第281話:リルの大森林 その1
城塞都市アーラスで過ごした期間は、結果的に四日間にも及んだ。
レウルスにとっては思わぬ休息の期間となったが、これまでの旅で溜まっていた疲労を抜くという意味では丁度良かったといえるだろう。
これまでの旅で少しガタがきていた馬車もミーアが修理し、武器や防具の調整も済ませてある。
ヴァーニルのおかげでユニコーンがいることもわかっているが、見つけるまで何日かかるかわからない。そのため調査に時間がかかっても問題がないよう、保存食をはじめとして食料を多めに買い込んでもある。
教会で世話になった初老の男性の話によれば、リルの大森林までは徒歩で五日程度。ベルリドとの国境に近いためきちんと整備された街道も途中までしか敷かれていないが、馬車でも通行できる程度には地均しがされているらしい。
話によるとアーラスから更に東に向かうとウストリアという国があり、海を隔ててジパングと呼ばれる島国も存在するようだ。レウルスとしては興味を引かれる地名だが、今回は依頼を優先するしかない。
アーラスからウストリアの国境までは半月程度、そこからカルデヴァ大陸の東端に到達するまで更に半月程度。船に揺られて一週間もすればジパングに着くらしいが、実際に確認するわけにもいかない。
ただ、いつか訪れることもあるかもしれないと考え、記憶の隅に留めておこうとレウルスは思った。
(ジパングかぁ……やっぱり米が主食なのか? あとは和服だったり、刀で戦ったり……)
レウルスはマダロ廃棄街で食べた炒飯もどきを思い出す。だが、それと併せて一人の女性が脳裏にひょっこりと顔を覗かせた。
(あの司教……カンナって言ったか。服装や武器から考えると、あの人ってジパング出身……なのか?)
二振りの小太刀を操り、ジルバとも互角に渡り合うグレイゴ教の司教。その姿を脳裏に思い浮かべたレウルスだったが、頭を振って思考を打ち切る。
「んー? レウルス、どしたの?」
「いや、なんでもない」
頭を振ったレウルスを不思議に思ったのか、サラが声をかけてくる。レウルスが些細なことだと受け流すと、サラはそれで納得したのか興味を失ったように頷いた。
既にアーラスを出発する準備は整っている。あとは城門から外に出て、リルの大森林を目指すだけだ。世話になった教会にも寄付という名目で金貨を五枚ほど包んで渡しており、問題も特にない。
天気にも恵まれており、空模様は快晴である。絶好の旅日和と言えるだろう。
レウルス達は城門を通って町の外に出ると、その進路を北東に向ける。グレイゴ教徒に襲われたこともあり、警戒は常に行っている。
コルラードが先頭を歩き、馬車を挟んで殿をレウルスが、馬車の左右にはエリザ達四人を二人にわけて配置し、アネモネは馬の手綱を取って御者を務めている。ルヴィリアはその時々によって変わるが、大抵は馬車の傍を歩いて有事の際は即座に隠れられるようにしていた。
そうして歩くことしばし。これまで通ってきた街道と比べるとやや荒れている路面に眉を寄せていたレウルスだったが、不意にサラが声を上げる。
「……んー? なんか、尾行がいなくなってる?」
実際に目視できるわけではないだろうが、キョロキョロと周囲を見回しながらサラが言う。
「本当か?」
「うん。さっきの町を出た直後からおかしいなーって思ってたんだけど、ついてくる熱源が全然ないの。見落とさないように気合い入れて探ってるんだけど……」
グレイゴ教徒に不意打ちを許したからか、周囲の熱源を探るサラの表情は真剣なものである。
「ふむ……我々のことを精霊教徒だと信じて監視を解いたのか、目的地付近で見張っているのか……判断に迷うところであるな」
レウルスとサラの会話を聞き、コルラードが怪訝そうに眉を寄せた。
「町に立ち寄る度に情報を集めてましたからね。グレイゴ教徒の横槍がないのなら、そろそろ信用されてもおかしくはないのか……監視を引き継いだとして、この土地の領主のやる気がないって線は?」
「国境に近いのだぞ? マタロイでいえばヴェルグ子爵家が治めるような土地である。やる気がないと期待するのは難しかろうな」
尾行してくる兵士がいなくなったのなら、レウルス達としては喜ぶべきことである。だが、目的地に辿り着く前に尾行がいなくなったのは気にかかった。
「こう考えてはどうじゃ? ここから先、アーラスとリルの大森林の間には町も村もないのじゃろう? 予定の進路から外れて他の場所に行くようなら、そこで待ち構えておけば勝手に網にかかる」
