でツッコミを入れるのだった。