「……俺達はアーラスに四日間滞在していたしな。先回りするのも簡単か」
「たしかに……その可能性はあるのである」
エリザが己の考えを明かすと、レウルスとコルラードは納得したように頷いた。
リルの大森林に真っすぐ向かうのなら、精霊教徒として『祭壇』を探していることに説得力が生まれる。だが、ここで進路を変えて他の町や村に向かえばどう思われるか。
(こっちが尾行に気付いているって向こうも気付いたのか? 尾行してくる奴がいなくなれば安心して“尻尾”を出すかもしれない、と……そこで他の町や村に監視者を伏せておけば、こっちから網に突っ込むようなもんか)
仮にそうだとすれば相手の骨折り損になるな、とレウルスは思った。
レウルス達の目的が『祭壇』ではなくユニコーンという違いがあるが、最初からリルの大森林を目的地と定めている。リルの大森林で目的を果たしてそのままアーラスに戻れば、ラパリ側も納得するのではないか。
(そう思わせておいて、実はサラの感知に引っかからないような相手が尾行している可能性もあるか……油断だけはしないでおこう)
サラは熱心に周囲を索敵しているが、相手の方が一枚も二枚も上手ということもあり得る。
レウルスはそう気を引き締め、リルの大森林への道を進んでいくのだった。
アーラスを出発して五日後。
太陽が傾き始め、もう少しで夕方が訪れるという時間帯。レウルス達はリルの大森林と思しき場所まで辿り着いた。
遠目に見るとその広大さがよく理解でき、近くに寄るとその鬱蒼とした雰囲気に二の足を踏みそうになる場所である。
大森林と呼ばれるだけあり、どれほどの広さがあるのか皆目見当がつかない。森の端がどこまで続いているのか確認しようにも、地平線に隠れてしまって確認できないのだ。
面積で算出しようとすれば、一体どれほどの広さとなるか。貴族の領地どころか、小国が有する土地と同等以上の面積がありそうだとレウルスは思った。
(この森でユニコーンを探し出すのか……無理じゃないか?)
リルの大森林の広さを目の当たりにしたレウルスは、内心でそんなことを考える。
アーラスからリルの大森林までの旅路に関しては、警戒していたものの消えた尾行者が再び現れることもなく、野盗に襲われることもなく平和なものだった。
一度だけ中級下位の魔物である化け熊が襲いかかってきたものの、喜び勇んだレウルスが逆に襲いかかってその日の夕食になったぐらいで平和な旅路だった。
――そう、旅自体は平和だった。
「ねーねーレウルス」
「……なんだ?」
リルの大森林の端。道が存在しないためこれ以上は馬車で進めないという位置まで進んだレウルス達は、小川が流れている場所を見つけたため夜営の準備を進めていた。
すると、サラが無邪気な笑顔を浮かべながらレウルスに話しかける。
アーラスからリルの大森林までの道程では街道が途中で途切れていたため、『駅』の類も存在しなかった。そのため夕方が近づくと夜営に向いている場所を探し、馬車を止めて夜を明かすための準備をする必要があった。
レウルスが行っているのは焚き火作りである。火を熾す前準備だが、空気が通りやすいよう薪を組んでいるのだ。
そんなレウルスに向かって、サラは不思議そうな口調で問う。
「アネモネってば体調が悪そうなのにどうして嘘を吐くの? 本人は隠してるつもりかもしれないけど、あれって体調が悪いよね? グレイゴ教徒に襲われた時ほどじゃないけど、熱もあるっぽいし」
「…………」
首を傾げながら問いかけてくるサラに、レウルスは無言で応える。
(アーラスではルヴィリアさんだったけど、今度はアネモネさんか……)
内心でそんなことを考えながらも、表情には出さない。
アーラスを出発して三日も経つとアネモネの様子がおかしくなり、時折ミーアに御者を頼んで馬車に引っ込んでいたのだ。
コルラードやアネモネほどではないが、ミーアも短時間ならば問題なく馬車を操れる。しかしながらその手腕はコルラードに到底勝るものではなく、馬車の安全を期するならばコルラードに御者を頼むべきだろうが――。
(異性がすぐ傍にいてどうこうってのはアネモネさんも嫌だろうしな……)
ううむ、とレウルスは何とも言えない気持ちになる。
レウルス達のこれまでの旅では、幸いと言って良いのかは不明だが“その手”の苦労はなかった。レウルスやサラの索敵能力とエリザの『魔物避け』を加味したとしても、尋常ではない移動速度を発揮できたのは体調を崩す者がいなかったからである。
レウルスは男で、共に行動するエリザ達は女である。ただしエリザは吸血種でミーアはドワーフ、サラとネディにいたっては精霊だ。
純粋な人間であるルヴィリアやアネモネとは異なるのか、レウルスが困るような事態には直面していない。
「ねー、ねーってば。レウルスはなんでかわかる? アーラスでもね、ルヴィリアがあんな感じだったのよ。でもルヴィリアの方が辛そうだったかも? わたしが理由を聞いたら、エリザとミーアがいきなりわたしの口を塞いだの。酷くない?」
自分の裾を掴んで繰り返し尋ねてくるサラの姿に、レウルスは少しだけ遠い目をした。
(世間の男親はこういう時にどんな反応をしているんだろう……おやっさんに聞いておけば……いや、そんなこと聞いたら殺されそうだな)
レウルスは機械的に両手を動かして薪を組んでいくが、その内心は逼迫している。
さて、どう答えたものかと頭を悩ませていると、小川で水を汲んでいたエリザが声を上げた。
「レウルスー! ここの水は綺麗じゃし、作ろうと思えば風呂が作れそうじゃぞー!」
「えっ? お風呂? わーい! それならわたしの出番ね!」
すると、それまでの興味を失ったのかサラがエリザの元へと駆けていく。そんなサラの後ろ姿を見送ったレウルスは、ほっと安堵の息を吐くのだった。
そしてその一時間後。
野営の準備も終わり、もうじき日暮れという時間になると、レウルスとコルラードは野営地から追い出された。
理由は小川の傍に設営された風呂にエリザ達が入るからで、その中にはルヴィリアも混ざっているからだ。
レウルスとコルラードを追い出したのは、当然ながらアネモネである。体調が悪そうにしながらも、近寄れば殺すと言わんばかりの気迫を瞳に込めてレウルス達を追い払った。
レウルス達も自宅や旅の途中でよくやることだが、水にサラを放り込めばお湯に変えることができる。石を積むなり穴を掘るなりして“湯船”を作り、サラに水を温めてもらえばそれだけで即席の風呂に早変わりだ。
レウルス達だけならばそのまま風呂に入るが、今回はルヴィリアやアネモネも同行している。そのため風呂の周囲に雨避けの布を張り、簡単には視線が通らないようにしていた。
それでもレウルスとコルラードが野営地から追い出されたのは、女性として当然の心理か。レウルスとコルラードは無言で頷き合うと、それぞれ周囲の警戒に当たることにした。
小川を挟んでリルの大森林側をレウルスが、反対側をコルラードが見張り、魔物や野盗の襲来に備える。風呂の傍ではアネモネが目を光らせているため、警戒の布陣としては完璧に近いだろう。
(まあ、女の子が五日旅すれば気にもなるだろうしな……)
年頃の女の子だからか、エリザやミーアも汗の臭いなどを気にする傾向がある。今回の場合は貴族の令嬢であるルヴィリアが同行しているため、その傾向は顕著だった。
旅の道中で風呂に入れるなど、普通ならばあり得ない。町に立ち寄った時に風呂屋を利用するぐらいで、野外で夜営する時などは濡らした布で汗を拭くのが精々だ。
しかし、レウルス達の場合は違う。風呂になり得るだけの水があればあとはサラがお湯に変えてくれるのだ。
最悪、ネディに水を出してもらって風呂を作っても良い。コルラードが今回の旅自体の難易度は低いと言うのも当然である。
(後で俺も入らせてもらうか……っと、今は警戒をしっかりとしないとな)
レウルスはいつでも『龍斬』を抜けるようにしながらも、小川から離れるようにしてリルの大森林に足を踏み入れた。視線を小川に向けないためというのもあるが、森から魔物が出てこないか警戒するためである。
だが、これは風呂場で警戒するアネモネ向けのポーズに近い。サラが熱源を探知できる範囲はレウルスが魔力を探知できる範囲よりも遥かに広く、風呂に入りながらでも容易に周囲を警戒できるのだ。
何かあればサラが『思念通話』で警戒を促すだろう。お湯を沸かすという役割に何故かテンションが上がっているようだが、その辺りに手を抜くことはないとレウルスは信じている。
「ほっほっほ。こりゃ絶景じゃのう」
――故に、そんな声が聞こえたのはまったくの予想外で。
「っ!?」
レウルスは即座に『龍斬』を抜き、戦闘態勢を取る。そして周囲の気配を探ってみると、頭上に気配を感じた。
「のう、お主もそうは思わんか?」
いつからそこにいたのか。
木の枝の上に立ちながら小川を見つめる、一人の老人の姿がそこにはあったのだった。